私には新しい真実を
「暴れるな! 大人しくしろ」
荷車から降ろされた直後、私たちは目隠しをされて何処かに運ばれました。恐らくは体格に恵まれた方に担がれての移動でしょう。腹筋のないお腹にその誰かの肩が食い込んで痛い痛い。騒ぐと決まってドスの聞いた声で怒鳴られるので必死に耐えました。怖かったんだもん。
近くではオルガ様が暴れていたようです。威勢良く叫んでいたオルガ様の声が途中から唸り声に変わったのを感じました。口まで塞がれたんですね。私は早いうちに黙って良かったです。半泣きなので口を塞がれたら窒息しちゃいますもの。鼻水ダラダラですから。誰か拭いてくれないかしら。
恐怖は感じつつも、どこかのんきに運ばれていきます。
やがて、運搬者の足が止まり、私は床に下ろされました。
はぁ、痛かった。安心するのもつかの間。私は勢いよく剥がされた目隠しに驚きます。
しかし、もっと驚いたのは、目の前にたたずむ人物を目の当たりにした時でした。
「ようこそ、卑しい娘たちよ」
もう、目を白黒させるってこういうことでしょうか。目の前の光景が信じられず、何度も瞬きしてみます。でも、やっぱりこれは現実みたい。うそでしょう?
「ルミドラ姫! てめぇ、なんでこんな!」
そうなんです。オルガ様の仰る通り。なんでルミドラ様貴女がいらっしゃるんですか!
隣に降ろされたオルガ様が食って掛かります。でも、手足を縛られた格好じゃどうにも迫力に欠けますね。
「オルガ殿は相変わらず口が悪いようですね。妾にそのような口をきくとは」
ルミドラ様? あれ? なんかキャラクター違いませんか?
私は目の前に表れた絶世の美女に驚いて声も出ません。勿論、その美しさにもですが、手紙との性格の違いに呆然としちゃいました。だって、全然別人。あんなに慎ましく控え目で一途な乙女は何処へ?
「オルガ、お前に用はない。早々に帰れ。お前に怪我をさせれば国際問題になるからな」
いやいや、オルガ様より実は私の方がヤバイですよ。母国どころか、フラントゥーナ様を信仰する神殿を敵にまわしますから。国家をまたにかけた組織ですからね! ついでに女神の逆鱗に触れるかもしれませんよ?
「そういうわけにはいかないよ。エリシュカは世界の命運を握る女なんだからな」
「そんな小娘がか。笑わせるな」
ルミドラ様の顔に凶悪な笑みが浮かびます。美しい人のこういう顔って非常に恐ろしいです。
「ならば、世界の命運とともに妾が吸い付くしてくれよう」
ルミドラ様の真紅の瞳が妖しく輝きます。何て艶かしい煌めきなんでしょう。まるで燃え盛るような朱色の髪に彩られ、更に艶を増す……。ため息が出ちゃいます。そう、きっとこれが美というものなんですよ。魅了されるべき瞳です。されないなんてなんて勿体ない。ああ、ずっとこの煌めく紅を……。
「エリシュカ! 目を見るな」
「へ?」
「食われるぞ」
「え!」
咄嗟に身を捩ると、直ぐそばにあった紫色の唇から舌打ちが聞こえました。
「な……、何てことするんですか!」
あ、危ないです。血を吸われるところでした。そうそう、このお姫様は吸血鬼でしたね。こわっ!!
「お前も妾を欲していたではないか」
ルミドラ様はそう言うと、紫色に彩られた爪で私の頬をなぞりました。ピリッとした痛みが頬を滑り、そこから何かが流れるのを感じます。ルミドラ様はそれを指先でなぞると舌を這わせました。
「なんと甘美な。妾に相応しい。この娘をラディス様との結婚式の贄としよう」
ルミドラ様はそう言うと、舌を舐めずりながら奥の玉座へと戻っていきます。その所作一つ一つもまるで舞うかのように軽やかなのに計算しつくされたように無駄がなく、どことなく気品と威厳を兼ね備えています。その完璧さの一片でも良いから私にくださらないかしら?
「てめぇ」
「オルガ、お前も招待致そう。新たな魔王降臨は近い。めでたいのう」
姫君の美しいお顔が喜びに満ちて更に輝きました。なんて美しいのでしょうか。もう、あの映像のルミドラ様は何だったのだろうと思ってしまうくらいの美しさです。
「狂ってる。そんなことでラディスの心は手に入らないよ」
「心なんて要らない。ただ側に居てくれたら脱け殻でも構わない」
「それすら叶わなくなるぞ」
「いいえ、その娘が逝けばきっと」
うっとりと美姫に見とれる側で不穏な会話が繰り広げられています。な、何言ってるんですか!!
「ちょっと、私をどうするつもりですか!」
「何を今更」
いやいや、全く話がわかりませんから。何が今更なんですか!
「お前が悪い」
ルミドラ様は私に背を向けてそのまま去っていきます。
なんだかとんでもなく理不尽なこと言われてますよ。
美女に圧倒されていた私は漸く我にかえりました。それと共に沸々と沸き上がってきたのは怒りです。
何なんでしょう。ラディス殿が欲しいから、私は邪魔だと! それで人一人を亡きものにしようとするなんて……。どこまで傲慢なんですか!
「あんた、嫉妬に狂ったその顔でラディスに会うつもり?」
「嫉妬だと。戯言を。妾が何を羨む? 美しさも、力も、富も、権力も妾に敵う者は居るまい」
でも、貴女の心根は心底汚い。その浅ましさがせっかくの美しさを濁らせます。どうして、全てをお持ちなのに気高く生きられないのでしょうか。魔族の性ですか?
「お前が悪い」
ルミドラ様が私にかける言葉はただそれだけ。怒りと嫉妬と……負の感情に歪んだ顔でそれだけを吐き捨てるんです。そこまで貴女を追いたてたのは、本当に私ですか? それともラディス殿?
しかし、その疑問や憐れみよりも私の中で怒りが勝ちました。
「ぶさけるな。貴女は人の命を何だと思っているんですか! それに私が悪いって何ですか! 貴女は私に危害を加えましたが、私は貴女に何をしました? ラディス殿の考えなんて私の知るところじゃありませんから。私、ずっと貴女に憧れていたのに、こんな形で裏切らないで!」
そうなんです。まるで女優さんやアイドルに憧れるような気持ちで貴女を慕っていました。お手紙でみるルミドラ様は、正に淑女。大和撫子の美意識にも通じる淑女でした。理想のお姫様でした。美しさや力や富や権力を鼻にかけない丁寧な貴女の態度は本当に尊敬していました。美徳でした。
でも、あれは全て虚像だったんですね。こんなに失望させられたのは久しぶりです。
「妾が裏切る? 笑わせるな。お前とそのような間柄ではない」
「そうですね」
そうなんです。仕方ないんです。ルミドラ様は私の正体を知りません。私の痕跡を全て綺麗に消した文をお送りしていましたから。
「でも、私の知っているルミドラ様はこんな方じゃない。ただ一心にラディス殿に恋い焦がれる女性でした。真っ直ぐなそのお気持ちは感動するほどだったのに」
「お前、何者だ」
あ、コレってもしかしてヤバイ? 自ら正体をバラしているようなものじゃないですか!
「え、いや。あの……」
「彼女は聖職者だ。勇導士つきの」
「そう、そうなんです」
ナイスフォローですオルガ様! それなら、全く怪しくないです。
「フラントゥーナはそんな不埒な者を膝元に置いているのか。神にその身を捧げておきながらラディス様を誘惑するなど」
何でそうなりますかね。恋の色眼鏡は愛する人が正義に、そして恋敵が悪に見えるフィルターがかかっているのでしょうか? どうして、ラディス殿が一方的に私に嫌がらせをしている事実に気づかないのでしょう? 本当にいい迷惑なんです。だってそうでしょう? あの方が妙な事を言わなければ、私はこんな危機に曝されなくても済んだのですから。
「フラントゥーナ様も、ラディス殿も、そして貴女! ルミドラ様もどうして私にそんな無理難題を吹っ掛けるんですか! 私はただ、平凡に目立たず……」
平凡に目立たず、平穏無事に暮らしたかっただけなのに。ただ、静かに小さな幸せが欲しかっただけなのに。
「私にだって、選ぶ権利はあるはずです」
「お前に選択権などない。お前は消えるのみ」
皆が私の基本的人権を無視します。でも、私にだって未来を選ぶ権利はあるはず。
「もう嫌。助けて!」
でも、誰が助けてくれるの? 私には誰も味方がいない。私は独りなの?
「直明……」
涙が滲みます。長く生きた記憶がある分、負の感情にはある程度の耐性があるつもりでした。経験からこの先に見える悲劇を予測するとが出来れば、心構えが出来るて衝撃は小さくなるんです。でも、ここまでどうしようもにのは初めて。もう、限界です。
「勇一郎……」
帰りたい。戻りたい。優しい家族の元へ。平和で平等な前世に。
止めどなく流れる涙も漏れ出す声も、凡そ大人のものとは思えないものでした。突き付けられた現実の重さを今更ながらに思い知ったのです。
「帰りたい」
前世の記憶があるせいで、ずっとこんなふうに泣けませんでした。それはいけないことのように感じていたからです。私が泣いても状況は変わらないし、皆が困るだけ。経験からそんなことわかります。敢えてそんなことをしてはいけないと、私の中の正義が私を正すんです。私の意思なんて無関係に。きっと、そうやって耐えることに慣れ過ぎちゃったの。
でも、間違っていたのかもしれません。私は80歳過ぎたおばあちゃんじゃない。まだ10代の少女なんです。泣けば思いやって貰えたかもしれません。我が侭だって分かっていても我を張れば通った無理もあったはずです。
そう思ったら急にそれまで我慢していた気持ちがあふれ出しました。
本当はもっと親元に居たかった。勇導士にだってなりたくなかった。こんな残酷な世界に生まれたくなかった。両親に、神殿の神官さんたちに、フラントゥーナ様にお願いしてみれば良かった。私は物わかりが良すぎたんです。理不尽だって分かっていたのに全部受け入れて。
「帰すわけがなかろう」
なのに、ただ一つ、皆に懇願した細やかな願いまで奪い取られてしまうんですね。
特に大きな富が欲しいわけじゃないんです。ただ、その日食べるに困らず健康に生きて居たかった。この世界ではそれすら贅沢な願いかもしれません。でも、誰もが望む共通の夢なんです。そんな平凡な夢をもつ普通の女の子なんです。そんな細やかな夢を持つことすら私には許されないのでしょうか?
それなら、恋が叶わなくてもいい、出世もいらない。たくさんの物が欲しいとも思わない。だからお願いします。せめてここから逃して。知っている人が誰もいないところに。
私は静かに目を閉じました。私を知っている人が居ないところ。そんなものないに決まっています。何たって遠い魔国のルミドラ様が私の存在をご存知なのですから。きっと、どこに行っても私は勇者を誘惑したふしだらな聖職者として罵られ続けるんです。なんて惨めな人生でしょう。
世界を救うために力を注いだのは、ラディス殿やそのパーティーだけじゃないのに。
頭の中が負の言葉で溢れています。支離滅裂で、どの話がどこに繋がっているのかもわかりません。ただ、これまで理解出来ていたはずのことを解放された欲求が否定するんです。だからどうしようもなく混沌としています。俯瞰する86歳の精神と、嘆く18歳の心。理想に憧れる若さと、現実を知る経験。どれも真っ当で、どれも間違っている。
「大嫌い」
そして、私は世界を深く嫌悪する気持ちに気付きました。
それに気がついた瞬間、私の中でフラントゥーナ様の気配が消えました。びっくりするほど唐突に忽然と。変わりにほの暗い憎しみに満ちた何かがジワジワと私を侵食します。全てに絶望し、全てを憎み、全てを呪う言葉が頭の中を駆け巡ってゆくのです。
ナンデ。ドウシテ。ニクイ。ダイキライ。キエロ。キエロ。キエロ。
それは闇に落ちた勇導士たちの叫びでした。
ある者は勇者の我が侭を聞き入れ彼に隣国の姫を宛がいました。けれど、勇導士が女性であると知ったとたん、勇者は心変わりをして勇導士を無理矢理奪いました。勇者の子を生んだ勇導士を姫は許してはくれませんでした。姫はその生れた子を奴隷として売り飛ばし、勇導士を異端裁判にかけ、魔女として処罰しました。勇導士は恨みました。勇者を、姫を、そして助けてくれなかった神官たちを、女神を。そして、彼女は闇に落ちたのです。
ある勇導士は、勇者を愛していました。けれど権力の重圧から勇者に意図せぬ結婚を押し付けました。結果、勇者は相手を殺しその一族は滅びました。そして、その責を勇導士が問われました。暗殺の主犯として。愛する勇者は自害し、勇導士は無実の罪で裁かれました。勇導士は呪いました。自分の弱さを。そして、強い自分を願ったのです。そして彼女は闇に落ちました。
どれも全て理不尽なことばかり。自分が奴隷に身を落とした者。嫉妬から暗殺された者。騙されて利用され続けた者。絶え間ない拷問の末に発狂した者。貪られ、耐えに耐えかねた彼女たちが闇に落ちてゆく様が浮かんでは消えていきます。
これが、ーー魔王ーー。私は世界を歪めているものの本質を知ったのでした。
けれど、それを知ったところで私には何も出来ません。すでに私もこの歪みの一部になろうとしているのですから。
なぜ、こんな矛盾を繰り返すの?
「エリシュカ!」
オルガ様の声が遠くで聞こえたような気がしました。見た目はパッとしないけれど強くて正直でいつもサバサバした貴女も私の憧れでした。普段は厳しいのに一生懸命な人には甘い性格も素敵だと思っていました。
「エリシュカ。ダメだって。飲まれるな!」
いいえ、これは私が望んだこと。私は帰ります。皆(勇導士たち)の元へ。彼らなら分かってくれる。彼らにしか解らない。
「なんじゃ、何が……」
「良かったな次代の魔王降臨だ。もう、誰も止められない」
意識が遠退いていきます。でも、いつもの気絶とはちょっと違います。私が消えていく。私の心も体も境界線がなくなって何かに溶けていくようなそんな感覚です。痛みはありません。ただ、とんでもなく寂しい。そして深く安堵するような不思議な感覚です。
「マリ!」
遠くで今度は直明が……。違う。彼は居ないんです。きっと幻聴ですね。
そのはずなのに、私を呼ぶ声は止まりません。寧ろ徐々にその存在感を増してゆくようでした。
「マリー、ダメだ!」
私は思わず目を開けました。あまりにも近くで聞こえた声と温かな人の気配に驚いて。
「マリィ……」
浮かび上がったのは黒い瞳でも黒い髪でもない。発音だって間違っている。私はマリィじゃない。
「直明……」
そこにいたのは、私を抱き締めならが、血だらけで剣を操る美丈夫。
「ら……、ラディス殿?」
魔王の恨みを飛散させて歪みを正す勇者様が居たのです。
ふと、フラントゥーナ様が笑う顔が見えた気がしました。
お読みくださってありがとうございます。




