脚フェチな彼のクエスト2
ふーっと煙を吹き出して、短くなったタバコをカップ型灰皿の火消用の穴に突き立てた黒井さん。
そのまま間髪入れず、2本目のタバコを胸ポケットから取り出して、シガーライターを押し込んだ。
「正確には俺とカミさんのせいなんだ」
じっと続く言葉を待っていた俺に、黒井さんが言った。
「どういう事ですか?」
「ざっくり言うと夫婦喧嘩だよ」
「夫婦喧嘩? ですか?」
「あれ? 拙者が聞いたのは結婚する前の話の筈だったけど?」
「ああ……はは、確かに。良く知ってるな妹ちゃん」
「そりゃあね。あんなド派手な事やらかしたんだもん。封印されて死にかけてた拙者だって嫌でも気付くし話だって伝わってくるもんでござる」
「そっかそっか。まだ妹ちゃんが転生する前だったのか」
どうやら喜由も何がしか知っている話らしい。
2人して訳知り顔で話をしていて、1人蚊帳の外な俺は完全なアウェー気分になる。
「あの、全然話が見えないんですが」
「ああ、めんごめんご。ちゃんと説明するよ」
それから黒井さんが語った。
黒井さんと奥さん。正確には結婚する前の2人に起こった出来事を。
夫婦喧嘩と称した黒井さんだったが、内容はその言葉の通り2人の喧嘩だった。
しかし問題は、その喧嘩が、世界最強の一角を担うMJ12の序列者同士の間で起こったという事。
単体でもこの世界に甚大なダメージを与える事が可能とされる超絶能力を持つ怪物が、本気でぶつかり合ったとしたら――
「一応その辺りは考えてたさ。流石にここでやるのはヤバいだろうって。多分大陸の1つや2つは海に沈んでただろうからな」
おどけて言った黒井さんだったが、決して冗談や誇張では無いだろう。
だから2人は戦いの場を、異次元世界に移したとの事だった。
「いわゆるパラレルワールドってヤツさ。俺らクラスになると次元跳躍なんてのも出来ちゃうからな。だからこの世界に一番近い並行世界を選んだんだよ。でもそれが失敗だった」
事の発端は、とある人外生物が、この世界の支配を目論んだ事らしい。
MJ12には及ばないものの、しかし相当に近しい強力な力を持つ存在が多数だったそうだ。
当然その動きを察知した黒井さん、そして特機は勿論世界中の対人外種機関が総力を結集して対抗し、惨劇を未然に防ぐ事に成功した。
そして黒井さんは事の重大さを痛感し、いつまた同じ事が繰り返されないとも限らないとして、世界中の人外種を徹底管理する為の新しい組織を結成する為に動き始めた。
しかし、それを良しとしなかったのが黒井さんの奥さんである、超越の魔女だった。
全てを“ヒト”の手に委ねようとする事こそエゴの極致である、と。
「最初は勿論平和的に解決しようとしてたさ。話し合いで。でもこれが中々上手くいかなくてさ。段々お互いにヒートアップしてきちまって。まあ若かったんだな、俺もカミさんも」
そしてとうとう2人は実力行使に出る事を決めた。
「詳しくは言えないけど、俺って実は魔法使いの天敵みたいな存在なんだよ。まあ魔法使いに限らずほぼすべての異能持ちに対してだけど。だから本来なら最初から相手になる筈無かったんだ。けど、まあ凄かったよ。何て言うか、とにかくデタラメな力でさ。今思い出しても背筋が寒くなるよ」
戦いの舞台となった世界は、今俺達が居るこの世界と同じ環境で、しかし荒涼とした荒れた大地とどんよりとした曇り空が無限に広がっているような場所だったとか。
生物が存在せず守るべき自然も無いような、正に戦うにうってつけの場所。
そこで、2人は3日3晩に渡って死闘を繰り広げた。
「闘ってる内にエスカレートしちゃってさ。途中からは完全に殺し合いになってた。もう組織云々の事なんて完全に頭から失くなってたね」
そして迎えた最終局面。
お互いに消耗し、次が最後の一撃になるであろうと理解していた。
しかし、その時優勢だったのは黒井さん。
「正直勝てると思ってたよ。息の根を止めるのは無理だろうけど、少なくとも戦闘不能にするくらいは可能だと確信してた」
が、超越の魔女も、とんでもない奥の手を残していた。
黒井さんの奥さんは、魔法を駆使して直径数百kmの小惑星に匹敵する質量の近くをえぐり取って、それを魔法で地上から10万km上空の高高度まで転移。そして最後に魔法でその擬似小惑星を時速数万kmという隕石の衝突速度まで加速させ、黒井さん目掛けて打ち込んできたそうだ。
「空を覆ってた灰色の雲が一瞬の内に消え去って、空一面に広がる真っ赤な火の玉が落ちてくるんだ。デカ過ぎで動いてないようにも見えたけど、当然そんな事なくてな? すぐに尋常じゃない熱波が襲ってきて、こらヤバいってなもんでこっちの世界に戻ろうと思ったらさ、カミさん力使い果たしてぶっ倒れてんの」
女ってマジ怖い、黒井さんはそう続けて肩をすくめて見せた。
しかし、俺は何も言えなかった。
スケールが大き過ぎて、言葉が出なかった次第だ。
「いやあ凄まじいですなあ。テレビとかで見たかったでござる」
「本気で死ぬかと思ったよ。もう2度とゴメンだね、あんなの」
「…………確かに壮絶な出来事ですけど、でもそれがどうしてこの世界の龍脈と関係してくるんですか?」
「さっきも言ったけど、その異世界ってのがこっちの世界に凄く近い場所にあってさ、若干リンクもしてたんだよ」
「?」
「つまり簡単に言うと、ごくごく小さいながらもダイレクトにつながりがあったんだよ」
宇宙規模で見れば取るに足らない些事ではあるものの、惑星単位で見ればその星の運命を一変させる天変地異。
計り知れないそのエネルギーは、次元を超えて僅かにつながっていたこの世界にも影響を及ぼしたそうだ。
「全世界の龍脈が大蛇行。慌てた俺とカミさんは何とかそれを元通りにしようと世界中を駆けずり回った。今の状態に落ち着けるまで3年かかったよ。あれもある本気で意味死ぬかと思った」
しかし完全には元通りにならず、しかもいつまた龍脈が暴走するかも知れない状態が続いているという。
「だから俺とカミさんは、いわゆる震源地になってしまったこの福乃井に留まって、龍脈の流れを現状維持させてるってワケだ」
「他のMJ12の方々は力を貸してくれないものなんですか?」
「そもそも連中とはそんなにつながりが無いんだ。1・2回見かけた程度のヤツだって居るくらいだしさ。んなもんだから基本全員我関せずのスタイル。元々自分以外の生命に興味の無いような集まりだからな」
それでも事の重大さは十分伝わっていたようで、それから序列者同士の私闘は禁止するという紳士協定が結ばれたとの事だった。
「まあでも目処はついてるんだ。俺達の娘が将来的に空席になってる序列1位のポジションに収まる。その時に娘の力も借りて、ようやく世界を元通りに戻せるんだ」
「それって……ひょっとして奥さんの力で見た未来の姿なんですか?」
「まあね。この世界の行く末に関わる一大事だ。流石にカミさんも迷わず力を使ったよ」
ふーっと煙を吹き出して、もう何本目になるのか分からないタバコを揉み消した黒井さん。
「そういう経緯で福乃井には莫大なエネルギーが流れ込んでる。その影響で、あらゆる霊的存在が集まりやすくなってるのさ、って、ボチボチ目的地だ」
黒井さんはハンドルを切って国道から外れ、山道に進んだ。
道はアスファルトで舗装されていない砂利道で、しかも対向車が来たら擦れ違いが出来ないくらいに狭い。
「ホン、ト、にこ、の道、で、あって、んのぉ? でござ、るぅうぅうぅうぅうぅ」
「舌噛むかも知れないから喋んねえ方が良いぜー」
黒井さんの古い外車はガタガタと派手に揺れながら、それでもどんどん山を登って行く。
壮大な話を聞いて半ば放心状態だったが、どんどん山奥に進んでいく不安感で、すぐに現実へと引き戻された。
よろしくお願いします。




