第2話
街並みに落ちる夕日とはいつみても綺麗なものだ。大通りから一つ入った通りを歩く。大通りは人が多くて余り好きではない。
この街『コルタニア』はロックフロンタル王国の東の国境付近にある。王都から伸びた道路がそのまま街の西から東へと通り抜けている。街はその道を中心に作られており、王都からの道は国道と呼ばれている。国道まわりには多くの商店が並んでいる為、人の通りも多い。国道の周りで大抵の買物は済ますことができる。
俺の目的地は国道より二つほど入った道にある酒場だ。行きつけの酒場で、今回は闘技大会の慰労会をやるのだそうだ。
企画は同期入隊のジルクニスがしていた。闘技大会の参加者は俺を含め、三人ほどだっただろうか――が今回の主役だ。他の出場者は勝ったなどという話を一度も聞かなかったので初戦敗退だったのだろう。
「クルト! 闘技大会惜しかったな。ガハッハ」
声をかけてきたのは強面のおっさんだ。年齢は五〇歳くらいだろうか。見れば店の裏口の扉から出てきていた。
「おっちゃん、惜しくなんて全然なかったろ。手も足も出なかった」
「いい武器を持ってないからじゃないか。ワシんとこの武器を買ってけば勝てるさ。ガハッハ」
おっちゃんの特徴的な笑い声は愛嬌があり、聞くものを癒す効果がある。
「衛兵隊の給金じゃ、おっちゃんのトコの武器なんて買えないさ」
「ガハッハ、貯めて貯めてすれば買えるだろうさ。いつでも待ってるからな。ガハッハ」
「簡単に言うけど、一〇年貯めても鋼鉄武器揃えられるくらいだぞ……。あの冒険者の装備と同じレベルの装備なんて一生かけても届かないぜ」
「そうだろうさなぁ。ガハッハ」
本当に簡単に言ってくれる……。冒険者の収入と衛兵の下っ端である俺の収入では比べるのも笑えるくらいの差がある。冒険者の最低ランクであるEランクの者たちですら、俺の収入を大きく上回っているだろう。
おっちゃんの武器屋には昔から通っていた。高性能で機能美のあるおっちゃんの武器は子供のころから憧れていた。いつか俺も手に入れてやろうと考えていたその武器たちに付けられた値段は、金の価値を理解した俺の夢を完膚なきまでに叩き潰した――世の中、金なんだと思ったものだ。
「おっちゃん、また武器見に行くわ」
「おう、いつでも来いよ。ガハッハ」
別れの言葉を告げ、酒場へと向かう。夕日はすっかり大地に沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。
暗い世界は人の営みの光によって照らされている。通りに並ぶ酒場からは楽しげな音楽や話し声が響いている。通称「飲み屋通り」などと言われているこの通りは、酒場が数多く並んでいる。その中の一つが慰労会の会場の酒場だ。木で彫られた看板はコップの上に乗ったリンゴが描かれている。酔っ払いのリンゴ亭、それがこの店の名前だ。
扉をくぐると、酒場の店員である女性がこちらにかけてくる。
「あ、クルトくん!皆さんもう集まってますよー」
「アルファさん、お久しぶりです」
「挨拶なんていいからー、急いで急いでー」
何をそんなに急いでいるのだろうか、奥の様子を伺うと――ジルクニスが騒いでいるのだろうか、声が入口まで届いている嫌な予感がする。アルファさんは俺の手を握り、奥の部屋へと引っ張っていく。アルファさんの手は冷たいななどと考えているうちに奥の部屋に到着する。
部屋にいるのは発起人のジルクニス、二年先輩のフィン、あとは衛兵隊長と一五人の仲間たちだ。
「クルトくんがきましたよー、じゃごゆっくりねー」
アルファは営業スマイルだろうか、にこやかにそれだけ告げると部屋から出ていく。
猛獣の檻のなかに放り込まれた――その感想は間違っていないはずだ。こちらを見た部屋の中にいた彼らの視線は獲物を狙う。肉食獣の目だ。
帰ろうかな――あまりの迫力に後ずさる。振り返り外に逃げようとすると、それよりも早く手を掴まれる。ジルクニスだ。
「おいぃ、主役君がどこに行くんだぁ?」
すでに相当飲んでいたのであろう酒の臭いが言葉とともにやってくる。
「いやあ、ちょっとトイレに行こうかと思ってね? 逃げようなんて思ってないからな。だから手を放すんだジル!」
「逃げようとしてる奴は皆そう言うんだぁ! 隊長どの、敵前逃亡犯がいます、如何しますかぁ!」
手を何とか振りほどこうとするが、身長も高く体の大きな彼の力は強い。ガッシリと掴まれた腕はビクともしない。
「敵前逃亡には死を!」
「そうだ! 酒を死ぬまで飲ませろ!」
(くそ、後で覚えてろよ!)
何人かの男たちがそう叫ぶ。叫んだ人間の顔を記憶しておく、絶対に許さない。
隊長は太い声で告げる。
「クルトには闘技大会で勝ち進んだ功績を認め、無罪とする!」
さすが隊長、俺の味方だ。いつも俺のことを分かってくれるのは隊長だけなんだよね、うんうん。
「さらにその功績を称え、副賞としてこの酒を進呈する。なお受け取り拒否は許さん」
(なんだと……!?)
さすが隊長、俺の敵だった。俺の予想の遥か先にいる隊長まじ悪魔、隊長を信じてたピュアな心返して。
ドンっと渡されたのは深めの皿に注がれた酒だ――あまり酒に強くない俺はこの量を飲むと一発でダウンするだろう、皆わかってやっているのだからひどいものである。
断ることができない隊長命令に、覚悟を決める。
「ありがとうございます! 隊長殿! いただきます」
お酒を受け取ると、まわりから歓声があがる。皿に口を付ける、ちびちびと味を少し味わい、覚悟を決め皿を傾けようとすると。そのタイミングで救いの手が現れた。
「ストップ! 隊長も悪乗りしすぎ。飲めないもの無理に飲まなくていい」
ダークグレイの髪を目の上で切り揃え、後ろ髪は短めになっている。シルエットは細く女性的なふくらみが少ない。二年先輩のフィンだ。衛兵隊で唯一の女性であり、隊長も頭があがらない人物である。女神とはこういう人なんだろうか、絵画の女神のような爆乳は無いが――フィンさんは俺の手からお酒を取ると隊長へと渡す。
「祝杯もあげたし、もういい。クルト君、向こうに美味しい食べ物いっぱいある」
と俺の手を取り料理が並べられている前と連れてきてくれる。アルファさんと比べ暖かい手だ。
後ろではすでに隊長たちが別の生贄に目を付け、同じような光景が繰り広げられている。もちろん生贄に救いの女神は現れないが。次の犠牲者の悲鳴を聞きながら俺たちは、別のテーブルへと向かった。
「フィンさん、有難う。助かったよ」
「ふふ、クルト君は私が守る。お姉さんに任せて。お料理とってあげる」
取り分けてもらった料理に舌鼓を打つと後ろから、声をかけられる。
「クルトぉ、お前のせいでオレが飲まされることになっただろうぅ。うぷっ……」
フラフラと俺たちの前に現れたのはジルクニスだ。
「俺に飲ませようとしたのも、ジルが狙ってたんだろう。自業自得だろ」
「オレはお前を労ってだなぁ、美味しいお酒を飲んでいただこうとしただけだろぉ」
「嘘。ジルはクルト君にお酒を一杯飲ませるんだって騒いでた。酔っぱらって倒れたら玩具にするとかも言ってた」
「フィン! 全部話さないでぇ」
馬鹿な奴だけど悪い奴じゃない、それがジルクニスの印象だ。身体は大きく、顔も悪くないが女性にいまいち人気が出ないのは馬鹿なせいだろう。黙っていればカッコイイと思うし、高い身長は男らしい。俺と二人で衛兵として街のパトロールに行くといつも俺が子供扱いされるのは、ジルの高い身長と比較されるからだろう。
――断じて、俺が小さく子供だからではない。喋れば馬鹿っぽいのは口調の所為もあるだろう、語尾が空気を抜いたように伸ばす癖があるのだ。
ジルたちとのやり取りに頬を緩ます。
「クルト君、やっと笑った。闘技大会の後からずっと元気なかった」
フィンの言葉でやっと気づいた。闘技大会に負けてから笑えずにいたことを。
「ジルがこの会を開いたのも、クルトの為」
「フィン、そーゆーの恥ずかしいから言わないでぇ」
騒ぎたいだけじゃなかったのか――普段からバカみたいなことしか言わないし、やらないから忘れてたが、ジルはとてもいいやつだったのだ。衛兵隊のなかでも浮いていた俺を一番に気遣ってくれたのがジルだった。
彼と正面に向き合う。
「ジル、有難うな。」
「ハズいからやーめーてーぇ」
真っ赤になるジルをフィンと二人で笑いあった。――ジン、フィンさん有難う。心の中でもう一度感謝を述べた。