生の代償
才能が消えたと言うのが、まだ私にはピンとこない。
才能が消えたら、私は絵が描けないんだろうか。
デッサンは狂って、絵が苦手と言う人のように、何を描いても幼児の落書きレベルになってしまうのか。
何か紙。描く物。
内心慌て出す私に、男はちょっと嬉しそうにする。
「朝とは反対と言うか、こう言うのを命を助けたって言うんだからな」
私の筆記具を捜す手と目が止まる。
そんなこと言われても……。
私はつい、憎まれ口を叩く。
「根に持つなんて男らしくない」
「こ、これは根に持ってるとかじゃなく。一回も言うなと? 人間が出来てなくて、済みませんね」
男は嫌味と言うより、拗ねて膨れた。
「で、でもね。私の才能は、なくなったんでしょ。じゃあ私、美術関係の仕事には就けないし、美術の専門学校に通う意味もなくなるじゃない。今から学校止めて、進路変更しろって言うの?」
そもそも死んでしまっていたら、そんなこと関係なくなる。
生きられるだけマシだと言われても、仕方がない。
「さあ? 才能がなくても絵は描けるし、美術関係の仕事にも就けるだろう。それどころか、人気のある画家やイラストレーターになれるかも知れないよ」
「そんなの気安めじゃあ。それなら才能って何なのよ?」
男はそれにもあっさりと言う。
「さあ? 命と同じく、才能も神秘的なものらしくてね。死なないのが不思議な状態で生きている人もいれば、あり余る才能がありながら何一つ物せない人もいる。まあ、神の領分って言うのかな」
「神様っているの?」
私は声を潜めて聞く。
死人を甦らすなんて、それこそ神をも恐れぬ所業だろうか。
絵の中の事実を露わにする眼鏡。
死からの復活。
そんなことがあるぐらいなら、何が起きても不思議ではない。
「定義にもよるな。あらゆる空間・時間をあまねく支配する絶対神なんて物がいるかは、誰も知らない。山一つ川一つ樹一本、限られた中で支配し、人が神と呼ぶような物は星の数ほどいる。ほら。八百万の神々とか言うだろう。あんな感じ」
「簡単に死人が甦ったりして、いい訳?」
「簡単って訳じゃないけど。運命には相対的なものと絶対的なものがある。君のは、魔法具の介在によって引き起こされたイレギュラーな事故だから、差し替えも出来た。そもそも眼鏡がなけりゃ、自殺志願者でもないのに、バスが走って来る前に猛ダッシュで駆け込むなんてこともない。最初から起き得ないことが起きたから、普通有り得た状態にも戻せた。それでも代償は、君から取られているぐらいだけどね」
「ええっと、あなたが貸したのが悪くて、そっちにも責任がいくとか」
いったら悪いではなく、いって私の払いが減ればいいなと思って窺うと、男にギロリと睨まれた。
「使った者の責任だ。触るなと言ったんだから、機能を知らせるつもりがないのは、分かった筈だ。分からないとは言わせない。俺のは、義理人情レベルでの責任を感じた所為だ」
うっ。冷たい奴。
でも命を救った分で義理は果たしていて、愛想良く振る舞う義理まではないかも知れない。
だが、袖すりあうも他生の縁。
関わったからには、私の疑問に応えて貰いたい。
「じゃあ、この眼鏡が見せているのは何な訳?」
「芸術を理解出来ないある魔法使いが、暇潰しに作ったんだ。何かを感じる絵と何も感じない絵があるのが不思議で、芸術と言う理論的に計れない物を計る、よすがになる物を見つけ出そうとした。どのように。どんな思いで。どんなふうに見えた物をと、分からないから色々調べられるようにした。まあ、何かの基準にならないこともないんだろうね。だがそこから見えた物が芸術の真髄とか、それが傑作の条件とは限らない。だから結局絶対の基準が分かる訳ではないと、魔法使いはそれを売り払った」
私は何も考えずに飛びつく。
「じゃあ私が買います。幾らですか。高いんですよね。それでも私、何をやっても何十年掛けても払いますから、売って下さい。お願いします」
私は、年もそう離れていない気に食わない感じの男に頭まで下げていた。
「駄目だ。君には売れない。普通の人間だから」
男はやっぱり嫌な奴だった。
しかし世界的に人気のファンタジー映画で、魔法を使えない人間は差別されることがあった。これは全般のものかも知れない。
「魔法が使えないから?」
「そうだ」
「そんなこと言わないで。他人にバラしたりもしないし、悪用したりしないし。見た物を評論とかとして出したりもしない。知ったことは、私だけの秘密にするから」