8月 夏の盛りを迎え、胸の奥では静かな想いが熱を帯びていました。
屋台の灯りに照らされた通りは、
いつもの町とはまるで別物だった。
浴衣の色、金魚の袋、団扇の音。
子どもたちの笑い声。
遠くから聞こえてくる太鼓。
——同じ道のはずなのに、風景がすっかり変わっている。
そんな中で。
見慣れたはずの、見慣れない姿をした“あの人”を見つけた。
浴衣姿の綾瀬。
淡い水色が、街灯に照らされるたび
ほのかに光って揺れる。
友達と楽しそうに歩いている。
声は届かない。
笑い顔も遠い。
だけど——
目が離せなかった。
声をかけたい。
でも、かけられない。
手を伸ばしたくなるのに、足は一歩も動かない。
それでも。
同じ祭りの空気の中で、
同じ色と同じ音を感じている。
ただそれだけで、
胸の奥がほんのり温かくなった。
それだけで、十分だと思えた。
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夕暮れの空が茜色から藍色へ変わりはじめるころ。
私たちは、屋台が立ち並ぶ通りを歩いていた。
友達が弾む声で話しかけてくる。
響く金魚すくいのBGM。
人の波。
ざわめき。
揚げ物の匂い。
——ほんま、夏祭りってええなぁ。
そう思いながら歩いていたその時。
ふいに、
背筋に少しだけくすぐったいような感覚が走った。
誰かに見られている。
ああ、これは……知っている視線や。
人混みの向こう。
提灯の隙間から——
私の方を、まっすぐ見ている人がいた。
大森くん。
……なおくん。
浴衣姿は初めて見せる。
彼は驚いたようにこちらを見つめていて。
その目が、なんだかくすぐったい。
——声、かけはるかな。
一瞬だけ、心が跳ねる。
けれど。
友達が話しかけてきたので、
私はそっと視線を外した。
なおくんが声をかけてくれたら嬉しい。
でも……
彼が迷ってる空気も、ちゃんと感じていた。
だから私は、
あえて、気づかないふり。
そのほうが、
“なおくんらしい”気がして。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
——見てくれてはる。
それだけで十分や。
嬉しいのに、言葉にはせん。
今はまだ、それでええ。
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花火の音が空気を震わせた瞬間。
私の世界はまた一度、静かに揺れた。
人混みの向こうで、
なおくんが立ち止まっているのが見えた。
花火が弾ける度、
彼の瞳が一瞬だけ光を宿して——
まるで、空じゃなくて私を見ているみたいやった。
胸がきゅうっと締めつけられる。
——なおくん。
そんな顔で見られたら、
うち……また好きになってまうやん。
ほんとはね。
気づいてたんよ。
なおくんが、
花火よりもうちの横顔を見てくれてたこと。
でも、この夜は言わんとこ。
言ったら、きっと照れて逃げはるし、
それが少しだけ惜しいから。
ただ。
花火の色に染まる彼を見つめながら、
そっと胸の内で呟いた。
——うち、あんたのこと……
ずっと、前から……好きやねん。
夏の風がそっと吹いて、
その想いだけを夜空にのせた。
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——夜。
打ち上げ花火の会場で、
僕はまた彼女を見つけた。
人混みの向こう。
ふいに浮かび上がる、浴衣の白い襟足。
きっと、向こうは気づいていない。
僕の視線にも、僕の存在にも。
でも、いい。
空に咲く大輪の花に照らされる横顔が、
あまりにも美しくて。
花火の音が遠ざかるほど、
僕は彼女しか見えていなかった。




