第6話
俺たちが北の門にたどり着くころには、空は夕日の光でオレンジ色に染められていた。北門前には兵士だけではなく、商人たちも集まっている。何をしているんだろうと不思議そうな目で俺が見ているとフィンさんが答えてくれる。
「商人たちは補給物資を運んでくれている。食料や傷薬、戦闘に必要そうなものを衛兵隊で買い上げている」
なるほどと頷く。
さらに進み門の外に出ると兵士が木製の柵などを設置している。街での被害を出さないように、北門の前で敵を迎え撃つのだ。
北門の外は何もない平原だ。遮蔽物のない場所では魔物に有利な戦闘をされてしまう。自分たちに有利になるように適度に並べていく。その後ろでは野営の為の陣地を作っている。
「我々は王国派遣隊と合同で周辺の警備に当たる。各自行動に入れ」
隊長の言葉で隊員たちはそれぞれ分けられた部隊ごとに散っていく。俺たちは隊長のそばで待機だ。
「陣の設置が完了するまでは待機だ。緩み過ぎない程度に気を抜いておけ」
「了解」
ジル、フィンさん、俺がそれぞれに答える。陣の設営などを見ていると、そろそろ明かりの為の火を起こしていた。夕日はまだまだ辺りを照らすものの、気づいたころには沈み切っているだろう。平原は見渡が良く、遠くまで見通せる。奇襲などはされる危険は少ないだろう。
完全に陽が沈むころには陣の設営も終わっていた。隊長を先頭に陣の中に入ると、西の隊長と派遣隊の隊長が待っていた。状況は何も変化しておらず、魔物の姿はまだ見えていない。街道を警戒している伝令からの連絡もまだ入っていないとのこと。
その日は何事も無く過ぎていく。この日の夜の警戒は外されていたので、ゆっくりと休むことができた。
事態が動いたのは次の昼の正午過ぎ、街道を警戒していた部隊からの伝令がはいる。
「西の街道から北に魔狼『ブラックウルフ』の群れを確認、数は八〇以上。現在北の森を目指し移動中、速度は遅く街付近に到着するのは明日以降になるかと思われます」
「八〇だと! 商人の話の二倍以上じゃないか!」西の隊長が叫ぶ。
「たとえ攻められても防戦に徹すれば押し返せましょう。それに到着は明日以降になるのならば冒険者が間に合うはずでしょう」派遣隊長が冷静に答えるが、最終的には冒険者だよりになるという言に西の隊長は憤る。
「防戦している間に幾らの被害が出るか、わからないぞ! 冒険者なぞ来るかもわからない、当てにするのは危険だ!」
「確かにその通りだが、叫んでいるだけでは何も変わりますまい。今こそ冷静に考えるべきだと、私は考えますが?」
西の隊長はチッと舌打ちをして息を深くすう。息を吐くと落ち着きを取り戻したのか、平坦な声を発する。
「……取り乱してすまない。作戦を考えよう」
三人の隊長はそれぞれ方針を打ち出し、それに沿った作戦を立案する。時間稼ぎの防戦というのが最終的な結論になったようだ。
「結局は現状維持ってことかぁ。魔物の位置は分かってるんだから、しばらくは安全かぁ」
「油断禁物、敵はブラックウルフ。走り出したら馬より早い、ここまでは半日もかからない」
二人のやり取りを聞く俺も改めて気合を入れなおす。敵はすぐそばにいて、いつ戦闘になるかもわからない状態が続いているのだ。伝令が帰ってきて報告を繰り返しているが、ウルフ達は歩く速度を維持したまま森の方角へと向かっている。
「緊張のし過ぎも良くはない、疲れてしまうだけ」
気合を入れ直し、身体に力を入れたのが分かったのだろうか、フィンさんはこちらに向かってそういった。
本当に俺のことをよく見てるよな――と感心してしまう。
「大丈夫だよ、フィンさん適度に力は抜いてるからさ」
「そう、疲れたら言って。膝貸してあげるから」
「フィンさん、ボク疲れたぁ膝枕してぇ」
「ジルにはそこの岩で十分」
「そんなぁ」
二人のやり取りに声をあげて笑う。緊張など無縁なジルと気遣い屋さんなフィンさんは場を明るく取り持つ才能がある。いつも二人に救われてきた気がする。俺はこんな二人を絶対に死なせたくないと持つ槍を強く握る。敵の数は多いが被害など出さずにきっと乗り越えて見せる。
見上げた空は雲が厚く、太陽の光を遮っている。いつもよりも暗い空は俺の心にも若干の影を落とす。その空はまるでこれから起こる悲劇を暗示しているような気がしたからだ。
この日も完全に陽は落ち、辺りを照らすのは篝火の明かりだ。星の明かりもなく遠くは完全な暗闇になっている。見える範囲は篝火や松明のすぐ傍までだ。昨日よりも多目に作った灯りだが、それでも闇のほうが遥かに多い。
伝令も何度目だろうか夜の暗闇のせいでウルフ達の姿が見づらくなっている。偵察も難しくなってきているらしい。ウルフ達との距離は大分近づいていた。徒歩半日の距離まで来ているとのこと。ウルフ達が駆けてくるならばあっという間の距離だ。
陣の中も緊張が走っている。交代で休むはずの兵士までもが目を凝らし闇を眺めているのだ。自分が交代の兵であっても同じことをしているだろう、恐怖で眠れるはずなどないのだ。
「ジル、起きてるか?」
「……んぁ、起きてるぉ」
「完全に寝てた。立ったまま眠るなんてジルは凄い」
「褒めても何も出ないぜぇ、わっはっはっは」
馬鹿にされているのが分からないのだ、ジルは本当に馬鹿だ。この緊張の中でも眠れる度胸は凄いとは思うが。フィンさんもあきれてジルを見ていた。隊長はじっと森の方角を見ている。闇でおおわれている現在ではほとんど何も見えていないはずだが、隊長には何か見えているのだろうか。敵が来た場合すぐにでも気づけるように目を凝らしているのだろう。
風が陣地の中に吹く。肌寒さを感じさせる風だ。一瞬すべてが止まった気がした。動いているのは揺らめく松明の火。風により火の形が変わったからだろうか、闇が増えている気がした――否、実際に増えている。光に照らされている大地の上に黒い塊がある。遠くで叫び声があがる。すぐに収まる。喉元を食いちぎられたのだろう。遠くからでも黒いものがとびかかったのが見えた。闇はどんどん増えていた。
「敵襲!」
隣にいた隊長が大きな声を上げた。
人間の警戒などあざ笑うかのように忍び寄っていた闇は、身構える間もなく兵士たちに襲い掛かる。遠くに見える光景には現実感がなく、ショーを見てるように喜劇的ですらあるのだ。食いちぎられた人間は人形のように手足をぶらぶらさせて、空中に投げ出されている。自分の手足が震えているのが分かった――遠くではあるが人の死を感じさせる光景は心に大きな楔を打ち込んだ。コワイコワイコワイコワイ。
敵の群れの中に飲み込まれれば、きっと何もできずに食い殺される。ネコマルの、あの冒険者のような力があれば、全てを吹き飛ばし一瞬で勝利を得られるのに。内の思考に囚われた身体は、視界や耳から入ってくる情報を拒絶していた。ただ、動けず立ち尽くすのみだった。コワイコワイコワイ。
ぱん!と頬に痛みが走る。フィンさんが俺の頬を叩いのだ。痛みで思考が回復した。
「クルトぉ、大丈夫だ。オレ達がいるんだぁ」
「クルト君は私が守る」
先ほどまでの馬鹿なジルはそこにはいない、大きな盾を構えた姿は英雄にも匹敵するほどに様になっている。フィンは短い杖を構え、魔法を唱え始めている。隊長は各部隊に指示を出して陣形を作っている。固まっていたのは俺一人だけか――恥ずかしく思う、しかしこれから挽回すればいいのだと開き直る。
槍を構え呼吸を整える。いつもと変わらない、ただ相手をぶちのめす。それだけだ。
「フィン! ジルニクス! クルト! 我々も打って出るぞ!」
隊長の言葉に俺達は前に出る。ここからでは詳しい数はわからないが、見えるだけでも三〇はいるだろう。こちらもやられているばかりではない、人間様の反撃をみせてやる。