とんだ出会い
罪悪感が湧くが、最後の台詞は聞き捨てならなくて、私も怒って言い返した。
「こっちだって、あんたなんか知らないわよ」
多分ね。顔が見えないから、中学などの同級生でも分からないけど。
「こんな所に道があるなんて知らないし。道にはみ出てたから、車に輓かれると思ったんでしょう」
「せめて危ないとか声を掛けるとか」
「咄嗟にそんなこと言えないわよ」
「うう。痛ってぇ。鼻擦っちまった」
男は怒っていると言うより、無念そうに唸る。
怪我をさせてしまったと思うと不安になる反面、慰謝料とか要求されるんじゃないかと心配になって、私はつい反抗的になってしまう。
「幾ら何でも、顔から転ぶなんて鈍いんじゃない?」
言った後で、手や足が不自由な人だったらどうしようと変な心配にもなる。
「片手は商売道具の鞄、片手は修理を頼む時計を庇ったんだ。咄嗟なんだから仕方ないだろう」
男は拗ねたように言う。同じ咄嗟だが、男の方が分がいいかも。
私は確かに声を掛けるべき、掛けられる筈だった。だがそれを認めるのは癪だ。
私は半分は当て付け、半分は修理と言う言葉に本当に思い出して、
「眼鏡!」
叫んで周囲を見回した。道路には落ちていない。
垣根の下を覗き込むと、土の上に眼鏡はあった。ホッとして拾い上げた私は、レンズに傷がないか、汚れていないか顔を近付けて、
「嘘。何これ。最低!」
悲鳴を上げた。右のツルが外れ掛けている。ネジが一本飛んだらしい。
ネジが揺るんでいた訳でもないのに、どうやって抜けるのよ。不良品じゃないの?と私は思う。
不良品で無料修理ならいいけれど、修理代が取られるとか、新たに買い替えるなんてことになったら大事だ。美大よりマシでも、美術の専門学校は資料代や材料代が掛かる。
親が出せるのも限度があった。裕福な家庭と言う訳でもないのだから。一年の今はまだだが、コンペに出品する費用なども積み立てておく必要があった。
バイトも当然しているけれど、無用な出費は出来る限り避けたい。
女子大などのブランド合戦とは無縁だが、安物でも着回しでもお洒落さを演出するのは、自分のアイデンティティーを出すことだ。格好悪い格好をしていたら、審美眼を疑われ兼ねない。
男がドアの方に来て、
「あー。伊達じゃなくて本当に近視なの。コンタクトは持ってないの?」
「授業で作業をする時はコンタクトは使わない。粉塵出たり、手が汚れてると困るから」
「えーっと、ほら。セロテープで応急処置するとか。映画とかであるじゃない?」
「そんなみっともないこと出来る訳ないでしょう」
「あー。だよね」
「あー、もう。全部あんたの所為よ」
半分は八つ当りだ。
「何で俺の所為になるんだよ。そもそも助けなんて、俺は必要じゃなかっただろう。こっちだって転けるし、擦り剥くし」
「転けたのは、あなたが愚図だからじゃないの?」
「それはそっちもだろう。どうして走っただけで眼鏡が落ちるんだよ」
うーん。それは私も聞きたいかも。
しかし。
不毛な言い争いが続きそうなところに、別な声が割って入った。
「偏にあんたを助けようと思ったからだ。優しくて立派なお嬢さんじゃないか。尊い心映えによるものだ。例え結果はどうなろうとも、その所為で眼鏡が壊れたなら、申し訳ない自分が責任取ろうと言うところだ。それでこそ若い男女。恋の花が咲こうと言うものじゃないかね」
玄関から誰かが出てきている。声は皴枯れた老人のものだ。言うことも古臭い。
「ありませんよ。そんなベタな設定」
男はうんざりして言い返す。同感だが、男の方から否定するのは失礼ではないか。
あんたは何様、イケメンか。イケメンでも腹が立つぞ。
「うーん。責任か」
男は悩ましげに言う。修理代を出すのが、迷惑そうだ。
男の所為だと詰っている私にしても、修理費用などを貰う気はない。