脚フェチな彼のリベンジ
それからおよそ二〇分後、俺は目的地のほど近い公園にいる。上馬中央公園という、市の美術館に隣接する中々に立派な公園だ。実は母校である十高校にも近いこの公園には広い芝生広場に多様な遊具もあり、休日は多くの親子連れなどで賑わうと聞く。
その公園の芝生広場に面して設置されているベンチ、ではなく地面に正座をしている俺。
「可能性の一つとして考えてはいたが、本当に現れるとは…………」
目の前に立ち俺を見下ろしている、黒の特殊部隊姿に装いを改めた桜木谷先輩。
喜由に貰った地図が示していたのは、この公園の隣にある美術館だった。意気揚々と美術館の敷地に乗り込んだ俺は、張り込んでいた先輩と鉢合わせし、すぐに公園へと連行されたという訳である。
「事情は分かった。だがこれはゲームや試合なんかじゃあないんだ。相手がどれだけ危険な人物なのか、君も身を持って思い知っている筈だが?」
そう言いながら、メガネのフレームを持ち上げる先輩。ポニーテイルに結い上げられた髪が静かに揺れる。
その美しい容姿に見惚れる隙も無く、厳しい表情で先輩が俺を糾弾する。
「ボク達も連中に強盗傷害の罪状を追加して、重犯罪者と同等の対処を取る事になったんだ。もう三〇分もすれば五名の応援が臨場する事になっている。そう言った意味合いでも君の出番は無いんだよ」
「だったら、その応援の方々が到着するまでの時間だけでも。先輩達にご迷惑は決し――」
「もう既に迷惑なんだが?」
そう言った先輩の目は、これまで見た事が無い感情が一切篭っていない、酷く冷たいものだった。見詰められるだけで、胸が抉られそうになるような。
「ハッキリ言おう。ここで君が鍔を奪われるような事になれば、犯人の戦力が格段に強化されてしまうんだ。そして君が分をわきまえずに連中に挑みかかった場合、そうなる確率は限りなく一〇〇に近いパーセンテージだろう。いいか、現状君は足手纏いどころか、敵に塩を送りかねない危険分子なんだよ。自覚したまえ」
ズバリ言い切られた。先輩の話は一々正論で、議論の余地などは全く無い。俺は奥歯を噛み締めながら、ただ俯いて芝生を見ている事しか出来なかった。
が――
「キツい事を言ってすまないとは思う。しかしこれも君の為だ、どうか分かって欲しい。君の気持は十分理解出来るが、立場上譲る訳にはいかないんだ。冷静になれ、仙洞田君。お光君が君にとって大切な存在であるとしても、彼女は所詮付喪神。刀剣の鍔でしかないんだぞ? 自分の生命と彼女とを天秤にかけるような、早まったマネはするもんじゃない」
この先輩の言葉で、俺の中で何かが弾けた。
「…………分かりました」
俺は俯いたまま呟くように言って、おもむろに立ち上がる。そして、静かに顔を持ち上げると、虚を突かれたような表情をする先輩が見えた。
「そ、うか。分かってくれたのなら良かった。なら一刻も早くこの場から離」
「先輩。申し訳ありませんが、これ以上お話する事はありません」
「……何?」
再び先輩の目が鋭く光る。
しかし、今度は俺も退くつもりは無い。
「確かにお光は付喪神。元を正せば古びた刀の鍔に過ぎません。先輩から見れば、アイツの為に身体を張ろうとしている俺の姿はさぞ滑稽なものに見えるでしょう」
「仙洞田君、ムキになるな。誰もそこまでは言っていない」
「先輩。俺は、喜由の為なら、妹の為なら自分の身を犠牲にする事は厭いません」
「――!」
その瞬間、先輩は明らかに動揺した。言葉を失い、目を見開いている。
「喜由とお光を区別する事なんて俺には出来ません。俺にとって付喪神とは、いや、彼女達は単なる心霊現象なんかじゃなく、俺の大切な家族なんです。誰に何を言われようと、後ろ指をさされて笑われようと、俺は俺の考えを変えるつもりは絶対にありません。例え、桜木谷先輩に否定されたとしても」
俺は、ただ真直ぐに先輩を見つめた。視線に込めたものは、怒りや憤りなどではなく、決意。
俺は先輩の考えを否定したい訳でも、説き伏せたい訳でも無い。ただ、理解してもらいたいだけだから。
桜木谷先輩は、何も言わずただじっと俺の視線を受け止めている。だがそこには、先程見せた冷酷さは皆無だった。
無言の時間が続く。タイムリミットが近付くのを感じ、そろそろ俺が焦れてきた頃、先輩がゆっくりと話し始めた。
「仙洞田君、君の考えは良く分かった。君を危険に晒したくないばかりに、ボクも少々冷静さを欠いていたのかも知れないな。確かに君にとっては、付喪神とはまさしく肉親と同等の存在だったのに。失念していたよ」
「生意気な事を言って申し訳ありません」
「気にしなくていい。相互の理解を深めるには、本音をぶつけ合わない事には始まらないからね。では仙洞田君、改めて問おう。この場を退く気は無いのか?」
「ありません」
「もしボクの言う事を聞いたら、そうだな、明日君の好きそうなイイ感じの白いハイソックスを履いていってやろう。そして顔だけでなく好きなところを踏んでやろうじゃないか。勿論お触りもオッケーだし匂いを嗅いでも裏から表まで画像に保存しても構わない。他にリクエストがあればストッキングでもタイツでも何でも用意してやっていいが……この条件で手を打つ気は?」
「ありません。例え明日になって死ぬ程後悔すると分かっていても、俺の矜持に賭けてこの場を退く事は出来ません」
正直、即答出来たのが自分でも不思議なくらいだった。好条件過ぎて逆に感覚が麻痺していたのかも知れない。言った直後に、密かに早くも後悔していた事は永遠に秘密にしておこう。
「ふふ、即答するか。それが意地なのか覚悟なのかは計りかねるが……だが君の決意の程は良く分かったよ」
観念した、という表情を浮かべる先輩。刺々しい雰囲気は無くなり、いつもの桜木谷先輩に戻ったようだ。
そして、先輩はベストの胸ポケットから携帯電話を取り出し、誰かに電話をかけ始めた。
「桜木谷です。はい、少々状況に変化が、いえ、周辺の民間人排除ですが……はい。問題はありません。ただ目標の直近なので慎重を期す必要がありまして、ええ、お願いします。追って連絡を入れます」
短く会話を終え、先輩は携帯電話をポケットに戻す。そして俺の方に顔を向け、静かに口を開いた。
「いいか、時間は稼げてもせいぜい二・三〇分の延長が限界……トータルで小一時間程度。今丁度八時になるところだ。目安としては九時でギリギリというところだろう」
「え、じゃあ……」
「但し条件がある。君達は正々堂々と決着をつけようと思っているだろうが、最悪のケースに陥りそうになった場合は、ボクは躊躇無く戦いに介入するぞ?」
「分かりました」
「そしてもう一つ。それを当てにするな。あくまでも戦うのは君達だ。ピンチになってもボクの助けがあるという安易な気持ちは、勿論無いとは思うが、もしそういった意図が透けて見えたらその時点で終了だ。今後二度と君が能力を使用出来ないよう、能力犯罪者への処罰と同様の処置を取らせてもらう。構わないな?」
「勿論です」
「最後にもう一度だけ聞く。覚悟はいいんだな? ハイソックスは惜しくはないんだな?」
「はい。靴下成分については妄想で補います(血涙)」
「よろしい。ならば、決戦だ」
厳かに先輩が宣言した。その視線が俺の背中の向こう、広場の中央に向いているのに気が付いて、ゆっくりと身体の向きを変える。
そこにはあの時と同様、黒のスーツ姿の篠宮陽介と上下紺色の剣道着を身につけた光世の姿があった。そして、俺が二人を視認したと同時に、辺りの様子が一変する。
夜の暗闇とは異質な闇が周辺を覆い、にも関わらず周りの景色がハッキリと見える。
そして、場を支配する不自然な静寂。
「これは……」
「結界だな。痺れを切らして向こうからやってきてくれたようだ」
落ち着いた口調で説明した先輩は、視線を二人に向けたまま歩き出した。
俺もそれに続いて歩き出す。
「どうやって近付いたもんかと悩んでたんだけどなあ。お前さんの方から出向いてくれるとは思ってなかったぜ」
目の前まで辿り着くと、軽薄な笑みを見せながら篠宮が話し始めた。
「ま、保護者同伴みてえだけどな」
視線が先輩へと移った。今度はその視線を受けた先輩が口を開く。
「君も大概いい度胸をしているな。我々の包囲網を知りながら、敢えて姿を晒すとは」
「いやいや、これでも散々迷ったんだぜ? けどまあ、どうもお一人さんみてえだし、網をかいくぐって逃げるんなら最後のチャンスかなーって。それにいざとなりゃ……いい“盾”もあるしな」
盾、というところで俺を見た篠宮。粘着質なその視線に背筋が冷たくなった。
「勘違いしてるようだから一つ言っておくが、戦うのは彼だ。ボクはあくまで立会人さ。手出しするつもりは一切無い」
「はあ? そんな話信じろってのか? 今時小学生でももっとマシなウソつくぜ?」
「ウソじゃないさ。彼のたっての申出ででね。どうしても君達にリベンジしたいらしいんだ。言い出したら聞かないものだから、まったく困ったものだよ」
「リベンジ、ねえ………………」
先輩の言葉の真意を図りかねているのか、値踏みするように俺を見る篠宮。すると、横に控えていた光世が一歩進み出て口を開いた。
「構わぬ。いずれにせよ我らが追い詰められている事には相違は無いからのう。少しでも事を優位に運ぼうとするならば、それが罠と分かっていようとも乗らぬ手はあるまいよ。小僧、片割れを呼べ。望み通り相手をしてやろうぞ」
尊大な態度で光世が言う。
チラリと先輩を窺うと、無言で頷いてくれた。
「よし分かった。先輩、離れていて下さい。始めます」
「頑張れよ、仙洞田君」
「はい」
俺の返事を聞いて、先輩は踵を返し静かに離れて行った。それを見届けて、学ランの内ポケットから大典太の鍔を、お光を取り出す。
目を閉じて右手でグッと握り締め、そしてイメージする。力に差は無い。あったとしても、それは俺の覚悟の弱さ。だからその弱さを、今度こそ振り払ってやる。
深呼吸の後、決意と共に目を開けながら、その名を呼んだ。
「来い、お光。俺達の力、見せつけてやるぞ」
よろしくお願いします。




