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病院に収容された男から気になる情報がもたらされたと、ありさから聞いたのは翌日の昼休み、一馬の教室で昼食をとりながらだった。
『俺が兎亀組の奴らに捕まったのは、奴らの誤解なんだ。あいつらの若い衆が病院送りになったのは、俺のせいだと思い込んでやがる。だが、俺は誓ってそんなことはしちゃいない。たまたま居合わせただけなんだ。
先週のことだ。夜、居酒屋で一杯引っかけた帰りに兎亀組の若い衆三、四人が人気のないところに入っていくのを見たのさ。こりゃあ喧嘩か? とこっそり後をつけてったんだ。
取り囲まれるようにローブを着た二人組がいた。極道もんには見えなかったし、かといってカタギって雰囲気でもない。
周りにいたひとりがローブのひとりの胸倉を掴んだ。すると、掴んだ方が苦しみだして倒れちまった! 呆けているうちに次々と周りの奴らも倒れていくじゃないか。生きてるか死んでるかもわからねえ。妖術か魔法でも使ったんじゃあないかって、俺、怖くなって逃げ出したんだ。そこを誰かに目撃されてたみたいで、兎亀組に捕まっちまったんだ』
「黒いローブの二人組。これは“発症者”の可能性が高いだろうね」
ありさはカレーパンの袋を開け、続ける。
その話を聞いた『互助会』は、すぐさま入院したという兎亀組の人間に接触した。
ローブの二人組の方から因縁をつけてきて、痛い目に合わせようとしたらしいが、何をされたのかもわからずに返り討ちに会ったという。
彼らは全員、極度に衰弱し切った状態だったらしい。
「衰弱した状態。それって一馬と同じ症状だったんだよ」
「ってことは、金畑ゴールデンホテルの暴動事件と関係があるってことか?」
一馬を治療した医師によれば、高いところからから落下したことによる頭部の損傷、そして原因不明の異常な体力低下。一度黄泉の国へ片足を突っ込んだところから奇跡的に生還した代償だったのでは、と一応の見解を述べていた。しかし全く同じ症状の人間が出たとなれば、因果関係を無視することは難しい。
「でもさ、夜に出るっていう不審者は正義の味方なんだろ? そいつ、人を襲ってるじゃないか」
「うーん。どういうことなのかは直接会って確かめてみないと」
メロンパンを袋から取り出す。それを頬張った。幸せそうに食べる。
「……なあ」
「なに?」
「まだ食べるのか?」
「お腹空くんだもん」
机の脇には完食済みのパンの袋がきれいに畳まれていた。
「それで何個目だよ。よくもまあ、そんなに入るもんだな」
コンビニのレジ袋にはまだ封を切られていないパンが顔をのぞかせている。一定数集めれば景品と交換できるポイントシールはきっちりと回収済み。
「体の大きさと胃袋の大きさは関係ないんだよ。それに昨日の夜は戦いがあったから余計にお腹が空くの。“ファントムペイン”を使うと疲れるからお腹が空くんだよ。体力勝負なんだ、こういうのは」
体育会系の部活かよ。一馬は思った。
一馬が遭遇した“発症者”はバンバンとその力を使っていたからノーコストで使える便利なものと思っていたが、無尽蔵に使えるわけではなかった。
「一馬こそもっと食べた方がいいんじゃない? さっきからまだ焼きそばパンの半分も食べてないじゃん」
「目の前の奴が俺の分の食欲まで持ってるような気がしてな……」
「そうだ、私のパンをわけてあげるよ。はい」
名案が浮かんだとばかりに手に持っていたメロンパンをちぎり、一馬に向ける。
「いや、いいよ。俺はこれで十分だ」
「……いらないの?」
しゅん、と残念そうに俯く。何故か妙な罪悪感に駆られた。
「じ、じゃあもらおうかな」
ぱっと花が咲いたように目が輝いた。
やれやれ、と手を伸ばすが、その手にパンのかけらを乗せない。
「口開けて。あーん」
「……!?」
目と耳を疑った。
人目がこれでもかと言わんばかりに張り巡らされた教室内。もしも誰かに目撃されようものならば、囃し立てられること必至。何をしようというのかこの女は。
「じー」
期待に満ちた目で見つめられ、今更「やっぱり遠慮する」と言うことは憚れる。
にっちもさっちもいかない状況。なるべく誰にも目撃されないよう、手早く済ませなければならない。
対象物(一口サイズのメロンパン。かけらともいう)までの距離を目視で計測。そこまでの移動時間はおよそ〇・五秒。口を閉じ、対象物をくわえるのに〇・一秒。元の位置に戻ってくるのに〇・五秒。しめて一・一秒。これならば誰に見られることもなく遂行できる。
汗が頬を伝う。一寸の狂いもない精密な機械のような動きが要求される。
冷たい感覚が脳内を満たし、集中力を高めた。過敏にまで高められた神経がありさの息遣いを捉え、わずかな指の動きも見逃さない。
「覚悟はできた。いざ参る!」
一馬の顔が動き、ありさの手からパンをかすめ取る。その素早さたるや、獲物を捕らえる猛禽類をしのぐだろう。そして、再び元の位置に戻る。
周囲の反応を窺う。どうやら誰にも見られてなかったようだ。
勝った。一馬は今、確かに勝者だった。誰も知らない、一馬ひとりだけの戦いに勝利したのだ。
余韻に浸っていると、ありさから悪魔のささやきがもたらされた。
「一馬のもちょうだい」
「……え?」
視線の先は、一馬の持っている焼きそばパン。
あっ。
と声を出すには遅きに逸した。
ありさは身を乗り出し、一馬が持っていた食べかけの焼きそばパンの半分近くを削り取る。慣性に乗って流れた長い髪が鼻先をかすめる。
「ん、おいし」
嬉しそうにもぐもぐと口を動かす略奪者に言うべき言葉が見つからない。
残ったのは全体の四分の一程度の焼きそばパンだけだった。
(……これ、間接キスになるんじゃ)
それに気づいた途端、体温が一度上がった気がした。妹を相手にする時はこの程度の接触、全く気にならないが、家族以外の異性となると話は別だ。
「お熱いのは結構だがな、時と場合を選んで欲しいものだな」
「わっ!」
突然の声に、持っていた焼きそばパンを口に放り込んでしまった。
いつの間にかそばに十川が立っている。
「と、十川くん、これは違うんだ。決してそういうあれじゃない!」
「何を弁明しているんだ。僕は君が誰とどう付き合おうと関係ない。そんなことよりも、君に客だ」
十川の隣には一馬の知らない女生徒がいた。眼鏡にお下げ。ネクタイの色から一年生であることがわかる。
「あれ、玉滝さん?」
ありさが意外そうに声を上げる。
「どうも、一年の玉滝といいます」
一馬の方を見て言った。
「お兄さん、お久しぶりです。私、かえでちゃんの友達です。かえでちゃんのことでお話があります」