表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

君が、死に抱かれる前に

彼女と待ち合わせをすることになってから、もうすぐでひと月。

約束の日は三日後にまで迫っている。

どうやら、待ち合わせることに対して喜ばしく思っているのは、彼女だけでなく俺自身もであるようで、いつになく仕事も捗り、予定していたよりも早く暇ができてしまった。

彼女との約束があるから、次の仕事は入れないでいてもらっているので、特にやるべきことも無い。


それならば──



「少し早いけど、彼女の曲を作り始めようかな……」



と、思い立ったら吉日と言わんばかりに、さっそく作業に入る。


いつもいつも己の頭の中を駆け巡っている、調和されていない音の羅列たちを、彼女をイメージしながら曲として形作っていく。


俺の曲の作り方は、人には理解されにくい。

音楽家の父にも、それは俺の才がなせる技であり、他とは一線を画している、と言われた。


俺としても、そうだろうなと思う。


理解されにくいんじゃなくて、きっと、誰にも理解できない。

想うだけでいいんだ。

俺はただ、想うだけでいい。

それだけで、ただの音の羅列たちが、この世にただ一つだけの曲に生まれ変わっていく。


「……Songs für die Dame」

この世にただ一つだけの"貴女の為の曲"を、君に──












「もうすぐ九時半か……」

そろそろ家を出る時間だと、没頭していた作業を止めて身支度を整える。


彼女との待ち合わせは十時だ。

そして、ここから公園までは十分ほどかかる。

今日の天気はあいにくの雨だが、それを差し引いても、本来ならば、もう後十分ほどは遅く出ても、待ち合わせの時間には余裕で間に合う。

しかし、それではいつもの通り、彼女が待つ側である可能性もある。


今までずっと、彼女は俺を待つ側だった。

だから今回は、俺が彼女を待つ側でありたい。


そう思ったから、待ち合わせの時間よりかなり早めに向かおうことに決め、玄関に向かい、傘を手に取り、扉から外へ──



「っ!?」

驚いた。危うく叫ぶところだった。



本来なら誰もいないはずの玄関先。

扉を開いた先の右手側に、その人は佇んでいた。


「そんなところで、チャイムも鳴らさずに、何をしてるの、姉さん」


問われた相手、姉さんは、何故か、真剣な、それでいてとても強ばった表情で、俺を見ている。


「……あなたがこんな時間に、しかも雨の日に、外に出るなんて珍しいじゃない。いったい何処へ行くつもりなの?」


感情を押し殺したような、平坦な声だった。

それとは逆に、その目には様々な感情を混ぜ返した様な、そんな複雑な色が浮かんでいた。


そのことが、自分でも驚くほどに、癇に障った。


「俺がどこに出掛けようが、姉さんには関係ないと思うけど?そもそも、常日頃から外に出ろって言ってたんだから、俺が外出することは、望むところだろう?」


「……そうだね、外出すること自体は、私としても賛成だよ」


「だったら……」


「でも、あの子に会いにいくというのなら、反対だよ」


一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

それほどに唐突で、直接的な言葉だったから。


「あなたが、去年の夏からあの公園で、あの子と会っていることは知ってた。今までずっと、どれだけ言っても部屋に篭もりきりだったあなたが、外に出てくれるのならそれでいいと思って放置していたけど、仕事に支障をきたすのなら話は別よ」


だめだ。

それ以上を聞いてはいけない。


「それに、あの子ヴァイオリニストなのよね?もしかして、あなたと会っているの、あなたがOTOYAだと勘づいているからじゃないの?」


今までずっと、押し込めて来たものが、溢れてしまう……!


「もしそうだとしたら、早めに縁を切らないと。あなたがOTOYAだとバレてからでは、」



「黙れよ」



ひどく冷たい声だな、と煮えたぎる頭の中で、妙に冷静な思考が一瞬過る。


きっと今の俺は、声だけでなく、とても冷たい視線を姉さんに送っているのだろう。


ひどく狼狽している姉さんの瞳には、それと対照的な俺の姿が写っている。



「……音弥?」


さっきまで、朗々と語っていた姿は何処へやら。

困惑と不安、さらには恐怖まで感じさせるような声色だ。


「なぁ、姉さん」


そんな姉さんに対して、少しの憐憫の情も浮かばないのは、


「な、なに?」


今、俺の心は、そんな情が入り込める余裕もないほどに、怒りで満ちているから、かもしれない。


「なんで、俺が仕事入れないようにしたこと知ってるの?」


「そ、それは」


「うん、別に言わなくてもいいよ。どうせ、お義兄さんに聞いたんだろ。まぁ、それはどうでもいいんだ。例え実の弟とはいえ、勝手に仕事のスケジュールを調べたとか、例え実の姉とはいえ、勝手に仕事のスケジュールを教えたとか。それは、どうでもいいんだよ?」


姉さんが息を呑むのがわかった。

雨音がうるさいくて、癪に障る。

俺も、雨が嫌いになりそうだ。


「問題はさ、俺、さっきも言ったよね。俺が、誰とどこで、何していようが、姉さんには、関係のないことだって」


「か、関係ないなんて、ただ私は、あなたが傷つかないようにって」


「俺が傷つく?なにそれ。俺の事馬鹿にしてるわけ?OTOYA目当ての人間と、そうでない人間の区別が出来ないくらいに間抜けだって」


「そんなことっ」


「言ってんじゃん、自分で、さっき。だいたいさぁ、根本的に間違ってんだよ。彼女が俺の事OTOYAだと感づいてるだって?笑わせるなよ。彼女は最初から知ってたんだよ」


「なっ!?」


「俺が教えた。俺が、自らバラした。で、それから一年何もなかったね。これで安心?」


「なんで、そんなこと……。私に一言もなく」


「なんで、姉さんに言わないといけないの?」


「なんでって、私は、あなたの姉でっ」


「……ずっと、思ってたことがあるんだよね。それでも、今までは言わずにいたことが」


溢れさせた、姉さんが悪いんだよ。


「姉さんはずっと俺に、外に出ろ外に出ろって、部屋に引き篭もるなって、そう言ってたけど……」


姉さんに、正面から視線を向ける。

責めるように、憐れむように。


「一度だって、本気で想っての言葉は無かったよね。これまでずっと優越感に浸って、幸せだったでしょ?分野が違うけど、それでも俺ばかり騒ぎになって、ちょっと羨ましかったけど、そんな俺は、こんな引き篭もりで、それを咎める清く正しい姉という役。楽しかった?ストレス発散になった?でもごめんね、別に、俺には姉さんが必要なわけじゃないんだ。だから、これからはもうここに来なくていいよ」


言うだけ言って、驚愕に固まる姉さんの横を通り抜ける。


「待って、音弥っ!」


姉さんの視界から俺が消えて、ようやく我に返ったのか。

姉さんが悲痛な声で俺を呼ぶ。

だけど、今言った通りに、俺には必要ではないんだよ。

だから、


「ばいばい」


後ろから、何か叫ぶ声が聞こえ続けているけれど、そんなの無視だ。

姉さんは、俺の琴線に触れた。

だから俺も、姉さんの琴線に触れてやっただけのことだ。




「くそっ、せっかく早く向かうつもりだったのにっ!」


左腕の時計を見ると、長針が十を指していた。

急がなくては、と傘を片手に小走りで公園に向かう。

相変わらず足りない体力に、息を切らしながらも足は止めない。

さほど問題ないと思っていた雨も、どんどん雨足が強くなっているせいか、妙に邪魔だ。

本格的に雨が嫌いになりそうだ。


長針が十一を過ぎる。

思いのほか強い風に、傘がとられそうになる。


長針が十二に到達する直前。

公園の入口が見えた。

彼女との待ち合わせ場所。

そこに、俯きがちな赤色の傘が見える。

雨音に交じる、水を跳ねる足音に気づいたのか、傘が少し上に持ち上がり、彼女が顔を上げる。


目が合った。


公園まではもう少し。

また、待たせてしまったけれど、次には絶対に俺が待とう。

そう決めて、ラストスパート。

小走りから本格的に走り出す。

彼女が笑顔を浮かべ、俺に手を振り、そして──













「っ!!??」


声にならない悲鳴が、整わない荒い息が、静寂に満ちた部屋に、妙に響きわたる。


息を整えながら、周りに視線を向ける。

窓から注がれる月明かりから、今が真夜中と呼ばれる時間なのは理解できる。

しかし、そんな月明かりに照らされた室内には、見覚えがない。

見覚えはないが、知ってはいる。


「病院……?」


白を基調とした清潔感あふれる室内。

妙に薬品臭いわけではないが、自身の腕につながる、点滴を見れば一目瞭然だ。


「……夢」


そう、夢だ。

先程までのは、夢なんだ。

夢だけど、夢じゃない夢。

記憶をたどる、自分が自分に、忘れさせないために。

そんな夢。

だから、あの感情は本物で、この痛みも本物だ。


「……ごめん。ごめんな。本当に、ごめん」


視界が歪む。

何かが頬を伝う。

痛いほどの静寂に、痛みを孕んだ声が浸透する。

儚さをおびたその声。


「俺たちは」


果たして、痛むのは


「出逢うべきじゃなかったんだ」


その身か、その心か。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ