7月 後編 夏霞がゆらぎ、強い陽射しの下で影までも濃く映る季節となりました。
一学期の終業式が終わり、生徒たちは早々に学校から解放されていった。
校舎にはもうほとんど人影がなく、空気はどこか静まり返っている。
そんな中、直哉は昇降口へ向かう途中——
校舎の影で、ひとり電話をしている綾瀬の姿を見つけた。
ただ、その雰囲気はいつもの彼女ではなかった。
白い指先でスマホを握り締め、肩が微かに震えている。
電話越しの相手の声が、遠くからでもわかるほど強く、冷たく、低い。
「……ええ、分かってます。
せやけど、うちの進路をそっちの都合で決めはるんは——」
一拍置かれたあと、綾瀬の眉がきつく寄った。
「……それは叔父様の責任やろ?」
直哉は思わず足を止める。
声は抑えているのに、背筋がざわつくほどの怒気が滲む。
電話口の相手が何かを言う。
綾瀬の目が、氷のように細くなった。
「……“父さんを支えられへん娘は要らん”?
そないなこと、よう言えますなぁ…」
その瞬間、直哉は綾瀬の背後からでも分かるほどの怒気を感じた。
「家督の話にうちを巻き込まんといて。
お父さんの足を引っ張るために、うちを道具に使うなんて……
——ほんま、許せまへん。」
その瞬間、ぷつり、と通話が切られる。
綾瀬はゆっくりスマホを下げ、目を閉じて息を整えた。
ほんの数秒——
次の瞬間。
「……っ、もう……ええ加減にせぇっ!!」
乾いた音が校舎裏に響き渡る。
拳が壁を叩きつけ、壁に小さく“ひび”が走った。
一瞬の静寂。
綾瀬は小さく深呼吸をし、何事もなかったかのように顔を上げた。
——そして、目が合ってしまった。
「あっ……えっ……あのっ……」
直哉は言葉にならない声で慌てふためく。
綾瀬はすっと歩み寄り、距離を詰める。
影が重なり、視界いっぱいに彼女の顔。
細めた目には光がなく、しかしどこか艶やかで——
白い肌と、深紅の唇がぞくりとするほど美しい。
「今の、どなたかに言いはったら…しばきますぇ?」
その声音は甘いのに、背筋が冷えるほどの迫力。
直哉が、つい漏らしてしまう。
「きれい……」
綾瀬の表情が、一瞬だけ固まる。
次の瞬間——
蠱惑的な笑みがすっと消え、冷え切った笑みへ変わる。
ひゅっ。
右ストレートが、きれいなフォームで直哉の頬に吸い込まれた。
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直哉が目を覚ますと、白い天井が見えた。
頬が痛む。
身体を起こして周囲を見渡すと——すぐ横に綾瀬がいた。
「……お目覚めですか?」
優しく微笑むその顔に、直哉は反射的にのけぞる。
綾瀬はすっと距離を詰め、耳元に唇を近づけた。
「さっきのこと……内緒ですえ?」
吐息が耳に触れて、直哉は真っ赤になる。
慌ててよろめいたところを、綾瀬が片手で支えた。
「朝比奈さんって……けっこう力持ちなんだね……?」
ふわりと微笑む。
だがその目は笑っていない。
「……大森君?
それ、女の子に言うたらあかん言葉やで?」
こん、と小さく頭を叩かれ、今度こそベッドから落下する直哉。
床で悶える彼を見下ろしながら、綾瀬はゆっくり目を細めた。
「私かて……か弱い乙女ですのよ?
せやから……武道を“少々”、ね。」
その声は、雨上がりの空のように澄んでいるのに——
壁に残った“ひび”だけが、今日の出来事のすべてを物語っていた。




