脚フェチな彼の疑念2
『五分間に一〇何回も電話をかけるとは、君はストーカーか?』
待ち望んでようやく耳にした先輩の第一声は、何か酷かった。
『ちょっと驚かせてやろうと思ってたのは確かなんだが……間違って途中でメールを送信してしまった事が、かえって効果的だったようだな』
どこまでも普段通りの調子で先輩が語る。その声を聞いている内に、俺は全身の力が抜けていくような感覚に襲われた。
『おい、聞いているのか? 何だ、そんなに驚いたのかい? はは、君はおもっていたよりもずっと繊細だったらしいね。これは新発見だ』
しかし、暢気そうな先輩の笑い声をきいていると、今度は沸々と怒りが込み上げてきた。
「……いい加減にして下さ」
『おや、怒ったのかい? いやだな仙洞田君、そんなに真剣にな』
「俺がどれだけ……! どれだけ心配したのか、先輩にわかりますが?」
先輩の言葉を遮って、大きくなりそうな声を必死に抑えながら訴えかける。
横目に見えたお光は、心配そうな表情を浮かべていた。俺は取り繕うようにして、メガネを直して見せて冷静さを装った。
「先輩が何か重大な事件に巻き込まれたのかと、悲壮な比喩まで持ち出して心配していたんですよ?」
『…………ん? 比喩?』
「い、いえ、こちらの話でした。ともかく今の俺は、先輩のジョークに軽々しく反応出来るような精神状態じゃありません。それだけ先輩の身を案じていたという事を察して下さい」
『………………そう、だな。すまない、仙洞田君。ボクとした事が浅はかだった。謝罪するよ。心配をかけた上に悪ふざけが過ぎた』
電話の向こうで、一人頭を下げる先輩の姿が思い浮かんだ。
「分かっていただけたなら、もういいです。俺も動揺して言葉がキツくなってしまいました。申し訳ありません」
『いやいや、君にそう言われるとボクの方こそ申し訳が立たないよ。気にしないで欲しい。さて、じゃあお互い謝り合ったところで――本題に入ろうか』
先輩の声が、緊張を帯びたものになる。立ったまま電話をしていた俺だったが、その声を聞いて自然と背筋が伸びた。
そして視界の端に映ったお光も、やはり俺と同様に背筋が伸びたような感じがした。
「はい。では早速ですが、聞きたい事がいくつもあります。俺から話をさせてもらってもいいでしょうか」
『ふふ、そう来ると思った。勿論だよ、と言いたいところだが……どうだろう、どうせなら直接顔を合わせて話をしないかい? 状況が色々と複雑でね。言葉だけではどうしても伝えきれない事もあるし、百聞は一見に如かずと言おうか、まあともかく君の目で確かめてもらいたい事もあるんだよ』
「俺は別に構いませんが……先輩がそう言うなら、どの道今は教えてもらえないでしょうし」
『これは痛いところを突かれたね。君には敵わないな。けど、理解が早くて助かるよ。それで、ただその、これも実に言い辛いんだがね……すまないついでと言っては何だが、もう一日待ってもらえないか?』
「え、もう一日、ですか?」
『そうなんだ。まだ整理しきれていない雑事があってね。申し訳無い』
声を聞くだけで、申し訳無さそうにする先輩の様子が浮かんだが、正直期待外れである。しかし、有言実行が信条である先輩は、自分から言い出した事を反故にする事は絶対に無い。明日と言うのなら、明日には間違い無く全てが明らかになるだろう。
「分かりました。他ならぬ桜木谷先輩の言葉なら、信じて待ちます」
言外にプレッシャーを含めつつ、本音で先輩に答える。
『ありがとう仙洞田君。今回の事でボクに対してはキミも色々思うところがあっただろう。けどこれだけは言っておく。ボクは決して君の事を裏切るような真似はしていない。誰に疑われようと構わないが、君だけはボクを“信じていてくれ”』
その先輩の真剣な言葉を聞いて、胸が熱くなった。
確かに一時は疑心暗鬼に苛まれたが、今はもう吹っ切れている。それでも先輩に直接頼まれれば、一層先輩の事を信じたくて仕方無くなってくるというものだ。
「先輩。先輩こそ俺の事を信じて下さい。この仙洞田総一郎、世界中を敵に回しても先輩の味方であり続ける事を誓います。もしこの言葉を偽る事があれば、生命よりも大事な秘蔵HDDを先輩の目の前でスクラップにしてご覧に入れましょう」
『……出だしはイイ感じのセリフだったんだが…………まあいい。君にしてみれば、まさしく天地神明に誓ってというところなんだろう』
「ご理解いただけて何よりです」
『ふむ、それならボクも約束しようか。もしボクが君を裏切るような真似をしたら、その時は君の望みを何でも聞いてやろう』
「えっ」
『ふふ、それくらいのリスクは背負わないとな。さて、ではそういう事だ。詳細は別途メールで知らせるよ。それでは明日、よろしくな』
「え、あ、はい、分かり、ました」
最後におやすみと言って、先輩から電話を切った。
ツーツーと鳴る携帯電話を、俺はしばらく耳に当てたまま、先輩との会話を頭の中で反芻していた。
――何でも、だと?
何でもとは、やはり何でもなんだろうな、うん。じゃあ何か? 使用感のある白いハイソックスを履いた脚で顔を踏んでもらえるとでも? もしくは俺のストライクゾーンを直撃するようなデニール値の低い薄い黒のストッキングを履いた脚を舐めまわさせていただけるのか?
何という事だ。長年温めてきたありとあらゆる夢が、とうとう現実のものになってしまうという事じゃないのか? それお前……例え神龍でもそこまで凄い願い叶えてくれねーぞ!!
って、いやでも待て。時に落ち着け。それってでも先輩が俺を裏切らないとダメじゃん? じゃああの時のアレもやっぱ罠って事じゃん? そしたらお前……全然ダメじゃないか。
でも、でも俺!!
嗚呼!! 踏まれたいし舐めたいし触りたい!! 先輩に裏切られたくもない!!
「何というジレンマ!!」
気が付けば俺は、一人涙を流しながら、強く強く携帯電話を握り締めていた。そして、ふと視線を感じて振り向くと、心配そうに俺を見守っていたお光の顔が、能面のように感情の欠片も感じさせないものへと変貌していた。
俺は静かにケイタイを閉じて机に置いた。そしておもむろにメガネを直しつつ、軽く咳払いをして口を開いた。
「……なあお光。今俺は何か言っていたか?」
「………………何やらお一人で呟いてはいらっしゃいましたが、生憎とそれがしには全てを解す事は出来かねる内容にございました」
「そう、か。そんなに声大きかったか? お、おかしいな~」
「誠に由々しき事実ではございますが、付喪神と付喪主とは、その霊力を通じ五感を共にする事が可能にございます。故にその気になれば、ある程度離れた場所にあったとしても、お互いの見聞きした事が分かるもの。この位置であらば聞き耳立てずとも、嫌でも聞こえて来ようというものにございます」
「へ~、そりゃ大したもんだな、うん。ま、まあ別に何でもないんだ。気にするな。な?」
「……………………」
どうやら途中から思考が口をついて漏れ出していたらしい。そのせいで、お光が道端に落ちている犬の糞でもみるような感情の無い顔で見ていたのだろう。
気まずい空気に耐えきれず、俺は再びメガネを直しつつ咳払いをして、学習机の椅子に腰を下ろす。そのタイミングを見計らったかのように、お光が姿勢を正して口を開いた。
「それで総一――糞野郎殿、明日はどのような段取りで?」
「どう考えても作為的な言い間違いだが聞かなかった事にしよう。明日の事は後程詳細を教えてもらう事になった。どうあれ全ては明日だ。これでようやく白黒決着がつく」
「承知致しました。ならばそれがしはこれにて。明日、刻限にまたお召し下さい」
「ん? どうしたんだ? ボチボチ晩飯の時間だと思うが、今日は食べないのか?」
お光いわく、付喪主によって召喚された付喪神は、術者から霊力の供給がある為基本的に食事等のエネルギー補充を必要とはしないそうだ。しかし、だからと言って食べ物を口に出来ない訳ではなく、食事をする事も可能らしい。
その為、喜由は勿論オフクロにも気に入られているお光は、晩飯については大概一緒に食べている訳だが――
「調子でも悪いのか?」
「総い――糞野郎殿と同じ部屋にいるのも苦痛なもので(明日に備え英気を養おうかと存じた次第にございます)」
「律儀なボケをかましてまで言い間違えるとは見上げたものだな」
「お褒めに預かり恐悦至極」
「お前案外性格悪いよな」
「そ――糞野郎殿には遠く及びませぬが」
「よし。じゃあメシ行くか」
「御意」
お光の返事を合図に、二人揃って立ち上がる。
コイツが我が家に棲みついてまだ二週間程だが、こんな感じのやり取りもすっかり板についてきた。イヤな慣れ方だが。
その後、待ち侘びていた先輩からのメールは、日付が変わる直前に届いた。場所は十高校で、時間は午後一〇時。女性の夜間外出はどうかと思い、返信文にその旨載せてみたが、
「案外フェミニストなんだな」
あっさりと一蹴されてしまった。
その返信にやれやれと溜息をついて、灯りを消して床につく。期待と不安で寝付けないかと思ったが、心配事が無くなったせいかすぐに眠気に襲われた。そして薄れ行く意識の中、俺は願い続けていた。
――七:三で裏切られますように
と。
よろしくお願いします。




