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脚フェチな彼の夏7

 柔らかな月明かりが降り注ぎ、穏やかな波の音だけが響く船着き場に、一触即発の緊張感が充満している。

 滝夜叉姫。

 現状における最大の脅威が、今唐突に目の前に現れた。

 真夏にも関わらず、前回遭遇した時と同じ冬用のセーラー服を身に纏って。

「季節外れとか思っているのかしら?」

 俺の思考を読み取ったように、ピンポイントな事を言ってくる滝夜叉姫。

「貴様、何の真似だ」

「いやね、この間注意したばかりなのに。いきなり刃をつきつけてくるなんて、やっぱり武士もののふは無粋で嫌だわ」

 突然の出来事に未だ思考回路がマトモに働かない俺に代わって、お光が滝夜叉姫に詰め寄る。

 お光は既に抜刀していて、切っ先をピタリと滝夜叉姫に合わせていた。

「戯言を。今宵こそ貴様の息の根止めてくれる」

「お、お光、ちょっと待て」

 ようやく声を出せるくらいには状況に対応してきた俺は、お光の右肩に手を置いた。

「総一郎殿?」

「どうせ今回も本体はここには居ないってヤツなんだろ? 滝夜叉姫」

「あら、案外記憶力が良いのねアナタ。半分正解よ」

「半分?」

「そう。今回は幻術なんかじゃなくて、ちゃあんとこの場所にいるの。但し、分身なんだけどね」

 おどけてそう言った滝夜叉姫は、右目をつぶてウインクをして見せた。

「まあ当然そうだろうな。お前が恐れる程の存在が、目と鼻の先に居るんだし」

「うふふ、そういう事」

 微笑んで俺に答える滝夜叉姫。その笑顔は、思わず敵の黒幕であるという事実すら忘れてしまいそうになる程、魅惑的な表情だった。

「どういうおつもりです、総一郎殿。賊と話を弾ませるとは」

 しかし、お光の一言で意識が一気に引き戻される。

「い、いや、実は前々から気になってた事もあるし、少し話をしてみたいと思ってたんだ。なあ、何となくだけど、別に戦うつもりは無いんじゃないのか?」

「ええ」

「じゃあ何の為に?」

「アナタ達と一緒にいる、あの八百比丘尼に用があったのよ」

「矢尾さんに?」

 再び俺とお光の間で緊張が高まる。

 しかし、対する滝夜叉姫は至って普通の様子を変えない。

「どういう意味だ? それ」

「まあ詳しくは言えないんだけど、ちょっと“計画”に必要なの、彼女が。それ以上は内緒」

「貴様……」

 刀を握るお光の腕に力が入ったように見えた。

「そんなにいきり立たないの。で、話は戻るけど、少しばかり面倒事が起きてね。本当だったらアナタ達がここに到着する前に事は片付いていた筈なのに、邪魔が入っちゃって。仕方無いから帰ろうかと思ったけど、折角だから挨拶だけでも、って思ってね?」

「その話、額面通りに受け止めろと申すか?」

「さあ、それはアナタ達次第。信じようが信じまいが、私はどちらでも構わないわ」

「おのれ……」

「落ち着け光世」

 怒りに肩を震わせるお光。俺はその肩に再びポンと手を置いた。

「ここでコイツを仕留めたとしても、結局は分身なんだ。どうにもならないだろ?」

「それはその通りですが……しかし、やけに冷静でいらっしゃいますね、総一郎殿」

「ああ、自分でも驚いてる。多分危険が少ないっていう意識があるからだろうな」

 そのまま俺は前に進み出て、逆にお光を背中にかばう位置に立った。

 俺と滝夜叉姫との距離は、ほんの1m程しかない。

「しばらく見ない内に、少しは逞しくなったみたいね」

「まあな。これでも毎日鍛えてるんで」

「うふふ。もっとお喋りを楽しみたいところだけど、そろそろ時間だわ。また今度ゆっくりとね?」

 滝夜叉姫は、しかしそう言うと、1歩2歩と距離を取り始めた。

「あ、ち、ちょっと待ってくれ!」

 右手を前に差し出して慌てて引き留める俺。

 そして、

「なあに?」

 滝夜叉姫は律儀に立ち止まった。

「1つ聞きたい事がある」

「何かしら?」

「お前の付喪主は今どうしてるんだ?」

 俺がそう言った次の瞬間、それまで柔和に微笑むだけだった滝夜叉姫の表情が、かすかに強張ったような気がした。

「どういう、意味かしら?」

「言葉のままだ。俺の知ってる付喪主と付喪神の関係は、確か付喪主が意識を失えば付喪神も顕現を保てない筈。いくらお前でも顕現出来なければ付喪主を操る事は出来ないだろう? しかし、どう考えても常にお前がコントロールしているようにしか思えない。滝夜叉姫。付喪主は、どういう状態になっているんだ」

 俺の問い掛けに、滝夜叉姫はただ笑みをたたえたまま、何も言おうとはしなかった。

 波の音以外には何も聞こえてこない。

 海から吹いてくる生温かい風が、滝夜叉姫の黒髪を揺らしている。

「――良いわ。今宵は月が美しいから、特別に少しだけ教えてあげる」

 しばらくの沈黙の後、滝夜叉姫は静かに語り始めた。

「私のしもべは、眠りながら目を覚ましている状態にある」

「眠りながら、目を覚ましている?」

 随分と哲学的な言い回しだと思った。

「回りくどい言い方するもんだ。意味が分からないな」

「うふふ。でも、本当にそれ以外に言いようが無いのよ。私の顕現が解除されないギリギリの状態で、ずっと眠りながら起きているわ。まともに話をする事は出来ないけれど、夢の中ではいつもたくさんお喋りしているのよ?」

「その言い方だと、どう考えてもマトモな環境には居ないんだろうな、お前の付喪主は。どこかに監禁でもしてるとか?」

「さあて、ね。どうかしら」

 そう言って、滝夜叉姫はニヤリと口端を歪めた。

「さ、それじゃ私はそろそろ行くわ」

「おい、まだ話は終わって無い。他にも聞きたい事があるんだ」

「1つ聞きたい事がある、そう聞いたけれど?」

「そ、それは言葉の綾ってやつだろ」

「男らしくないのね。ダメよ? 自分の言葉には責任を持たないと」

 そう言うと、優雅なターンを決めて俺に背を向けた滝夜叉姫。

 そのまま軽やかに歩き始める。

「おい待てって!」

「またね、大典太の付喪主さん。せいぜい強くなるのよ?」

「何だと! それはど――」

 最後に横顔を見せてスッと笑ったかと思ったら、闇に溶け込むようにして滝夜叉姫の姿は掻き消えた。

「好き放題にやられてしまいましたね」

 背後に控えていたお光が、納刀しながら俺の横に並んだ。

「ああ。けど、1つアイツを倒す理由が増えた」

「と、仰いますと?」

「アイツの付喪主だよ」

「滝夜叉姫の?」

「ああ。助けないと。間違い無く、どこかに囚われてるだろうからな」

「……! まさしく。必ずや救い出しましょう、総一郎殿」

「おう。取り敢えず戻ろう。まだ騒いでるんだろうけど、緊急事態だ」

「御意」

 と、2人揃って歩き出そうとした時だった。

 足音が近付いてくる。

 しかもその音からすると、かなりの勢いで走っているような感じだ。

「総一郎殿」

「聞こえてる。今度は何だ?」

 やがて足音の主が、勢い良く坂道を下りてきた。

 そして一直線に俺達の前まで駆け寄ってくる。

 現れたのは、またしも少女だった。


よろしくお願いします。

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