脚フェチな彼の決意
「本気でスンマセンでした」
親戚宅でのドタバタを何とかやり過ごし、ようやく帰ってきた我が家(親戚は近所)。一年振りの農作業で精根尽き果てた両親は、引き続き明日もある手伝いに備えて九時を回ったところで早々に床についている。俺も疲れが溜まっているのだろう。身体の節々が鈍く痛むしダルさが全然抜けない。オマケに何だか熱っぽいような気もする。
にも関わらず、その同時刻。俺はと言えば――自室で土下座していた。
その相手は、他でもない怒り心頭状態のあの付喪神少女だ。今まさに俺のベッドの上でどかりとあぐらをかいて、腕組みをしながら見下ろしている。
ボコられた後目を覚ました時には、その姿は見当たらず古びた鍔が転がっていた。
それを親戚一同にやいのやいの言われながら片付けてる時に、近くにあったこれまた古臭い布きれごと拾ってジャージのポッケに突っ込んで家に帰って自室で手に取って見れば、あっと言う間にこやつが姿を現した次第。
「まったく、世が世なら即刻斬り捨てられても文句も言えぬような所業にございましたぞ? 仮にも御身はそれがしに生命を分け与えられたお方。いかに年頃の男子とは言え、もっと自重していただかなくては」
このセリフ聞くのさっきから何度目だろう。こんな事ばっかり繰り返されている。しかし言ってる事は間違ってはいないので、甘んじて土下座のまま聞き入れている俺。
ようやく解放された頃には、痺れまくってすっかり足の感覚が無くなっていた。
「以後十分お気を付け下さいませ。しかし、お会いして間もないにも関わらず、ご主人がどのような御仁か理解したような気が致します」
散々俺に説教をして、何とか機嫌を持ち直したらしい。足の痺れに悶絶している俺に向かって、幾分か穏やかな口調で話し掛けてきた。
「って、ちょっと待て。ご主人? 何だそれは」
「御身に対する呼称にございますが……」
「それは分かってる。そうじゃなくてだな、どうしてそう色気の無い呼び方なんだと言っているんだ」
「これは異な。それがしは生命を与えられた身。御身を主と呼ぶに何の問題がございましょう。何より、それがしまだお名前を存じ上げておりませんので」
その一言で時が止まった。晴天の霹靂。ここに至って指摘されて、ようやく気が付いた。
――俺、この娘っ子の名前知らねえよ
いやーしまったわー。どうやって娘っ子の裸(足袋は履いた状態)を見てやろうかってそればっか考えてたわー。もう本気で名前とか人間じゃないとか全然頭に無かったわー。
そんな事を考えていると、ふと氷点下の視線を感じた。
「む。おい、何だその目は。まるでウンコ味のカレーとカレー味のウンコを同時に目の当たりにしたような目じゃないか。人を主呼ばわりしておいてその態度は何だ」
「何の例えやら全く解す事が出来ませんがご主人のお考えは伝わってくるものがございます。どうせまた下衆な事でもお考えだったのでございましょう?」
くっ、憎たらしい目つきをしやがる。これで可愛い女の子の姿でもなければ、即刻除霊方法をググって消し去ってやるところなのに。
しかし、一時の感情に流されて折角のチャンスをフイにするのも勿体ない。とは言え何のお咎めも無く調子に乗せるのもなあ…………
そんな忸怩たる思いが脳内に渦巻いていたその時だった。ハッと気が付いた。
――俺の目的は何だ?
そうだ。最終目的は目の前のこの女に想いっきりエロい事をしてやるって事じゃないか。足袋は残したままで。その為には普通だったらまずはお友達から始めるだろ? そして徐々に距離を縮めて、お互いに好意を抱くまでに至る必要があるじゃないか。
だが現状はどうだ? コイツは俺に対して警戒しまくってるし、俺だって邪険に扱われてハッキリ言って良い印象は持ってはいない。ってゆーかお互いに名前すら知らないとかもうね。
俺とした事が焦り過ぎたか。目の前に突然現れた絶好のチャンスに視界を奪われてしまったようだ。クールになれ。今俺がすべき事。それは――
「はっはっは、そんな訳ないじゃないか。つい今しがたまで散々説教されてたんだぞ? 流石の俺も反省するさ」
歩み寄る事。少しずつ。一歩一歩。永久凍土ばりに冷たく硬く凍りついたコイツの心を溶かしていって、そして最後に丸裸(足袋は残す)にしてやるんだ!
そう、俺は北風と太陽の、太陽になる!
「おいおいそんなに疑うなよ。本当に反省してるって。確かに俺の態度はあんまりだった。そこでだ、ここらで仲直りといかないか? こうして出逢ったのも何かの縁だ。このままいがみ合ったままよいうのもつまらないし、何より俺も、お前のような可憐な美少女に嫌われたままというのは辛いしな」
心を決めた俺は、微笑みながら優しく語りかけた。するとどうだろう、これまで学校の階段の手すりになすりつけられた鼻クソでも見るようだったヤツの態度が、目に見えて変化したではないか。
まずハッと驚くような表情を見せたかと思うと、今度は明らかに顔を赤くして、そわそわと落ち着きなく身体を揺すり、あちこちと目線を漂わせ始めた。
我ながら非常に調子が良い言葉を並べたものだと思ったが、存外効果はバツグンだったようだな。ふふ、何、俺って案外女の扱い天才的だったりするとか?
「そ、それがしがその、か、か、可憐、かどうかは、と、ともかく、ご主人の、その、お申出については、異存などございません。元より、それがしもご主人との仲違いは、あの、本意ではございません、ので」
そんな風に照れた様子丸出しで、終始俯き加減で返事を寄越した付喪神。これは思ったよりもいい傾向だ。これはそう遠くない内に他の色んなところも丸出しに出来そうだ。
おっと、だが焦りは禁物。
「そうか、そう言ってもらえると助かる。ではまずはお互いの自己紹介といこうじゃないか。俺は仙洞田総一郎。さっきもチラッと言ったが一七歳で高校二年、と言っても分からんか? まあいい。父・母・妹の四人家族で、好きな食べ物は白米。好きな飲み物はほうじ茶。好きな女性のタイプは脚がグンバツな女。以上だ」
「これはご丁寧に、痛み入ります。では僭越ながらそれがしも。それがし人のような名を持ち合わせてはおりませんが、銘を大典太光世と申します。生憎と刀としての姿を失った事により、それまで見聞きした一切も失ってしまったようで、生まれなどは覚えがありません。ただ、徳川の世で魔を祓う刀として振るわれておりました」
「魔を祓う? しかも徳川の世って江戸時代か? それが本当なら大層な刀じゃないか。何でそんな凄い刀の鍔が、こんな辺鄙な片田舎の農家の蔵に収まってたんだ?」
「申し訳ございません。それがしにも皆目見当がつかぬのです。お役に立てず申し訳ない」
「そうか……まあそんなに気にするな。別に分からないからと言って何か問題がある訳でもない。それよりお前の名前だが、おおでんたみつよ、か……ならこれからは“おでん”とで」
「お断り申します」
俺の言葉をぴしゃりと遮って、おで――
「おでんはお断り申しますと申しました!!」
何という読心術。
「いや、だっておでんって入ってるからいいかな? って」
「良い訳がございますか!」
それまでの和やかな空気が一変。何やら緊迫したムードが漂い始めた。
いかんいかん。折角好感度が上がり始めたのにここでミスれば台無しだ。ってか結構コイツ短気だよな。
「そ、そうか、分かった。分かったからそう興奮するな。じゃあそうなだ……おおでんた“みつよ”なんだよな? だったらお光ってのはどうだ? みつよだとそのまんまだからちょっとひねってみたんだが」
「お光、でございますか……良い、良いではございませんか! ご主人! 今後ともこのお光を良しなにお願い申し上げます!!」
「お、おう。気に入ってくれたなら何よりだ。ってコラ。だからそのご主人もやめろよ。何のために名乗ったと思ってるんだ」
「おお、これはご無礼仕った。それではこれよりはお館様とでも」
「そうじゃねえだろ。何でより堅苦しくなってんだよ」
「むう、ならば殿とでも」
「バカ野郎。むう、じゃないよ。もっと親しみを込めて呼んだらどうだって言ってるんだっての。折角名前教えても意味無いだろう?」
「親しみ、でございますか……そう仰られてもその……決して親しくはございませんので」
「ハッキリ言うなよ割と傷付くだろ!? 言いにくそうな顔しながら結構ズバっと言うなこの野郎!! 普通に名前で呼びゃいいじゃねえか!!」
「お、落ち着いて下され。夜更けに斯様な大きな声はお控えいただいた方が……」
「誰のせいだと思ってんだ!! ってか俺は落ち着いてるっつーの!!」
「さ、左様にございますか。承知いたしました。そ、それでは僭越ながら今後は総一郎殿とお呼び申し上げます。お呼び申します故どうぞお気を静かに」
癇癪を起した子供を嗜めるように、お光が俺に呼びかけてくる。
何だよその引き気味な態度は。まるで俺が必死になってるみたいじゃないか。失礼なヤツめ。
とは言えこうしてお互いに名乗り合っただけではあるが、不思議と親近感が沸いてくるものだ。何となく感じていた距離感が薄まったような気がする。それに何だか一仕事やり終えたような達成感もある。肩の荷が降りたとでも言おうか。
すると、気が抜けただろうか途端に忘れていた身体の疲れがぶり返してきたような気がする。全身が気だるく、思わず床に横になる俺。
「む、総一郎殿いかがされた?」
「んん? いや、何だか急に疲れが出てきたような……ダルいんだ」
「左様にございましたか。恐らく慣れぬ力をお使いになられたからにございましょう」
「は?」
お光の一言を聞いて、ダルさを訴える身体にムチを打って起き上がる。
「何だって?」
「それがしを顕現させるにあたりお使いになった力とは、本来修練を積んで使いこなす代物にございます。力の発現は様々なれど、その道の者は皆等しく鍛錬を重ねるもの。そうして身の丈に相応しい術などを駆使するのです。何の下ごしらえもせずに術を用いるは、言わば初めて剣を握る素人が名だたる剣豪に挑むようなものにございますれば」
「え、何それ怖い。いやいやいや、聞いてないぞそんな事。え、じゃあ何か? 家に帰ってからずーっとダルくて疲れが抜けなくてどことなく熱っぽいまるで風邪の初期症状みたいなこの感じは、ぶっちゃけお前のせいだって事か?」
「お前ではなくお光です、総一郎殿」
「そんな事言ってる場合じゃないだろ……どうすんだよこれ。このままの状態がずっと続くって事なのか?」
「しからばまずは、それがしを元の鍔へと戻されてはいかがでしょうか。恐らく人形を保つ為に相応の力を要しているものかと」
「おお、成程。じゃあ……って、元に戻すってどうするんだ?」
「さあ?」
「まるっきり他人事な感じだなこの野郎。こっちはしんどい思いしてるってのに。でも実際どうしようか…………」
正直どうしようもない。お光もそれなりに心配そうな顔はしているが、どうやら当てにはならないようだ。ならば最後の手段しかあるまい。
「取り敢えず寝るか」
究極の逃避行動、睡眠である。
「総一郎殿、何のお力にもなれない事を承知で申し上げますが、もう少し何かお考えになった方がよろしいのでは?」
「それはまあそうではあるが、現実問題考えてどうにかなるようなものでもないだろう? 俺はどうしようもない事でグダグダと悩んだりしない主義なんだ。ダメなものはダメ。だったらスカッと諦めて寝る。一晩寝て起きたら何か変わってるだろ。何も変わってなければその時また悩めばいいだけの話だ」
「男らしいといえば男らしいですが……」
「ほら、もうこの話は終わりだ。ちゃっちゃと風呂入って寝るぞ。付いて来い」
「は?」
「今日は天気良かったし汗もしっかりかいたか。それにあの蔵のドタバタで埃まみれにもなった。いくら何でもこのまま布団に入るのはゴメンだ。お前も元の姿に戻れないんなら風呂くらい入ってから床についてもらうぞ。ああ、流石に布団は別に敷いてやる。斬られたらかなわんからな」
「かたじけない。ならば、それがしは総一郎殿の後で結構にございます」
などと抜かすお光。やれやれ、コイツは何も分かってないようだ。
「あのなあお光。いくら家中が寝静まってるとは言え、いつ何時気付かれるか分からないだろう? 特に妹は絶賛夜更かし中なんだ、いつ部屋から出てくるか分かったもんじゃない。今の所お前の存在は秘密になってる訳だし。となれば、だ、一緒に入るしかないだろう」
「その理屈はごもっともですが最後がおかしい」
「おかしいのはお前の思考回路だ。何考えてるんだ? もっと常識を身に付けた方がいいぞ?」
「お会いして間もないにも関わらず、常識云々について総一郎殿にご指摘いただくと殊の外堪えるものがございますな…………」
「さあこうしてる時間も勿体無い。明日もどうせ手伝いに連れてかれるんだ。とっとと行くぞ。なあに、今日は風呂に入るだけで勘弁してやるよ。まあその後ちょっと一人にさせてもらうが……ま、ホントの意味での裸の“突き合い”はまたの機会って事だ。はっはっはっはっは」
そう言って立ち上がった俺を、お光が表情を失くした顔で見つめていた。
あれ? コイツのこんな顔どっかで見たぞ? この感じ何だったかな。あ、確かデジャヴとかいったっけ。
という考えに至り、ハッと気が付いた時には手遅れだった。
「御免」
お光が音も無くベッドから降りたかと思った次の瞬間、その声とともにヤツは右腕を横薙ぎに振り抜いた。
「な――――」
顎にコツンとした衝撃を感じたと思ったら、世界が一気にぐるりと回転して最後まで言葉が続かなかった。
そこから先は、またしても記憶が定かではない。ぐるぐると視界が回り続ける中で、辛うじて見えたお光が何か喋ったと思った途端、腹がずんとして目の前が真っ暗になった。
――結論から言えば、結局お光は元の姿に戻ったようだ。翌朝目を覚ますとヤツの姿は見当たらず、床に鍔が転がっていた。慌ててそれを手にすると、再び眩い光と共にお光が姿を現した。
意識を失った事で、力の供給が強制シャットダウンされた事が原因ではないかと推測した次第である。
その後お光に詰め寄ったところ、あの時俺の顎をピンポイントに打ち抜く事で脳震盪を起こさせたらしい。そして崩れ落ちたところへトドメとばかりに鳩尾への一撃。あえなくノックダウンとなったというのが真相だった。
一部始終を聞いて泣きながら抗議する俺に対し、ヤツは鼻で一つ笑ってポツリと呟いた。
「まだこれだけの気力があるとは……しくじったか」
と――
よろしくお願いします。