脚フェチな彼の災難2
「大事ございませんでしたか?」
相変わらず油断無く眼前の影を見据えながら、背中越しの俺に声を掛けるお光。
相対する影の方もお光の存在を警戒しているのか、やや離れたところで、その動きを止めていた。
「手遅れにならず良うございました。それがしを呼び出されたのは賢明にございます」
いつもの少女然とした可愛らしい声も、一々俺を安心させるように聞こえてきて、思わず涙腺が崩壊しそうになってしまう。
しかし、ここでみっともなく泣くなんて付喪主として、何より一人の漢としての沽券に関わる由々しき事態だ。
俺はぎゅっと唇を噛み締めながらじわりと滲む涙を制服の袖で拭って、彼女が呼ぶ声に毅然と応えた。
「ぶおぅわぇうぉわぅぅおおおあああぅぅえええぇぇええぇ……ご、っごわ、ごわがっだっ、おび、おびっ、づっ、ごわ、んがっった、おおおお、おびっ、づううぅぅぅ」
全然ダメだった。
多分目の当たりにしたら実の両親ですらドン引きするであろう豪快な泣きっぷりを晒す俺。涙で歪んだ視界の中、少しお光が横を向いて俺の方を見た事だけ辛うじて分かった。
「総一郎殿……余程恐ろしい思いをされたか…………」
その優しさに満ちた声で、更に俺は感極まった。
「ぶおわあああああああ、おびづううううぅぅぅぅぅぅ!!」
「うわ!? ちょ、や、お止め下さ、ちょ!! やめ、いや!? どこにしがみつ、こら!! 離れ、やめて、いやあ!! 鼻水!! 涎が!! やめ、離れろおおおおお!!」
付喪神に力任せに突き飛ばされて、情けなく地面に転がる付喪主の図。さっきの慈愛に満ちたお光だったらいけるだろうと思ったんだが。
勢いのまま目の前の彼女の腰目掛けてしがみついたら、こっ酷いカウンターを喰らう結果となってしまった。
「総一郎殿、どさくさに紛れて尻に顔を埋めようなど見下げ果てた根性にございますなあ。それがしこのままどこぞに消えてしまっても良いのでございますぞ? ああ、袴が……」
「ち、違う、って。本、気で、怖かった、から、だ、って」
ずれまくったメガネを直しながらしゃくりあげつつ弁解する付喪主の図。我ながら非常に格好悪い。だが後悔はしていない。小振りに見えるお光の尻は中々の弾力だったし、腰回りも柔らかくて触り心地は申し分無かったのだから。
「……まあ今は言い争っている場合でもございません。総一郎殿、そのままこの場にてお待ちになっていて下さい」
気を取り直したように、改めて影の方向に身体を向けるお光。一呼吸置いて、静かに腰の一本差しの刀を抜いた。
一気に場の空気が緊張する。こちらの様子を窺っているようだった影も、明らかに警戒をしている様子が見えた。
「ふふ。分かるか、異形の者よ」
背中越しには表情を見る事は出来ないが、お光のその声から、彼女が不敵に笑っている様子が伝わってくる。
「総一郎殿、この者力こそそれ程ではございませんが、まさしく人に仇為す存在と見受けました。それがしに与えられた魔を祓う力、とくとご覧じろ」
お光は俺に背を向けたままそう言って、最後にチラリと振り向いた。
僅かに見えたその横顔は自信に満ちたものだった。しかし、その一瞬の隙を突いて影が一気に飛び掛かってきた。それまで見せていた緩慢な動きを、まるで感じさせない俊敏さで。
「お――」
俺の声を遮るように、金属を打つ高い音が響いた。
数メートルは離れていたお光と影。しかし瞬く間に、影はその距離をゼロにした。
「お光!!」
「大事ございません! その場を……動かれるな!!」
お光と影は、いわゆる鍔迫り合いの状態になっている。影は人でいえば右腕にあたる部分を細長い棒状に変化させ、お光に襲い掛かっていたのである。
ギリギリと刀の軋む音が聞こえてくる。大事は無いとお光は言ったが、影は彼女より一回りは大きい。今でこそ力は拮抗しているように見えるが、いつお光が力負けするかととても安心して見ていられない。
「っく、中々、やるではない、か。が、所詮は、この……」
その時、お光の身体が薄く光を放ったように見えた。
そしてそう思ったと同時、
「程度か!!」
お光は雄叫びと共に一気に刀を振り払う。それまで互角のせめぎ合いを見せていた影は、あっさりと吹き飛ばされた。
一瞬遅れてお光も跳んだ。
攻守が入れ替わり、今度はお光が影に襲い掛かる。
影を射程に捉えると同時に、振り上げた刀を勢い良く振り下ろした。
俺の目にはその一撃しか見えなかったが、鋼を打つ音は三つ響いた。
そこからは一方的な展開になった。
逃げる影に、次々とお光の斬撃が見舞われる。
しかし追われる影の方も簡単にはやられず、その身を徐々に切り裂かれながらも、決定的な一撃を防ぎ続けていた。
目まぐるしく公園内を縦横無尽に駆け巡る両者。その様子を見てふと気が付いた。
「ひょっとして……公園から出られない、のか?」
明らかな影の劣勢。にも関わらず、公園の敷地の端に追い詰められると、そのまま外に逃げ出そうとはせず、敢えてお光の間合いに飛び込んででも、敷地の中へと舞い戻ってくる。
――思った通り、か
俺の予想はどうやら的中していたようだ。今も公園の敷地の端、つつじの植え込みまで追われた影が、その身を斬られながらも公園の中央へと戻って行く。
一方のお光もそれを確認すると、くるりと身体の向きを変え、今度は構えを解きゆっくりとした足取りで影の後を追う。
そして初めと同じような立ち位置で、再びお光と影が対峙した。
しばらくの間両者とも無言のまま睨み合っていたが、やがてお光がにっと笑みを見せたかと思うと、右手に持った刀をおもむろに持ち上げて、影に対しピタリと切っ先を向けた。
「礼を言おう、異形の者。貴様と斬り合う中で、己が何者であるかが朧げに見えてきたような心持だ」
刀を向けられた影は、しかし身じろぎ一つ見せない。
「しかしあまり悠長にもしておられぬ。夕餉に遅れては母上殿にもご迷惑故な。せめて最期は一思いに逝かせてやろう」
そう言うとお光は、口元を引き締めて静かに刀を構えた。正眼、という構えだった筈だ。
そのまま、じり、と一歩お光が前に出た。影はそれに合わせて、一歩下がる。そして、両者の動きがまた止まった。
再び場の空気が張り詰める。
痛い程の静寂。
自分の心臓の音がやけに良く聞こえてくる。
先の取り合い、というやつなんだろうか。お互いがお互いの隙を窺って迂闊に動こうとはしない。
「あ」
このままいつまで睨み合いが続くのか、そう思い始めた時だった。陽炎のような影の身体の輪郭が、これまでより少し大きく揺らめいたように見えた。
その刹那、お光の姿が消えた。
厳密には、俺の目では彼女の動きが追えなかっただけの話なのだが。
気が付いた時にはお光は影の向こう側に居て、刀を振り抜いた姿勢だった。
「やった、のか……?」
そんな思いっきりダメフラグをおっ立てた事すら気が付かないくらい、冗談抜きで息をするのも忘れるくらいに見入っていた。まさしく瞬く間の出来事。
視線の先のお光は、ゆっくりと振り返り、再び正眼に構えを取っている。残心、というやつだと思う。
影の方はと言えば、ぱっと見ぼーっと突っ立っているように見えるくらい、ぼーっと佇んでいる。
そして、どうやら俺のフラグはポッキリ折られたらしい。ぼーっとしたままだった影は、次第に黒い粒子状に散らばり始め、そのまましばらくの後、すっかりと消え去ってしまった。それに合わせるように周りの景色も元通りになり、空の色も綺麗な赤に戻った。
そこに至り、お光はようやく構えを解いて、静かに刀を鞘に納めて戻って来た。
「総一郎殿。ご覧の通り万事滞り無く、彼の者調伏せしめましてございます」
俺の傍まで来たお光は、恭しく片膝をつきながら頭を垂れて、そう言った。
その様子に何だか俺もその気になって、大きく頷きそれっぽく応えてやる。
「大儀であった」
すると、下を向いていたお光が、ひょいと顔を上げた。
しばらく見つめ合っていると、どちらともなく笑い声が上がった。
ひとしきり笑って人心地つくと、お光は立ち上がって袴の誇りを払う。その様子を見ていたら、何となく家に帰る気にはなれず、少し座って話さないかと誘ってみた。
「御意」
珍しく二つ返事で快諾したお光と共に、少し離れた場所にあるベンチまで移動して腰を下ろした。
「いやしかし凄かったな。正直お前の事侮ってた。見事だったよ」
「お褒めにあずかり光栄にございます。総一郎殿のお役に立てたようで、まずはそれがしも安堵致しました」
「魔を祓う刀、か。本当だったんだな。そう言えば……さっき自分が何者か分かったみたいな事言ってなかったか?」
「いや、確かな事ではございません。ただ、かつて一振りの刀として、往時の持ち主に振るわれていた様子が何とはなしに頭を過った、それしきの事にございます」
「そうか、それでも俺にとっては、お前が何者なのか分かって少しスッキリした気分だよ。でもお前の付喪神としての本来の使用目的は、こんな感じの幽霊退治という事なんだな」
「左様にございますな。とは言え、まあ今のご時世では滅多矢鱈と斯様な事態には遭遇しますまいが」
「だとすればますますナゾだな。最初にも言ったと思うがどうして退魔の刀の鍔が、農家の蔵なんぞに収まってたんだろう。どう考えても使い道なんてないし、それにそもそも何で鍔だけなんだ……」
右手を口に当てながらブツブツ呟きつつ、改めてお光を見る。
剣道着に身を包んだ、前髪ぱっつんな眼帯ポニーテール美少女。掌サイズの鍔が人の姿に変わるという、質量保存の法則を完全にシカトした心霊現象丸出しな存在。これまで性的な目でしか見ていなかったから気にもならなかったが、良く考えなくても謎だらけだ。
「先にも申し上げましたが、遺憾ながらどのような経緯があったかはそれがしにも……しかしながら、たまさか誰かに呼ばれているような心持になる事もございますれば、刀としての片割れが、何処かに在るやも知れません」
「呼ばれる? それホントか? 鍔以外の部分がって事かよ、おい、それ何気に一大事じゃないか」
「いえ、そこまで大袈裟に構える程確たるものがある訳ではございません。はっきりと声が聞こえるという事実もございませんし、いわばそれがしの思いつきにございます」
「いや、それはひょっとするかも知れんぞ。その辺りでばったり出くわすとか……」
そこまで言って、はたと気が付いた。
もし本当に他の刀の部分があったとして、その持ち主が霊能力者とかでお光を探していたとしたら、今後そんな人が名乗り出てきたら返さないとダメなんだろうか。
ってそんなの困るだろ。偶然とはいえ常に美脚を鑑賞出来る、いわば愛玩道具のような存在を手に入れたばかりだというのに……
「総一郎殿、どうせ良からぬ事をお考えなのでしょうが、いい加減それがしと話をする時に、袴の裾の方ばかり見るのを止めていただけませぬか」
俺の思考を中断するように言うと、お光は露骨に顔をしかめてベンチの端まで移動した。
バカめ。少し離れていた方が足下を良く見る事が出来るのだ。
「仕方無いだろう、お前の足首が綺麗なのが悪いんだ。恨むならそのイイ感じに締まった足首を恨め。後はその白足袋な」
「何と申しましょうか、恐らく褒められてはいる筈ですが……何故こうも怖気を覚えるのやら……」
一気に霧散する真面目な空気。何となく場を濁そうと、俺は咳払いを一つして話を変える。
「それにしても、結局あの影みたいなヤツは何だったんだろうな。あそこまで強烈に危ない存在、いくら何でも今日まで全然気が付かなかったのもおかしいし」
「あくまで推測ではございますが……何者かに手引きされたのではないかと」
「手引きされた?」
「御意」
俺の問いに、お光がこくりと頷いて答える。
ガタンゴトンと、ローカル線の走る音が響いた。その音が止むのを待って、改めてお光に問い掛ける。
「どういう事だ? 俺達が狙われたって事か?」
「狙いが我らであったのかは知る由もありませぬが……ただ、この場は間違い無く結界に覆われておりました。いわば囚われの身であったようなもの」
「……結界?」
やはりそうだった。あのバケモノは、この場から離れる事が出来なかったんだ。そして、俺達も同様に。
「まさしく。狙いがいずれかを別にして、この場に誘い込まれたものを捕える事こそ、彼奴の真の目的であったのでしょう」
確信を持った様子のお光が、きっぱりと言い切った。
ここである疑念が生まれる。今日、この時間に、この場所を俺が訪れる事を知る人物とは誰なのか。
超常現象を目の当たりにした今では、こんな推理は全く無意味とも言えるかも知れない。誰かが魔法でも使って俺を監視していた、何ていう荒唐無稽な話もアリになってしまうから。
しかし、現実的に考えて、思い当るのはたった一人しかいない。
「桜木谷、先輩………………」
無意識に立ち上がっていた。
考えれば考える程、先輩に対する疑念は深まっていく。いや、他の可能性を考える余地が無いと言った方が正しいか。
冷静に考えれば、刀の鍔を一目見ただけでその銘まで言い当てるなんて、いくら博識な先輩でも無理がある話だ。
「総一郎殿、いかがされましたか? 顔色が優れませぬが……」
「いや、少し、疲れただけだ」
下手な言い訳だった。しかし、言い訳のつもりだったが、意識した途端急に身体がおもくなった。
「いけません。恐らくそれがしがあやつと立合ったせいもあるでしょう。常よりお力をお使いになったのやも」
「そうか。そう、かも知れない……そろそろ帰るとするか」
「……御意」
心配そうな様子を見せるお光だったが、俺は敢えて気が付かない振りをして、そのまま鍔に戻してズボンのポケットに仕舞った。
結局帰宅後も、終始夢でも見ているような感覚が続いた。頭の中で、お光と先輩、今日襲われた影の事がグルグルと回り続けていたから。
先輩には、何度電話をかけても、どれだけメールを送ってもナシの礫だった。
身体は疲労を訴えて限界寸前だったにも関わらず、俺は悶々としたまま携帯電話を睨み続け、眠れないまま時間だけが過ぎていった。
よろしくお願いします。
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