脚フェチな彼の妹
『まあ概ね君の考える通りの存在だと言われているね、付喪神とは。長い歳月を経て人格を持つに至った無機物。神と称してはいるものの、その実態は妖怪や精霊の類らしいけどね。まあボクらは何でもやたらと神格化したがる民族だから』
部活を終え(とは言っても駄弁っていただけ)、一路我が家を目指して自転車のペダルを漕ぎながら、部室で聞いた先輩の話を反芻する。
あれから小一時間程かけて、先輩から付喪神に関するレクチャーを受けた。
『ところで仙洞田君。ボクの脚線美に見入ってしまうのは仕方無いが、ちゃんと聞いているか?』
まあ半分、いや、三分の二程は右から左への状態だった。しかし、先輩の白いスクールソックスを纏った脚は見事の一言だった。当分はオカズに困る事は無いだろう。
時刻は午後六時少し前。五月も中旬に差し掛かり、だいぶ日も長くなってきた。
通学路である県道をひた走る。家から母校・県立十高校は、自転車でおよそ三〇分。結構に長い道のりだ。今日みたいに晴れた日は問題無いが、雨でも降ろうものなら最悪である。
『まあいい。話を続けるが、ただ単に古ければ良いというものでもない。モノが自然発生的に魂を宿す事なんて無いよ。付喪神とはね、実は霊的なモノが物に憑依して顕れる存在なんだ』
目の前の横断歩道の信号が点滅し始めた。普段ならスピードを上げて渡ってしまうところだが、今日は赤信号に変わる前に自転車を止めた。
『そうじゃないとおかしいだろう? 古くなれば何でも付喪神になってしまうという事だからね。でも実際には付喪神なんて滅多にお目に掛かれるものでもない。つまりそういう事さ』
目の前は県道と交差する国道。ひっきりなしに流れている車の数々を、見るとはなしに見つめながら先輩の言葉を思い出す。
『勿論長い年月を経ている、というのは重要なファクターではあるよ。古びた物や多くの人が手にした物、それに人の念を強く受けた物はそれがこびりついて“憑き易い”状態になるからね。要するに、実態を持たない霊的存在と魂を持たない器が結びついて、一つの“付喪神”という新しい存在が生まれる、という訳だね』
俺の横を自転車が通り過ぎる。ハッとして信号を見ると、いつの間にか青に変わっていた。少し周りを見て、のろのろとペダルを踏み込む。
『ところが付喪神にはもう一つ別の理由で顕現するものがある。人が己の霊力をモノに込めて、仮初の生命を与え顕現させる、いわゆる式神のような存在がそれさ。割とレアな能力らしいんだがね、そういった能力を駆使して付喪神を使役する人々を“付喪主”と呼ぶそうだよ』
それこそが俺が望んでいた内容の話だった。
「付喪主………………」
知らず、その単語が口をついていた。
先輩の話が正しければ、どうやら俺は付喪主という特殊能力者だという事らしい。仮にお光が自然発生するタイプの付喪神だったら、あの時蔵で鍔を手にする前からその姿を見ていた可能性が高い。しかし、実際は俺が鍔を手に持った瞬間突然顕れた。
『君の話からするに、その“友人”は付喪主なんだろうね、自覚の無い。申し訳無いが、ボクも知識として付喪神や付喪主を知るだけで実際に見た事や会った事は無いんだ。使役する方法などは分かりかねるところさ。勿論訓練方法なんかもね』
黙々と自転車を走らせている内に、気が付けば家の近くまで辿り着いていた。この自然豊かな田園風景の中を、後五分少々も走れば到着だ。
『けど一つ言える事は、まずはしっかりと自覚する事だよ。能力を持っている、と。それだけで随分と違ってくるものさ。後は習うより慣れろ、だね。元々自分の持つ力なんだ。使いこなすのもそこまで難しい事じゃ無い筈だと思う。大切なのはイメージする事。目に目無い力を使うコツだよ。形の無いものを使うには、自分で形を作る事が肝心なんだ』
まるで経験者のように先輩は語っていた。そして、内容は妙に説得力のあるものだった。
『そんなところかな? 少しは参考になればいいんだがね。ところで……そろそろ顔の方に目を向けてくれないかな。流石にここまで脚を凝視されると恥ずかしいものがあるんだが。おい、聞いているのか仙洞田君。ってちょっと待て、何匂い嗅ごうとしているんだ!? 流石のボクも怒るぞ!! コラ!! やめ、ちょ、本気でやめろ!!』
ふっ、蹴り上げられた顎がまだ痛む。
そのジンジンする顎をさすりながらペダルを踏む。
『はぁ、はぁ……まったく、いつもながら君と言う男は。隙を見せれば調子に乗って足の匂いを嗅ごうとして。ここまでくるといっそ清々しさすら覚えるよ…………ま、その友人によろしくな。ん? 何を言うかと思えばそんな事か。前にも言った筈だがボクも異能者の端くれだからね。初めて能力を使った時の戸惑いは良く分かるんだ。だから他人事とは思えなくてね』
その話の真偽の程はともかくとして、桜木谷先輩から付喪神について教えをいただいて、少しは道が開けたような気がする。
イメージ。つまるところ、妄想だと理解した。何だ、俺の超得意分野じゃないか。俄然力が沸いてくるというものだ。
そうこうしていると、我が家が見えてきた。平凡な木造の二階建ての一戸建て住宅。そのガレージの端に自転車を置いて、かごからスクールバッグを取り出し玄関に向かう。
両親が共働きで、基本鍵っ子の俺。カバンのポケットから鍵を取り出して鍵穴に差し込む。
「穴に差し込む、か……」
思春期の男子高校生は、こういった何気ない日常行為の中にも何かしらの意味を見出してしまう罪深き生き物だ。
などと我ながら死ぬ程下らない事を考えながら家に入る。玄関にはサイズの小さな白いスニーカーがちょこんと揃えられていた。
俺の母校であり、現在三つ下の中学二年の妹・喜由が通っている市立大西中学校の指定シューズだ。
自他共に認めるインドア派の俺に似たのか何事に対してもものぐさな妹は、当然のように部活や習い事なんてしておらず、大概俺より早く帰宅している。そして帰ってくるとメシと風呂以外はほぼ自室に立て篭もっている。
とは言っても家族仲、兄妹仲は悪くない。むしろこれくらいの年頃としては相当懐いていると言えよう。しかし、正直妹と絡むのはエネルギーを必要とする。ネットジャンキーでもある妹はオタク気質が強く、逆にこう見えて案外オタクの素養が無い俺には理解不能なネタを振られる事も多々あるからだ。
だからと言って妹が嫌いな訳ではない。むしろ超が付くほど可愛がっているという自負がある。ただ、たまに部屋から「ふひひ」とかいう不気味な笑い声が聞こえてくるのは勘弁して欲しいと思っている。
靴を脱ぎ、短い廊下を通りリビングに続くドアを開ける。
そして絶句した。
「お、お帰りでございますか、総一郎殿」
お光がリビングのソファに堂々と座っているではないか。
「ふひw 色男のご帰還でござるwww 兄者も隅に置けぬでござるなあ。こんな萌え萌えの眼帯美少女を内緒で部屋に連れ込むとは(暗黒微笑)」
何故か、学校指定の長袖体操服を着た妹と並んで。
「おお、妹御に総一郎殿の“あるばむ”をお持ちいただいておりました。ご一緒にいかがにございますか?」
どうやら口をあんぐりと開けたままフリーズする俺の事は、お光の眼中に無いらしい。今の俺の状態は、どこからどう見ても普通じゃないと思うんだが。
「ふひw 兄者、大丈夫でござるよ。事情はおみっちゃん殿から聞いたでござる。拙者は二人の味方でござるゆえww」
訳知り顔でニヤニヤする喜由。
――どうしてこうなった
俺は必死に原因について考えを巡らせた。
今朝起きたらお光は鍔の姿に戻っていた。今日から学校で俺も不在になるしまさか連れて行く訳にもいかないから丁度いい、万一家族に見つかったら面倒だからな。そう思って学校の用意をしていた時、鍔の下になっていたノートを取ろうとしたところで、不用意に手に取ってしまったんだ。出てきてしまったものはしょうがない。戻し方も分からないし、取り敢えずは部屋から一歩も出るなと厳重注意して家を出た。筈だった。
が――
「総一郎殿、いかがされた? そのように口を大きく開けたまま立ちすくんでおられると、まるでおつむが少々弱い童のように見えてしまいますぞ?」
「おみっちゃん殿、兄者があのような顔をするときは、大概脳内にておにゃのこにもの凄い勢いでイタズラしまくる妄想をしている時でござる。ふひw 恐らく今頃全裸に足袋だけ履いたかっこにされたおみっちゃん殿が全身くまなく触手責めされているに違いないでござる。おおこわいこわい」
その注意した筈のお光は、適当な事を抜かして場を更に混乱させるのが趣味というはた迷惑な性格の妹と、何故か肩を並べてアルバム鑑賞会をしている。
「おい、俺の性的嗜好を的確に踏まえているが、勝手に人を変態扱いするんじゃない。ったく……まあいい、とにかく着替えたら呼ぶから二人とも俺の部屋に来い。ここじゃオフクロと鉢合わせする可能性がある」
そう言い残しリビングを抜けて二階へ続く階段に向かう。我が家はリビングとダイニングとキッチンが一続きのいわゆるLDK形式になっており、階段はリビングに隣接している。
「そうだ。おい、お前らアルバム片付けておけよ。いきなりアルバムなんて見てるのバレたら変に勘繰られるからな」
こういうのはほんの小さな綻びが命取りになる事が多い。用心に越したことは無いのである。
帰宅したらまさかの展開で度肝を抜かれたが、落ち着いて考えればこれも当然の結果かも知れない。いくら必死にお光の存在を隠していたところで、そう遠くないうちに妹にはバレていただろうから。
何せ妹は俺と同じ、いや、俺以上に“その手”の力を持っているのだから。
よろしくお願いします。