君が、死に手を伸ばす前に
それから俺達は、月に一度の頻度で、曇の日(もしくは、日が陰ったあとの晴れの日)にあの公園で会うようになった。
月一なのは、俺の仕事が忙しいから。
曇の日というように、限定的なのは、初めて会ったあの日、驚く彼女を落ち着かせてからしばらく後に、俺が熱中症で倒れたから。
俺を探しに来た姉さんによって事なきを得たようだが、心配をかけたことには変わりない。
ヴァイオリンに湿気は良くないからか、彼女は雨が嫌いらしく、俺は晴れが苦手。
だから間をとって曇の日ということになった。
と言っても、別に待ち合わせて会ってるわけではない。
彼女は、雨の日以外の休みの日は、いつもあの公園で演奏しているらしいから、仕事が一段落し、曇の日である時だけ(晴れの日は夕方から)、俺もあの公園に足を運ぶ。
何気ない話をしたり、彼女の演奏を聴いたり、いつもそれだけ。
彼女は、俺がOTOYAだと知っても、最初にかなり驚いていたのを除けば、他は何のアクションも起こさなかった。
それが、とても心地よかった。
そんな日々が、一年続いて、俺は十六歳に、彼女は十八歳になった。
そんなある八月の珍しい曇の日に、俺達はいつもの公園で、いつものように共に過ごしていた。
「ねぇねぇ、そう言えばさ、ちょうど今頃だったよね、私達が出会ったのって」
「そう、だったな。もう一年も経つのか、早いもんだな」
「やだなぁ、お年寄りみたいな台詞言っちゃって…………っと、そう言えばさ!」
「っ!?あっ………」
突然身を乗り出してくる彼女に驚いて、持っていたアイスが手から滑り落ちる。
「…………」
「…………ごめんなさい」
さっきの不意の勢いは何処へやら。
しゅんと落ち込む彼女に、気にしていないというように、肩をすくめてみせる。
「別にいい。それで?何を言いかけたわけ」
「本当にごめん!んで、何を言いかけたかというとだね!私、出会って一年も経つのに、貴方の誕生日知らないなぁと思って!」
「誕生日……?」
「そう、誕生日」
「いまさら?」
「そう、いまさら」
いきなりの発言に驚きながら、彼女を見つめ、いつもの習慣で軽口を交わす。
そして、どちらともなく吹き出した。
「ふふっ、なんかこのやりとり、一年前もやった気がするんだけど」
「ははは、確かにな」
確か、一年前も、こうやって笑いあったあとに自己紹介をした気がする。
「じゃぁ、今回は俺からな。俺の誕生日は十一月九日。蠍座で、O型だ」
星座と血液型は必要ない気もするが、ついノリで付け加えてしまった。
そして、俺以上にノリのいい彼女はすぐにノってきた。
「はいはい!私の誕生日は五月三日で、牡牛座のA型だよ!」
「誕生日過ぎてるじゃないか」
「貴方の誕生日はこれからだね」
「……何か用意する」
「別に強請ったわけじゃないんだけど、でも、くれるならありがたく頂きます!何をくれるのか楽しみにしてるね!私も十一月には、何か用意するから」
「…………あー、その、な……えっと……」
「ん?」
誕生日プレゼントなんて、家族以外に渡したことはないけれど、何を渡すか考えたら、これしかないような気がしてしまった。
「……あー、嫌じゃなければだけど」
「うん?」
「曲を、君の曲を作ろうか?」
「っ!?」
よっぽど驚いたのだろう、珍しく目を見開いて固まっている。
普段は、彼女の方が滅茶苦茶な行動を取るから、こんな姿はかなりレアだ。
「……別のがいいなら、他に何か考え」
「それでいい!ううん、それがいい!」
あまりにも固まったままだから、違うものを考えようかと言い切る前に、食い気味に言葉を被せられた。
「じゃぁ、誕生日プレゼントは、曲ということで」
「うん!うん!ありがとう!すごく、すごく嬉しい!」
まだ作ってもいないのに、あまりの喜びように思わず苦笑いが溢れる。
「俺が作る、君の曲だから、君は、君の好きなように弾けばいい」
「……覚えててくれたんだね」
「……まぁ」
何だか、妙に照れくさくて、ぶっきらぼうに答える。
だが、彼女にはそれもお見通しらしく、そんな俺を見ながら、暖かく微笑んでいる。
「本当に、ありがとう」
「ん。あぁ、でも、来月にはまだ無理だと思うから、十月になると思う」
「そっか、そうだよね、お仕事もあるもんね」
「あぁ」
若干申し訳なく思うが、彼女は気にしていないらしく、むしろ何か嬉しそうだ。
「……あのさ、じゃぁさ、遅刻料としてさ…………その……来月は待ち合わせをしない?」
「え?」
唐突な申し出に、思わず驚きの声をあげてしまった俺に、彼女は慌てて理由を言い始める。
「ほら、私達っていっつも居合わせる形でしか会わないじゃない?だから、一回くらいは私も、貴方が来るのを分かっていて待っていたいなぁって思って…………出来ればでいいんだけど」
言葉と共に少しずつ小さくなる彼女の声を聞きながら、そう言えば、俺はいつも彼女が居ることを分かっていてここに来るけれど、彼女は俺がいつ来るかなんて分からないんだよな、という今更な事実に思い至る。
思い至ってしまえば、何とも言えない罪悪感のような、後ろめたさが込み上げてきた。
「……いいよ。待ち合わせしよう」
「本当?やった!じゃぁ、九月の何日にしようか?いつが都合が良さそう?」
了承の意を表した途端に、少し沈みがちだった表情から一変、弾けるような満面の笑みでこちらの都合を聞いてくる彼女に、思わずこちらまで笑みが溢れる。
待ち合わせをするだけで、こんなにも喜んでくれるのならば、もっと早くにすればよかったかもしれない。
「じゃぁ、九月の──
「…………約束なんてしなければよかった……………そうすれば君は………」
明かりの灯されていない暗い部屋の中で、窓から注ぐほんの少しの月明かりに照らされながら、そう呟く彼の左手首は、その白すぎる肌の色に似つかわしくない、どす黒い緋色の華を咲かせていた……。