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ダヴィンチにチンビダ

作者: 白井亦 久人

定年退職後、農業を営む田舎の爺さんでございます。まさか私が、人類史上最高の画家レオナルド・ダヴィンチ様の絵画の謎解きに関わるとは夢にも思っていませんでした。処女作です。

この作品を友人だったHI君とSI君に捧げます。

初めまして、白井亦(しらいまた) 久人(ひさと)です。


 なんでこんな小説?作文?書く羽目になったか未だに、家ダニ、分かりません。

(これから読んでくださる方には申し訳ない)


 私はそんな、文章も書いたことないし、本も、ろくすっぽ、読んだこともありません。

学歴なんかお恥ずかしくて言えたものではありません。一応、高校は出ていますが勉強もしなかったので、学力なんか中学程度です。


なんせ選んだ学校が自宅から1キロもない近くにあって、それで選んだくらいで、、2年生頃なんか朝ドラ(昔は8時15分始まりでした。)見てから通学したほどですからねぇ。

しかも、時間がないので、って当たり前ですが、3分で到着できるように、バイクで通ってね。

学校に隣接する友達の家にバイク置いたりしてね。朝礼の点呼に間に合えば、もう一日は終わった感じのバカ学生でした。それが、よりによって・・・・アホかいな・・・・天下のダヴィンチ様の名画の謎解きをしようとは・・・・申し訳ない。読むのやめるなら今の内ですよ。


 そうです。この小説というか作文は、名も知れぬ田舎の爺さんが、無謀にも、人類史上最も偉大な画家レオナルド・ダヴィンチ様の絵の謎解きをした、約4カ月の記録です。

 だいたいこの作文自体が小説と言えるのかも疑問です。田舎の爺さんの、たわごとだと思ってください。少し辛抱すれば、画像だけはふんだんに使っていますので、絵を見るだけでも良いかもしれません。

少しお付き合いいただければ、幸いです。




                     事の発端


 私はねぇ。60歳で会社を定年退職したのです。それも中程度の中小企業でね。中小企業だから中程度って当たり前ですね。

 親会社の、さらに親会社は、超優良企業で世界でも有数の、原材料メーカーですが、子会社の子会社の孫会社ともなれば、親会社の、天下り場所みたいな会社でね。まぁ、そのくらいだから天下りの社長なんか、おっとりしたもので、適当に、ゴマすっていれば、何とかなっていたのですよ。

 それがね。リーマンショックでしたっけ、あの辺からね、社長が天下ってこなくなった分け。

 自分ちの社員の中から社長が選ばれるようになったら、さぁ大変。もう親会社の方ばっかり向いて、下なんか見ないから、やれ合理化だ、利益出せ!!必要のない国際規格取りますなんて言い始めてね。

 余計な仕事は増えるは、人は減らすは、地獄の会社に変貌ってわけですよ。


 でね、私なんざ、適当にやってきた人間ですから、そんなの嫌だなぁって思っていたら、目を付けられたわけ、なんせ自分で言うのもなんですが、適当にやっているくせに、班長だ、係長だ、課長だってなっていたのですが、それはまじめって分けでなく、天下り社長と仲良くなっていただけなんですよ。個人的にね。というか妙に気に入られてました。だからね、こんな楽して、こんな給料たくさんもらって良いのかなぁって、自分でも思っていました。正直言って・・・・


 大学出の採用者は、係長クラスに昇格すると、親会社の籍になって、残業は付かなくなる代わりに昇給は親会社並みに上がっていくわけですよ。それに比べればオラはよ、高卒ですから、そんな道ない訳よ。それでも楽な割にそれなりに昇給していくから、給料はそれなりで、しかも残業付くわけですよ。

 まぁ、何にもしないでよくあんなに残業したなって感心しちゃいます。それにさ、(なれなれしいって)パソコンなんて嫌いだったけれど、どうしても習えって、社長命令でね、最初は抵抗しましたよ。でも、そのうちにこりゃいいぞと思いました。残業するふりするには最高のアイテムでんがな。しかも、偉くなれば部下には見られない位置に、机を配置されるわけよ。ラッキー。パソコンとにらめっこすれば、仕事している様に見えるじゃん。最高だね。月に30時間もすればいい給料でしたよ。管理職で残業付くなんて、すごいね。たまには部下と酒飲みに行ったりね。もちろん接待費?会議費か?・・ですよ。


 自分で飲み代、出すわけないじゃん。親会社の営業が来れば、こっちの方が実務的には上だから必ず奢らせる。帰りは代行。良い時代でしたね。たまに、クレーム処理が難航すれば、解決してやってね、恩を売ることは忘れませんよ。俺らに製造させて、倍くらいの値段で自社製品として売っているのですからね。だからクレームがあっても説明も出来ないのですよ。大学出のボンボンの営業じゃね。


 そこ行きゃオラはよ、適当とは言っても叩き上げですから、修羅場はくぐり抜けている分け。相手も大企業の品質担当ですよ。優秀な同僚の中から勝ち抜いてきた品質担当者ですよ。案外苦労しているんですよ。大企業の社員も大変ですよ。しのぎを削ってますからね。適当なこと言えばかえって駄目なのですよね。真剣勝負です。自分で言うのもなんですが、けっこう良い勝負してきたと思います。品質クレーム処理とかね。そんな話は良いですよね。聞きたくないですよね。またの機会にします・・(またって次はないですね。)

 そんなこんなで、良い調子で57歳ころまで来たのですが、不景気でね、って、世の中がね。うちの会社そんなに景気悪くなかったのですが、例の天下りじゃない社長がね。俺らから見れば何も分かっていない、経営者の器でもない野郎が?失礼。方が社長になっているもので、さらなる経営改革、利益追求何てまたまた、言い出してね。ご機嫌取るわけですよ。親会社の・・

 それで何にも策がないので、ただ、ひたすら人減らすだけ・・・・それで作業者をやたら減らすもので、現場が回らなくなった分けです。そうしたらいいところに目を付けましたね。私です。こともあろうに現場作業者に、降格ですよ。会社始まって以来の降格・・・・何の罪もない・・・・私を・・・・



 まぁ、。そういうことで、降格って、早い話が私に会社を辞めろって示唆しているわけでして・・・・私が辞めれば派遣会社の社員を3人は雇えますからね。でも、辞めませんでしたね。意地でも辞めませんでした。人生ひとつくらいは、最後までやり遂げねば・・・・なんちゃって。正直そんな気もありましたが、再就職で行くところもないしね。まぁ最初の降格2週間は地獄でしたね。足は痛いし、膝はガクガク・・・今まで偉そうなこと言って来たから、作業者にいじめられるのじゃないかとかね。正直怖かったです。


 でもね。皆さん、いい人ですね。親切に教えてくださいました。こんな定年間際の爺さんに懇切丁寧にね。つくづく思いましたね。この様な方々が会社を支えているのだとね。いい勉強になりました。ある意味、正常な人間にもどれました。人生のリハビリ期間って感じ。1年くらい経つと、それなりに、なってきました。身体も慣れてきて、結構若者と仕事で、いい勝負できるようになりました。最後に私の仕事も引き継いで辞めるわけですが、若い女性に2週間ほど教えて、一人前にしました。普通はもっとかかりますよ。私はせめてもの恩返しに一生懸命教えました。白井亦さんの最後の仕事が私に教えることだって聞いて、凄く光栄ですって言われたときは嬉しかったですね。涙がこぼれそうになりました。


 年休消化もあったので、退職日1カ月くらい前から休んでいました。送別会を開いてもらえると勝手に思っていましたが、結局、呼ばれませんでした。私の感覚からすれば、たとえ平社員でやめたとしても、30年以上勤めた社員、ましてや定年退職でやめていく社員には、それなりに敬意を払うべきだと思います。 でも、呼ばれませんでしたね。家族にも言われました。「送別会ってやってくれないの。」奥様、痛いところをついてきます。

 いつからこんな会社になってしまったのか?まぁ仕方ない、一時期には私がこの会社という組織を、けん引してきたのだから、私にも責任がある。仕方ないでしょう。・・・・


ピンポーン!! アッ!お客さんだ・・・・今日はこの辺で。ここまでの話なんでも良いのですが・・・・リンゴって括り(くくり)にしておいてください。次はリンゴの章から始めます。




                リンゴの章から


 あれから数日たってしまった。どこまで話しましたかな?そうでした。リンゴからでしたか?赤いリンゴに唇寄せて~~~♪リンゴは何にも云わないけれど、リンゴの気持ちはよくわかる~~~~♪戦後の人はリンゴの気持ちが分かったんですね。関係のない話でした。

そんなこんなで、会社を定年退職で辞めました。言い忘れましたが、実は、私は兼業農家だったのです。都会の方は知らないですかね。会社に勤めながら自分ちの田んぼを作る。1ヘクタール程でしたが私はやってました。昔はねぇ、田舎には、そんな人も多かったのですよ。管理者だってそんな兼業農家の方がいたものでしたから、理解もあってね。田植えや稲刈りには年休も取りやすかったですね。今は皆、農業離れでしょ。だから、なかなか、休ませてもらえないわけです。仮病使ったり、大変でした。本来は年休などに理由は不要なのです。休みたいから休むそれでいいはずですが、会社なんて変な組織でね。本音と建前が違うんですよ。私が管理者の時は自分もバンバン休ましたし、部下の年休はバンバン取らせました。

そんなこと・・まぁいいや。(何?自分で話し始めたくせに)


 会社を辞めた私は最初の1年は失業保険もらいながら、農業やってました。定年退職の場合、即、貰えるのです。知らないでしょ?

 2年目からは耕作面積を増やして、いくらか現金収入を増やしました。大規模農家の様に千数百万円もする機械など買えないですから、そんなに増やすわけではありませんが、それでも会社務めの頃の4倍くらいには増やしました。私は、自分の好きなように、自分のペースでできる農業が大好きです。毎日田んぼの水管理をしたり、畔の草刈りをしたり、稲と会話したり、身体を動かせる喜びを感じていました。自然も美しいです。正直自分の身の回りの美しい風景を満足に見たことなかったですね。


 正味、忙しいのは田植えと稲刈りくらいかな。後はそんなに忙しくないです。日々、実働3時間くらいです。そして秋の収穫が終われば冬は何もしません。 

 何もしないというのは、働きに出ることはしないという事です。

 寒いし雪もたくさん降りますから。

 冬は暇なので少しでも現金収入を得ようと、スキー場にアルバイトに行ったり、若い農家の方などは、蔵人として酒造メーカーに冬季間勤める人もいます。私は自分の好きなことをすることにしました。最初の1年は、なにをしていたかなぁ。薪割したり、本読んだりしてましたね。

薪は薪ストーブ用です。


 私はもともと本も読まないし、新聞も読まないし、テレビも観ません。ますます、その傾向が強くなって、終いには、新聞も購読をやめてしまいました。だいたい新聞はテレビ欄と御悔やみ欄しか見ませんでした。最近はデジタルになって、テレビで番組表見られるしね。御悔やみ欄も家族葬が多くなって、新聞に掲載されません。本は久々図書館に行って借りて読みました。


 家の爺さん婆さん(私の父母)は、私が会社に勤めている間に西の国に行ってしまいましたからね。葬式も盛大にやりました。世間様にお世話になってますからね。

私は、デタラメ人間ですが義理を欠いたりはしませんよ。今度は自分の番だけですかね。立て続けに葬式あげました。


 そうそう。ぜんぜん、話は飛びますが、私は無学なくせに、いろいろ、ものを考えるのが好きで、田んぼをトラクターで起こしながら、こんなことを考えました。まずは全てを疑うことが大切だ。基本中の基本。よく耳にする話ですがね。 

 なんとなく漠然とそれが大切だ、と感じていたのです。哲学っていうほどの話でもないし、何も知りませんが、ある時、こんなことを考えました。ヒットラーって悪者?これを疑わなくていいのか?

 もしかしたら、良い人だったんじゃないかと疑う必要はないのか?あれだけの無実の人を殺したのだから、悪人に決まっているじゃん。そう思っている、思い込まされている自分のことをなぜ疑わないのか?


 でも全てを疑うって、そういうことなのではないですか?私の頭の中の話ですからね、誰も邪魔はできません。もしかしたら、ヒットラーは、これだけ殺せば人類が人類の愚かさに気が付くのではないか?そう思っていたのかもしれない。結果的にはユダヤ人のイスラエルという国家ができたわけですからね。ヒットラーがいなければ実現しなかったわけですよね。こんな事、芸能人がSNSに書き込めば炎上ですね。でも考えるのは自由のはずです。

 ハイル・ヒットラーってもしかしたら、ミヒャエル・ヒットラーってこと?天使ミヒャエル?そう考えていたら、今度はアインシュタインは悪者ではないかと考えてみたくなりました。これも 有名人がツイッターとかで発言すれば大炎上でしょうね。だから有名人は不自由なんですよ。きっと。

 結果的には原爆の理論はアインシュタインの考えが元になっていると思います。人類は最強最悪の武器?エネルギーを手に入れてしまった。原爆が投下されたから戦争が終わったという人もいるでしょう。 でも、全く無実の一般市民を一瞬に焼き殺し、いや、溶かし、財産を奪い・・それが許されるのでしょうか?


 さらに、私の思考は、もしかしたらヒットラーとアインシュタインが友人ではなかったかと思うようになりました。何の根拠もありません。知り合いとか、裏で文通してたとかそんなことを言っているのではありません。深いところで繋がっていたのでは?

 そう考えると私は「やられた」と叫ばずにはいられませんでした。そこまで疑わなかった自分が甘かった。だからってどうなのって話ですがね。なんでも疑えていなかった自分に腹が立ちました。


別に、それが正しいかどうかが問題ではないのです。そこまで考えておかなければ、いつもニュートラルな心で物事を見ることが出来ないという事を言っているのです。そんなことに気が付いた1年目でした。


 まぁ、そんな定年後の最初の冬でしたが、春が来て再び農作業が始まると、そんなことは忘れてしまいました。そして2年目の冬がやってきました。ああ疲れた。ここまでを、柿にして一休み。



                 柿の章から


 柿厳禁なんちゃって。2年目の冬、私はユーチューブにはまりました。テレビには無い面白さがあります。自由感が良いですね。特に私が興味をひかれたのは「森ひろし」(仮名)さんとケンシンさん(仮名)ですかね。


 森さんは、古代から現代の別バージョンの人類史をテーマに、精力的に発信されています。浜松シティー ジャパンの方です。(動画の前説が英語でいつもそう言います。耳にタコができた。)ケンシンさんは身近な話題から都市伝説系、ソッチ系オン・オフを上手く切り替えて、聴いていて楽しかったです。ケンシンさんの知的好奇心クラブにも加入し、私の子供のころの不思議体験を投稿しました。忘れたころにその投稿が取り上げられ、びっくりした思い出があります。


 さて、いよいよ、松本伊代・・私がダヴィンチの絵画の謎解きを始めたかが、分かりますよ。もう少しの辛抱です。アハハ。早く始めろって・・・・


 森さんのユーチューブを見ていたら、ダヴィンチの謎解きをやってました。モナ・リザです。私もモナ・リザくらいは、いくら何でも知っています。あの不思議な微笑みですよね。モナ・リザの微笑です。森さんはモナ・リザの背景に51が隠しこまれていることを発見しました。反転させてみると確かに、51が読み取れます。森さん曰く、ジューイッシュ・ゲマトリア(ユダヤ秘数学?数秘学?)とか、いうらしいです。私は十一種類のゲマトリアって聞こえちゃって、なんのこったかさっぱりわかりませんでした。秘数学によれば、51は火星だそうです。森さんは今から思えば、有頂天になってそのことを発表していました。 私は今では51に全く意味がないと切り捨てていますが、森さんは、たぶん今でもそれを大発見だと信じているでしょう。まぁそれは追々説明します。オイオイ。

挿絵(By みてみん)



 私もそれを聞いたときは、なるほど面白い考えもあるものだと感心しましました。それでですね、ただ感心していればいいものを、私は、こともあろうに、自分でも何か探してやろうと、一方的にライバル心を燃やしちゃったんですね。、アホウですね。負けず嫌いなのかもしれません。

 そうはいってもモナ・リザの画像ってどうやって入手すればいいのだろう。そこからの始まりです。いわゆるモナ・リザの画像はネット上に多数ありますが、謎を解こうとするならば、それなりの解像度が必要になります。高画素数の画像を、あっちこっち探し回りました。

 最終的に、私はルーブル美術館のモナ・リザに巡り合いました。というか、たどり着きました。

 とはいってもホームページです。ルーブル美術館のホームページに「ルーペで見る世界の名画」という企画がありました。その中にモナリザがあったのです。たぶん今でも見られると思います。時間があれば見に行ってください。私は夢中になって最大限に拡大し、隅々まで見ました。穴のあくほど見ました。

続きは葡萄から。

挿絵(By みてみん)





                     葡萄の章から


 葡萄の達人なんちっち。

私はねぇ、 そこで、すごい発見をしてしまったらしい。それはモナ・リザの向かって左腕、モナ・リザからすれば右腕の衣服のシワのところです。どう見たってダヴィンチが描いたものなのです。細密画っていうのでしょうか?それは蜘蛛みたいに見えました。それとアルファベット。なんて書いてあるかは別として文字なのです。私は最初、ルーブル美術館の悪ふざけ、冗談だと思いました。こんなに、はっきり描かれているのですから、気づかないはずはないでしょう。500年間も。

 それでねぇ、調べましたよ。検索、しまくり千代子ですよ。モナ・リザ、衣服の隠し絵とか隠し文字とかね。でも、無いのです。どこにもそれに言及したものはない。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)


もしかしてこれ発見したの、私だけ?私も有頂天になっていましたね。


挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)


 森ひろし(仮名)さんにもコンタクトを取って聞いてみましたよ。森さんは、さすがですね。それはすごい発見だ。何らかの形で記録しておくべきだと、助言してくれました。私は、面倒なので、森さんにこの発見を研究してほしかったのですが、森さんは自分が発見したこと以外は、興味ないようでしたね。ある意味、彼も、負けず嫌いなのでしょう。もしかしたら美術史上の大発見?どうすべきか考えました。 


 そうだ。私もユーチューブに投稿しようってね。きっと世界が驚くだろうと意気込みました。でも、動画なんて作ったことありません。画像編集ソフトも持っていません。そこで、いろいろ調べてみたら、粗末なソフトですが、自分のパソコンでも付属のアプリで使えそうだということが分かりました。〇ービーメーカーってやつです。必死で作りましたね。今見れば下手くそな動画ですが・・・・早速、制作にとりかかりました。蜘蛛のように見えた画像ですが、私は最終的に頭蓋骨と言うことで発表しました。ダヴィンチの素描の中に、変に頭の長い老婆が出てくるのがあります。きっとその老婆には、ダヴィンチは何らかの世話になったから、あるいは友人だったので、ダヴィンチは敬意を表し、その老婆の頭蓋骨を描いたのではないかとね。ダヴィンチらしいじゃないですか。頭蓋骨なんてね。その様に話を盛りました。アハハ。

挿絵(By みてみん)

 そして例の文字ですが、アルファベットであることには違いないのですが、読めません。反転したりいろいろやって、一応ダヴィンチが亡くなるまでの数年間、逗留したクルーの館の文字ではないかと言うことにしちゃいました。訳も分からずにね。何しろ、動画を作ることで精一杯でした。

挿絵(By みてみん)

 一応完成したわけですが、投稿などしたことがありません。森さんのように正々堂々と、自分の名を名乗る勇気もありません。そこでペンネームを考えました。

 私は字が下手くそです。自分でも、自分で何を書いたか解読できないくらい字が下手です。昔、自分の父親が、私が「変」と書いた字を「恋」と読み間違えたのを思い出しました。なぜ思い出したかは分かりません。不思議です。そこで、私は北海道の有名なお菓子[白い恋人たち]をもじって、「白い変人達」と言う名前で投稿しようと思いたったのです。そして投稿しました。

 きっと世界中が驚くだろうと夢見ていました。何億人も私の動画を見て、お金も儲けちゃうかもしれないなぁなんて、取らぬ狸のなんとやら・・・第二のピコタロー!!お恥ずかしい。アップしたものの、誰も見てくれませんね。ダヴィンチ没後500年の大発見と、銘打っては発表しましたが、何の反応もありません。森さんだけコメントをくれました。うれしかったですね。大変良い動画だってほめてくれました。改めて森さんの偉大さが分かりました。森さんは登録者数、数万人を超える大ユーチューバーです。それに発信数は桁違いです。ギネスに載るかと言われるくらいです。なんの肩書もない、権威の無い、私など誰も相手にしてくれません。痛いほど現実が身に沁みました。内容は自信があったのですが・・・・


 私はそれでも、めげませんでした。ますます意欲を掻き立てられました。私には何の武器もありません。歴史の知識もありません。ダヴィンチの絵だって満足に見たこともありません。でも、漠然ではあるけれど、何かできそうだという予感?変な自信にみなぎっていました。なぜだかわかりません。きっとモナ・リザの隠し絵だって、何も知らないから発見できたのだと思っていたのでしょう。武器はパソコンとインターネットだけです。それしかないのに無謀と言えば無謀ですね。馬鹿です。阿呆です。


 そして次に取り組んだのが、かの有名な[最後の晩餐」でした。ますます、無謀ですね。画像はウィキペディアのお世話になりました。フルバージョンでパソコンに取り込みました。いろいろな絵も、そこで初めて観て、取り込むと同時に鑑賞したのを覚えています。最後の晩餐はいろいろ謎があると、昔から言われていたそうですね。次回は最後の晩餐の謎解きです。ここまでをスイカで括っておきます。




                     スイカの章から


 スイカ甘いかしょっぱいか?なんちゃってね。最後の晩餐にスイカは出ないでしょう。スイカん板ヘルニアって、ダジャレかい?そんなことどうでもいいですね。さて最後の晩餐です。この絵を観て、まず思うのは、ヨハネです。私は素直に観ました。どう見ても女性です。男には見えません。巷では、マグダラのマリアだという話もあるそうです。現在私もその意見に賛同しています。それはそれでいいのでしょうが、では、ヨハネがマリアだったら、ヨハネは何処に行ってしまったのでしょうか?って話です。何処かにいなければ変ですよね。テーブルの下にいるかと思って、足の本数数えたりもしました。

挿絵(By みてみん)


私はしっかり見ましたね。穴のあくほど・・・・毎日・・


 あっそうだ、私、言い忘れまっしたが、高校時代、美術部だったのです。美術部部長も務めていました。デッサンは死ぬほど描きましたね。正直に言えば、芸大も受験しました。受験はだれでもできますからね。自慢はできません。授業はサボってばかりで保健室で仮病使って寝てばかりの日々でした。部活の時間になると美術室へ行く生活でした。私の先輩なんか9年浪人してましたからね。猛者ですね。最終的に合格したから凄いです。合格すれば大したものですが、私は受け入れられませんでした。(物は言いよう)しかし、人体の構造とかには、変に詳しくて、少しは最後の晩餐の謎解きに活用できたのかもしれません。そんな話はいいですが、ヨハネを探しながら、私はパウロの右腕も、おかしいと直感しました。ナイフを持っている手です。

挿絵(By みてみん)

 一般常識ではパウロが逆さ手でナイフを持っていることになっているらしいですが、どう見ても変です、おかしいです。あんな角度に手首は曲がりません。自分でもやってみました。デジカメに撮って検証もしましたよ。無理です。あんな風に手首は曲がりません。

挿絵(By みてみん)

 でも、ローマンカトリックはどうしてもパウロが持っていることに、したいようです。そういえば、N〇Kも昔、ハイビジョン開発時にハイビジョン技術を駆使して「最後の晩餐」を修復なんて番組作ってましたね。私、見ました。その中で、妙にパウロの右手問題を取り上げて、やはり、これはパウロの右腕だとナレーションで繰り返していました。そもそも右手問題って何?当時は何を言っているかわかりませんでしたが、今ならわかります。これで右腕問題も解決だとN〇Kは力説していました。ですから、かえって、おかしく思い、記憶に残っていました。N〇Kもたぶん、バチカンに忖度していたのかなぁって、今ならそう思います。「ハイビジョンの番組作っても、いいから右手問題よろしく」何て言われたのかな?でも絶対おかしいのです。


 2次元の絵画の中では、無理なポーズをとらせても、不自然に見えないことがあるのです。皆さんもアニメなどを見ていて、首がビヨ~~~ンと伸びても、さほど変に見えなかったり、腕が変な恰好で曲がっても許しますよね。自然に見えちゃいますよね。人間の脳はそんなものなのです。だから、あれはパウロの右腕だと言われれば、そうなのかなぁ、と許してしまう。信じてしまう。

 でもよく考えてみてください。人体を解剖し徹底的に探究したダヴィンチが、そんな間違いをおかしますか?死体を掘り起こし、夜な夜な解剖していたダヴィンチですよ。常人の感覚ではないダヴィンチですよ。そんな間違いするわけないじゃないですか。

挿絵(By みてみん)

 あれはもう一人の右腕の手首をつかんでいるのです。直ぐに分かりました。パウロの左腕もパウロではありません。世間的にはヨハネに耳打ちしていること居なっているそうですが違います。もう一人隠れているのです。ユダの後ろに隠れているのです。またしても大発見だと確信しました。でも、どう説明すればいいのか?私は画像編集の技術もありません。悪戦苦闘の末、自分で描いてみました。下手くそな自分の絵ですが、気に入っています。まず初めに、ユダさんに席を外してもらいます。画面から消えてもらいます。

 絵をパソコンでは、うまく描けないので顔を下向きにして頭だけにしましたが、ダヴィンチが描いたとすれば、もっと上向きだったかもしれません。

挿絵(By みてみん)


 そうです。ヨハネはユダの後ろに隠れているのです。(しつこい)パウロに首をロックされ抑え込まれているのです。そう私は思います程度にしておいた方が良いですね。その時は興奮していましたので許してください。

 なぜ隠れていては困るのか?なぜって、隠れていたならば、使途は13人になってしまう。ローマンカトリックでは使途は12人でなければ困るのです。使徒は男性12人でなければならない。


 話は逸れますが、ヨハネって弟子の中では、一番若く、あだ名は「雷の子」です。気が短いのです。調べてみて意外でした。ダヴィンチもそんな性格を想定して、描いたんじゃないですかね。師のキリストの話を聞いて、裏切り者は、この(ヨハネが、この手で成敗してやる・・みたいなね。怒りまくっているヨハネを、老練で落ち着いたペトロが取り押さえ、なだめている。そんな想定で描いているのではないでしょうか。

 なんと言っても、最後の晩餐に女性がいたのではバチカン側としては、都合が悪いからです。私は直感で分かりました。

 そこで私はマグダラのマリアを切り抜き、キリストの左側、向かって右に移動させました。何の技術のない私にとっては、すごい作業でした。今はそんなに難しくはないですがね。なかなかいい絵になりました。

挿絵(By みてみん)

 そういえば、最後の晩餐の下書きにはマリア((ヨハネと思しき男性)がキリストの左、向かって右に描かれているのです。マリアが平手打ちを、くらって泣き崩れている場面に私は見えてしまうのです。それに、この下絵を、よく見るとキリストを入れて14人なんですよね。下書きだからと言われればそれまでですが。

挿絵(By みてみん)

 さて私は使途は13人いたと銘打って投稿しました。これまた世紀の発見という意気込みでしたが、全く反応なし。今更いいじゃないのって感じでしょうか?ひとまず最後の晩餐はここで止めておきましたが、この時点でさらなる大発見が、後にあろうとは夢にも思いませんでした。乞うご期待なんちっち。

ここまでを梨ってことで括っておきましょう。一休み。



                    梨の章から


 梨てそうなるのなんちゃって。私は洋ナシなんちっち。何の反応もないですが私はめげませんね。次は「聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ」に挑戦しました。油彩ではなくクロッキー?グロッキーは私?皆さんも見たことがあると思いますが、私はこの絵で、いろいろ学びました。足の組み合わせパターンです。

挿絵(By みてみん)

この絵はいろいろなパターンの組み合わせで観ることが可能です。私の動画を見てもらえばわかるのですが、数種の見方のパターンが可能です。ダビンチは面白いですね。ますます、はまっていきました。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

 ここで初めて動画のナレーションにチャレンジしています。自分のしゃべりは、なかなかいいじゃんって思いましたよ。この絵は後に、さらなる発見もありますが、乞うご期待。乞うご期待ばっか。


 次に挑んだのは受胎告知ですね。これはいい絵です。素晴らしいです。ガブリエル良いですね。理知的で冷たそうで。いじめられたい感じ・・・いや~~~ん。マリアもかわいい。そんなミーハーはいいのですが。

挿絵(By みてみん)

 私はこの絵からも、多くを学びます。いろいろあるのですが、まずは天使ガブリエル。この彼女が登場すると時空が歪むことを発見。後ろの木を注意深く観察すると、時間の差が描かれています。木の剪定をした人なら分かりますがね。剪定後と剪定前時間の差です。というか、この木は剪定が無理なので季節のズレと言った方が良いかもしれません。

挿絵(By みてみん)

 それに良く見るとガブリエルの背景の針葉樹だけ若葉が出ていません。ちょっと見逃してしまいますね。ましてや、この様な針葉樹は剪定しませんから、決定的な時間の差です。

挿絵(By みてみん)

 別の場所は若葉が出ています。

挿絵(By みてみん)

 それとガブリエルの足です。羽が生えてますからね。鳥の足なのです。そのまま描くのは、はばかれるので、控えめに描いてますね。しかも反対側にね。

挿絵(By みてみん)

 足を入れた画像も調子に乗って作成しました。分かるかな?暗い部分なので見え難いかもしれません。見えにくい場合は私の動画を見てくださいね。

宣伝してどうすんの。

挿絵(By みてみん)

 あとマリアの後ろの布というか?スカートというか?変ですよね。尻尾?3本脚?森さんは、何か変なこと言っていますが、尻尾だとか言っていますよ。ミトラだったっけ?たぶん間違いです。私は答えを導き出しました。乞うご期待。またかい。

挿絵(By みてみん)

 背景の雲なども意味ありげですが、あまりそれにもめり込むとダヴィンチの術中にはまってしまいますので注意が必要です。まぁ、この後、岩窟の聖母と受胎告知の関係など、新たな発見が目白押しです。この受胎告知も動画発信しましたが、反応はありませんね。仕方ないでしょう。何の権威もない私が騒いでも、世の中、無関心です。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)



 さて、私の好きな岩窟の聖母です。

挿絵(By みてみん)

 森氏(仮名)もこの絵を研究しています。背景にまたもや51を発見したと、彼は大騒ぎ。私が発見!!私が発見!!の大合唱。かわいいものです。火星だそうですよ。べつに火星でも金星でも土星でも、いいのですがね。背景は宇宙基地だとか、ほざいています・。失礼。言っておられます。なんたって、大学出のエリートですからね。本人様はそんな大したことではないと否定するでしょうが、なんたって金沢大学法律学部卒、オーストラリア留学、一流商社就職、教育評論家、著書多数なんて字幕で載せているんですから、気が知れません?失礼。関係ないなら載せなければいいのにね。こちらが、すげぇって思う分には止めませんよ感が、漂ってます。人の悪口はイケマセん。止めます。いろいろ苦労されて、今に有名になって見返してやるぞ感バリバリに私には見えます。それは自由です。悪い事でもないです。やる気の源かもしれません。

 話が逸れました。岩窟の聖母は私が見るに、まず、天使ガブリエルの体、姿勢がおかしい。首の角度と背中に違和感がある。

挿絵(By みてみん)

 こんな、へっぴり腰はどう見ても変です。

あれは別の人です。手前にいるのです。ガブリエルは彼女らの後ろにいるのです。この姿勢が正しいです。立っている首の傾斜です。

挿絵(By みてみん)

 あの赤い衣服で、私は直ぐに分かりました。受胎告知のガブリエルです。足はしっかり描かれています。ダヴィンチお得意の反転させた、受胎告知のガブリエルです。またもや大天使ガブリエルが潜んでしました。

挿絵(By みてみん)


こんな感じで潜んでいるのです。

挿絵(By みてみん)


 原画もよく見て下さい。岩のように見えますが、あのガブリエルの翼が描かれています、あの変な鳥の足も合いますよね。この画像は分かりやすくするために手前の人物には、一旦消えてもらいました。画像処理ってこの様なこと出来るんですよ。


挿絵(By みてみん)


 手前の二人はやはり異次元にいるのです。ダヴィンチの特徴です。ダビンチの絵の中にガブリエルが登場すると時空を歪ませます。


挿絵(By みてみん)


 右の2名は次元の違うカプセル内にいるのです。手前の二人は普通に立っています。ここまでで、少しまとめておきましょう。ダヴィンチのパターンです。人を隠すのが好き。ガブリエルがいる時、時空を歪ませる。反転させるのが好き。受胎告知のガブリエルを反転させて、岩窟の聖母に入れるとピタッと合う。思わせぶりな表現が随所に描きこまれているが、あまり、のめり込むとダヴィンチの術中にはまりますが、もう少しはまって見ましょうか。

あのマリアのスカーフ?衣服?

 変ですよね。水に漂っているように見えるのです。左の幼児は息を止めているように見えます。あっぷっぷ。なので、水の中にいるように見えます。調子に乗って、水中にいるように色付けしちゃったりしてみました。水中にいると考えればマリアの不安定な姿勢も説得力がでてきて、説明も付きます。後でわかったのですが、水中っぽく描く必要があったのです。乞うご期待。こればっか。

挿絵(By みてみん)

 さて、私はモナ・リザ、最後の晩餐、受胎告知、聖アンナと聖母子と聖ヨハネなどの謎解きをしてきました。どれも自分では優れた謎解きと自負しています。


 最後の晩餐にはユダが登場します。ユダを描いた素描が残っていますが、現在の最後の晩餐のいかにも裏切り者ってイメージのユダとは違います。あれは修復の名のもとに、いかにも極悪人的に加筆されているのです。私は他力本願が好きですので、誰かこの素描を最後の晩餐に描きこんで、ユダの思慮深い顔に戻してあげてほしいなどと、投稿しましたが、やはり自分で描くしかなかったですね。だって誰も見てくれないですから・・さみしい気持ちは正直ありましたよ。でもね自分で描いてみて、良かったです。案外うまく描けました。私はね。正直言って自分の動画…特に最後の晩餐の謎解きは自分で動画を見て涙が止まりませんでした。いい作品です。自画自賛でお恥ずかしい。キリストとマリアが一緒に出来てなぜか嬉しい。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

 マリアがキリストと仲睦まじく座り、ユダが思慮深い顔に戻り嬉しかった。でも、さらなる謎が秘められていることに、この時点ではまだ気づいてはいませんでした。

・・・・そうだ。ついで書いておきます。12使徒の一人、大ヤコブ(ジェームス)です。

挿絵(By みてみん)

 右側の人です。両手を広げた、あの驚き方はキリストの話を聞いた時の、リアクションではないですよ。人は何かを見た時にあのリアクションをするのです。もし、私のマリアを右側に移したのが正しいのならば、キリストとマリアの手か触れているのを見たからか、あるいはユダが背後のヨハネに驚いて何かが倒れたのを見てなのか、何かを見た時のリアクションです。まぁ、あまり重要ではないでしょうが追記しておきます。




 「聖アンナと聖母子」は、けっこう手こずりました。この絵は油彩ですが、モナ・リザと同じく最後までダヴィンチは手元に置いていた絵です。

挿絵(By みてみん)

 ダビンチもある意味苦労した絵なのかもしれません。まぁ、ダヴィンチですからね。苦労と言っても、私たちの苦労とは意味も質も違います。この絵は前出のクロッキー画の「聖アンナと聖母子と聖ヨハネ」と構図的に見て関連があることは分かります。しかし素描のほうは、足の指が曖昧に描かれている分、見る側としては、自由に見ることができます。一方、セントアンナは足の指の方向が描かれている分、見る側に制約があります。それに、あんな(ダジャレではない)大人を抱っこしているなんておかしいですよね。私は何時間も何十回も見ましたよ。そして発見しました。絵の中に部分的シンメトリーが隠されていることを。部分的左右対称が隠されているのです。新パターンです。これを入れ替えれば、絵が完成するのです。

挿絵(By みてみん)

 そして、入れ替えることによって、微妙にセントアンが男性に変貌するのです。これは単純なようで深い発見でしたね。誰も気が付いていないようです。これも動画にしました。

挿絵(By みてみん)


 アイルワースのモナ・リザも、謎ときには苦労しましたね。

挿絵(By みてみん)

 何といっても背景です。森さんは、またしても火星だとワメイテいました。失礼。どんだけ火星なんじゃ?まぁ自由ですから。背景の左の変な物体、上下対称の物体?水面に映っているみたいに見えますね。

挿絵(By みてみん)

 だとすれば、湖か海?でも山のようにも見えるしね。見ようによっては崖にも見えます。変な絵です。レレレのオジサンかと思いました。おふざけで、こんな画像を作ったほどです。

挿絵(By みてみん)

 私はこう考えました。あれは置物と。

 あのような形をした花瓶みたいな置物。これの、右だけを描いていたのだと。当然この絵の依頼主も、ダヴィンチに尋ねたと思うのです。「あの背景の左側の、あれは、何だね?」そこでおもむろに、ダヴィンチはあのような形の置物を出すのです。これを描いているのです。・・と。この秘密を知っているのはあなた様と私だけです。この絵を誰かに御見せになった時に、どうお答えになるかは、御自由です。黙っているもよし。種明かしされるもよしでございます。依頼主は優越感を味わえるわけです。私もよく話を、でっち上げますね。あはは。

挿絵(By みてみん)

 と言うことで背景は砂漠か何かでしょう。なんでもいいのです。火星だって悪くはないですよ。こうやってみるとダヴィンチも結構、冗談きついですね、。(笑い。)

これも動画にしました。

挿絵(By みてみん)



 サルバートール・ムンディー((救世主)も思い出深い謎解きです。あれは結構、意表を突かれました。まずは水晶玉です。あれ変ですよ。私、直ぐ分かりました。光学的な屈折ではないです。あんなふうに見えないはずです。そうは言っても、動画にするには説得力がありません。私がいくら騒いでも、納得はしてもらえないでしょう。分かっています。私にはなんの権威もありませんからね。そこで私は思い切って買いました。サルバトールムンディを買えるわかないじゃないですか。何十億円もします。水晶玉ですよ。あんなでかい水晶玉も買えるわかないじゃないですか?クドイ。貧乏人の私が・・・ガラス玉ですよ。直径8センチの玉。1000円もしたんですよ。実際やってみました。やはりあんな風には写りません。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)


ダビンチは巧妙ですね。ダビンチほどの科学者、建築者が描くことには、絶対間違いはないという先入観念を利用しているのです。あれは真っ赤なウソ絵です。冗談半分に、あの水晶玉の白い3点はプレデウス星団であるなんて、森さんが喜びそうなこと書いたら怒られましたね。

挿絵(By みてみん)

あの人、少し意固地なんですね。いぼ痔じゃないですよ。そんな星や何かに直ぐ結びつけるような考えはいけないそうです。一方的に怒ってきましたね。自分は火星だ。51番は火星だ。やれ火星の樹木がアイルワースのモナ・リザに描かれているだとか、好き勝手言っているくせにね。「あなたにはその様に見えたのですね」程度で済ませてくれればいいのにね。この件がきっかけで、私は森さんと距離をとるようになり、以後、森さんの動画は見ていません。


 そうそう、忘れてはいけません、救世主サルバトールムンディーには、さりげなく、女性の大切な部分が描かれています。これを描きたかったのかもしれません。

 ここで、大切な部分などと間接的表現をしないで、医学的な表現、例えば、女〇器とか、とか表現したいのですが、どうも、なろう系でははじかれそうです。あの、現在でも医学の手本の様な解剖図を描いたダビンチにある意味、文学的表現は合いません。女〇器という表現をしたかったのですがやめておきます。たぶん、これも誰も気が付いていないでしょう。私にははっきりわかりました。ダビンチはある意味女性崇拝ではないかと思うようになったのはこのあたりからです。

挿絵(By みてみん)

最後の晩餐でマグダラのマリアを描いてあるのを発見した時も、少しは感じましたが、この絵で、ある意味、決定的に思うようになりました。そんなこんなで、森さんとの別れもあり、少し寂しい時期でしたが、ある意味の卒業だったのかもしれません。動画配信からの卒業ではなく、森さんからの独立。一本立ちしていく時だったという意味です。でもそれは結果的に良かったのかもしれません。それはこの後解明してゆく最後の晩餐に隠されています。今回は少し長くなってしまいました。ここまでを何にしようかな?レモンで括っておきましょう。



                  レモンの章から


 レモン・ルフェーブルオーケストラなんちゃって。ダジャレかい。私が何でこんな括り方をするか暇だったら読んでください。私は若い頃、話すのが好きだったのです。3日3晩、友人と語り明かしたこともあるくらいです。そんな時よくこの手法を使いました。会話のテクニックですね。友人と話すのにテクニックというのも変ですがね。

 いくら気の置けない友人でも、2時間くらい話していると話が途切れることがあります。少し気まずくなるものです。そんな時、すかさず言うのです。「あのさぁ。今までの話、とりあえずリンゴってことで括っておこうじゃないか。気分転換にお茶でも飲むか?」そしてしばらくして、「さっき、何の話してたっけ?そうそう、リンゴだよ。」「リンゴと言えば隣国の話?なんちゃって」・・なんて、また話が続くわけです。真面目に考えなくていいのです。そのうちにリンゴだ桃だ梨だって、いっぱいになってきますが、不思議と、あの時リンゴの話たけれど・・・なんて二人だけの言葉ができ始めるのですよ。不思議ですよ。そうなったらしめたもの。話は延々と続きます。二人の共有の言葉もできるから、数学の公式みたいに代入しながら話すと、話が面白くなってきますしね。そんなことがあったので括ってきたわけです。昔の思い出を話したかっただけかもしれません。では戻ります。


 レモンでしたっけ。俺は天下の、はぐレモンなんちゃって。そういえば受胎告知で、乞うご期待なんて言ったのを思い出しました。忘れてしまいそうなのでここで取り上げます。マリアの姿勢あなたはどう見えますか?足を開いているように見えますか?

挿絵(By みてみん)

 開いているいるとすれば、受胎告知という割にはもう妊娠8か月みたいですね。変ですよね。何もしていないのにね。処女ですから。それに、大天使ガブリエルと同じくらいの距離なのに顔はマリアが小さくて、下半身デブ気味です。失礼、マリア・・なれなれしい!!

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

 何かおかしい。私はマリアの態勢が皆が思っているのと違うのではと思いました。言葉ではなかなか説明できないので、動画では切り抜いて説明しました。要は、両足を開いている体勢だとすれば顔が小さすぎて、下半身は大きく見えてしまいます。奥の方の脚一本が実は両足である。2本の脚を、すぼめていたら顔の大きさも合致します。

挿絵(By みてみん)


では残りの、あの布の、ふた山は何か?

 私は考えました。誰かの膝?そうだ膝だ!!思い込みなのかもしれませんが、今もそう確信しています。私はあのような膝を探しましたね。何でもかんでもあの膝の格好のの物がないか探し続けました。ついに見つけました。半ばやけくそ気味。

 ゼウス像を入れ込んでみました。誰作かも知りません。彫刻です。膝を合わせて入れてみました。なかなか良い出来です。受胎告知ですからね。ゼウス様がマリアの知らないうちに、しちゃったのですね。やるな!!ゼウス。ゼウスが起き上がって、「ガブリエルよ。妊娠知らせるの、ちと早くね?」っていうのですが、でも、ガブリエルは例のクールな表情で、今、卵子と精子が愛でたく結びついて、細胞分裂が始まったので報告に来たのです。なんて言いそうですね。私には告知の義務がある。なんちゃって・・・・それで話が終わるはずでした。私も想像たくましいですね。

挿絵(By みてみん)

 が、ある時ダヴィンチの絵を観ていて気が付いたのです。ある絵に巡り合いました。荒野のセントジェロームです。この絵も変な絵です。完成しているんだか未完成なのかわかりません。ただ言いえるのは、この膝だ!!ってこと。ゼウスじゃなくてこの膝だ。私は間違っていた。

挿絵(By みてみん)

慌てて私はセントジェロームを切り抜いてこの膝に合わせました。ビンボー?(それは私)大ビンゴーでした。胸のラインまでぴったり。そしてなんと、セントジェロームの手が聖書の載せ台の布を引っ張るではありませんが?驚きましたね。

挿絵(By みてみん)

これは大発見です。誰も知りません。受胎告知と荒野のセントジェロームは、違う時期に描かれたと思い込んでいましたが、調べたら同じ時期に描かれていてさらに驚きました。セントジェロームは聖人です。 聖書の編纂で有名な方の様です。その彼が何で聖書台をひっくり返すような態度をとるのだろう。 

 ダビンチの怒りを感じました。たぶんダビンチは当時のローマンカトリックに強い怒りを持っていたのでしょう。聖書の意味を都合のいいように解釈して何事か!!真実を伝えていないではないか?そのような怒りを私は感じ取りました。誰もこんな絵同士が関係あるなんて思いもよらないだろうし、私が独自に歴史を学んで解説したところで、大学の有名な教授でもないのだから、そこで時間は取れませんし、無駄ですね。第一発見者の特権で優越感だけ頂きました。そんなこんなで、やはり受胎告知にも人が隠れていました。ダビンチがダビンチの絵で説明しているのですから。私は見つけただけです。

挿絵(By みてみん)

 岩窟の聖母にも大天使ガブリエルが隠れていて、最後の晩餐にもヨハネが隠れていて、受胎告知にもセントジェロームが隠れていた。どんだけ隠せば気が済むのでしょう。このころ、私は画像処理ソフトと、動画ソフトを購入しました。いくらか使いこなせるようになっていました。


 さて、いよいよ最後の晩餐の最終章です。今までのダビンチの謎解きには、あるパターンがあると言えると思います。ダビンチの絵の謎を解くには、ダヴィンチの他の絵に謎を解く鍵が隠されている。絵同士が連鎖というか連動している。受胎告知にはセントジェローム。岩窟の聖母もある意味ガブリエルで受胎告知でつながっている。などなど、そして反転です。

 そういえば、ダヴィンチは反転マニアです。文字も鏡文字ですからね。その様な観点から最後の晩餐を見直すことにしました。やはり最後の晩餐で気になるのは、ペトロのナイフを持つ右手です。 私は自分でやってみて、あの手首は、おかしいことに気が付きましたが、説得力がないですね。相手はバチカンですよ。ローマンカトリックですよ。筋金入りのローマンカトリックです。総本山ですよ。信者がどうのこうのってことではないです。こんな田舎の爺さんが立ち向かえるわけがないじゃないですか?へたに騒げば刺客を差し向けるかもしれません。(それはないか)それだけ重要なのです。あれは絶対にペトロの手首でなくてはならない。それを覆すにはどうすればいいのか?私が力説しても駄目なんです。あちらとしては、無視していればいいのですからね。


 そうです。ダヴィンチ自身に解いてもらうしかないのです。最後の晩餐にも連鎖した、関連した絵があるはずだ。あの腕の格好をした絵を探しに探しました。疲れました。数日間探し続け、私はついに見つけました。やったー。ついに見つけたその絵は、「アンギアーリの戦い」です。これ以外にはない。

挿絵(By みてみん)

この絵はダヴィンチが描いた壁画だったらしいのですが、詳しいことはウィキペディアで調べていただければいいです。その壁画自体はすでになく、ルーベンスが約80年後、模写した絵だそうです。ルーベンスでよかったですね。最高の技術を持った画家が、忠実に模写したところに意味があるのです。天才は天才でなければ分かり合えないのです。 このアンギアーリの絵を反転させます。馬に乗った闘士が、これでもかと言う表情で逆さ手で槍を抜いています。

挿絵(By みてみん)

 これ以上、曲がらない手首の形です。これだ!!私はこの腕を切り抜いて最後の晩餐に貼り付けました。結果は想像通り。あの手首の形にはなりません。ダビンチが証明してくれたのです。あの表情でこれ以上曲がらない手首、腕の形で、手首の限界角度、その一瞬が他にあるでしょうか。これ以上何が言えましょう。私は感動しました。やはり、ペトロはヨハネの手首を握っていたのです。後ろ手で持つにはこの貼り付けた位置が精一杯のはずってことです。だから、逆に言えば、最後の晩餐のペトロは他者の腕を握っているとしか、解釈できないことを理解できました。

挿絵(By みてみん)

 ユダの後ろにいるのはヨハネ。そしてヨハネだと言い続けられてきた人物こそ、マグダラのマリア・・・・だったのです。興奮しました。感動しました。(小泉首相の貴乃花への賞状授与みたいに・・・・)

 そこでやめておけば、ある意味、めでたし,めでたし,だったのですが、私は画像ソフトに、なれ始めてきたので、アンギアーリの戦いを全部貼り付けてしまったのです。初めは例の闘士の肘を,おおよそ合わせただけでしたが、よくよく観察するとダビンチは、丁寧に合わせるポイントを支持しているではありませんか。闘士の羊の角の様なものをペトロの頭に合わせ、

挿絵(By みてみん)

 さらにはキリストの胸元も衣服の形をアンギアーリの馬のラインと合わせるとぴったり合います。

挿絵(By みてみん)

 そして、50%透過させて私は腰を抜かすことになるのです。




 それはマリア(ヨハネ)のところに現れたのです。まさに女〇器そのもの。私は目を疑いました。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

あのダヴィンチが描いた女〇器だからすごい。現在でも医学の模範とされているダビンチの解剖図ですが、その大天才が描いた女〇器。まいりました。手が震えました。ナニコレ?アンギアーリの何処にこれが仕込まれていたのか?

挿絵(By みてみん)

 戻してみて、、また驚くのです。闘士の鎧なのか衣服なのかわかりませんが、衣服が風にたなびいている。アンギアーリの戦いだけを見ていたのでは、たぶん絶対、誰も気が付かないでしょう。ダヴィンチの技はすごい。超絶です。それを模写したルーベンスもすごい。下手な画家が模写したのでは、だめだったでしょう。忠実に再現してくれて感謝します。これは後の謎解きで分かることですが、当時の画家は裏で繋がっていましたね。秘密結社みたいなものです。 これはたぶんルネッサンス以前からの流れであろうことは無学な私にもわかりました。

 ダビンチが若い頃、影響受けた画家や、ダヴィンチの最後の晩餐に影響を与えた画家の絵をある方法で再合成すると分かります。この絵は若いころだヴィンチが影響を受けた油彩画、フーホ・ファン・デルフースの絵です。人物の縮尺デタラメ。手前の人物が極端に小さく描かれています。なんで、ダヴィンチはこの絵に影響されたのか不思議でした。次の絵は予告です。ある手法で、この様になります。不思議ですよね。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

 ルネッサンスと言うのはもしかすると、ルネッサンス以前は宗教画自体には芸術的価値がそれほど求められなかった。

挿絵(By みてみん)

描いた画家たちは、その裏に秘められた内容の方が重要で、依頼主の教会やお金持ち権力者は、普通の絵としてしか意味が分かりませんから、それで満足していた。しかしルネッサンス期を迎え、絵そのものに良いものを求めるようになってきたので、表の絵画としてのクオリティーと裏の意味、その両方を満足させるものを描かなくてはならない。もちろん裏の意味は一部の画家だけの為の物だったのですが・・そして時の権力者、支配者、貴族、ローマンカトリック、バチカンに気に入られ、お金を巻き上げる。これは個人的な金儲けではなく、結社の資金にするためです。そんな小遣い程度の話ではないですよ。世界の中心の話ですからね。莫大な金額になったと思います。 それを成し遂げてきたのが、ダビンチの師匠のベロッキオであり、ライバルのボッチチェリであり、もちろんダヴィンチであり、後継者のラファエロであり、ルーベンスであったのだと思います。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

これはまた後程詳しく話します。今回は最後の晩餐に話を戻しましょう。ダビンチはヨハネが女性であるということを示す為に、わざとあいまいに、手首廻りを描いていた可能性もあります。ペトロの手がペトロのものか微妙に描いた。さらにこれに気が付きそうになった、当時や、それ以後の宗教的支配者は修復と言う名のもとに、これをいかにもペトロの手だというように微妙に描き換えてきたのだと思います。しかしこれは無駄でしたね。ダヴィンチはそんなことは最初から、お見通しだったのです。あまりに、ヨハネをマリア(女性の様)として描いてしまえばバチカンから睨まれ、絵も廃棄されかねない。数百年後、誰かが、この謎を解くように、巧妙な仕掛けを作ったのです。すごい仕掛けです。思いもよらない絵にそのカギを仕込んだのですからね。私がこれを見つける役回りになるなんて想像もできませんでした。無学なるがゆえに解けたといってもいいです。

 ダビンチの絵は先入観があればあるほど解けない仕組みになっているのです。凄いです。あまりにリアルに女〇器をヨハネに描きこまれているので、私はびっくり仰天し、しばらくは先に進めませんでした。膝がガクガクし、身体が震えたのをおぼえています。放心状態がしばらく続きました。


 そこで止めておけばいいのに、私はこんなことを思いついてしまいました。模写は白黒である。だったら最後の晩餐もモノクロにして、そこに、アンギアーリの戦いを合成してみたらどうか?もっとわかることがあるのではないか?

挿絵(By みてみん)

 やってしまいました。分かったことはいろいろあります。アンギアーリの闘士が渾身の力で槍を抜こうとしている。その槍はユダとペトロに貫通している。

挿絵(By みてみん)

 この槍を刺しているのは変な兜を被った兵士です。よく見るとマスクを跳ね上げている。忠実にできた人面のマスクです。これは何を意味するのでしょう。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

ローマがキリスト教を、さんざん弾圧した挙句、キリスト教を国教に取り入れて、国をまとめていった。ローマは二重の顔を持つという意味、警告を込めているのではないかと私は読み解くのです。そして、もっと驚いたのはペトロの顔に鎖が巻き付けられ、何も言うなと言う拷問というべき絵が現れます。

挿絵(By みてみん)

これも衝撃的でした。ペトロはイエスが愛した重要な使徒です。岩の異名の通り、頑固で武骨で融通が利かない弟子だったみたいですが、キリストは愛していたと思います。 ローマで布教をし、最終的には処刑されたそうです。私はそれについて、詳しく調べる気は毛頭ありません。専門家がたくさんいるはずです。この絵だけで十分です。さぞかし辛かったでしょう。ダヴィンチもそれを表現したかったと分かります。バチカンにはペトロの墓があるそうですね。ユダにも槍が刺さっているわけですが、そのユダの視線の先には盾を持った若者が描かれます。

挿絵(By みてみん)

 ユダは裏切り者の汚名を着せられていますが、ユダこそ、キリストを守ってくださいと、若者の盾を見つめているのです。ユダは裏切り者ではありません。

不思議なことに,50%透過させても完璧にユダの姿は画像から消えてしまいます。

挿絵(By みてみん)

ユダはキリストとは何も会話しなくても分かり合える、それほどの弟子だったのです。お金のためにキリストを裏切ったのではありません。キリストの意思だったのです。そうすることが・・・・阿うんの呼吸で理解できた。ある意味、ユダこそ最高の弟子だったのだと、ダヴィンチは言いたかったのでしょう。何という深さ・・・

 そしてキリストの足元には血を流す若者が配置されます。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

 一瞬、若者が死んでいるように見えますが、よく見ると槍が刺さっているのは、襲い掛かっている兵士です。実はこの男から流れる血なのです。若者は死んでいません。生きています。キリストの復活を見事に表現しています。私はこれほどまでに計算された、さらにコラボした絵画を知りません。もし、私が世界で初めて解明したのだとすれば、これ以上の光栄がありましょうか?何と言っても世界のダビンチさんの絵を完成させたのですから。さらに正直に言いますが、動画ではマリアのアソコに色を付けました。動画で分かりやすくするためでしたが、私は、これほどドキドキしたことはありません。アダルト動画なんて吹っ飛びます。(見てんのかい!!)これ以上の興奮があるでしょうか?世界のダヴィンチが描いたマリアの大切なところを、私が色を付けし、ダビンチの名画、最後の晩餐に貼り付けたのですからね。これ以上の興奮は二度と味わえないでしょう。栄誉なことです。

挿絵(By みてみん)

そしてさらに驚いたのはこの絵を張り合わせると真四角になるということです。さらには背景に十字架が現れる。修復でキリストの足元は門のようになっていますがそれも十字架の下方になります。そんなことはないと思いますが、ダヴィンチはこれも織り込み済みだったのではないでしょうか。だとしたら凄すぎます。この十字架は上下左右同じ長さの十字架です。

挿絵(By みてみん)

 これは後で知ったのですがシオンの十字架は上下左右同じらしいですね。シオン修道会と何らかの関連性もあると直感しました。私は調べる気がないので、興味がある方はどうぞご髄意に・・・・。私はすごい発見だと思うのですよ。こんな無学な大学も出ていない。高校卒の何の存在価値のない人間が、ダヴィンチの絵の謎を解けたのですから・・・それで満足です。自己満足と言われてもかまいません。


 確かに誰も動画は見てくれないし、登録者だって現在5人です。でもいいのです。きっと何かに残しておけば誰か見てくれるだろうと思います。私の人生に意味があったとすれば、きっとこのことを解明するためにあったといっても過言ではないと思います。正直、私はこの時点で終了と思っていました。衝撃に疲れはてた、といっても過言ではありません。それから数日過ぎて私はまたパソコンを立ち上げダヴィンチの絵を観ていました。そこで、さらなる発見をしたのです。私が回想するに、最後の晩餐とアンギアーリの闘い関連が大きな柱の一本、そしてもう一本がこれから紹介する、「キリストの洗礼」でしょう。今日はここまで。ここまでを何にしようかな?マンゴーにしておきましょう。




                   マンゴーの章から



 「ダビンチはマンゴーがお好き」って、初め、この小説の題名にしようかと思っていました。理由は想像にお任せします。そんなことはどうでもいいですね。キリストの洗礼です。

挿絵(By みてみん)

 この絵も非常に奇妙です。まず変なのがキリストのパンツ?腰巻?腰布?派手じゃね?カラフルですよね。これも後で理由が分かりました。

挿絵(By みてみん)

 それに洗礼者ヨハネの十字架も気になります。ヨハネの後ろ側に奇妙な丸いお皿を反対にしたものが描かれています。変な樹木もある。ピンときました。受胎告知の樹木です。大天使ガブリエルが時間を歪ます表現に使った樹木。そしてその変なお椀はガブリエルの翼だということを・・・・

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

 さらにこの絵にはキリストと洗礼者ヨハネそして、天使が二人描かれています。私はこの天使、姿勢がおかしいと思います。人体として腰のラインに狂いがあります。へっぴり腰的な絵です。この部分はダヴィンチが描いたそうですが、ダヴィンチにしてはおかしい。言い忘れましたが、この絵は師匠のベロッキオ、ライバルのボッチチェリとダヴィンチの共作らしいです。

 こんな逸話があるそうです。ダヴィンチが描いた天使を見て驚いた師匠のベロッキオは、以後絵筆をとらなかったとかいう逸話です。私はそんなはずねぇだろうと思いました。ダビンチにしては天使の正中線がおかしい。こんなものを見て何で師匠が驚いたのだろうと・・・・その答えも後で解りました。全て計算ずくでした。そして私は背景に飛ぶ鳥に注目しました。

挿絵(By みてみん)

別にどうってことない鳥ですが、なぜか気になります。そして私は発見したのです。左の南国の樹木みたいな木の中にもう一羽の鳥を。これは何かあると直感しました。普通見逃がしますね。何故、ここに鳥が描きこまれているのだろう。

挿絵(By みてみん)

私はここでまたもや、ピ~~~~ンと閃きました。反転の指示だ。ダヴィンチが反転させろと言っていると確信したのです。右から左へ反転させ貼り付けろと。私は画像ソフトでこの絵を全部を反転させました。そして正常な絵に反転させた絵を単純に貼り付けました。このままだと反転の画像だけが上に載るので意味がありません。50%透過させました。

挿絵(By みてみん)

 この時の驚きは、マリアの女〇器に匹敵するといっても言い過ぎではないでしょう。そこには見たこともない美しい絵が現れたのです。キリストの手は中心でぴったり合います。女〇器を連想させる雰囲気もあります。さらに驚いたのは、グラスが現れる。これはもしかして聖杯!!

 見事な聖杯が浮かび上がって来るではありませんか。

挿絵(By みてみん)

 あのカラフルな、こし布は聖杯の置台に変貌しました。そしてさらに驚くべき事実を発見しました。あの天使の姿勢が完璧になったのです。重ねることで完璧な人体になりました。さらには洗礼者ヨハネの手が天使の肩にそっと置かれるに至っては、たまたまでは済まされない、完ぺきな意図を感じました。

挿絵(By みてみん)

正直「やられた」と思いました。と言うことはですよ、ベロッキオもボッチチェリもダヴィンチもグルってことですよ。凄い技ですね。あらかじめ重ね合せた絵を創造して、描いているわけですからね。綿密な計算なしでは、この絵は描けません。しかも依頼主には全く分からないわけですからね。単独の絵として最高なものであって、しかも描いた本人たちは、全く別物を創造して描いているわけですから・・・・こんなに、すごいことはありません。私は愕然としました。俺は騙され続けていたのだ。いや、人類は500年以上この謎を解けぬまま、のほほんと見過ごしていたのだと。私はこれは大変なことになってしまったと思いました。だって、もう一度すべての絵を見直す必要が生じるからです。以後、私は反転貼り付け、合成50%透過にはまっていくのでした。


 中でも感動したのは、岩窟の聖母でした。これを反転させて貼り付け、透過させると、美しい見事なグラス、聖杯が現れます。本当にに綺麗な聖杯です。水中のような雰囲気が岩窟の聖母に感じられましたが、この聖杯の輝く感じを出す為だったと理解できました。聖杯なるものは女性の子宮の象徴でもありますからね。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

 また貼り付けには縦方向横方向の二通りの貼り付けがあるので二通り実行することが必須です。もしあなたがパソコンをお持ちでしたら、1万円くらいで十分ですので画像ソフトを購入し試してください。本当に美しいです。岩窟の聖母は別方向から重ねると女〇器に男〇器が挿入直前の絵が現れます。これは、個人個人見え方に相違があるかもしれませんが、象徴としては、この様に見えても、人間として異常ではなく、そう見える方が返って正常だと思います。

挿絵(By みてみん)

私が、ただのスケベ心で言っているのではありません。ダヴィンチが現したかったのはもっと崇高なものであることは言うまでもありません。彼は同性愛者との噂もありましたが、実は女性崇拝者ではなかったかと思います。崇高な聖杯、崇高な女〇器を連想させる聖杯・・象徴的な画像を見れば誰しもそう思うと思いますがいががでしょうか?

 彼の人生はある意味「カモフラージュの人生」そのものと言っても良いかもしれません。彼は素晴らしい才能の持ち主であったことは当時も知れ渡っていたことでしょう。しかし同時に問題児でもあった。バチカンは彼を監視していたことでしょうね。何か尻尾をつかんで懲らしめようと思っていたに違いありません。 だから彼を監視する役目を担ったスパイみたいなのが、常に彼の周りにはいたはずです。だからこそ、さも意味ありげに逆さ文字でノートを書いたりしたのでしょう。よく考えればあんなノート嘘っぱちと言ってもいいでしょう。カモフラージュの道具。別に鏡に映せば誰だって解読できますからね。こんな研究をしてますよって、ある意味のカモフラージュですよ。

挿絵(By みてみん)

 絶対見破られて困るのは、反転貼り付け合成です。これから目を背けさせるため、意味ありげなノートを残したといってもいいでしょう。私はノートにはあまり、価値はないと判断します。ビルゲイツ氏はダビンチの手稿を数十億円出して購入しハーバードに凱旋したそうですが、意味が解っているのでしょうか?分かっていて購入したのなら尊敬します。たぶんわかっていないのでしょう。だから、私の使っているパソコン調子悪いのかなぁ!!冗談ですよ。今日はこの辺で。さて何にしようかな。杏にしよう。




    杏の章から



杏と厨子王なんちゃってね。あんずるより産むがやすし、横山やすしなんちゃって。ダジャレ言っている場合じゃないですね。その前に?どの前?皆様もお気づきでしょう。「あなたは画像ソフト使って、簡単に反転や貼り付け合成ができるが、昔、ダヴィンチのころはどうやったの?」ってね。私もそう思いました。 

 何か宇宙人みたいなのが特別な機械を貸してくれたとかね。それも面白いですがね。森さんのようにダヴィンチ自身が、宇宙人で、レプタリアンだったとかいう人もいます。どう考えるかは自由です。私はもう少し冷静に現実的に考えたいと思います。私は鏡を使ったと思います。左右対称と言うと同じものを左右に並べると考えがちですが、これって真の左右対称ではないのですよ。同じものがなければいけませんからね。でも鏡に映せば反転は出来ます。横に鏡を置けばいいのですから。

挿絵(By みてみん)

さて、ではどうやって合成するのか?そこです。脳内で合成するのです。そんな難しいことではないように思います。眠気に襲われた時、あの左右の目が見るものがズレて重なることありますね。あれと同じ現象を、何らかの修行で会得するか、もしくは元々その様な能力を持っている場合は可能です。ダヴィンチは鏡文字のように反転マニアだったのかもしれませんよ。たぶん秘伝のように画家の間に受け継がれてきたのではないかと思います。鏡を置いて左右の目で見たが画像を合成させる技。これはたぶん工房の中でも限られた弟子にしか受け継がれなかったのではと推定されます。工房の弟子のほとんどは知らずに指示通り描いていた可能性があります。でなければ、こんなに長い間この秘密が漏れなかったはずがありません。あるいはプリズム的な道具があったのかもしれません。覗けば合成させられるような道具があったのかもしれません。


 さぁ皆さんも反転貼り付け50%透過してみてください。面白いですよ。私の動画見ていただければいろいろ反転させていますので見に来てください。私の動画は内容が内容だけに人気がありません。しかし、私はネタは一生分あります。有り余っているといってもいい。これはある意味幸せですから。だって考えてみれば、ルネッサンスだけでなくキリスト以後の宗教画全部が対象です。もっと言えばキリスト以前だって調べる必要もあるわけです。鏡と同じくらいの歴史は調べなくてはならないでしょう。私がもし、美術史の教授だったら一生分の論文のネタを手に入れたことになりますね。喰いっぱくれ無いでしょう。反転貼り付け合成50%透過で良いわけですからね。それでふるいにかければいいわけです。ある意味凄い発見です。


 私はこの小説を書いているわけですが、実はこんなこと面倒なので描きたくないわけですよ。もっと高名な作家の先生に書いてほしかった。頼んでも見ましたが、○津きよみさんとか、田〇ランディさんとか・・元N〇Kの池上さんとかね。コンタクトしてみましたが、なしのつぶてでした。別に個人的に知っているわけではないので無理だったとは思います。

 私の様な、どこの馬の骨かわからない爺さんの言うことなんて聞いてくれませんでしたね。いかに人間と言うのは、肩書や地位に縛られているか、嫌と言うほど味わいました。ダビンチコードなんて真っ青な小説になるんですがね。脚色して、もっと話として面白くできたと思います。それこそ小説的に良い作品が出来たと思います。もっと重厚な作品にも、仕立て上げられると思うのです。内容も衝撃的ですからね。でも自分でやるしかなかったです。しかしながら私には時間がないのです。別にもう死ぬとか言っているわけじゃないですよ。もう春が近づいているわけです。前述しましたが、私は農家です。3月も半ばになれば、農作業が始まります。小説も動画も、今のように作っている時間がないのです。だから、そんなに練ったものは書いていられません。時間があればシオン修道会や、テンプル騎士団、バフォメットの関係などまたそれとダヴィンチや周辺の画家の関連性を織り交ぜて書けばいいものができる気はします。



 そうそう、私はダヴィンチだけ扱っていては面白くないので、ラファエロの絵も、つまみ食いしたことがあります。何と言ってもダヴィンチの後を受け継ぎ、天才の名を欲しいままにした画家ですからね。でも、そもそも、私はラファエロの絵にあまり興味がないというか好きではなかったのです。優等生的な絵が多いような気がしますし、ダヴィンチの様な深みを感じませんでした。車で言えばトヨタ、バイクで言えばホンダみたいな優等生感が感じられたのです。でもなぜ有名になったのか少しは気になっていました。そこで動画では「キリストの変容」を一度だけ、取り上げてみたことがあります。

挿絵(By みてみん)

 これは絵としては、私はそんなに好きでもないし、感動を覚える作品ではなかったですが、構図からして、合成後に何か現れそうな予感はしました。詳しくは動画を見ていただければわかりますが、反転、貼り付け合成をしてみて、これも驚きましたね。バフォメットが現れました。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

いわゆるバフォメットの有名な絵はラファエロより後の時代に描かれたものが有名ですが、独特のバフォメットがラファエロの絵から現れました。ラファエロは特にテンプル騎士団に強い思い入れがあったのでしょうか。テンプル騎士団はバフォメットを偶像崇拝していたそうですよ。

挿絵(By みてみん)

私は知りませんでしたし、調べる暇も時間もないので誰か興味のある方は調べてみてください。まぁそうは言っても合成後の絵にダヴィンチほどの感動はないといったほうが正直なところです。ある意味様式化してますね。逆に言えば様式化することで製作納期が短縮できて、依頼者からは喜ばれた画家ではなかったかと想像できます。ダヴィンチやボッチチェリみたいに、精巧で緻密な合成後の絵を想定して描くには、さすがの大天才ダヴィンチだって時間がかかります。たぶん納期を守れない画家だったのですね。ダヴィンチは・・・・無理もないです。

 

 話は飛びますがアンギアーリの戦いを模写したルーベンスの絵も、少しつまみ食いしたことがあります。動画では発表してないかもしれません。ルーベンスはラファエロよりもさらに後の画家ですが、これも天才の名を欲しいままにした画家です。画家と言うよりは、あらゆる方面に力を発揮した天才ですが、絵だけ見れば天才的ではあるものの、彼自身が描いたものは少なく工房のオートメーション的流れ作業で描かれた感がします。反転、貼り付け合成で検証した時、案外面白いのは、何気ない風景画だったりしますね。まぁ追々時間があればトライしてみます。

挿絵(By みてみん)

 皆さんがやっていただいてもかまいませんよ。私は森ひろしさんとは違いますからね。この発見は自分だけのもので勝手にやってはいけないなんて言いませんよ。特許じゃないのですからね。

 自己顕示欲はないで・・・・少しはありますが・・・・まぁ、ダヴィンチの絵も、かなりこの手法で解析してますが、素描も全て計算されています。何気ない風景画も全部意味が出てきます。不思議なのが、何か東洋的な仏像見たいな、というか僧侶みたいな、仙人みたいな画像が結構現れてきます。

なんと言う絵から抽出されたかは動画を見てください。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

 仏像や仏教的なものも左右対称上下対称なものが多いですので、その様に見えてしまうと言われれば、それまでですが、セントジェロームの背景にも東洋的な建物が出てきますし、ダヴィンチは上下対称左右対称に絶対的な美を感じていたと同時に、東洋的な思想にも少し惹かれていたのではないかと思うほどです。ちょっと疲れました。ここまでを何で括りましょうか?

バナナにでもしておきましょう。一休み。




バナナの章から


 そんな。バナナ。なんちゃってね。(バナナ使ってました?)左右対称上下対称の画像は、あなたにもすぐできます。やってみてください。面倒ならば私の動画でも見てくれればいいですが、私の動画は英語が多いです。稀に、フランス語、イタリア語もあります。日本語は私がナレーションしていて、いい加減です。別に私が語学の達人ってわけがないです。日本語で日本人に向かって、わめき散らかしたところで、所詮、日本は島国ですからね。井の中の蛙。どうせ誰も見ないなら、英語で発信しておいたほうが、何かいいような気がしました。ただそれだけの事です。

 グーグル翻訳にしゃべらせているだけです。これ、結構、私のグッドアイデアだと思っていたのですが、久々、森ひろし氏のチャンネル観たら、おじさん、ちゃっかり、私の真似しているじゃないですか?オリジナリティー重視なんてホザイテ!!失礼。言う割にはすぐ真似をする、ちゃっかり爺さんです。まぁいいか。


 小説なんて言いますが、私ははじめて書きました。どのくらい書けばいいのか皆目見当が付きません。反転貼り付け合成50%透過の結果を、このまま書き続けてもいいわけですが、少々、疲れ、面倒くさくなってきました。正直・・・なので少し紹介してこの小説を閉じようかと考えています。そもそも、これ、小説なのッて?今更ねぇ。まぁいいか。モナ・リザもこの手法で見ると面白いですよ。と言うか、いろいろ思わせぶりな表現が、ちりばめすぎているので、あまりそれに目を奪われると、大切なものを見失います。モナ・リザの場合重要なのは、まずは私が発見した隠し絵と隠し文字です。これを、潜ませるために描いたといっても過言ではない。これは反転とは関係ありませんが反転させて驚くのは、向かって右の眼が完璧に中心線上に位置することです。眼を合成時、合わせることは不要です。単純に重ねるだけで充分です。

挿絵(By みてみん)

 これは、案外気が付かないでいたのではないかと思います。反転して重ねるということは逆に言えば、中心線が自然にかつ正確に表れるということですが、いざモナ・リザの絵を測定となると難しでしょうね。本物は測れませんしね。こんな当たり前のこともパソコンがあれば直ぐに分かることですが、今までは分からなかったと思います。

挿絵(By みてみん)

 過去に気が付いている人もいたかもしれませんが、その様な記述は私の知る限りありません。反転、貼り付け合成50%透過したモナ・リザは綺麗な三つ目になります。これこそがダヴィンチのメッセージなのです。つまり、二つの眼で一つの眼の様にしてみる。これは3次元の世界を立体的に見るために進化した人間の目の性質を逆手に取った手法です。似て非なるもの。両目で見た映像を脳内で重ね合わせる。意識的に重ねる。これはシンプルではありますが、シンプルがゆえに500年間、謎を謎として隠しとおせた理由だと思います。そんな意味でも、やはりモナ・リザは名画と言えるでしょう。まぁそうは言いますが普通の絵としてみても、あれだけの超絶技法は類を見ないです。無いですね。衣服の細かい刺繍もセンターで、一か所綺麗に重なるように描かれています。

挿絵(By みてみん)

 ダヴィンチは死ぬまで、この絵を傍らに置いていたそうですが、彼が人間だとすれば老人がどうやってあれを描けたのでしょう。目もかすんで、普通だったら無理です。老眼です。一般人が普通の絵として観て世界最高の絵でありながら、ダビンチ自身は全く別の絵を脳内に描きつつ描いていたのですからね。凄いことです。ダビンチの有名な自画像も単純に素描かと思ったら大間違いです。

挿絵(By みてみん)

 あの絵も完璧に向かって右の眼がセンターラインに来ます。あの絵は目を拡大すると黒目がどのにあるかわかりません。曖昧に描かれています。そこにとらわれすぎると、森ひろし氏のように、あの目はトカゲの眼だとか、おかしな話になります。森氏は駿幕だと言います。ワニやトカゲにある駿幕。そうでしょうか?別に見方は自由ですが、私の手法でこの絵を重ねると重なった目は光り輝きこちらをキッとみてくれますよ。

挿絵(By みてみん)挿絵(By みてみん)

嘘だと思ったら自分でやってみてください。面白いですよ。ダビンチの描く絵のある意味特徴ですね。女性の単独の絵や聖母子像で目が重なるものが多いです。糸巻の聖母には二つのバージョンがありますが、一つは重なりますがもう一方のバージョンは重なりません。ダビンチの関与度が見えます。

挿絵(By みてみん)

弟子の画家が描いたものも多いのでしょう。今も鑑定中のものもあるそうですが、私の手法で選別するのも一つの手がかりですね。ダヴィンチが関与していたり原画を書いていれば、目の位置は中心線上に来ます。弟子が模写した場合は、左右対称上下対称の秘密は知りませんからズレてしまいますからね。面白いでしょう。

挿絵(By みてみん)

さて私は動画制作に戻ります。ネタは山積みですからね。たとえ人気がなくても、いつか気が付いてくれる人も現れるでしょう。本当はバチカンが気づいてくれれば面白いですがね。今だったら私を抹殺しようとはしないでしょう。でもね、森さんの様に実名を出していればある意味圧力はかかった可能性はありますね。嫌がらせを受ける可能性もある。だから、森さんにお願いしなくてよかった。仲たがいになって自分でやって自分で責任を取る。これでよかったのです。森さんは有名ですから、迷惑が掛かったと思います。今の世の中、私がいくら匿名を使っても、探そうとすればすぐに見つかりますからね。その時はその時です。

 しかし、もうそんな段階ではないはずです。世界は、いや、人類はもう一段階ステップアップの時期を迎えているような気がします。キリスト教も仏教もイスラム教も、あらゆる宗教が垣根を超える時期が来ています。

カトリックが素直にマリアを認め、最後の晩餐の再評価をすべきでしょう。ユダも然りです。もう一度素直な気持ちで見直してみるべきではないでしょうか。私はダヴィンチの絵の謎解きを初めて、早、4か月が過ぎようとしています。何の武器も持たず挑んだ4か月です。武器はパソコンとウィキペディアのみ。楽しかった。夢のような4か月でした。マリアのあそこも見ちゃったしね。ダヴィンチとコラボしちゃいましたから。調子に乗って色付けまでしてね。アハハ。マリアさんは恥ずかしいところを500年も見せていたのですから…お疲れ様。それに比べれば私の発見など糞くらえです。私にとってモナ・リザはルアーの様なものでした。まんまとダヴィンチに釣りあげられてしまいました。


 こんな謎解きをするような人間ではありませんが、最初に言ったように、なぞ解きをさせられる羽目になってしまいました。役不足は重々感じています。でも仕方ないじゃないですか。選ばれてしまったのですから。釣られたブラックバスなのです。許してくださいね。大きな目で見てください。私はこの小説に書き忘れたこともいっぱいあります。ケンシンさんのチャンネルに取り上げられた、私の幼少期の記録のこと。私が一般の会社員として底辺で働いていた時期のこと・・・・本来はこのことも詳細に描かねばならなかったと思いますが、私はそんな特殊な人間でもないし天才でもありません。でもこの世界に生きていた証は少し残しておきたいです。今後小説を書く機会があれば書きます。

 こんな下手くそな文章を誰が読んでくれる?くれるはずはないですが、インターネットの大海の片隅に漂わせることをお許しください。私が好きなダヴィンチの絵は、受胎告知、モナ・リザ、キリストの洗礼、岩窟の聖母です。皆さんはどうですか?興味があったら私の動画見てくださいね。「白い変人」か「Da Vinci Institute」「 The white weirds」で検索してもらえれば出てくると思いますよ。なんかこれで終わると思うと寂しいですが、ここら辺が私の限界です。また会える日を楽しみにしています。ごきげんよう。さようなら。


              追伸


 忘れていました。最後の晩餐とアンギアーリの戦いは別格です。ダヴィンチにチンビダって題名の意味わかっていただけましたか?ダヴィンチにチンヴィダでもいいのですが、ダヴィンチが最終的にたどり着いたのは、若干左右対称からズレた曼荼羅の世界の様な気がするからです。ウィトルウィウス的人体図で私は感じました。あのウィトルウィウス的人体図、有名ですよね。私は、あえて、その画像をさし絵にしません。あなたはあの絵を思い浮かべてください。円の中に四角があって人体が両手を広げている絵を思い浮かべますか?実は、円も四角もズレています。人体も左右対称ではありません。ダヴィンチの美は絶対的、左右対称、上下対称、それで貫かれています。しかし、最終的に若干の揺らぎ、微妙なずれも重要と思うようになったのではないでしょうか。曼荼羅の絵の様に。砂の曼荼羅は置かれた一粒の砂から始まります。微妙なずれから、壮大な世界が広がります。そんな境地にたどり着いたのかと思います。あくまでも私の想像です。

 確か、それも動画にしました。どこまで宣伝しているんだい!!


ここまで読んでくださった方、本当に感謝いたします。


本当にさようなら。


https://www.youtube.com/channel/UCc_mJJoGjOyqSEVc1Uen0NA/videos?view_as=subscriber





少々疲れました。私には荷が重いです。

性的な表現も多少、ありますが私が描いたわけではありません。

ダビンチ様のお手伝いをさせていただいただけですので、

どうかお気に召さなかった方がいたらお許しください。

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