脚フェチな彼の受難2
最初はカップルが妙な所で逢引しているな、と思った。ただ、当初から何となく違和感を覚えていたが。
その女性、というよりは少女と言った方が適当だろうか。遠目でしかも視力のよろしくない俺にはハッキリとは見えなかったが、接近するにつれてだんだんと詳細が判明してきた。
白っぽい長袖のTシャツとデニムのホットパンツを履いて、足下は黒のニーハイソックスとハイカットのスニーカーを合わせる服装。背中越しで顔は見えないが、背中辺りまで伸びたストレートの黒髪。察するに、その辺にいる一般的な女子中高生といった感じだ。ただし、その脚の美しさは一般的な基準を遥かに上回っていた。
その女子に対し男の方は、スーツを着込んだ見るからに社会人であり、いわゆる歳の差カップルかと思われた。
そんな二人だったから違和感を覚えた訳だが、特にそこまで気にする事も無かった。
徐々に距離が縮まって、そして二人の様子がようやくはっきりと視認する事が出来るくらいまで接近した時だった。
男が少女の右腕を持ったかと思ったら、
「いやっ!」
と短く、しかしはっきりと拒否の意思を込めた鋭い少女の声が響いたのだった。
距離としては二人まで後五・六メートルくらいだろうか。突然の事に驚いて、俺は思い切りブレーキをかけてしまった。
耳障りな甲高いブレーキ音が響き渡る。高校の入学祝いで購入した愛用のママチャリだが、普段の手入れを怠っているせいだ。
俺も驚いたが、突然の闖入者に二人はもっと驚いただろう。共に俺の方を振り向いて見開いていた。
お互いに動きを止め、やがて沈黙が訪れる。漂い始めた気まずい空気。今更見て見ぬ振りで通り過ぎる事も出来ず、仕方無く、男女の顔を交互に見る。
女子の方はちょっとキツそうな印象はあるものの、凛とした明らかな美形だ。右目を白い眼帯で覆っている。やはり年頃は俺と同じくらいだろうと思われる、脚がグンバツの女。
男の方も、彫りが深い結構なイケメンだった。耳が隠れるくらいの少し長い髪で、頬がこけ気味の痩せ型。明らかに年上だろうという感じだが、正直どこかホストを思わせるようなチャラい雰囲気だ。ただその目つきはやたらと攻撃的でぶっちゃけ怖い。
さてどうしたものか、と思案を始めた時だった。
不意に女子が身を翻して、学校の方へと走り始めた。
「あ!」
という言葉と共に男が振り返った時には、その距離が既に五メートルは離れていた。かなりの瞬発力だ。
「ちょ、待てよ!!」
男はどこかで聞いた事のあるようなセリフをほざきながら後を追う。こっちも結構走るのが速いようだ。二人して見る見るうちに遠ざかって行く。
突然の事態に、俺は戸惑うばかりだった。
正直どうすればいいのか分からない。男女間の単なる痴話喧嘩程度の揉め事だったら放っておいた方が賢明だろう。かと言ってこれが事件にでも発展したら一大事だ。俺に何が出来るんだという根本的な問題はあるものの、何もせずに立ち去った後で、やっぱり大変な事が起こったとしたら寝覚めが悪いなんてものじゃない。
警察に通報でもした方が良いだろうか。でもそれこそ痴話喧嘩レベルの問題だったら――
「助けて!!」
ウジウジと悩んでいると、またあの女子の声が響いて来た。しかも今度はハッキリと助けを求める“悲鳴”だった。
その姿は既に学校の敷地へと消えている。
次の瞬間、俺は反射的にペダルを踏み込んでいた。
勿論先輩の
『誰とも話したり関わったりするな。例え君好みの“脚がグンバツの女”が助けを求めていようとも、だ』
という警告を忘れた訳じゃない。
しかし女性が、しかも俺好みの生地薄めの黒ニーハイを装着した脚がグンバツの女が助けを呼んでいるという事態。頭では無視しようと思っていても、身体が細胞レベルで反応してしまうというものだ。
二人と遭遇した場所から学校の正門までは数十メートル。俺はすぐに正門へと辿り着き、そのまま自転車を放り出すようにして降りて、敷地内へと飛び込んだ。
「大丈夫か!!」
声を張り上げて呼び掛けるが返事は無い。
下手に動き回ると逆に彼女から遠ざかってしまう可能性もあり、尚早化に駆られながらもきょろきょろと辺りを見渡す事しか出来ない。
「くそっ!」
一人毒づいて、右の拳を左の掌に打ち付ける。
その直後だった。
「やっ!!」
大きくは無いが、ハッキリと彼女の声が聞こえた。
――グラウンドか!
弾かれたように走り出す。正門の正面、生徒玄関に向かって左手にあるグラウンドへと。
しかし、この時俺は冷静になるべきだった。普通に考えれば、その特異さに容易に気が付けた事だった。
まだ深夜帯でも無いのに、“あの日”と同じように、辺りが不気味な程静まり返っていた事に。柔らかな月明かりが降り注ぐ雲一つ無い夜空だったのに、周囲が奇妙な暗闇に覆われていた事に。
そして、先輩の警告の後で、あまりにもタイミングが良く事件が発生した事に。
「おい、大丈夫か!!」
しかし、俺は考えなしにグラウンドに飛び出して、再び声を張り上げて呼び掛けていた。そして、その光景を目の当たりにする。
「大じ……え?」
一〇メートル程先。揃って俺を待つようにして立っている、件の男女。
思わず立ち止まり、呆然と立ちすくむ俺。
「よう。悪かったな、騙すような真似して」
急展開の連続で既に思考が停止状態の俺に向かって、ホスト風味の男が親しげに話かけつつ近付いてくる。
「ま、そう緊張するなって。別に怪しいもんじゃねえから」
やがて目の前で立ち止まり、改めてウソっぽい笑みを浮かべながら話し始める。
「俺は篠宮陽介。詐欺とかコソドロなんかで小銭稼いでる、まあチンケな小悪党だ」
満面の笑みで自己紹介する篠宮。こうして間近で見ると、ハッキリとイケメンだという事が分かる。しかし、それはやはりホストを思わせる胡散臭さがあり、話の内容共々怪しいところしか見当たらない有様だった。
混乱しフリーズする俺を意に介さない様子の篠宮。その続いた言葉に、俺は更に混乱した。
「そんでもってお前さんのお仲間って訳だ。仙洞田総一郎クン」
「……仲、間?」
「そそ。仲間。付喪主、なんだよな? 俺もそうなんだよ」
トドメの一言だった。
今度こそ俺は言葉を失って、ただ穴が開くくらい篠宮の顔を凝視する。対する篠宮は、俺を見下すようにニヤついている。
どれくらいそうしていただろうか。不意に、ジャリ、と土を踏む音が聞こえてきた。
「篠宮、油を売っている暇は無かろう。じきに彼の者どもが嗅ぎつけてくるぞ」
声の主に目を向ける。脚がグンバツの女だ。眼帯をしていない左眼で俺を睨みつけている。さっきの可愛らしくもあった悲鳴がウソのように、堅苦しい口調だった。
「へいへい。ま、という事で細かい事はこの際抜きで本題だ。俺らお前さんの持ってる鍔が欲しいんだわ。持ってんだろ?」
人の良さそうな笑顔を見せていた篠宮だったが、一気に眼光が鋭くなった。
気圧されて一歩後退る。
「はっ、そうビビんなって。別に痛い目に遭わそうってんじゃねえんだ。大人しく渡してくれればいいだけの話さ」
「温いのう篠宮。四の五の言わさずとも早う叩きのめしてしまおうぞ」
「おいおいそう慌てんなって。悪ぃな、うちの相方は歳のわりに短気でよ。けど安心してくれ。素直に出してくれりゃそんな物騒な事するつもりねえから」
女を制しつつ、余裕の笑みを向けてくる篠宮。素直に差し出して当然、と言わんばかりに右手を伸ばしてくる。
瞬間、あの時のお光の言葉が脳裏をよぎった。
【たまさか誰かに呼ばれているような――】
いた。お光を呼んでいた存在が、真実、ここに。
篠宮と名乗った男は俺と同じく付喪主だと自称している。とすれば、恐らく女の方は……。
ひょっとして、という思いは勿論あった。しかし、これは不意打ちもいいところの展開だ。何の構えも、心の準備も出来ていない。
けど、それでも一つだけ確信していた。それは、目の前に現れた、お光の本当の持ち主かも知れない付喪主とその付喪神。この二人が、およそ俺の価値基準からすれば到底正しい力の使い手では無いであろうという事。
「おい、早くしてくんねえかな。こう見えて結構忙しいんだぜ?」
何故なら俺の持つ大典太光世の鍔を狙っていて、しかも手に入れる為なら手段を選ぼうとしていないから、だ。
しかし自慢ではないが、一七歳の今日まで碌にケンカなんてした事は無い。幸いにも不良に絡まれてカツアゲされた経験も無いしイジメに遭った事も無い。だから目の前の篠宮に対しても、ぶっちゃけビビッてる始末だ。
でも、そんな口の中はカラカラに乾いて脇や背中に嫌な汗もかいているヘタレな俺でも、自分が置かれた状況を考慮すれば、取るべき行動は自ずと見えてくる。
目の前でニヤけている男と小生意気そうな女は、俺にとって“敵”だ。
それなら、俺に出来る事はただ一つ。
なけなしの勇気を振り絞り上着の右ポケットに手を入れて、それを取り出した。そして、胸の前で握り締めてその言葉を紡ぐ。
「出ろ――お光」
次の瞬間、俺の右手から光の奔流が溢れ出した。
よろしくお願いします。




