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脚フェチな彼の特訓

「おいウソだろ総一郎。まだ走り始めて5分も経ってねーんだぞ?」

「そ、んな、こ……と、言っ……て、も」

 ぜいぜいと荒い息をつきながら、正源司に必死で返事をする俺。

 黒井さんの事務所を訪れた翌日の日曜日。

 俺はその時に指示された内容に従って、朝の8時からランニングに勤しんでいる。

『特機のエージェントになったからには相応の“強さ”が要求される。能力の強さは当然として、ステゴロの強さも、な?』

 要するに、能力云々を抜きにした生身の身体の強さが無ければ話にならない、という事らしい。

 レベルアップとはすなわち、単純に“強くなれ”、という事だ。

「おら取り敢えず足止めんな。今頑張ったらちょっとはマシんなっから」

「ひ、ひとで、な、し…………」

 膝に手をついて一心不乱に酸素を取り込んでいる俺を、半ば引きずるようにして正源司が走しり出す。

「休みの朝っぱらから付き合わせといて何言ってやがんだ。せいぜい2・3キロくらい走るだけだろが。ほら、もっと顎引いて走れ」

 お前が喜由に会いたいってだけで勝手に首突っ込んできたんだろうが、と言い返すどころの話じゃない。

「に、にさんきろ、って殺す、気、か……」

 最早歩くのと変わらないペースで、それでも懸命に足を動かし続ける。

「大丈夫。人間そんな簡単に死にはしないよ。ほら、頑張ろう」

「せ、んぱ、い」

 桜木谷先輩も一緒に走ってくれている。

 鮮やかなピンク色のランニングウエアと、その脚線美が更に際立つスパッツを身に纏っている先輩。

 そんな視覚効果が無ければ、走り出す事も無かっただろう。

 人の“欲”がもたらす力とは、かくも偉大なものである。

 そんな調子で、正源司と先輩はほぼ早歩きの状態のまま、およそ2km強の道のりを走破して、何とかゴールの自宅に辿り着いた。

「おい、座り込む前にストレッチだ。これやっとけばちょっとは違うから」

 無言で荒い息のまま地面にへばり込んでいる俺を、またしても正源司が抱え込むようにして持ち上げる。

 俺は何も言えないまま、機械的に屈伸なんかの柔軟体操で身体をほぐしていった。

「おーい兄者生きてるー? ほれ、水なぞ持ってきてやったでござるー」

 一通りストレッチを終えたところで、家の中から喜由が出てきて、ペットボトルに入った水を俺に寄越した。

「よーく冷やしといた水道水だ。んまいぜー?」

 そんなボケに反応する余裕などある筈も無く、俺は手にしたペットの水を貪るように飲んだ。

「仙洞田君、一気に飲むんじゃなくて、こう、口をゆすぐようにして少しずつ飲んでごらん? あまり飲み過ぎる事無く喉の渇きが癒える筈だ」

「は、はい」

 先輩のアドヴァイスに従って、少しの量を口に含んで、そのままゆすぐようにして飲んでみる。

「あ、成程……確かにこれなら一気飲みしなくても大丈夫そうです」

「極端な話ゆすいでうがいするだけでもかなり違うんだぜ? 水分補給は大事だけどな、あんま飲み過ぎるとバテちまう。適度な水分摂取が大事なんだ。良く覚えてとけよ?」

「……お前がマトモな事言ってると、逆に胡散臭く聞こえるな」

「アホか。ちゃんと先輩の言う事聞いとけ」

「仙洞田君、今走った距離を、まずは毎日1ヶ月走ってもらう、1ヶ月もすればだいぶ身体も慣れてくる筈だから、そこから徐々に距離を伸ばしていく。最終的には10キロくらい走れるようにならないとな」

「えっ」

「他にも毎日のルーティンワークはあるぞ? 腕立てや腹筋などの筋トレに、実戦的な組手、当然能力の訓練なども、だ」

「…………早くも後悔し始めてます。特機に入隊した事を……」

「何言ってやがんでい、まだ始めたばっかじゃねえか。漢らしく肚ぁくくりやがれってんだ」

「喜由たその言う通りだぞ? ちょっと走っただけで泣き言なんざ情けねえ」

「情けねえってお前……」

 喜由に同調している正源司は、アスファルトの上で四つん這いになっている。

 腕立ての為なんかじゃなく、喜由の椅子になる為に。

 そんなヤツに情けないとか言われても全く意に介さない。

「椅子? ちょっとぷるぷるしてるんだけど?」

「す、すんません! 喜由たそに座ってもらえる喜びにうちひしがれちゃってんっス!」

「そうかそうか。で、どうだい? 拙者のケツの感触は?」

「サ、サイコーっス!! あざーっス!!」

「ふひひっ、感心感心」

「………………」

 最早何も言うまい。

 せめて喜由が正源司に金品を要求する程エスカレートしないよう、後で釘を刺しておく事にしよう。

 しかし、こんなバカ丸出しの痴態を目の前にして、先輩はその光景が視界にすら入っていないかのように、涼しい顔のままタオルで汗をぬぐっている。

 流石のクールビューティーである。

「そうだ。仙洞田君、一応今後のトレーニングメニューをリストにして紙ベースで用意してきたんだ。渡しておくよ。何段階かに分けて設定してあるから、少しずつハードルを上げて行こう」

 そう言いながら、先輩はバイクのタンクからクリアファイルを取り出して俺に渡してくれた。

 丁寧に作り込めれたそれは、段階ごとに分かれている筈なのに、いきなりトップギアに入っているような内容から始まっていた。

「努力……します」

 爽やかな笑顔で俺を見つめる先輩に、俺はそう返すのが精一杯だった。

 これからの事で憂鬱になっていたが、その時ふとある事が頭をよぎった。

「先輩、俺のレベルアップの為に訓練が必要だという事は理解してるんですが……悠長に基礎体力作りなんてしてても良いんでしょうか」

「どうしたんだい? 急に」

「いえ、こうしている間にも、滝夜叉姫の企みが着々と進行しているんじゃないかと、そう思ったんです。勿論俺にどうこう出来る話でも無いんですが」

「ああ、その事か。丁度君には話しておこうと思っていたんだ」

「何か動きがあったんですか?」

「うん。ボクらにとって悪い方にね」

「悪い方、ですか」

「まさしく。賊はどうやら二振り目の五剣を手に入れたらしい」

 唐突に先輩から告げられた事実は、まさに青天の霹靂だった。


よろしくお願いします。

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