第1話・光と爪痕
【マニキューレ・つばめ】
「鳥羽つばめさん。」
「は、はいっ!」
◇
私の名前は鳥羽つばめ。
肩につかないくらいのピンク色のショートヘアに、少し大きめの目が自慢……って、自分で言うのも変かな。
身長はクラスでも真ん中くらい。どこにでもいる普通の中学二年生――ただ一つ、ネイルアートが大好きってことを除けば。
……でも今は大ピンチ。
私の目の前に立っているのが、生徒会長の醍醐みやびさん。
背は私より頭一つ近く高くて、長い黒髪をきっちりポニーテールにまとめている。
切れ長の目はいつも鋭くて、初めて会う人なら絶対に「怖そう」って思うはず。
制服も一ミリも乱れていなくて、歩くだけで「生徒会長が来た」って空気になる。
三年生の文武両道、才色兼備の完璧人間で先生たちの信頼も厚い。
私は恐る恐る両手を差し出した。
生徒会長は私の爪をじっと見つめる。
その表情は相変わらず真面目そのものだ。
「……綺麗ですわね。」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。
「桜を意識したデザインでしょうか。色の重ね方も丁寧ですし、艶も美しい……。」
そこまで言ってから会長は小さく目を閉じた。
「……ですが。」
空気が一変する。
「これは校則違反です。」
「あうっ……。」
「明日までに落としてください。」
「そんなぁ……。せっかく褒めてもらえたのに。」
私は苦笑いしながら頭をかいた。
「会長、そんなに怖い顔してると、せっかくの綺麗な顔が台無しですよ?」
「………」
「ほら、眉間にしわ寄ってますし。なんだかおばさんみたいで――」
「私は14歳ですわ。」
ぴしゃり。真顔だった。
「……。」
「……。」
生徒会室に沈黙が流れる。
(しまったぁぁぁ! 冗談が通じないタイプだったー!)
「え、えっと……そういう意味じゃなくて!」
「年齢の問題ではありません。」
会長は少しも表情を変えない。
「校則は守るべきものです。」
「は、はい……。」
「ネイルが美しいことと、校則違反であることは別問題です。」
「うぅ……正論です……。」
「落としてくるように。」
私は肩を落とした。
(褒めてくれた時はいけると思ったのになぁ……。)
その時は気付かなかった。
あの『綺麗ですわね』という一言が、会長の本心だったことに。
放課後。
生徒会長に怒られたことを引きずったまま、私は家のネイルサロンへ帰ってきた。
「ただいまー……」
いつもより元気のない声が出る。
店の奥からお母さんが顔を出した。
「おかえり、つばめ。もうすぐ今日のお客さんも終わるから待っててね」
「うん……」
私はカウンターに頬杖をつく。
(はぁ……。生徒会長、怖かったなぁ。せっかく褒めてもらえるネイルなのに校則違反なんて……。)
その時だった。カラン、と店の扉のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
お母さんの声が止まった。
私も振り向く。
「えっ!?」
思わず立ち上がる。
「せ、生徒会長!?」
制服姿の会長が真っすぐ店の中へ入ってきた。
「ごめんあそばせ」
(『ごめんあそばせ』なんて本当に言う人いたんだ……)
……ってツッコんでいる場合じゃない!どうして会長が?
相変わらず背筋はぴんと伸び、表情もきりっとしている。でも昼間みたいな迫力は少しだけ薄い気がした。
「鳥羽つばめさんのお母様でいらっしゃいますわね。」
「はい。私が母です。」
お母さんは穏やかに笑った。
「娘がお世話になっています。」
「いえ。」
会長は一礼すると、少しだけ真面目な顔になる。
「本日はお願いがあって参りました。」
「お願い?」
「つばめさんのネイルは本校の校則に反しております。」
やっぱりその話だ……。
「ご家庭でもご指導いただけませんでしょうか。」
私は肩をすくめた。
「うぅ……。」
お母さんは私を見る。
「つばめ。」
「……はい。」
「学校では控えなさい。」
「ええっ!?」
私は思わず叫んだ。
「お母さんまで!」
「学校には学校の決まりがあるもの。」
「そんなぁ……。」
会長が少しだけほっとしたように息をつく。
「ご理解いただけて幸いですわ。」
しかし、お母さんは優しく続けた。
「でもね。」
「?」
「私はネイルをやめなさいとは言いません。」
会長が少し驚いたように瞬きをした。
「どうしてですの?」
お母さんは棚から一冊のアルバムを取り出してページを開いた。
「見て。」
色とりどりのネイル写真。
花、海、星空、桜……。宝石みたいに輝く作品ばかりだった。
会長の視線が、一枚一枚に吸い寄せられていく。
特に桜柄のページで、その目がほんの少しだけ止まった。
(……あれ?)
(今、見入ってた?)
「全部、お客様のネイルです。」
「……。」
「ネイルって、見せびらかすためだけのものじゃないの。」
「え?」
「仕事で落ち込んだ人が元気になったり、自分に自信が持てなかった人が笑顔になれたり。」
お母さんは写真を優しくなでる。
「小さな爪だけど、人の心を明るくする力があるのよ。」
会長は静かに聞いていた。
「……ですが。」
少し考えてから口を開く。
「学校では勉強に集中することが第一ですわ。」
「そうね。」
お母さんは素直にうなずく。
「だから学校では控えさせます。」
「でしたら……」
「でも。」
お母さんは微笑んだまま続けた。
「一つ聞いてもいい?」
「……何でしょう。」
「うちの娘、このネイルで誰かを傷つけた?」
「……。」
「授業を妨害や誰か傷つけた?」
「……それは。」
会長が言葉に詰まる。私はびっくりした。
(会長が押されてる……。)
「ネイルそのものが悪いわけじゃないでしょう?」
「…………。」
「ルールは守る。でも、好きなものまで否定する必要はないと思うの。」
店内が静かになり会長は反論しようと口を開く。
「ですが……私は……。」
その言葉は途中で止まった。
また桜柄のネイルサンプルが目に入ったからだ。
ほんの一瞬、その瞳がきらりと輝く。
私は見逃さなかった。
(やっぱり……。)
お母さんも気付いたらしい。
「そのデザイン、好き?」
会長が慌てて視線を逸らす。
「ち、違います!」
「そう?」
「私はそのようなものに興味ありませんわ!」
言い切ったけど、どこか無理をしているように聞こえた。
お母さんはくすっと笑う。
「好きなものを好きって言える人は素敵よ。」
会長は何も言えない。
「……。」
「生徒会長さん。」
お母さんの声が少しだけ優しくなる。
「あなた、自分に厳しすぎない?」
「!」
その一言で会長の肩が小さく震えた。でも返す言葉はなかった。
しばらく沈黙したあとで小さく頭を下げる。
「……失礼いたします。」
店を出る後ろ姿は、学校で見た生徒会長よりずっと小さく見えた。
ドアが閉まる。
私は大きく息を吐いた。
「お母さん、すごい……。」
「そう?」
「天下の生徒会長が言い返せなくなってたよ!」
お母さんは苦笑する。
「言い負かしたかったわけじゃないの。」
「でも会長、途中から全然しゃべれなかったよ?」
「まだ中学生だもの。」
お母さんは静かに窓の外を見る。
「あの子、きっと無理してる。」
「無理?」
「本当は好きなものがあるのに、我慢してる顔だった。」
私は昼間のことを思い出す。
桜柄のネイルを見つめていたみやび先輩。
慌てて目を逸らした姿。
「……もしかして。」
「うん。」
お母さんは優しく笑った。
「あの子、本当はオシャレが好きなんじゃないかしら。」
その時の私は、まだ半信半疑だった。
でも数時間後にその言葉の意味を身をもって知ることになるなんて、この時の私は想像もしていなかった。
◇
一方その頃。
ネイルサロンを出た醍醐みやびはふっと肩の力を抜いた。
「……はぁ。」
学校では決して見せない小さなため息だった。
「今日は少し言い過ぎちゃったかな。」
昼の出来事が頭をよぎる。
ネイルを見せて笑っていた鳥羽つばめ。
そしてネイルサロンで出会ったつばめの母。
『好きなものを好きって言えるのは素敵なことよ』
「……あの人の言うこと、間違ってはいないのよね。」
一人でいるみやびは年相応の素直な口調が漏れる。
「私だって、本当は分かってるわよ。でも生徒会長で名家の娘なんだから……。私が甘くなったら、みんなに示しがつかない。」
自分に言い聞かせるように歩き続ける。
ふと、雑貨店のショーウインドーが目に入った。
春らしい桜柄の小物、可愛らしいリボン、小さなネイルチップ。
みやびは思わず立ち止まる。
「……かわいい。」
口から自然と言葉がこぼれた。
すぐに我に返る。
「あっ……。何言ってるんだろ、私。」
苦笑しながら首を振る。
「オシャレなんて私には似合わない。そんなこと考えてる暇があったら、もっと勉強しないと。」
そう言って歩き出そうとした、その時だった。
「にゃあ。」
足元から鳴き声が聞こえた。
一匹の黒猫がこちらを見上げている。
「まあ……。」
さっきまでの凛々しい表情が嘘のように柔らかくなる。
「かわいい……。」
自然としゃがみ込み、そっと手を伸ばした。
「どうしたの? 一人ぼっち?お腹すいてるの?」
猫は逃げない。むしろ、みやびの目をじっと見つめ返している。
「ふふっ。」
学校では誰も見たことのない、年相応の優しい笑顔だった。
その瞬間。黒猫の瞳が赤く光る。
『君は優しい子だね。』
「……え?誰?」
頭の中へ直接声が響く。
『かわいいものが好き。ネイルも好き。本当は普通の女の子として笑っていたい。』
みやびの笑顔が凍りつく。
「ち、違……。」
否定するみやびだが図星だった。頭に響く声はみやびの心を見透かしたように語りかける。
『君は自分を騙しているね。完璧な生徒会長、名家の後継ぎ。誰にも弱音を見せられない。好きなものまで嫌いだと言い聞かせている。』
「やめて……。」
『鳥羽つばめを羨ましがったろう?好きなものを堂々と好きと言えるあの子が。』
「違う!」
『羨ましかった。だから否定した。本当は憧れていた。』
みやびは耳を塞ぐ。
「やめてそんなこと……!私は、生徒会長なんだから!」
黒猫は静かに笑った。
『その苦しみ、嫉妬、劣等感。全部、僕が受け取ってあげるよ。』
黒猫の瞳が赤く輝く。
発せられた闇がゆっくりとみやびの身体を包み込む。
「いや……。誰か……。助けて……」
意識が闇へ沈んでいき最後に見えたのは黒猫の赤い瞳だけだった。
『ようやく見つけた。最高の器を。』
夕暮れの風だけが静かに吹き抜けていった。
◇
その頃、生徒会長に何が起きたのかなんて、私は知る由もなかった。
お母さんは店の後片付けをしていた。
私は二階の自分の部屋にいた。
制服のまま、ベッドへ飛び込んだ。
「はぁぁぁ……。」
今日はいろいろありすぎた。
生徒会長に怒られて、家にまで来られて。
でも、お母さんが助けてくれた。
「ありがとう、お母さん……。」
そう呟いて机に向かう。
「……ん?」
机の隅に、小さな瓶が置かれていた。
「こんなのあったっけ?」
手に取る。ガラス瓶の中には、虹色に輝くマニキュア。
光の当たり方で七色に色が変わる。
「わぁ……。」
思わず見とれた。
「すごい……。」
今まで見たどんなマニキュアよりも綺麗だった。
「お母さんの新作かな?」
ラベルも何もない。なのに、不思議と心が引き寄せられる。
「少しだけ……。」
私はマニキュアの瓶を開けた。
親指へ。すっと塗る。
その瞬間だった。
虹色の光が部屋いっぱいに広がる。
「えっ!? な、なに!?」
体がふわりと浮く。
髪が揺れる。
制服が光に包まれて消えていく。
「きゃああああっ!何これ!?」
眩しさが収まる。
恐る恐る鏡を見る。
「…………。」
私は固まった。
「だ、誰!?」
鏡の中には、私。
でも制服じゃない。
白を基調に、ピンクや虹色のラインが入った可愛らしい衣装。
短めのスカートに長いリボン。
指先の露出した白い手袋。
胸元にはハート型の宝石。
「ええええええっ!?」
私は鏡を何度も見る。
「これ私!?なんで!?完全にプリ◯ュアじゃん!」
ポーズまで決めそうになって慌ててやめる。
「いやいやいや!こんなの絶対恥ずかしい!」
すると。
「ルーン!」
どこからか高い声。
「……へ?」
部屋を見回す。
「誰?」
「ここルン!」
机の上で白くて丸いウサギのような生き物が飛び跳ねていた。
「…………。」
「……ウサギ?」
「違うルン!」
ぷくっと頬を膨らませる。
「僕はネイルンだルン!」
「しゃべったぁぁぁぁ!」
「しゃべるルン!」
「しゃべるウサギなんて聞いたことない!」
「だからウサギじゃないルン!」
私は混乱する。
「それより!」
私は自分の服を指差した。
「これ何!?」
「その姿は選ばれた証ルン!」
「選ばれた?」
「詳しい説明はあとルン!」
その時だった。
コンコン。
「つばめ?入るわよ」
お母さんの声。
「!!」
まずい。変身したままだ。
「ちょっ、ネイルン!」
「隠して!」
「無理ルン!」
ガチャ。
ドアが開く。
「どうしたの……」
お母さんが止まる。私も止まる。沈黙が流れた。
「…………。」
「お、お母さん。」
「これは違うの。」
お母さんは数秒考えたあと優しく笑った。
「ふふっ。そうねを中二年になったばかりだものね。」
「え?」
「その年頃はそう……。大丈夫よ。私にもそんな時期があったわ。」
「お母さん?違うから……!」
私は顔を真っ赤にする。
「厨二病じゃない!誤解された!」
私はベッドへ突っ伏した。
(もう学校行けない……。)
ネイルンはそんな私を見て苦笑する。
「大変だけど、それどころじゃないルン。」
「え?」
ネイルンの表情が急に真剣になる。
耳がぴんと立った。
「嫌な気配がするルン。」
「気配?」
「負の心が暴れているんだルン。」
「何それ?」
「説明してる時間はないルン!」
ネイルンが窓の外を見る。
「急いで外へ!」
「えっ!?この姿で?無理無理無理!この格好で外なんて死んでもイヤ!」
「間に合わないルン!」
ネイルンは強引に私の手を引っ張る。
「ちょっと待って!まだ心の準備が!」
「ルン!」
そのまま私は半ば引きずられるように外へ飛び出した。
夕暮れの街。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
一人の女性が美容室帰りだったのだろう。
整えられた長い髪を、自分でぐしゃぐしゃにかき乱している。
「髪なんてどうでもいいわ……。」
櫛を放り投げる。
別の女性はバッグから化粧ポーチを取り出す。
「メイクなんて面倒……。」
ファンデーションも口紅もゴミ箱へ。
「どうせ誰も見ないし……。」
さらに別の女性は、おしゃれな服のボタンを外し、しわだらけの上着を適当に羽織る。
「服なんて着られれば何でもいい……。」
誰も笑わず自分を大切にしようとしない。
まるで心から「オシャレ」という気持ちだけが消えてしまったようだった。
「……何これ。」
私は息を呑む。
「どうしてこんなことに……。」
ネイルンは険しい顔で前を見つめる。
「始まったルン。負獣が動き出したルン。」
「負獣?」
「人の負の心から生まれる怪物ルン。」
「負の心……?」
「そうルン。どうやら『本当はオシャレしたい。でもできない』という苦しみから生まれた負獣だルン。」
私は昼間の生徒会長を思い出す。
厳しい表情。でも、桜柄のネイルを見つめていた横顔。
「生まれた負獣は、自分を生んだ人と同じ苦しみを周りへ広げるルン。」
「だから街のみんなまで……。」
「オシャレをする気持ちだけを奪われてしまったルン。」
「そんな……。」
その時だった。
ズシン。
地面が震える。
路地裏から黒い影が姿を現した。
身長は二メートル近い。
全身を逆立った黒い毛が覆い、額には真っ赤な結晶。
八本の長い尻尾が蛇のようにうねっている猫が現れた。
しかし周囲の通行人は誰も反応しない。
スマホを見て歩く人。 買い物をする人。
私だけが驚いていた。
「え……?なんで誰も気づかないの?」
ネイルンが説明する。
「負獣や僕の姿は普通の人には見えないルン!見えるのはマニキューレの素質がある人だけルン!」
周囲を見る。
するとオシャレを奪われた女性たちはいるものの、負獣そのものは認識できていないようだ。
「だから原因が分からず、おかしくなってしまうルン。」
負獣が私を見て笑う。
「ほう。我が見える人間か。」
ネイルンが叫ぶ。
「街では危ないルン!爪空間!」
光が広がる。
景色がガラスのように砕け、別空間へ。
「ここはマニキューレの特別な異空間ルン!現実と重なっているけど誰にも被害は出ないルン!」
「しゃああああ!」
不気味な鳴き声が響く。
「ひっ……!」
私は思わず後ずさった。
そして、その尻尾の一本に誰かが巻き付けられていることに気付く。
「えっ……。」
制服姿の少女がぐったりと意識を失っている。
「生徒会長!」
醍醐みやび先輩だった。
負獣は赤い瞳で私を見下ろす。
「ククク……。貴様が鳥羽つばめか。」
「えっ?」
「どうして私の名前を……?」
負獣は笑う。
「我はこの娘の負の心より生まれた。記憶も感情も全て我のもの。だから貴様のことも知っている。」
ネイルンが叫ぶ。
「まずいルン!あの子が完全に飲み込まれる前に助けるルン!」
「でもどうやって!?」
「戦うルン!」
「戦う!?む、無理!相手はあんな化物だよ!」
「君はもう普通の人じゃないルン!」
「え?」
「その姿は選ばれた戦士。」
「『魔爪乙女』(マニキューレ)だルン!」
「ま、マニキューレ?」
「オシャレの輝きで負獣と戦える唯一の存在ルン!」
私は腰を見る。
ベルトに巻かれたホルダー付いていおり5色のマニキュアがセットされていた。
「これは?」
「マニキューレ専用のマニキュアセットルン!」
「色を塗ることで戦う力が変わるルン!」
「まずは赤を塗るルン!」
「そ、そんなこと言われても!」
負獣が尻尾を振り上げる。
会長が危ない!
私は迷うより先に赤いマニキュアを取り出していた。
「お願い……!」
爪へ塗る。赤い光が全身を包む。
胸の奥から不思議な力があふれてきた。
「体が軽い……。」
さっきまで震えていた足が動く。
怖いはずなのに、前へ踏み出せる。
ネイルンが嬉しそうに叫ぶ。
「赤は勇気の色!心が前向きになるルン!」
私の口が、勝手に動く。
「あなたの心に輝きを詰め(爪)こんであげるんだから!マニキューレ・つばめ!見参!」
一瞬戸惑う。
「ちょっ……!何言ってるの!?私!」
「名乗りは大事ルン!」
「恥ずかしいからやめてー!」
負獣が笑う。
「ククク……。面白い。小娘一人で我に挑むか。」
私は深呼吸する。
「生徒会長は返してもらうわ!」
強気に反応するが戦うってどうやって?
ネイルンが説明する。
「マニキューレは色を組み合わせることで必殺技を使えるルン!その技を『魔爪技』というルン!今ならこの組み合わせだルン!」
私はネイルンの説明を受けて赤いマニキュアに黄色のマニキュアを塗り重ねる。すると私の右手の爪が光を放ち透明な刃のように大きく伸びる。
「何これ!すごい……!」
「その技は爪破刃ルン!」
負獣が尻尾を振る。
「遅い!」
私は地面を蹴った。
さっきまでの私なら考えられない速さ。
一瞬で負獣の懐へ飛び込む。
「これでも食らえ!」
巨大な爪を横一閃。
「爪破刃!」
キィィィン!
光る刃が八本の尻尾の一本を切り裂いた。
「なにっ!」
尻尾が解けて会長の体が宙へ投げ出される。
「会長!」
私は駆け寄り、その体を受け止めた。
温かい。ちゃんと生きている。
「よかった……。」
ほっと息をついた、その瞬間だった。
私はぐったりした会長を抱き起こした。
「会長! しっかりしてください!」
ゆっくりとまぶたが開く。
「……つばめ……ちゃん?」
私は思わず笑顔になる。
「よかった! 気が付きましたか!」
「助かったルン!」
ネイルンも飛び跳ねて喜ぶ。
でも……次の瞬間。
ぞくり、と背筋が冷えた。
(……あれ?)
ほんの些細な違和感。でも、どうしても引っかかる。
「……違う。」
私は会長から一歩下がった。
「会長は……。私のこと、『つばめちゃん』なんて呼ばない。」
会長の口元が怪しげな笑みを浮かべる。
ギィン!
会長の右手の爪が鋭く伸び、私の顔を切り裂こうとした瞬間だった。
「危ない!」
私は咄嗟に後ろへ飛び退いた。
頬を一筋の血が流れる。
「くっ……!」
さっきまでいた猫の負獣の姿は見えない。
「つばめちゃん! あれを見るルン!」
会長の背中から、黒い霧が噴き出す。
その霧は八本の尻尾となって揺れていた。
額には赤い結晶。瞳は真っ赤に染まっている。
「まさか……。」
会長が口を開く。
その声は会長のものなのに響く笑い声だけが異様だった。
「クックック……。我はこの娘の肉体を借りたのだ。」
「会長の体を乗っ取ったの?」
「そうだ。我はこの娘の負の心から生まれた存在。元より一心同体。肉体を操ることなど造作もない。」
私は拳を握る。
「会長を返して!」
「返す?」
負獣は肩を震わせて笑う。
「面白いことを言う。この娘を斬れば、この娘も傷付く。さあ、できるか?」
言葉を失う。
目の前にいるのは化け物。
でも、姿は間違いなく会長だった。
負獣はさらに挑発する。
「どうした?この娘は貴様のネイルを禁止しようとした女だぞ。邪魔者ではなかったのか?校則を盾に貴様を苦しめた。そのような娘など見捨てればよいではないか」
「違う!」
私は叫んでいた。
「会長はきっとそんな人じゃない!本当は……。」
ネイルサロンで桜柄のネイルを見つめていた横顔が浮かぶ。
お母さんの言葉も思い出す。
『あの子、無理してるんじゃないかしら。』
「本当はオシャレが好きなの!だから苦しんでる!」
一瞬だけ会長の指先がぴくりと震えた。
「……!」
負獣もわずかに眉をひそめる。
「ほう。まだ意識が残っているか。」
だが次の瞬間には再び赤い瞳が私をにらみつける。
「しかし、この程度だ!」
八本の尻尾が一斉に襲い掛かる。
「きゃあっ!」
私は必死に避ける。攻撃はできない。
攻撃すれば、傷付くのは会長だから。
「どうした!反撃してみろ!」
爪が肩をかすめる。制服が裂け、痛みが走る。
「うっ……!」
「その程度か!貴様は戦士ではない!ただのお人好しだ!」
私は地面へ転がる。
「はぁ……はぁ……。」
どうすればいいの?このままじゃ負ける。でも会長は傷付けたくない。
その時、頭の中にお母さんの声がよみがえった。
『好きなものを好きって言える人は素敵よ。』
そして桜柄のネイルを見つめていたみやび先輩。
「……そうだ。」
私は立ち上がる。
「会長を助ける。倒すんじゃない。助けるんだ!」
負獣が飛び掛かる。
「もう遅い!」
私は一か八かの賭けに出た。
私は青いマニキュアを取り出した。
「冷(爪)たくしてあげる!」
ネイルンが叫ぶ。
「青と赤のマニキュアーツ!『爪魔凍』ルン!」
私の爪から青白い光が放たれる。
一直線に会長の足元へ。
パキィィィン!
足首から氷が広がり、地面ごと凍り付く。
「ぬうっ!」
負獣の動きが止まる。
「小癪な!だがこんな氷などすぐ砕いてくれるわ!」
私は腰から一本のマニキュアを取り出した。
負獣は高笑いする。
「ほう!新たな技か!やってみろ!この娘ごと吹き飛ばす覚悟があるならな!」
私は首を横に振った。
「違う。」
私は会長の腕をそっと掴む。
震える指先。
そして、その爪へ優しくマニキュアを塗った。
まるでネイルサロンでお客様に施術するように。
丁寧に。優しく。
「何をしている!そんなことに何の意味がある!」
私は微笑んだ。
「会長。本当は……ネイル、好きなんですよね。だから私のお店に来た。だから桜のネイルを見つめてた。お願い。もう、自分の気持ちから逃げないで。」
その瞬間だった。
世界が白く染まる。
「え……?」
私の意識が誰かの記憶へ引き込まれていく。
◇
小さな女の子。
まだ幼い会長の姿だった。鏡の前で、口紅を手にしている。
「きれい……。」
目を輝かせる姿は今とはまるで別人みたいに無邪気だった。
そこへ大人の声。
「みやびさん。」
振り返ると会長の母親だった。
「かわいいものに興味を持つ時間があるなら、お勉強をなさい。」
女の子は小さくうなずく。
「……はい。」
笑顔が消えた。
◇
場面が変わるとテレビからヒーロー番組の主題歌が聞こえる。
画面の向こうでは、変身したヒーローが悪を倒している。
幼い会長は誰もいない部屋で小さく拳を握った。
「変身……!」
真似をしかけた、その時。
「みやびさん。」
また呼ばれる。慌てて姿勢を正す。
「……申し訳ありません。」
テレビの電源が消える。
◇
また景色が変わりいつもの学校。
「生徒会長。」
「先輩。」
「会長。」
誰も、誰一人として『みやび』とは呼ばない。
真面目、完璧、優秀。そんな言葉だけが積み重なっていく。
でも本当は。
『かわいい……。』
雑貨屋のぬいぐるみ、ネイル雑誌、リボン、フリル、全部好きなのに。
『だめ。私は醍醐家の人間、私は生徒会長、我慢しなきゃ。私らしくなんて……生きちゃいけない。』
胸が締め付けられる。
苦しい。
会長はずっと。
『醍醐家の跡取り』や『生徒会長』を演じ続けてきたんだ。
◇
私は現実へ戻った。
マニキュア持つ手が震えていた。
ネイルサロンで会長が眺めていた桜柄のマニキュアだった。
負獣は腹を抱えて笑っていた。
「クハハハハ!何をしている、小娘!戦場でネイル遊びだと!恐怖で頭がおかしくなったか!」
私は会長の手を握ったまま動かない。
「お願い……。会長。」
爪魔凍による氷が砕かれていく。
パキパキッ。
「無駄だ!その娘の心は我のもの!貴様の小細工など届かぬ!」
氷が完全に砕け散る。負獣はゆっくりと歩き出した。
「終わりだ。」
赤く染まった爪が伸びる。
「まずは貴様から始末してやる!」
私は逃げない。ただ、まっすぐ会長を見つめる。
「私は信じます。会長なら……。」
負獣が腕を振り上げる。
「くたばれ!」
鋭い爪がつばめへ振り下ろされた瞬間だった。
ピタッ。
空中で腕が止まった。
「……なに?」
負獣の表情が歪む。
右半分は赤い瞳の負獣。しかし左半分だけは元の会長の穏やかな瞳へ戻っていた。
「ぐっ……!」
腕が震える。
必死に押さえ込むように。
「動け!」
負獣が怒鳴る。
「動けと言っている!」
しかし腕は一ミリも動かない。
会長の左目から、一筋の涙が流れ落ちた。
そして、かすれた声が漏れる。
「……つばめ……さん。」
負獣の顔に初めて焦りが走る。
「なんだと…!貴様の意識は完全に支配したはず……!」
その瞬間、まばゆい光が会長の体を包む。
「ぐああああっ!」
負獣が苦しそうな叫び声を上げた。
黒い霧が会長の胸元から噴き出し体から引き剥がされていく。
「ば、馬鹿な……!人間ごときが我を拒絶するだと!」
黒い霧は空中で渦を巻き、再びあの巨大な黒猫の姿へと戻っていった。
八本の尻尾を揺らしながら、憎々しげに私たちを睨む。
「くっ……!」
私は急いで会長を支える。
「会長!」
会長はゆっくり目を開けた。
赤かった瞳は元の黒い瞳に戻っている。
「私は……。」
自分の手を見つめ、震える。
「私が、あんな化物を……。」
「会長のせいじゃありません!」
私は首を横に振った。
「苦しんでいた心を利用されたんです!」
会長は小さく笑った。
「慰めてくださるのですね。ですが……。」
その表情はすぐ真剣になる。負獣がゆっくり近づいてきた。
「感動の再会は終わったか。もう一度取り込んでやる!」
黒い尻尾が襲いかかる。
「危ない!」
私は叫んだ。
しかし会長は一歩踏み出す。
ヒュッ。
尻尾を紙一重でかわした。
さらに二本目、三本目。
体をひねり、流れるような足さばきで避け続ける。
私は目を丸くした。
「す、すごい!」
ネイルンも驚く。
「みやびちゃん、武術をやっているルン!?」
会長は静かに答える。
「幼い頃から空手、柔道、合気道……。護身術として一通り習いましたの。」
尻尾を手首で受け流し、その勢いを利用して負獣を投げる。
「合気道ですわ。」
ドンッ!
負獣の巨体が地面へ転がる。
「おおーっ!」
思わず声が出る。
会長、こんなに強かったなんて!
でも。
負獣はすぐ立ち上がった。
「ククク……。人間にしては見事だ。だが、それだけだ。」
次の瞬間。
八本の尻尾が一斉に襲いかかる。
さすがの会長も避けきれない。
制服の袖が裂ける。
「くっ!」
さらに攻撃は続く。
少しずつ息が上がっていく。
「はぁ……はぁ……。」
私は叫ぶ。
「会長!」
会長は私をかばうように前へ立った。
「つばめさん。あなたは下がってくださいまし。」
「でも!」
「生徒を守るのは……生徒会長の役目ですわ!」
その言葉に胸が熱くなる。
でも現実は残酷だった。
負獣の尻尾がみやび先輩を吹き飛ばす。
「きゃあっ!」
地面を転がる。立ち上がろうとしても足が震えている。
負獣は高笑いした。
「人間ごときが我に勝てるものか!所詮は限界がある!」
私は悔しさで拳を握る。
「会長……。」
その時だった。会長がふと自分の爪を見つめる。
そこには、私が塗ったネイルがまだ美しく輝いていた。
「……綺麗ですわ。」
思わず漏れた、本音。
その一言とともに会長は小さく笑う。
「私、本当に好きだったんですね。こんなに可愛いものが。」
そして私を見る。
「つばめさん。あなたは私を助けてくれました。今度は……。私があなたを守ります。」
その時だった。
会長のネイルが虹色に輝き始めた。
「えっ?」
光は会長の全身を包み込む。
制服が光の粒となって舞い上がる。
紫を基調とした気品ある衣装。
桜を思わせる淡い桃色のリボン。
長いポニーテールが光をまとい風になびく。
私は思わず見とれてしまった。
その姿はマニキューレだった。
「会長……!?」
「綺麗……。」
光が消える。
会長は自分の姿を見下ろし、鏡もないのにくるりと一回転した。
「まあ……!」
目を輝かせる。
「なんて可愛らしい衣装なんですの!このリボンも!このフリルも!ネイルまでお揃いですわ!」
「……あの、会長……?」
さっきまでの凛々しい表情はどこへやら。
年相応の14歳の少女そのものの笑顔だった。
「これは……すごく好きですわ!」
ネイルンが飛び跳ねる。
「成功ルン!みやびちゃんもマニキューレになれたルン!」
みやび先輩は照れくさそうに咳払いを一つ。
「……こほん。マニキューレと言いますのね。マニキューレ・みやびと名乗らせていただきましょうかしら?」
それでも口元の笑みは隠しきれない。
「あとで、ゆっくり鏡を見てもよろしくて?」
「さあ。」
みやび先輩はくるりと一回転すると、満面の笑みを浮かべた。
私は思わずツッコむ。
「今それ言います!?」
負獣は額に青筋を浮かべていた。
「貴様ら……。戦闘中だということを忘れたか!」
会長はようやく負獣へ向き直る。
「失礼しましたわ。嬉しくて少々舞い上がってしまいましたわ。」
それでも口元の笑みは隠せていない。
「ですが。」
指を軽く鳴らす。
「生徒を傷つけるあなたは、この私が止めてみせますわ。」
負獣は八本の尻尾を振り上げた。
「思い上がるなぁ!」
ドンッ!
尻尾が地面を砕く。
でも。
会長……いや、マニキューレ・みやびの姿はそこになかった。
「後ろですわ。」
負獣の背後にいつの間にか回り込んでいた。
「なっ!?」
鋭い手刀、続いて回し蹴り。流れるような肘打ち。
空手、柔道、合気道……。今まで積み重ねた武術がマニキューレの身体能力でさらに研ぎ澄まされていた。
ドン!ドゴッ!
負獣が大きく吹き飛ぶ。
「貴方なんか私の爪先にも及びませんわ!」
「す、すごい……!」
私は思わず息をのむ。さっきまで苦戦していた会長とは別人だった。
マニキューレ・みやびは戦いながら尋ねる。
「ネイルンさんでしたわよね?私はどう戦えばよろしいのです?つばめさんのような技は使えませんの?」
ネイルンは首を振る。
「みやびちゃんは正規のマニキューレじゃないルン。つばめちゃんから力を分けてもらって変身している状態ルン。だから腰のマニキュアセットがないルン!」
マニキューレ・みやびは腰を見る。
「本当ですわ。」
「つまり。色を重ねて使う技であるマニキュアーツは使えないルン。その代わり身体能力は十分高いルン!武術を最大限に生かして戦うルン!」
マニキューレ・みやびは小さくうなずく。
「承知しました。」
再び駆け出す。
拳、蹴り、投げ技、受け流し。
負獣は次第に押され始めた。
「ぐっ!馬鹿な!我が押されるだと!」
私は思わず笑顔になる。
「やった!このままなら!」
しかしネイルンだけは表情を曇らせた。
「……おかしいルン。」
「え?」
負獣がゆっくり立ち上がる。
さっきより速く重い攻撃。
尻尾の一撃がさらに鋭くなる。
マニキューレ・みやびの頬をかすめた。
「っ!」
私は目を見開く。
「なんで!?」
ネイルンが焦った声を上げる。
「まずいルン!負獣はみやびちゃんの心から生まれた怪物ルン!つまり!みやびちゃん自身が強くなれば負獣まで強くなってしまうルン!」
「えぇーーっ!?」
負獣は高笑いした。
「その通りだ!我は醍醐みやびから生まれた! 強くなれば我も強くなるのは当然であろう!」
互角。いや。徐々に押し返されていく。
マニキューレ・みやびは距離を取る。
「なるほど……。厄介ですわね。」
ネイルンが私に振り向く。
「つばめちゃん!まだ勝つ方法はあるルン!」
「本当!?」
「五色全てのマニキュアを重ね塗りする最強の魔爪技だルン!」
私は目を輝かせる。
「じゃあ早く!」
「でも!」
ネイルンの声が重くなる。
「発動まで時間がかかるルン!」
「動きながらじゃ集中できないルン!」
私は負獣を見る。
「そんな……。」
負獣は不敵に笑う。
「その間に貴様らを倒してくれる!」
その時だった。マニキューレ・みやびが私の前へ立つ。
凛とした横顔。
「つばめさん。あなたは準備を。」
「会長!でも……!」
優しく笑う。
「時間なら私が稼ぎますわ。」
そう言って会長は再び負獣へ駆け出した。
会長が時間稼ぎしている隙に私は震える手でマニキュアを重ね塗りしていく。
赤、青、黄、緑、紫をそれぞれの指へ。
一本塗るたびに、爪が虹色の光を帯び始める。
「ネイルン……まだ?」
「もう少しルン!焦ったら全部やり直しルン!」
こんな状況で失敗なんてできない。
私は深呼吸し、目を閉じる。
「会長……お願いします。」
一方その頃。会長は負獣の前へ立ち、静かに構えを取る。
「あなたの相手は私ですわ。」
負獣は鼻で笑う。
「まだ勝てると思っているのか!」
八本の尻尾が同時に襲い掛かる。
ドガガガッ!
会長は滑るような足さばきで避ける。
一本をかわし、二本目を受け流し、三本目を踏み台に跳ぶ。
「はあっ!」
空中からの回し蹴り。続いて正拳突き。さらに肘打ち。
最後は合気道で腕を取り、そのまま地面へ叩きつける。
ドン!
「ぐっ!」
負獣が地面を転がった。私は思わず声を上げる。
「すごい……!」
ネイルンもうなずく。
「武術とマニキューレの力が合わさってるルン!」
けれど負獣はすぐ立ち上がる。
「クックック……。言ったはずだ。お前が強くなれば我も強くなる!」
黒いオーラが噴き出す。
さっきまで避けられていた尻尾が、みやび先輩の頬をかすめた。
衣装の袖が裂ける。
「……!」
みやび先輩は距離を取る。
「やはり、そう簡単にはいきませんわね。」
私は四本目を塗り終えた。
あと一本あと少し。
激しい攻防の中で、みやび先輩はふと自分の輝く爪を見る。
「……そうですわ。この力は。ただ戦うためではありません。私にも何かの技が使えるはずですわ」
爪が桜色に輝いた。
ネイルンが目を丸くする。
「みやびちゃん!技を思いついたルン!?」
会長は微笑み、堂々と宣言する。
「この技の名は……『聖従爪解』!(セイトソウカイ)!」
桜色の光が一直線に放たれた。
ドオォォォン!!
負獣の胸へ直撃。
「ぐあああああっ!」
巨体が吹き飛び、地面を何度も跳ねる。
黒い霧が体中から噴き出してみやび先輩は静かに息を吐く。
「今、思いつきましたわ。聖なる力を従え、心を解き放つ。名付けて聖従爪解ですわ。」
そして、くるりと私を振り返る。
どこか得意げな笑顔。
「……どうです?カッコいいでしょう?」
私は笑顔で親指を立てた。
「は、はい!すごくカッコいいです!」
本当はダサい気もするけど絶対言えない……。
今めちゃくちゃ自信満々だし
ネイルンも苦笑いする。
「ネーミングセンスは微妙だけど威力は本物ルン……。」
「聞こえましてよ?」
「ルンッ!?」
負獣は怒りで顔を真っ赤にした。
「貴様ら!戦闘中にふざけおってぇぇぇぇ!!」
八本の尻尾を逆立て、一気に突進してくる。
その瞬間だった。
私の五本目のマニキュアが塗り終わる。
五色の光が虹となって私を包み込んだ。
ネイルンが力強く叫ぶ。
「完成ルン!つばめちゃん!最強のマニキュアーツを発動できるんだルン!」
ネイルンの声が響く。
「今ルン!」
五色のマニキュアが私の爪で一つになる。
赤、青、黄、緑、紫。
それぞれの輝きが混ざり合い、虹色の光が私を包み込んだ。
負獣が後ずさる。
「その力は……!」
私は大きく息を吸う。
心の中には、いろいろな想いが渦巻いていた。
会長を助けたい。街のみんなを元に戻したい。
そして誰も「好き」を我慢しなくていい世界にしたい。
私は右手を高く掲げる。
「これで終わりよ!」
爪が夜空のような光を放つ。
「あなたに輝きを……詰め(爪)こんであげるんだから!マニキュアーツ!『夢爪天星』(ムソウテンセイ)!」
虹色の光が空へ駆け上がる。
一瞬、空が満天の星空へ変わった。
次の瞬間。
無数の流星が雨のように降り注ぐ。
キラキラと輝く光は、まるで色とりどりのネイルが夜空いっぱいに散りばめられたようだった。
「な……!こんな力がぁぁぁぁ!!」
負獣は必死に尻尾を振り回す。
けれど流星は次々とその体を貫いていく。
八本の尻尾に亀裂が入り、黒い体全体へ光のひびが広がった。
「馬鹿な……。私は……お前の……。」
会長が静かに前へ出る。
「ええ。だからこそ、もうあなたは必要ありません。」
負獣は最後に私たちを見つめた。
「人間の……輝きなど……。」
パリン。
黒い体は無数の光となって砕け、夜空へ溶けるように消えていった。
静寂が戻る。私はその場へ座り込む。
「勝った……。」
ネイルンが飛び跳ねる。
「やったルーン!」
その瞬間。私とみやび先輩の体が優しく光り始めた。
「え?」
マニキューレの衣装が光の粒になって消えていく。
ネイルンが慌てて説明する。
「変身解除ルン!マニキューレになると元の服がマニキューレの衣装へ変化するルン!だけど変身は時間経つと解除されるけど……」
ネイルンが言い終える前に変身が解除された。直後に私と会長の姿を見て驚く。
二人とも下着姿のままだった。
「きゃあああああっ!」
「解除しても元の服に戻るまで少し時間がかかるルン!」
私は慌て体を押さえる。
「早く服戻ってー!」
一方の会長は下着姿を気にせず落ち着いた様子で自分の爪を眺めていた。
「不思議ですわ。変身が解けても、まだ少し温かい気がします。」
「会長、なんでそんなに落ち着いていられるんですか!?」
「慌てても服が早く戻るわけではありませんもの。つばめさん、下着までかわいいんですわね」
今までの会長なら信じられない冗談まじりに軽く笑った。
数秒後。
光が弾けるように消え、二人とも元の制服姿へ戻った。
私は胸をなで下ろす。
「よ、よかったぁ……。」
会長は上品に微笑んだ。
「一件落着ですわね。」
ネイルフィールドが静かに消えていく。
景色が元の街へ戻ると、さっきまで髪を乱し、無気力だった女性たちが次々と我に返った。
「……あれ?」
「私、どうしてこんな格好で歩いていたんだろう?」
「髪までボサボサ……。」
女性たちは不思議そうに顔を見合わせながらも、少しずつ笑顔を取り戻していく。
その光景を見て、私は思わず笑った。
隣では会長が静かに空を見上げていた。
少しの沈黙。
やがて会長は私の方へ向き直り、深く頭を下げた。
「つばめさん。申し訳ありませんでした。」
「えっ!?」
私は慌てて首を振る。
「会長!急にどうしたんですか!」
会長は苦しそうに微笑んだ。
「私の弱さが、あの負獣を生み出しました。私が自分の気持ちから逃げ続けたせいで、街の皆さんまで巻き込んでしまいました。生徒会長失格ですわ。」
その声は、今までで一番弱々しかった。
私は一歩前へ出る。
「違います。会長は最後は自分の力で負獣に勝ったじゃないですか。私一人じゃ絶対に勝てませんでした。」
会長は少し驚いたように私を見る。
「それに……会長は最後まで誰かを守ろうとしてました。だから私は、会長が悪いなんて思いません。」
会長は目を閉じて小さく笑った。
「ありがとうございます。あなたは本当に優しい方ですわ。」
そして、いつもの生徒会長らしい凛とした表情に戻る。
「さて。校則についてですが。」
私は思わず姿勢を正した。
「は、はい!」
「生徒会で正式に見直しを提案しますわ。学校生活に支障がなく派手すぎない範囲でのネイルは認められるよう尽力しますわ。」
「えーっ!?」
私は思わず飛び跳ねた。
「本当ですか!?」
「もちろんです。禁止することだけが校則ではありません。生徒をより良く導くことも生徒会長の役目ですわ。」
私は思わず笑顔になる。
「ありがとうございます!」
会長も柔らかく微笑んだ。
少し照れくさそうに咳払いをすると、今度は少し言いづらそうに口を開く。
「あの……つばめさん。二つお願いがありますの。」
「お願い?」
「はい。」
「これからは……その……。『みやびちゃん』と呼んでいただけませんか?」
「…………え?そんなおそれ多いですよ!」
私は固まった。
会長は恥ずかしそうに目をそらす。
「あら?3月生まれの私と5月生まれのあなたでたった二ヶ月しか誕生日が違いませんわ。みんな『会長』としか呼んでくれませんもの。それは嫌ではありません。ですが……。一人くらいは普通の女の子みたいに名前で呼んでくれる人がいても……いいかな、と。」
私は思わず笑ってしまった。
「そういうことだったんですか」
「はい……。」
頬を少し赤くする会長。さっきまで戦っていた人とは思えない。
「じゃあ……。」
私は照れながら言う。
「よろしくお願いします……みやびちゃん。」
その一言だけで会長、いや、みやびちゃんは花が咲いたような笑顔になった。
「ありがとうございます。つばめさん。」
そして、さらに私へ近づく。
「そして……もう一つお願いですが……」
みやびちゃんは私の耳元へ顔を寄せ、小声で何かを囁いた。
ゴニョゴニョ……。
「…………え?えぇぇぇぇぇぇーーーっ!?」
私の叫び声が夕暮れの街に響いた。
◇
戦いから一週間後の学校。
昼休み。校内放送が鳴り響く。
『二年三組、鳥羽つばめさん。生徒会室まで来てください。繰り返します――』
クラスのみんなが一斉に私を見る。
「また呼び出し?」
「今度は何したの?」
「生徒会長に怒られたんでしょ。」
私は苦笑いしながら立ち上がった。
「ち、違うから!怒られるわけじゃないからね!」
そう言いながら私は生徒会室へ向かう。
あの日みやびちゃんが耳打ちした『もう一つのお願い』を思い出しながら。
◇
私は何度目かになる生徒会室の扉をノックした。
「失礼します。」
「お待ちしておりましたわ。」
中には、いつもの凛とした生徒会長、いや、今では「みやびちゃん」がいた。
扉を閉める。
「よし。また今日もお願いしますわ。」
みやびちゃんは期待に満ちた目で私を見る。
「約束、覚えていますわよね?」
その一言で一週間前の耳打ちを思い出した。
『お願いがありますの。二人きりの時にいいので……またマニキューレに変身させてくださいません?』
最初は冗談だと思った。
でも、みやびちゃんは本気だった。
みやびちゃんは見た目は完璧なお嬢様なのに、中身は意外と子どもっぽい。いや、子供の時の楽しむ心を置き去りにしてきたのだ。
しかも、かわいいものだけじゃない。
ヒーローも大好きだったらしい。
「実は幼稚園の頃、毎週欠かさずヒーロー番組を見ていましたの。」
嬉しそうに話してくれる。
「正義の味方になりたいと、本気で思っていましたわ。でも、名家の跡取りとして成長するうちに、『そんな子どもっぽい趣味は卒業しなさい』と言われ続けて……。」
少しだけ寂しそうに笑う。
「だからマニキューレは昔の夢が叶ったみたいで……本当に嬉しいんですの。」
そんな顔をされたら断れない。
◇
「やっぱり今日はやめません?」
「却下ですわ。」
「えぇ……。」
私は目をそらす。
「ほら、つばめさん。」
みやびちゃんは期待で目を輝かせている。
……この人、本当に変身好きになっちゃったな。
「生徒会長命令ですわ。」
「その命令、絶対おかしいです!」
「拒否権はありません。」
「横暴だ!」
私が抗議すると、みやびちゃんはにこりと笑った。……嫌な予感しかしない。
「そういえば。」
「?」
「先日の数学の小テスト。」
「うっ。」
「28点でしたわね。」
「えっ!?」
何で知ってるの!?
「先生方には、『つばめさんは努力家ですから、もう少し様子を見て差し上げてください』と、お話ししてありますわ。」
「え?」
「追試も少しだけ配慮していただけるそうです。」
私は固まった。
「えぇぇぇぇぇっ!?」
そ、そんなことまで!?
「生徒会長として当然のお願いですわ。」
「いやいやいや! そこに生徒会長使っちゃダメでしょ!」
「私は不正はしておりません。」
みやびちゃんは涼しい顔だ。
「先生方へ『努力を評価してあげてください』とお願いしただけですわ。」
「……。」
「つまり。」
「……。」
「私のお願いを断る理由はありませんわね?」
「ぐっ……。」
反論したい。
したいんだけど。
……できない。
「ず、ずるいですよ……。」
「ありがとうございます。」
「まだ了承してない!」
「ほーら、マニキューレ!マニキューレ!」
「アンコールみたいなノリで言わないでください!」
みやびちゃんは右手を差し出した。
「変身いたしましょう。」
私は虹色のマニキュアを取り出した。
「じゃあ……」
私は自分の爪へ。続いて、みやびちゃんの爪へマニキュアを塗る。
淡い虹色の光。
生徒会室いっぱいに輝きが広がる。
光が収まると、私たちは二人ともマニキューレの姿になっていた。
「わぁ……!」
みやびちゃんは鏡の前へ駆け寄る。
「やっぱり素敵ですわ!」
くるりと一回転。スカートを揺らしながら、何度もポーズを決める。
「見てください、つばめさん!このこのリボン!この爪の輝き!何度見てもかわいいですわ!」
私は苦笑する。
「そんなに毎回感動しなくても。」
「何をおっしゃいますの。」
みやびちゃんは胸を張った。
「ヒーローは変身してからが本番ですわ!」
そう言うと右手を高く掲げる。
「マニキューレ・みやび!」
私は思わず吹き出す。
「もう、ノリノリですよね。」
「もちろんですわ。」
みやびちゃんは悪戯っぽく笑った。
「さあ、つばめさんも。」
「えぇ……。」
「生徒会長命令ですわ。」
「その言葉ずるい……。」
結局私も観念する。
「マニキューレ・つばめ!」
二人並んで決めポーズ。……その瞬間だった。
ガチャ。
生徒会室の扉が開いた。
「会長、文化祭の――」
入ってきた生徒会役員は固まった。
私も固まった。
頭の中によみがえる。
あの日、変身姿を母に見られた時とまったく同じだった。
「ち、違うんです!これは!その!」
私は顔を真っ赤にして必死に手を振る。
ところが。
「違いませんわ。」
みやびちゃんが私の前へ出た。堂々と胸を張る。
「好きなものを好きと言って、何が悪いのでしょう?」
その言葉を聞いた瞬間、私は思い出した。
お母さんがみやびちゃんへ言った言葉。
あの日、心を救った言葉だった。
生徒会役員は驚いたあと、ふっと笑う。
「会長。本当に変わりましたね。」
「え?」
「前の会長は、いつも一人で背負い込んでいました。怖いけど、誰よりも真面目で……近寄りがたい存在でした。」
役員は私を見る。
「あなたが鳥羽つばめさんですね?」
「は、はい。」
「会長、あなたのことをよく話してるんですよ。『恩人です』って。」
「えっ?」
私は思わずみやびちゃんを見る。
みやびちゃんは恥ずかしそうに目をそらした。
「そ、それは……。」
生徒会役員は優しく笑う。
「最近、生徒たちからも『会長が優しくなった』『話しかけやすくなった』って評判なんです。以前より、みんな笑顔で生徒会室へ来るようになりました。」
そして深く頭を下げる。
「ありがとうございます。会長を笑顔にしてくださって。」
私は照れくさくなって頭をかいた。
「私、そんな大したことは……。」
「ありますわ。」
みやびちゃんが静かに言う。
「あなたがいなければ、私は今でも自分を偽ったままでした。」
その笑顔は、最初に会った厳しい生徒会長とはまるで違っていた。
私は自然と笑ってしまう。
「みやびちゃん。」
「はい?」
「その姿、本当に似合ってる。」
みやびちゃんは満面の笑みで答えた。
「ありがとうございます、つばめさん。」
生徒会室には、二人の笑い声がいつまでも響いていた。
◇
放課後の帰り道、私は思わずため息をついた。
「はぁ……。」
今日も生徒会室でみやびちゃんに付き合わされた。
変身して。一緒に決めポーズをして。
そのうえ生徒会役員さんに見られて。
思い出しただけで顔が熱くなる。
「でも……。」
私は小さく笑う。
「楽しそうだったな、みやびちゃん。」
最初に出会った頃の、近寄りがたい生徒会長はもういない。今では、可愛いものを見ると目を輝かせる、ごく普通の女の子だった。
……いや、普通より少しテンションが高いかもしれない。
私は苦笑しながら家の扉を開けた。
「ただいまー!」
店の奥から、お母さんの声が聞こえる。
「おかえり、つばめ。」
私はカバンを置いてソファへ倒れ込んだ。
「疲れたぁ……。」
「またみやびちゃん?」
「うん……。」
私は苦笑しながら話し始める。
「最近、生徒会室に呼ばれる理由がね……。」
もちろん、マニキューレのことは秘密だ。
だから変身の話はぼかして説明する。
「なんていうか……。前は怖い人だったのに、今は可愛いものを見ると目をキラキラさせるし。私まで付き合わされるし。振り回されっぱなし。」
お母さんはクスッと笑った。
「でも、悪い顔じゃないわよ。」
「え?」
「話してるつばめ、とても楽しそう。」
「そ、そうかな?」
「そうよ。」
私は照れ隠しに頬をかく。
「まあ……。悪くはないかな。」
お母さんは優しく笑った。
「よかった。あの子、本当に無理していたもの。」
少し間を置いて、お母さんは思い出したように言う。
「それにしても。みやびちゃんまでマニキューレに変身するなんて、お母さんも驚いたわ。」
「……そうそう、びっくり――」
私は途中で固まった。
「……え?」
お母さんは首をかしげる。
「どうしたの?」
「今……なんて言った?」
「だから、みやびちゃんまで変身するなんて驚いたって。」
私は勢いよく立ち上がった。
「ええええっ!?なんで知ってるの!?私、一言も変身なんて言ってないよ!?」
お母さんは「あら」と笑う。
「あ、言ってなかったかしら。」
「言ってないよ!」
「なんで!?」
お母さんは1枚の写真を持ってきた。
「見てごらん。」
そこに写っていたのは。
「え……。」
若い頃のお母さん。でも、ただのお母さんじゃない。
フリルの衣装。
輝くネイル。
見覚えのあるシルエット。
「これって……!」
「マニキューレ……?」
お母さんは照れくさそうに笑った。
「そう。昔のお母さん。」
「えっ!?」
私は思わず写真を二度見した。
「う、嘘でしょ!?お母さんもマニキューレだったの!?」
「ええ。」
お母さんは優しくうなずく。
「あなたが見つけた虹色のマニキュア。あれ、おばあちゃんの形見なの。代々、受け継がれてきたマニキュアだったのよ。」
私はあの日のことを思い出した。
『私にもそんな時期があったから。』
「あっ……。」
そうだ。あの時のお母さん。私が変身姿を見られて慌てていたら、
『私にもそんな時期があったから』
って笑ってた。
私はてっきり――。
「厨二病だと思われたんだと思ってた!」
お母さんは吹き出した。
「あれは本当のことよ。」
「お母さんも変身して戦ってたんだから。」
「そういう意味だったの!?」
私はソファへ崩れ落ちた。
「全然気づかなかった……。」
お母さんは優しく私の頭をなでる。
「これから先、もっと大変なこともあると思う。でも。つばめなら大丈夫。仲間もできたものね。」
私は自然と笑顔になった。
「うん!みやびちゃんと一緒なら、きっと大丈夫!」
お母さんはニヤリと笑う。
「でも、つばめ。」
「え?」
「詰め(爪)が甘かったわね。」
「わーっ!お母さんまで言わないでー!」
店の中に、お母さんの笑い声と私の悲鳴がいつまでも響いていた。
完




