私が、貴方に出逢ったこと
私には、苦手な授業が三つある。
一つ目は、「────と、言った時の××の心情を×文字以内で述べよ」といった、十人十色を根本から否定する問題が出る時の国語の授業。
二つ目は、「××というお題についての抽象画を描きましょう」といった、未確定で自由度の高い場合の美術の授業。
そして、三つ目は、「××を聴いて、思ったことを自由に感想として書いてください」といった、回答の幅が広いようで狭い窮屈な音楽の授業。
私は、これらの問題や課題において、まともな点数を貰ったことが、ほぼない。
ほぼ、と言ったのは、一度だけの例外があるからだ。
音楽の先生がお休みで、違う先生が代わりに授業を受け持った時。
担当の先生がいないから、今日は簡単に、音楽鑑賞をしてその感想を書くだけにしましょう、と私的にはとても嬉しくないその授業の終わりに、代わりに来たその先生に呼び出された時のことだ。
「貴方は、とても感性が豊かなのね。でも、その感性が他の人とは少し違う方向へ向いているみたい。それは、個性というには少し強すぎて、才能というにはわずかに弱いわ」
いつも通りに、きっとダメ出しされるのだろうと思っていた私に、その先生は、少し伏し目がちに、言葉を選ぶようにゆっくりと告げた。
「私は個性的で好ましいと思うけれど、きっと私は少数派だわ。貴方は、これから先、何度もその感性に悩まされることになると思う」
少し硬い声。でも、ひどく優しい声。
何の強制力も、拘束力も無いのに、私は頭の先から指の先に至るまで、まるで凍ったように動かせないでいた。
それほどの、衝撃だった。
それだけの、衝動だった。
「それでも、その時にどうするかは、貴方次第よ。周りに合わせて自分を変えるか。周りなど気にせずに自分を貫くか。貴方が自分で考えて選べばいいわ」
それは、さながら────
「どちらを選んでも、貴方が貴方であることに変わりはないのだから」
神からの啓示であるかのように、私の心に染み渡っていった。
それが、私の最初の運命。
それまで周りを気にして、控えめにしていたヴァイオリンの演奏を、自分の好きなように、自分の感じるがままに、奏で始めた最初の日。
ヴァイオリニストになろうと決めた日。
私が、自分を貫いて演奏をすると、たくさん悪いところを指摘されたし、怒られたし、呆れられもしたけれど、それでも、それが、私が私を選んだ結果なのだから、甘んじて受け入れた。
とは言っても、さすがに高校生になる頃には、否定され続けるばかりのことに、苦しさを感じるようになっていた。
毎日毎日、苦しくて、辛くて、悩んでばかりいた。
両親にも心配をかけていた自覚はあるから、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だから、だからこそ、高校二年生のあの夏の日、2度目の運命に出会ったあの時、とても驚いた。
とても驚いて、そして、とても嬉しかった。
涙が出るかと思ったくらいに、嬉しかった。
そして、この運命に感謝した。
私が私を選べたことに。
私が貴方に出会えたことに。
貴方が私を肯定したことに。
貴方へと続いた全ての運命に、心からの感謝を。
ヴァイオリニストになろうと決めた日から、毎日付けていた日記が、最近は暗いことばかりが綴られていたその日記が、この日、自分でも笑ってしまうくらいに明るい色で彩られた。
幾度口にしても足りないほどの、この感謝の気持ちを、どうすれば貴方に伝えられるだろうか。
貴方は不器用で、そしてとても照れ屋だから、言葉で言うのは戸惑われる。
だから、貴方が聴いてくれる私の演奏の全てを、感謝の気持ちを込めて奏でるよ。
ほんの少しでも、貴方に届くように。
いつもポーカーフェイスな貴方が、優しく微笑んでくれることを、私だけが知っているから。