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脚フェチな彼の進化15

 それからしばらく、白空さんと黒井さんは昔話で盛り上がった。

 いつしかビールのビンも2本3本と増えていき、気が付けばそのビールも日本酒に代わっていた。

「いやしかし、ヒヒイロカネなんちゅう最高の肴があればいくらでも酒が飲めるのう殺助君や」

「そりゃ師匠だけでしょうよ。俺はやっぱり別嬪の方が良いねえ」

 がはははと、何が可笑しいのやら豪快に笑いあう2人。

 俺と古井さんは完全に置いてけぼりだった。

「ごめんね、仙洞田君」

 辟易していた俺に気が付いたのか、古井さんが申し訳無さそうな顔で話し掛けてきた。

「あ、いや、別に気にしないで下さい。このダメな大人は経験ありますから」

 水ヶ島で嫌と言う程。

「あ」

 と、そこでふと思い出した。

「どうしたの? 仙洞田君」

「え、いえ、ちょっと……思い出せそうで思い出せなかった事が思い出せたんです」

 我ながら何が言いたいのか良く分からない言葉だった。

 しかし、

「宴たけなわのところスミマセン。ちょっとお聞きしたい事があるんですが」

「お? ワシにかの?」

「ええ。さっき菊一文字を打った事がある、とお話されていましたが、ひょっとして安居院という人の刀ではありませんか?」

 あの水ヶ島遠征の夜。

 船着き場で出会った陸上系スポーツ美少女付喪主、安居院香織あぐいかおり

 彼女の得物が菊一文字だった筈だ。

「む? 何じゃ、安居院さんとこと知り合いか?」

「ええ、少し面識が……じゃあ」

「おうおう。確かにお前さんの言う通りじゃい。安居院さんに打った」

「やっぱり………………」

 奇妙な縁ではあるが、俺はどこか必然的なものも感じていた。

 たった一度言葉を交わした程度の仲ではあるが、またどこかで出会いそうな、そんな予感を持っていたのである。

 まあつい今しがたまで忘れていたんだが。

――しかし

 俺ともあろう者が、あの素晴らしい脚を忘れるとは何たる失態。

 月明かりに照らされた、あの鍛え上げられたカモシカのような脚。

 鍛えられた、とは言っても決して過剰に筋肉が付いている訳では無く、ちゃんと女性らしい曲線も残されている、まさに黄金比率の脚だった。

 あそこまで俺好みの脚の持ち主もそうそう居ない。

 ああ、何故おれはあの時土下座してでも靴を脱いでもらわなかったのであろうか。

 白いスニーカーソックスの表から裏まで津々浦々をつぶさにシナプスに記録させていれば…………

「仙洞田君?」

「はっ!?」

「大丈夫? 何かやけに鼻が膨らんで涎垂れそうになってるけど……」

 回想の世界にどっぷりと浸っていた俺の意識が、古井さんの声で一気に現実へと帰還した。

「あ、いえ、そ、その、菊一文字とはどんなに素晴らしい刀だったんだろうと想像していたもので……」

 我ながら全く説得力の無い言い訳であった。

 が、

「え!? 刀で惚けるなんて……仙洞田君も目覚めたの!?」

 古井さんがものすごい勢いで身を乗り出しながら喰いついて来た。

「え、ええ、ま、まあ…………」

「そうだったんだ~。でも、うん、当然って言えば当然だよね。何せ天下の名剣の持ち主なんだもん。やっぱりあれ? 男の子だと正宗より村正派?」

「いや、ちょっとそこまでは。っていうかほんの触りだけで――」

「そんな謙遜しなくても良いのよ。好きって気持ちがあればもうそれだけで立派な刀剣男子なんだから。ああん、こんな事ならあの本持ってきてあげれば良かった。私が読んでる本で『月刊・KATANA』っていうのがあってね? それの別冊で年2回発行されてる『BestofBrade』、私らなんかは『BB』って略してるんだけど、その上半期版がこないだ出たところで丁度昨日買ったんだけど、これがまた通好みのラインナップで特集記事なんかも――」

 一気にテンションがマックスになったと見える古井さん。

 どうにも既視感があると思ったが、このノリはラ・ムーの話をする時の桜木谷先輩そのものだ。

 マニアという生き物は、その趣向が異なっても根っこの部分は同じなのかも知れない。

 そこからしばらく古井さんのマシンガントークが続いた。

 勿論俺がついていけるような世界の話ではなく、かといって更に呑みのペースが上がった黒井さん達がこちらの様子なんか気にする訳も無く、俺にとって割と拷問のような時間だった。

「師匠。ボチボチ店じまいだ。酒もう切れちまったよ」

「おおう? そんな飲んだか?」

 いつまでこの苦行が続くんだろうと半ば意識がトリップしかかっていたところで、黒井さん達の笑い声以外の声が久し振りに聞こえて来た。

「ちょっとお爺ちゃんどんだけ飲んだの?」

 刀剣談義に(独りで)華を咲かせていた古井さんが、その様子に気が付いて隣に座る黒空さんを嗜め始める。

「ワシゃちゃーんと断ったぞ? 殺助君がどうしてもというからの?」

「いやいやいやいや。断りの”こ”の字も出てなかったぜ? 師匠」

「そりゃお前さんの勘違いじゃ」

「いやいやいやいやいや」

 酔っ払い同士の実に生産性の無い会話が続く。

 軽く溜息を漏らしながら時計に目を向けると、もう5時を過ぎたところだった。

「わ、お爺ちゃんもうこんな時間じゃない。4時くらいには帰ってきて買い物に連れてってってお婆ちゃん言ってたよ?」

「お? そりゃマズイ。まーた婆さんがやかましいぞ」

「すみません黒井さん、すっかり祖父がご迷惑おかけしてしまって」

「はっはっは。んな畏まんなくても良いって。俺も楽しんだんだから。ああ、片付けはこっちでやっとくから。早く帰んないとマズいんだろ? ほら師匠、もう帰るんだってよ」

 どことなくふらふらした様子で立ち上がった黒井さん。

 背もたれに体重を預けている白空さんの腕を取って立ち上がらせる。

 そのまま古井さんも立ち上がって2人で連行するようにドアへと向かった。

「本当にすみません。すっかり長居してしまいまして」

「いやいや、んじゃ気を付けてね。師匠、あんま飲み過ぎてばっかいると、寿命縮まるぞ?」

「何これしきの酒。ワシの心配なんぞ10年早いわ」

「はっは、じゃあな師匠」

 そのまま別れの挨拶を済ませて帰ろうとした古井さん達に、俺は勢いよくソファから立ち上がって声をかけた。

「スミマセン!」

 入口の3人の視線が一斉に向いたのを確認して、俺は言葉を続けた。

「忘れてますよ! ヒヒイロカネ!」

 ホントに何しに来たんだよ。

よろしくお願いします。

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