脚フェチな彼のリベンジ5
だが、今度はこれまでと打って変わり静かな戦いだった。ギリギリと空気が軋むかと思うくらいに緊張感が高まっている。激しい先の取り合い。
そして、対峙する二人の外見にも明らかな変化が現れていた。
ゆるゆると靄のような光が、二人の身体から生じてその全身を包み込むような状態になっている。まるでオーラのように。
『敢えて瞑っておったとはのう、その左眼。小賢しい……そこまで似るとは』
すると、光世の右眼を覆うように無造作に巻かれていた黒布の結び目が解けた。ハラリと落ちた布の下からは、お光と同じような赤い瞳が現れる。そして、それと同時に光世から感じるプレッシャーも一段と強まった。
『その剣気といい、まさに往時の我が主殿を思わせる。そこもとも真物であったかよ。なれば話は別じゃ。儂の他に真物はいらぬ。今宵この場にて消し去ってくれるわ』
『望むところ。此度こそ雌雄を決す時ぞ』
それきり、二人の会話は途切れた。いっそ場違いなくらいの静寂に包まれる。訪れた静寂は、嵐の前の静けさに他ならない。
緊張が飽和した数瞬後。
双方のオーラが揺らいで見えたかと思った瞬間、空気が爆ぜた。
「ぐあっ!?」
両腕に途轍もない衝撃が加わり、全身に電流を浴びたような感覚に襲われる。コンマ一秒にも満たない時間で二人の距離がゼロになり、そして激突した結果だった。
そして二人の振るう刀は、その刀身に霊力を纏う事で莫大な負荷にも耐え得る程の強度となっているようで、これ程の衝撃を撒き散らすエネルギーを受けても、刃こぼれ一つしていない。
「がっ!! が……ぐ、ああっ!?」
初撃の腕の痺れを気にする間もなく、次から次へと身体を衝撃が貫いていく。
お光と光世、二人の放つ衝撃の一つ一つは、その刃が身体に届かずともダメージを与えるに十分過ぎる程の威力だった。
再び正面から二人が激突し、一際大きい衝撃波が走る。そのまま力は拮抗し、鍔迫り合いとなった。
『今のを、止めるか。ならば、次はどうかのう』
『手は、読めておる、ぞ。西江水、だな』
『ほう、見抜いたか。なれば、尚の事、生かして……おけぬ!!』
咆哮と共に、光世の気が膨らんだ。
その圧力と霊力の奔流にお光が吹き飛ばされる。
『くぁっ!!』
完全に体勢を崩されたお光だったが、それでもその双眸は敵の姿を見失わない。
光世がその姿を消した瞬間、お光は大きく仰け反りながらも、迷う事無く視線を左に向けていた。そして刹那の後、まるで申し合わせたように、その視線の先に現れた光世。
一瞬遅れて、お光の脳天を目掛け殺意が振り下ろされる。
しかし、その太刀筋を完璧に見切っていたお光は、更に身を捻る事で必殺の一撃をかわしきった。
獲物を仕留め損なった切っ先は、しかし弾かれたように軌道を変えて、斬撃を華麗に避けてみせたお光を正確に追った。
だが、またしてもその一撃は防がれる。
光世の刀が跳ね上がってきた時には、今度はお光が上段から刀を振り下ろしていた。
鋼の牙が、轟音と衝撃を伴いながら激突する。
それから、また激しい撃ち合いが繰り広げられた。
お光は思うように攻めに転じられず、防戦を強いられる状況は変わらないものの、先程とは明らかに展開が異なっている。
『はあっ!』
瞬間移動のように消えては現れる光世の動きを、完全に読み切っているのである。まるで手品のタネを見破ったかのように。
だがそれは、勿論手品などという陳腐な代物では無く、言わば磨き抜かれた技の結晶と言った方が良いだろう。
西江水――柳生新陰流、その秘中の秘とされる奥義。
流れ込んでくるお光の思考がそう告げている。剣術の知識など持たない俺であるが、流石に柳生というその名は聞いた事がある。
どうやら俺は、いや、仙洞田家は、とんでもなく貴重なお宝を所有していたようだ。
そしてこの事実は、俺にとって揺るぎない自信へとつながった。
人の想い・念は力に通じると先輩は教えてくれた。だから俺のこの強い想いは、そのままお光の強さにつながる。
その時、閃きが翻り透き通る白磁の頬を掠め、暗闇に緋が舞った。
『おのれ…………!』
瞳に驚愕の色を浮かべ、堪らず後方へと跳んで間合いを広げた、光世。
遂に、お光の剣が光世を捉えた。たったの一太刀。しかもほんの僅か皮一枚切った程度だったが、その結果が意味する事は非常に大きい。
圧倒的な力の差が、この瞬間再び無くなったのだから。
『ふっ!』
そして、今度はお光があの動きを見せた。
――西江水!
一瞬お光の姿が視界から消え、そして気が付いた時には、その間合いに体勢の崩れた光世を捉えている。
攻守が完全に入れ替わった。
防戦一方だったお光が、果敢に光世を攻め立てている。
突き、薙ぎ、払い。
目にも止まらない斬撃の数々を、懸命に逃げる光世に対し容赦無く浴びせ続ける。
消えては現れ、現れては消える、変幻自在の攻撃。
恐らく、お光と光世の技前にそう差は無い筈だ。しかし、今光世は完全に動揺している。格下であったお光が、自分と同等の動きで同等の技を駆使し、一瞬とはいえ自らを上回った。その事で心が揺れ、隙が生じてしまった。
対するお光は、失っていた自信を取り戻し、伸び伸びと剣を振るっている。
どちらに分があるかは、一目瞭然だった。
『っが!?』
またしてもお光の剣が光世を捉える。
胴を狙った鋭い二段突きを避けきれず、光世は右の脇腹を斬られていた。
――勝った
一方的に攻め立てるお光の姿を見て、俺は確信した。
しかし、その確信が、“過信”だとは気付かなかった。
感覚を同一のものとしている今、お光の心にも俺の過信は伝染する。それは油断を呼び、洗練された剣技に狂いを生じさせる。例えそれが、ほんの僅かな狂いだったとしても、実力が拮抗する達人同士の戦いであれば、生死を分かつ致命的なミスとなる。
俺には分からなかったが、そのお光の一太刀は、彼女からすればほんの少し大味なものだったようだ。そして、光世からみても。
だから、刹那の刻であったとしても、反撃の余地を十分与えてしまったのである。
『あっ!?』
耳を突く高い音が響き渡り、同時にお光が驚愕の声を上げた。
彼女の目が追うのは目前の敵の姿ではなく、自らの手を離れ宙に舞う太刀。
お光が上段から振り下ろした斬撃は、タイミングを完璧に読んでいた光世の懇親の一撃にいとも容易く弾かれ、更に得物を奪われる最悪の結果となってしまっていた。
その決定的な隙を予想通りに攻撃を凌ぎ、速やかに反撃へと転じた光世が逃す筈が無かった。
迎撃の為に振り上げられた刀が、がら空きとなったお光の胴へ向けて、刀身が霞む程の速さで振り落とされる。
刹那、俺は胸に火を押し当てられたような痛みを感じた。そして同時に、腹の底から熱い物が込み上げてくる感覚にも襲われた。
「ぅご……っおぁ……っ!」
無意識に口を覆っていた右手に、生温かい吐瀉物をぶち撒ける。飛び散るそれは、お光の左眼や光世の右眼と同じく、紅に染まっていた。
左肩から斜めに斬られたお光。その傷は致命傷には至らなかったものの、無事で済まされるような浅さでもない。少なくとも、勝敗を十分左右するであろうものである。
それでも尚、お光は目の前の敵に視線を戻して次なる攻撃に備えようとするが、既に放たれていた止めの一撃が、無情にも彼女の頭上から迫り来ていた。
全てがスローに見える世界で、体温と力が消えて行くのを感じる。
瞬時に悟った。
――これが限界なんだ
と。
しかしそれでも、僅かに残された力がある。恐らく、生命をつなぐ最後のほんの一かけらの、微々たるものだろうけど。
その残された力を認識するまでもなく、俺は迷わず最後の一滴まで、持てる力の全てを振り絞る事を選んでいた。
「お光――――――!」
生きるとか死ぬとか、そんな事を考えている余裕は全く無い。ただただ、自分の力をお光に注ぎ込もうという意識しかなかった。
強くお光を想ったその一瞬、不意に誰かに抱き締められるような感覚があった。そしてそれと同時に、何故か妹の声が聞こえたような気がした。
突然の事態に戸惑う間もなく、鋭い痛みに意識が一気に現実へお引き戻された。
そしてその痛みは、すぐにじわじわと引きずるような鈍いものへと変わった。
ポタリ、ポタリと、血が滴り落ちる。
お光と、そして俺の、
左右の掌から。
『これ、は………………!』
光世の放った止めの一撃は、しかし、お光の生命には届いていない。
その鈍色の殺意を瀬戸際で阻んだのは、彼女の小さな両の手だった。
『新陰流の真髄たる無到取りを、何故……』
それは、俗に言う、真剣白刃取り。
今際の際で、お光は起死回生の大技を繰り出したのである。
『それがしは“鍔”。こと“守り”ならば、元よりそれがしが……上であっただけの事!!』
刃を挟む両手に更に力を込めながら、お光が一気に立ち上がる。そてい、
『がっ!?』
その流れのまま右足で、柄ごと光世の両手を蹴り上げた。
『ち――』
思わぬ反撃を受けた光世だったが、流石というべきかその手から刀を取りこぼす事は無い。
体勢を崩してたたらを踏みながらも尚、刀を握る右腕一本で、無手をなったお光へと切っ先を振り下ろす。
しかしお光はそれに怯む事なく、逆に一歩早く光世との間合いを詰めに動いていた。
白刃にその身を刻まれる前に、彼女は鮮血が滴る左手で光世の右の袖を、残る右手で左の襟を掴む。そして敵の反撃の力に逆らわず、その勢いに合わせて更に自分の身を捻った。
まるで柔道の投げ技をかけられたように、光世の身体が浮き上がる。
『かっは……!』
そしてそのまま地面へと強かに打ちつけられた。
華麗な一本技で相手を打ち伏せたお光は、素早く身を起こしすかさず光世の腰に残されていた脇差を引き抜く。そして、必死に起き上がろうとしている光世の喉元に、切っ先をピタリと突きつけた。
仰向けで首だけを持ち上げて、少し顎を上に向けるような状態になった光世。そのまま身じろぎせずに、恐ろしいくらいの形相でお光を睨みつける。
しかし、誰の目から見ても明らかである。勝負あり、だ。
そしてしばらくの後、お光の言葉が聞こえてきた。
『総一郎殿。ご覧の通り万事滞り無く、彼の者調伏せしめましてございます』
よろしくお願いします。




