脚フェチな彼の受難3
「総一郎殿、それがしの後ろへ」
すっかり耳に馴染んだあどけなさの残るお光の声。その声に導かれるまま、震える脚にムチを打って、その小さな背中の後ろへと回る。
「それ見た事か、面倒な事になったではないか。儂の言を聞かぬからじゃ」
相対する女が、端正な顔を歪めて篠宮を睨みつける。
「まあそう言うなって。想定の範囲内だろ? それに――」
しかし当の本人は涼しい顔で、どこ吹く風といった様子だ。
「一回見てみたかったんだよな~、付喪神同士のガチバトルってヤツ。な? 仙洞田君。お前さんもそう思うだろ?」
悪びれもせず、自信満々に篠宮が問い掛けてきた。
――最低だ。
反射的にそう思った。そして湧き上がってくる怒りで、それまで感じていた恐怖も薄れていった。
「……ふざけるな。何が嬉しくて、他人が傷付くのを見ようと思うもんか。まして当事者は女だぞ? 恥ずかしいとは思わないのか」
「あぁ?」
「思わないんですか、って言ったんです!」
でも割とすぐに元通りになった。
「はっ、何を言い出すかと思えばこれまた熱いねえ。まあ見た目からしてそうじゃないかとは思ってたが……随分とまあいい子ちゃんなこって」
皮肉たっぷりの篠宮のニヤけ顔に、俺も少々オーバーな動きでメガネを直して見せる。
「何とでも言え……ばいいでしょう。でも俺は無用な争いは望んでないし、黙って消えろ――てはいただけないものでしょうか」
「はい分かりましたって言うとでも本気で思ってんのか? 俺はその付喪神を諦めるつもりはねえし、勿論うちの相方も同じだ。言う事聞かせたきゃ力づくでやってみな、色男。って事で、後は任せたぜ?」
言いたい事だけ言い終えたのか、篠宮はポンと眼帯少女の肩を叩いて、さっさと場を離れていった。
「いつもながらしようのない男よ…………」
溜息混じりに少女がぼやく。しかしすぐに気を取り直したのか、敵意を孕んだ視線をこちらに向けてきた。
「小僧、もう一度だけ問うてやろう。そこな娘、いや、典太の鍔を渡せ。さすればこの場は見逃してやる」
「総一郎殿、斯様な狼藉者の言に耳を貸される必要はございません。この場はそれがしにお任せになって、しばし御身に危険が及ばぬようお離れ下さい」
俺が言い返す前に、お光が割って入ってきた。背中越しではあるが、既にやる気が十分になっているのが分かる。有無を言わせない迫力に、情けない話だが従わざるを得なかった。
「すまん、お光。けど無茶するなよ」
「痛み入ります」
そう言って、お光は少しだけ微笑み、そしてすぐに女の方に顔を向ける。その様子を見て、俺は一抹の不安を覚えながらも、それでも篠宮と同じように二人から距離を取った。
二人が小さく見えるくらいまで離れて立ち止まり、そして目を閉じ感覚に意識を集中させる。
前にお光が言っていた。霊力を通して五感を共有出来ると。それが事実なら、普通なら声が届かないような距離でも二人の会話を聞く事が出来る筈だ。
イメージする。お光の間近に俺が居る光景を。その俺が、徐々に形を無くして、そしてお光と重なっていく様子を。
『――、――――。――――――――』
始めにノイズのようなものが聞こえてきた。ノイズの音量は徐々に大きくなり、そして、
『痴れ者が。いくら儂が抑えているとはいえ、未だ分からぬのか』
はっきりと“声”として聞こえるようになった。続いて目にも意識を向けると、対峙するニーハイ女の姿も目蓋の裏に見えてくる。
『どうやらその方、永く眠り過ぎていたようじゃ。この期に及んでまだ寝言を申すとは』
『くどい。何を言われようとも知らぬものは知らぬ』
『我が“声”にも覚えが無いと申すか?』
『…………声?』
『ふふ、まあよい。ならばその身に思い知らせてやろうぞ……刮目せよ』
話の流れは掴めなかったが、どうやら話し合いは物別れに終わったらしい。女の声が聞こえたと同時に、お光の緊張が俄かに高まったのが分かった。
そして、女がニヤリと口端を持ち上げたかと思うと、その全身が光に包まれた。
「うおっ、まぶしっ!?」
強い光に一瞬お光も目を閉じたのだろうか、視界が一時遮られた。
しかしすぐに光は収まったようで、再び目蓋は開か――
「!?」
そして、眼前の光景に驚愕した。
女の出で立ちが一変している。背中辺りまであった黒髪はきりりと一つに結い上げられていて、白っぽい長Tとデニムのホットパンツに黒の二―ハイソックスというごく一般的な服装は、上下ともに濃紺の剣道着へと変貌を遂げていたのである。
「これ……お光とそっくりじゃないか…………」
背格好はお光よりも大きく、眼帯も鍔ではなく無造作に黒い布が巻かれているだけだが、その整った顔つきや胴着越しでもはっきり分かる胸の膨らみは、まるでお光が何年か成長した姿そのものだった。
つまり、良く似ている姉妹のようで。
――やっぱり……
その光景を見て、俺の疑念は確信に変わった。
『その、出で立ちは一体……お主、何者、だ』
この事態にお光が動揺している。感情の揺れがひしひしと伝わってくる。
『ふっふ、相見える事が叶うたわ、我が片割れと』
『まさか、真に片割れが存在しているとは………………』
『応えよ! 何故それがしに姿を似せておる!』
『時にそこもと、今しがたあの小僧に“おみつ”と呼ばれておったようじゃが……大方その名は大典太光世の銘にちなんだものであろう?』
『……であればいかがする』
『ふん、己の出自すら思い起こす事も出来ぬ、愚昧なるそこもとに教えをくれてやろう。儂こそが大典太光世の真の化身。“刃”より生まれいでたる付喪神、名を“光世”と発す。たかが鍔の分際で儂の名を騙るとは片腹痛いわ』
『な――――』
その一言に、お光が絶句した。勿論、俺も。
対する女――光世は、見下すような余裕の笑みを浮かべている。眼帯で覆われていない怜悧な左眼は、まるでお光だけでなく俺の事まで見通しているかのように見えた。
『分を弁えよ。これ以上の問答は不要じゃ。要は刀身である儂が失くした力を取り戻すというだけの事。故あって今は儂も往時とは異なる姿と成り果てておるが、何、それも今だけの話。既に再び一振りの“刀”となる手筈は整えてある』
『そ、それでは……』
『ふむ、その顔は察しがついたか。そこもとは仮初の生命を与えられ顕現しておる、いわば儂のなれの果て。今そこもとが考え感じておる一切は、所詮紛い物という訳じゃ』
『紛い、物……それがしが…………』
『左様。さあ、贋物の器など捨てて儂の下に還るのじゃ』
目の前が、お光の視界がグラグラと揺れている。視点は定まらず、身体も小刻みに震えているようだ。
光世に突きつけられた真相によって、お光の精神は深く傷つけられた。迷いや不安・恐怖などの様々な負の感情が入り混じった、彼女の想いが俺にも流れ込んでくる。
気が付けば俺も震えていた。但し、“怒り”で。
でも、俺はその怒りに戸惑った。
――何で俺はムカついているんだ?
お光は単なる刀の鍔だし、特別な思い入れがある訳でもない。付き合いも短いし、勿論恋愛感情がある訳でもない(性的感情は持ち合わせているが)。俺にとってはただ、それだけの“モノ”。
そう、ただの居候で一緒にメシを喰ってよく喜由ところころと笑って暇な時に話し相手になって落ち込んでる時には意外と親身になってくれる、いつの間にか家族同然の存在となった、ただの俺の付喪神、だ。
――何だ、別に不思議な事なんて何も無いじゃないか。
パズルのピースがピタリとはまったような感覚を覚え、胸の引っかかりがキレイさっぱり消え去った。
俺は閉じていた目を開き、耳を塞いでいた両手を下ろす。そして、対峙している二人に向かいまっすぐ歩き始めた。目の前の、“俺達”の敵に、怒りをぶつける為に。
「ちょっと待てこの野郎!! 黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって!! 何が“贋物”だ!! ふざけるのも大概にしろよお前!!」
声を荒げてずんずんと二人に近付いていっ――
「何用じゃ小僧」
たところで光世が俺に切っ先を向けた。二人と少し離れた位置でピタリと歩を止める。「いや、ちょっと落ち着いて欲しい。別に俺が相手になるってワケじゃなくて、少しお光と話をさせてもらいたいだけだ」
やや逃げ腰になりながら、それでも漢らしく下手に出ながら懇願する俺。
しかし光世はやれやれと溜息をつきながら、呆れたような表情を浮かべた。
「何を血迷っておるのじゃうつけが。去ね、小僧。そこもとに構っておる暇は無い」
「そんな事言わずにちょっとだけ! ホントにちょっとだけだから! 先っちょだけだから!」
「はあ? 何を申しておる。おい、聞かぬか小僧。おい」
これ以上は時間のムダだと判断した俺は、光世の声を右から左へ聞き流しつつ、素早くお光の背後へと駆け寄って、ぐるりと回れ右をさせた。
「総一郎、どの?」
俺の突飛な行動に、呆けた表情を見せるお光。いつもとは違う様子に戸惑いつつも、思いの丈を伝えるべく口を開く。
「おいしっかりしろよ。何こんなぽっと出のヤツに言いたい放題言わせてるんだ。しかもガタガタ震えて情けない。そんなか弱いキャラじゃないだろお前は。いつも俺を罵る時みたいに威風堂々としてろっての」
「しかし、それがしは、その者の申す通りで……まさしく紛い物に過ぎず……」
「知らんがな」
「――え?」
「片割れがどうだとかどっちが本物だとか誰が本当の持ち主だとか、そんなのは一切知らんし分からん。けどお光、お前は間違い無く大典太の鍔何だろう? だったらそれで十分じゃないか。大体にして刀の刃と鍔とでどっちが偉いとか本物とあるのかよって話だ。どっちもどっちだろ? そんなの」
「総一郎殿……」
「正直付喪神とか妖怪の類なんて、俺ら人間からすれば贋物も本物も無いしな。結局みんな贋物で本物みたいなもんだろうよ」
「…………」
「いいかお光。お前がどう思おうが、お前が俺の付喪神である事だけは間違い無い。だから俺は付喪主として命令するぞ。お光、この見てくれが良くて脚もマジでエロいけどクソ生意気な女を叩きのめせ。お前が贋物だってんなら、本物をやっちまえばイイだけの話だ。勝てば官軍だって言うだろ?」
言い終わってから、俺はお光の頭にポンと手を置いた。
「総一郎殿、かたじけのう、ございます」
両目に涙を浮かべながらも、どこかスッキリした笑顔を見せるお光。そして、
「やれやれ、主のご下知とあらば、従わざるを得ませぬな」
右手の袖で涙をぬぐって不敵に口端を上げつつ、ゆっくりと、しかし力強く頷いて返事を寄越した。
調子を取り戻し、お光は光世の方に振り向く。俺達の視線に気付くと、刃の付喪神は腕組みをして、わざとらしく溜息をついてみせた。
「やれやれ……小僧。何を吹き込んだかは知らぬが余計な真似をしおってからに。事を荒立てたはそこもとぞ。せいぜい後悔せぬ事じゃ」
「言ってろ、自称大典太の本体。刃だか何だか知らないが、ウチのお光はすげえ強いからな。お前の方こそボコられてから後悔しても遅いぜ? まあ今ならそうだな、その袴捲り上げて美脚を進呈しようってんだったら許してやらんでも無いけどな」
「随分と威勢の良い事じゃが……女子の背に隠れながらではいささか恰好がつかぬというものじゃ。のう、片割れ?」
お光の華奢な肩越しに光世を威嚇する俺に対し、ピンポイントな指摘を返してくる。そしてくるりと振り返ったお光の表情は、酷く冷たいものだった。
「総い――糞野郎殿、この場におられては危のうございます。本心では巻き込んで始末してしまいたいところではございますが、どうぞ向こうに行ってろ」
犬の糞にたかるハエでも見るかのような視線を俺に向ける付喪神ズ。
不当な扱いに少し腹を立てつつ、再度二人から距離を取る。しかし、今度はこの目でしかと見届ける為、先程よりも近い位置で足を止めた。
距離にしておよそ一〇メートル。グラウンドのほぼ中央に位置するお光と光世。その更に一〇数メートル向こうには、地面に座り込んでいる篠宮の姿が小さく見えた。
今度は目を開けたまま意識を耳に集中させ、二人の会話に聞き耳を立てる。
『さて、とんだ茶番を見せ付けられたが……どうやらその様子では、儂の言う事に大人しく従うつもりは無さそうじゃのう』
『いかにも。斯様な卑猥で下衆で意気地の無い主であっても、それがしを信じて命を下された以上、例えそなたの言が真であったとしてもそれがしは退かぬ』
『良かろう。ならば此度こそ問答は無用じゃ』
そう言い終わると、光世は静かに、腰にした二本差しの得物へと手を伸ばす。同じくお光もぬらりと刀を抜いた。
双方とも正眼の構えで相手を見据える。
辺りの空気が張り詰めるが、一方の光世は口元に微かな笑みを見せていた。
このまましばらくは、先日の影との戦いのように先の取り合いになるのか、そう思った矢先。
「はっ!!」
短い発声と共に、お光が一気に動いた。
見せたのは、光世の首元を狙った鋭い突き。
通常ならとても目で追う事は出来ないだろうその動きは、今はお光と感覚をリンクさせている為か俺でも見る事が出来る。勿論ギリギリ、ではあるが。
その、放たれた矢のように鋭い突きは、しかしあっさりと光世に弾かれた。
下から上に攻撃を弾いた光世は、今度はそのまま持ち上げた刀を袈裟懸けに振り下ろした。
その防御から攻撃へと転じる動きには全く澱みが無く、体勢が崩れて隙が出来たお光の胴を的確に狙った一撃だった。
しかしお光も人の限界を超えるような反応を見せ、右足で地面を蹴って紙一重ながらその一太刀をかわした、そして次の瞬間には反対の左足を踏み込んで、打ち上げられた刀をまたも光世の首を狙って振り下ろす。
鮮やかな反撃だと思ったのも束の間、対する光世も、やはり超人的な動きで反応していた。
お光を捉えきれずに地面へと向かっていた切っ先は、まるで空中で何かにぶつかったかのように軌道を変えて、返す刀でお光の首へと襲い掛かっていたのだ。
ほぼ同時に繰り出された互いの斬撃だったが、重力に逆らう動作で本来なら遅れを取る筈の光世の方に分があった。
「っ!」
瞬時に己の危険を察したお光。太刀筋を強引に、しかし勢いを殺がず的確に変えて振り下ろし、辛うじて光世の攻撃を凌ぐ。
ギン、という音と共に光世の刀を弾いたお光は、そのまま大きく跳んで間合いを広げた。そして再び正眼に構えて光世に対峙する。
一方の光世も、高々と刀を斬り上げた姿勢を見せていたが、静かに体勢を戻しお光と同様に正眼へと構えを移した。
睨み合う両者。
お光は少し息が上がり、やや肩で息をする状態にある。対する光世は呼吸を乱さず、相変わらず薄い笑みを浮かべる余裕を見せている。
――強い
素人の俺から見ても、お光の剣の腕前は相当なものだった。踏込の速さや斬撃の鋭さは、あの影を一瞬で葬って当然と納得せざるを得ないものだ。
しかし、光世のそれは、お光と同等以上だと直感している。認めたくは無いが。
恐らく二人とも、まだ全力では無いのだろうと思う。余裕を見せている光世は勿論、険しい表情を見せているお光も。
だが、それでも、肌で感じるものがある。
――予想を超える強さだ
と。
じっとお互いを見据えたまま、今度こそ先の取り合いなのか、お光も光世も動かない。
張り詰めた空気は更に緊張を増して、固唾を飲んで見守るだけの俺も、それだけで消耗していくような感覚に襲われる。
息をするのも忘れそうな程見入っていると、じり、と一歩光世が前に出た。
「!?」
恐らく目の錯覚に違い無い。
しかしその一瞬。確かに俺の目には、光世の姿が一回り大きく映った。そして、恐らくお光にも。
その時、不意に思い出した。ヤツが、光世が言っていた言葉。
――大典太光世の真の化身
その言葉の重みが、じわりとのしかかってくるような感覚を覚えた。
よろしくお願いします。




