脚フェチな彼のバイト4
九尾騒動が落ち着いて3日が経った。
週末を迎えた今日、土曜日。
俺は妹を伴って駅前のを訪れている。
流石に週末の駅前は、そこそこの人出があった。
「もう。実の妹とのお忍びデートなのに、こんな人目につくとこ選んじゃうなんて、兄者ったら見かけによらず、だ・い・た・ん」
さっきから隣を歩く喜由がうるさい。
目的は勿論デートなんていう代物ではなく、バイト絡みだ。
行く先は繊協ビル、黒井行政書士事務所。
時刻はまだ昼前の10時だが、6月も中旬に差し掛かり、晴天の下を歩けばその日差しの強さに汗ばんでしまうくらいの陽気である。
俺は白地に黒のボーダー柄ポロシャツにジーンズというオーソドックスな服で、喜由は薄手のパーカーにショートパンツと黒の二―ソックスという出で立ち。
そして何をそんなに持ってくるものがあったのか、結構なサイズのピンクのリュックを背負っている。
『兄者と出掛けるのに気合れて服選ぶとかあり得ない』
とか言って最初はお馴染みの体操服で出掛けようとしていた喜由。
いくらなんでも隣を歩く俺まで好奇の目にさらされるのは勘弁と、何とか説き伏せた次第だ。
どういう神経をしているのか。我が妹ながら心配になってしまう。
「何階?」
「確か5階だ」
エレベーターのボタンを押しながら返事をする。
やがてエレベーターが到着して、中から降りてきた人達と入れ違いに乗り込む。
俺達以外に乗客は居なかった。
到着を報せるチン、という音に続いてドアが開く。
そのまま俺達は人気の無い静かな廊下をスタスタと歩き、目指す事務所の前に辿り着いた。
「どうぞー」
ドアをノックすると、中から黒井さんののんびりとした返事が聞こえて来た。
「失礼します」
「しまーっす」
奥に進むと、黒井さんはソファに座って新聞を広げていた。
「ようフェチ男君。妹ちゃんは初めまして、かな? まあ座ってくれ」
背もたれに預けていた身体を起こして新聞を畳みながら、黒井さんが言った。
「失礼します」
「しまーっす、ぱーとつー」
「元気良いねえ妹ちゃん」
「殺ちゃん殿も噂通りシヴいですなあ」
「おい喜由、お前初対面の人に何て口のきき方するんだ」
「はは、良いって事さ。どうせあれだろ? マリちゃんから聞いてるんだろ?」
「いぐざくとりぃでござる~」
「? 黒井さん、どういう事ですか?」
黒井さんと喜由とは初対面。
の筈だったが、いきなりスムーズに、かつ俺には良く理解出来ない内容の会話を繰り広げている。混乱するばかりだ。
「ああ、フェチ男君には説明が要るな。何、聞いてるんだろ? 妹ちゃんとウチのカミさんが知り合いだって話」
「ええ」
「マリちゃんってのはカミさんの事さ。黒井マリーアントワネットって言うんだ」
「どこまでが本当の話か分からないような名前ですが……名前から察するに外国の方なんですか?」
「まあね。パツキンのボインボインだぜ? 羨ましいだろ?」
そう言いながら、黒井さんは両手で胸の大きさを示すジェスチュアを見せる。
「はあ……まあ……」
「しかもマリっぺって童顔だからさー、何つーの? 合法ロリでかなりヤバいんだぜ?」
黒井さんと同じジェスチュアを見せながら、喜由もリアクションの取りづらい話を振ってきた。
しかしマリっぺって。
確か黒井さんよりも高位のMJ12序列第三位で超越の魔女とか全知の魔女とか言われてるような超大物な筈なんだが……
どんな付き合いしてるんだ?
まあそれは置いておくとして――
「黒井さん、その節はありがとうございました。俺も喜由も、本当に助かりました」
「お、何だい急に。改まって」
「早く俺を言わないと、と思ってたんです。今日まで伸びてしまって申し訳ありません」
「はっ、相変わらず変に几帳面だねえフェチ男君は。何、気にすんなって。俺は別に何もしてないから。礼ならカミさんに言ってくれ」
「けど、特機に号令を下したのは黒井さんだと聞いています。あのままだったらこうして喜由と2人でここを訪れる事も出来なかったかも知れませんから」
「……そっか。良し、じゃあ素直に礼を受け取っておこう。けどま、そんなにありがたがる事も無いぜ? ホントに。だからこの話はこれでオシマイ。オーケイ?」
「黒井さん……分かりました。ありがとうございます」
「おーけーいでござるー」
「よっしゃ、んじゃまあ面倒事から片付けちまうか」
両の掌で膝を叩いて、黒井さんが立ち上がった。
そのままデスクの引き出しをゴソゴソと漁り、いくつかのファイルを抱えて戻ってくる。
「まあ今日来てもらったのは他でも無い。サキちゃんから聞いてる通り、一応手続きってのが必要なんだわ」
そしてテーブルの上に広げられる各種の必要書類たち。
喜由討伐の取消の交換条件として提示された、俺と喜由の特機への入隊。
その諸手続きの為に、黒井さんの事務所を訪れたという訳だ。
「入隊、なんですね。入社とか入職では無く」
「いつの間にかそう言うようになってたんだ。“隊”なんて付いて無いんだけどな」
「ここんとこに名前で良いの?」
「お、そうそう。んでその横にハンコな。持ってきたかい? ハンコ」
「認印で良いんですよね?」
「おう、どれどれ? お、上等上等。でもフェチ男君とこの苗字だと、100均とかには置いてないんだろ?」
「そうなんです。これは中学の卒業の時に学校からもらったやつですけど」
「拙者のはこれでござる」
そう言って喜由が傍らのリュックからハンコを取り出した。
「おいおい立派なの持ってきたじゃないの。こんなの持つのが流行ってんのかい? 最近の中学生は」
「父者におねだりしたら買ってくれたでござる」
そう、喜由がオヤジから買い与えられたのは、本来重要書類なんかの為に用意するような高級水牛の角とやらで作られた、お高い逸品だった。
「どこも一緒だねえ。娘に甘いおやじってのは」
「黒井さんもお嬢さんでしたっけ?」
「そう。フェチ男君と同い年さ。そうだ、妹ちゃんは会った事あるかい? ウチの娘と」
「いんや。娘ちゃん殿には会った事無いでござる」
「ふーん、そっか。あ、住民票は? 用意するよう頼んだと思ったけど」
「ああ、えっと……はい。これです」
「お、サンキュー」
そんな感じでたくさんの書類に名前や住所や電話番号何かを記入していった。
全部終わるのに何だかんだで30分近くかかった。
「はい、と。お疲れさん、こんで終了だ」
「ふひ~労働しちゃったでござる~」
喜由がソファの背もたれに思いきり背中を預けながら背伸びをする。
「さて、事務手続きは以上だ。これで晴れて特機の仲間入りってとこだな。改めてよろしくな、2人とも」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
「しますでござる」
「んで早速だけど、仕事の話だ」
「仕事、ですか?」
「とはいってもいきなり現場に出てもらおうっていうんじゃあない」
「はあ」
「フェチ男君。君にはまずレベルアップをしてもらおうと思う」
「レベルアップ、ですか?」
唐突にそう告げられて、俺はおうむ返しをする事しか出来なかった。
真直ぐに俺を見る黒井さんの目は、どう考えても何か企んでいそうな、そんな悪そうな目だった。
よろしくお願いします。




