脚フェチな彼のフィールドワーク
「君は実にバカだな。本気で言ってるとしたらかなりの重症だぞ?」
久しぶりの部活に顔を出した放課後、部室である第二相談室にて、我が日本史同好会の部長である桜木谷先輩から、非常に辛辣なお言葉を頂戴してしまった。
「先輩、お言葉ですが俺を見縊ってませんか? ウソや冗談でこんな事言う訳無いじゃないですか。本気も本気。人生で三本の指に入るくらい真剣です」
「以前から思っていたんだが、やはり君は一度専門医にきちんと診てもらった方がいいな。いや、診てもらいなさい。てゆーかむしろ診てもらって下さいお願いします」
何故かお願いされてしまった。
「話を聞いて下さい先輩。詳しく聞いてもらえば、きっと分かってもらえる筈です」
「いい加減にしないか! 分かる訳ないだろう!? 何が“足の匂い記憶術”だ!! そんなの理解出来てしまったらボクも色々と人間失格だよ!!」
前回先輩からアドヴァイスをいただいたのが三日前。その日、能力の訓練をしていた際に閃いたあの記憶術。あれから色々と構想を練って、今日ようやく先輩にそのアイディアを披露するに至ったのだが、結果は散々だった。
「どうしてもダメですか? 別に難しい事はありません。先輩はただ俺に足の匂いを嗅がせていればいいだけなんですが……」
「まず思考の基準を自分自身にするのをやめる事から始めたまえ。大体どこに喜んで他人に足の匂いを嗅がせる女子高生がいると言うんだ。そんなの、人によっては下着を見られるより恥ずかしい行為だぞ?」
「じゃあ匂い諦めるんでパンツ見せて下さい」
「じゃあって何だ!! じゃあって!! 何で君が妥協してやってるみたいな態度を取るのか全く意味が分からないしボクのパンツはそんなに安くない!!」
俺の譲歩案をあっさりと却下して、顔を真っ赤にしながら怒る先輩。いつもの沈着冷静、クールビューティーな面影はどこにも見当たらない。机をグーで叩きながら対面に座る俺の事を、射殺さんばかりの視線を向けている。
――これはこれでアリ、だな
「仕方ありませんね。そこまで先輩が拒否されるなら諦めます。俺としても先輩を困らせる事は本意ではありませんから」
「何だろう、ちっとも分かり合ってないような気が……いや、もういい。多分千年かかっても君を納得させる事は出来ないだろうからね……しかしここまで君が常軌を逸した思考回路の持ち主だとは思っていなかったよ。仙洞田君、君、ひょっとしてこの学校の女生徒全員の靴の匂いを嗅いで回った事があるんじゃないだろうね?」
「先輩、いくら先輩でもあんまりですよ。そんな泥棒みたいな真似、俺がするとでもお考えなんですか?」
「いや、考えてるから言ってみたんだが……」
「俺は基本“視て”満足を得るタイプです。余程好みの足の持ち主でなければ匂いを嗅ぎたいという衝動に駆られる事はありません。そしてもしそうなった暁には、真っ向から、正々堂々と本人に頼みます。先輩にお願いしたように」
「…………まさかとは思うが、これまでに実行した事は?」
「一人しかいません。まあ断られましたけどね。しかもその後何かと面倒な事態に巻き込まれたりもしたなあ……あ、でもここまで食い下がりはしませんでしたよ?」
「そんな得意気に言われても……行動力のあるバカ程厄介な存在はないな……まあ君に友人がいない本当の理由が、霊感云々の問題では無いという事はこれで証明されたな」
そう言って、先輩は右手でこめかみを抑えながら俯き、深く深く溜息をついた。美人の物憂げな表情は実に絵になるものだ。
窓から差し込んでくる日の光が、だいぶ赤く色付いてきた。威勢の良い野球部の掛け声や、吹奏楽部の金管楽器の音が聞こえてくる。このいかにも活気が溢れる放課後の学校の息遣いというものを、俺は結構気に入っている。
「まあいい。さて、気を取り直して本日の部活といこう……と、その前に仙洞田君、あれ、持ってきてくれたかな?」
どことなく感傷に浸っていた俺の意識が、先輩の一言で一気に現実へと引き戻された。
「はい勿論。えっと……これです」
先輩に促され、俺がスクールバッグから取り出したのは――
「ほう、これは凄いな。かなりの業物のようだ」
件の刀の鍔。お光である。
ゴールデンウイーク前の話をようやく思い出したのか、昨夜いきなりメールで指示があった。親戚宅で発見した成果を持って来い、と。
「分かるんですか?」
「ふむ、自信は無いが……典太、かな?」
「凄い……どうして分かったんですか? いや証拠がある訳じゃなく自称ですけど、まさしくその通りです」
「自称?」
しまった。お光の事はまだ先輩には内緒にしていたんだった。
「え、いやその、し、親戚が言っていただけ、という事で……」
「ああ、成程。いや何、ボクも確たるものがある訳じゃあないがね。何かで見聞きした記憶では、確かこんな感じだったかと思ったんだ」
その場しのぎの取り繕うような言い訳だったが、先輩は特に気にする様子も無く、手にした鍔をまじまじと見入っている。
「これが本物だとしたらもの凄い発見だよ。何せ童子切りや鬼丸などと並んで天下五剣に数えられている国宝だからね。もし完全な刀剣の姿だったとしたら、その価値は計り知れないよ」
「そんなに、ですか?」
「何だい自分で持ち込んでおいて。少しはどういったものか調べなかったのか? まあ君らしいと言えば君らしいがね」
「まあ自分で言うのも何ですが、たかが田舎の農家の蔵にあったものですよ? 正直値打ちものだと言われてもピンと来ないのが本音です」
「はは、気持ちは分かるよ。けどお宝なんてものは、大体がそんな感じで発掘されるものさ。無欲の勝利、とでも言えるかな? いい意味で物欲に乏しい君だから手にする事が出来たんじゃないかと、ボクは考えるね」
物欲は無いけど性欲はあった訳だが。
「ありがたいお言葉ですが買いかぶり過ぎですよ。結局モノの価値が分からないから、そこまで調べてやろうなんて思わなかっただけです」
「ふふ、そういう事にしておこうか。さ、これは返しておこう。真偽の程はともかく、貴重な品である可能性がある以上大事にしたまえよ?」
「はい。気を付けます」
先輩から鍔を受け取って、一応ハンケチに包んでカバンにしまう。
「さて、では本日の部活だが……本日はフィールドワークを実施する」
「フィールドワーク、ですか?」
「そう。たまには校外活動も良いだろう? 何ね、聞いたんだよ。中々良さげな心霊スポットの話を」
「ああ、そういう事ですか………………」
久々に来た、桜木谷先輩大好きの心霊スポット巡り。各種陰謀論や未確認生物・超常現象は勿論オカルト全般をこよなく愛する先輩は、こういうベタな地元の心霊スポット探索もライフワークとしている。
しかし、付き合わされる俺は結構たまったものじゃない。中には“当たり”があるのだ。そんなのに当たった日にはもう、頭痛・発熱・腹痛・神経痛・関節痛・眩暈・吐き気・全身疲労等ありとあらゆる体調不良に襲われると来ている。それでもこれまで大事に至らなかっただけマシなのかも知れないが。
「おや? どうした仙洞田君。顔色が悪いが……ふふ、怖気づいてしまったかい?」
「……ある意味尻込みしてるのは間違いありません」
「大丈夫さ。ボクが付いてるんだよ? 何かあってもちゃんと守ってあげるさ」
そう言って得意気な笑みを見せる先輩に「いや正直守られた事無いんですけど」とは言えなかった。
「さあ行こう! なあに、取り敢えず今日は事前調査だ。下調べしておいて、本番は後日改めて深夜に実施だから。さ、ぐずぐずするな仙洞田君!」
言うが早いか、先輩は颯爽と立ち上がり、軽やかな手つきで机の上のスクールバッグを担ぎ上げる。そのままくるりと身を翻すと、背中まで届きそうな先輩の艶やかな黒髪が、ふわりと広がった。
そんな上機嫌な先輩の様子を見て、渋々ながら腰を上げようとしたその時、
「おっと失礼」
先輩のカバンから、携帯電話の着信音が聞こえてきた。
ゴソゴソとカバンから取り出されたそれは、中々に年季の入っていそうな二つ折りタイプの携帯電話だった。
「何だタイミングの悪い……」
そう言って眉をしかめていた先輩だったが、着信番号の表示を見た途端、その表情が引き締まった。
「もしもし。はい、ええ、取り込み中ではありますが……え、本当ですか? ええ、いえ、大丈夫です。はい。はい。では後程」
思ったより早く終わったかと思っていると、先輩はパタリと電話を閉じながらくるりとこちらを向いた。
「仙洞田君、実に申し訳ないんだが」
「バイト、ですよね? 分かってます」
俺のセリフに先輩は、すまない、と一言返した。
予想通りだった。詳しくは聞いていないが、個人経営の喫茶店だという先輩のバイト先は、慢性的な人手不足に悩まされているらしい。たまにこうして急に連絡が入って、先輩が駆り出されていく。
ちなみに場所はいくら聞いても教えてくれない。何でも働いている時の姿を見られるのは、裸を見られるより恥ずかしいとの事。じゃあ裸を見せてくれと言ったら躊躇無く殴られたが。
「では今日のフィールドワークは中止と――」
「ほら、これで撮ってきてくれ」
「え?」
「何をそんな不思議そうにしているんだい? ああ、操作方法が分からないのかな?」
「いえ、デジカメの使い方くらいは分かりますが……え? どういう事ですか?」
「どういう事って、そういう事さ。撮影してきてくれ、と言っているんだよ。何、霊感の強い君の事だ、上手くすればいい感じの心霊写真が撮影出来るかも知れないだろう?」
「中止では……」
「さっきも言った通り、今日は軽い事前調査で十分だ。ぱぱっと写真を数十枚撮影してくれればそれで結構だから。メモリは十分あるし充電も問題無いから、バッテリーが続く限り撮影してきてくれないか。おっと、これが場所と軽く収集した情報をまとめたメモだ」
満面の笑みと共にずい、と差し出されたそれは、先輩の小さな掌にもスッポリと収まるくらいコンパクトな、先輩の好きな青色のデジカメ。そして器用に折りたたまれたルーズリーフだった。
「えっと、断るとい」
「断るという選択肢は無いとだけ言っておこう。これは部長命令だ。よろしく頼むぞ?」
「でも……」
「何、心配はいらない。君なら“大丈夫”さ」
「え?」
「おっと、少々急ぐんだった。じゃあな、結果は明日詳しく聞かせてもらうから。そうそう、部室の戸締りだけよろしくな」
そう言うと、最後にポンと俺の肩を叩いて、先輩はさっさか行ってしまった。
ポツンと一人、部室に残された俺。今日に限らず、いつも先輩の言葉には圧倒されてしまう。美人に弱いのは男の性さとは思うが、先輩の言葉には何と言うか妙に力があるような気がする。今も何だかんだで面倒事を押し付けられたものの、最後に大丈夫だと言われて何となくその気になっている俺が居る。
まあ、こうして頼み事ホイホイ聞いていれば、その内あの美脚で顔を踏んでくれという願いくらい聞き届けてくれるかも、という純粋な下心満載な訳ではあるが。
とは言ってもやはり乗り気はしない。が――
「証拠がいるんじゃなあ………………」
一人きりになった部室で呟いてみる。当然返事は無い。スカン、と小気味いい金属バットの快音が聞こえてくるのみだ。
ともあれ、こうして俺の、心霊スポットツアーお一人様ご招待は、晴れて決行される運びとなったのであった。
今日はここまでになりそうです。よろしくお願いします。