あしあと
すべり台とベンチだけの、小さな公園。
ボクには居心地がいいんだけど、ニンゲンにはつまらないんだって。
ちょっと歩いたらもっと大きな公園があるから、ニンゲンの子どもはみんなそっちに行っちゃうんだ。
まぁ、ニンゲンの子どもがきたら昼寝もしてられないから、そのほうがいいんだけど。
誰もこない小さな公園は、ボクのお気に入りなんだ。
「トラ、いる? トラ、どこ?」
あぁ、誰もこないっていうのは、言いすぎたね。
ここに来るやつ、一人だけいたよ。
「にゃー」
ボクは返事をした。
返事をしないと、いつまでも「トラ、トラ」って呼ぶんだ。
うるさいったらないよね。
あいつもニンゲンの子どもだけど、ボクのことを追いかけ回さないから許してやってる。
うるさいだけで、無理に触ってくることもないし。
「トラ、ここにいたの。ほら見て、トラ。今日はね、猫のおやつを持ってきたんだ」
食べものもくれるしな。
袋をガサガサされて、ボクは気になって近づいた。
子どもの手は小さくて不器用で、おやつの袋をあけるのに時間がかかる。
おやつをおあずけされて、ボクは文句を言った。
「にゃー」
早くあけろよ。
早く早く。
「ふふっ、トラ、手をかけないでよ」
子どもがやっと袋をあけた。
ふわんと、外では嗅げない美味しそうな匂いがした。
「はいトラ、どうぞ」
ボクは美味しそうな匂いをぺろぺろなめた。
カリカリしてなくて、とろんとしてる美味しいやつ。
もっといっぱいなめたくて、僕はおやつを持ってる子どもの手にまた手をかけた。
子どもは嬉しそうにボクを見ている。
本当は、食べてるところはあんまり見られたくないんだよね。
でも、この袋を子どもから奪うと、このとろんと美味しいやつは袋から出てこないんだよな。
「おいしい? いっぱい食べてね」
「んにゃにゃにゃ」
ボクは返事をした。
返事をすれば、もっと持ってきてくれるかもしれないから。
ニンゲンの子どもは飽きっぽいから、すぐにどっか行っちゃうしさ。
どっかに行くのはいいけど、おやつだけは忘れないようにって、わからせておかないとね。
❇︎
やがて子どもは大きくなって、大人になった。
猫のひとり立ちは早いけど、ニンゲンはのんびりだよね。
まぁ、そのぶんおやつを長くもらえるから、ボクはいいんだけど。
「トラ。トラー。どこにいるの?」
あいつは変わらずボクに会いにくる。
どうやら飽きっぽい子どもではなかったらしい。
毎回わからせていた、ボクの教育のたまものかな。
おやつの袋をあけるのも上手になった。
いろんな美味しいおやつを持ってくるようになって、ボクは満足だった。
「トラー?」
ここだよ。
ボクは返事をした。
でも、声がだんだん出なくなってたんだ。
ボクの声は、あいつには届かなかったみたい。
「いないのかなぁ……」
あいつは帰っていった。
あぁ、おやつをもらい損ねたなぁ。
でも最近は、食欲もないんだよなぁ。
草の上に寝ころぶボクは、空を見上げた。
ぽつ、ぽつ。
ぽつぽつぽつ。
小さな雨粒は、すぐに大きな雨粒に変わった。
冷たいなぁ。
寒いなぁ。
屋根のあるところに移動しようと思ったけれど、体が動かなくなっていた。
そのうち寒さもなくなって、眠くなった。
「にゃ……」
おやつ、ほしかったな。
一回だけ、あいつになでさせてやってもよかったかな。
ずっと、優しい手だったもんな。
ボクはあいつの手を思い浮かべながら、眠すぎて目をとじた。
❇︎
あいつはいつまでも公園にやってくる。
でも、ボクの名前を呼ばなくなった。
おやつもないし、静かだし、おかしいよね。
ベンチに座って、しばらくボーッとして、帰っていくんだ。
「にゃー」
ねぇ、ボクいるけど。
おやつはないの?
前に立ってもベンチの横に座っても、ボクに気づかない。
「にゃー」
おい、本当に見えないの?
ボクは死んだけど、ここにいるんだよ。
どれだけ返事をしても、ボクの声は届かないみたい。
それでやっぱり、ボクに気づかないまま、帰ろうとするんだ。
「トラに会いたいなぁ……」
ボク、いるってば。
「にゃー」
大きく返事してやってるのに、なんで気づかないんだよ。
それに、なんでそんなに元気がないんだよ。
しかたないなぁ。
大人になったのに、しかたない。
入り口まで見送ってあげるよ。
今日だけだからね。
「にゃ」
ニンゲンは歩くのが遅くて、ボクは何度も振り返る。
こんな足の遅さで、ニンゲンはよく生きていけるよ。
この小さな公園でこんなにのんびり歩くのは、お前くらいだよ。
「んにゃ」
ほら、入り口だよ。
ちゃんと帰るんだよ。
お前は弱そうだから、他の猫に会ったら全力で逃げるんだぞ。
「トラ、また来るよ」
はいはい。
次はおやつ持ってこいよ。
絶対だぞ。
約束だぞ。
お前にボクは見えなくても、ボクはいるんだからな。
長くなった足に体をすり寄せると、ボクはうっかり水たまりをふんだ。
あぁもう、雨上がりだ。
水を気にせず歩くニンゲンは、本当に鈍感だよ。
「トラ……?」
お、こっちを見た。
なんだよお前、今ごろ気づいたのか?
ボクはずっといたよ。
「にゃー」
次は、おやつな。
見送りはおしまいだ。
ボクが公園の中に戻ると、あいつはボクをずっと見ていた。
なんだ、わかってるじゃん。
次も気づけよ。
ボクのあしあとじゃなくて、ボクの返事に気づけよ。
ボクが返事をするのは、お前だけなんだから。
「にゃー」
その時まで、またな。




