6月 後編 雨の季節、言葉にならない優しさが、そっと距離をほどいていきました。
帰り道。
梅雨入りしてからというもの、毎日のように雨が降っていた。
校門を出ると、細かい雨粒が傘を叩く音が周囲の喧騒をやわらげていく。
(……はぁ、今日も雨か。早く梅雨明けないかな……)
いつも通り帰ろうとした、その時だった。
ふと前方に見覚えのある後ろ姿がある。
淡く白い傘、まっすぐ伸びた背筋、ゆるく揺れる黒髪。
――朝比奈さんだ。
(……挨拶くらい、しようかな)
そう思い、傘を軽く持ち直して歩み寄る。
「朝比奈さ……」
声をかけた瞬間、綾瀬が振り向いた。
彼女は数秒だけ瞬きをして、そしてふわりと笑う。
「大森君。……雨、凄いね。」
それだけの一言なのに、胸が軽く跳ねる。
並んで歩き始めたその時——
綾瀬がふと、自分の傘を見つめ、
次に直哉の傘を見て、ほんの一瞬だけ考えるように視線を落とした。
そして。
「……二人して傘をさすと、ほかの方の通行の邪魔になりますよね。
ここ、歩道が狭いですし……ね?」
「えっ……あっ……まあ……確かに……?」
意図が分からずに固まる直哉。
綾瀬はふわりと微笑んで、
手にした自分の傘を静かに閉じた。
そして。
「え、ちょっ……!? 朝比奈さん!? ぬ、濡れ——」
言い終わる前に、
綾瀬は当然のように、直哉の傘の中へすっと入ってきた。
肩が触れそうで、でも触れない。
距離が近すぎて、心臓が何度も跳ねる。
「……失礼しますね」
顔を上げた綾瀬は、いつもの完璧な微笑ではなく——
どこか少し照れを含んだ柔らかい表情をしていた。
雨粒の音の中、ふたりの距離が一気に縮まる。
肩が触れそうで、触れない。
でも、雨に濡れない程度には十分近くて——
直哉の頭が真っ白になった。
(えっ……えっ……えっ……!?
これ実質……いや、これは相合い……!?)
「……こうして歩くの、いいですね。」
綾瀬は少し上目づかいで、静かに言った。
(あっあっあっ……心臓が……無理……)
淡い雨音の中、
ふたりの歩幅が自然とそろっていく。
ただのクラスメイトのはずなのに、
どこか特別な時間のようで——
梅雨の帰り道は、静かに甘く染まっていった。
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翌朝、登校中の直哉の姿を、綾瀬は見つけた。
(今日がなおくんの誕生日って知ってても……
直接お祝い言えないなんて……)
そう思っていた矢先だった。
「大森ー!おはよー!
あと、はぴばー!」
山崎の軽い声が響く。
「軽すぎない!?」と直哉が思わず突っ込む。
(……でかしたわ、山崎君!)
綾瀬は内心で小さくガッツポーズをしながら、
何事もなかった顔で近づいた。
「大森君、今日お誕生日なんですか?
……突然だったから、こんなものしかなくて」
そう言って、鞄から小さな飴玉を取り出す。
「わっ……。
わざわざ、いいのに……
ありがとうございます」
直哉は、少し照れたように、
その飴を大事そうに受け取った。
――と、その時。
「なぁなぁ!」
唐突に、陽キャ先輩が割り込んでくる。
「俺、一昨日誕生日だったんだけどさ。
綾瀬ちゃん、俺にも何か頂戴!」
綾瀬は一瞬だけ瞬きをして、
にこりと、上品に微笑んだ。
「ほんなら先輩。
ぶぶ漬けでも送って差し上げましょか?」
「ぶぶ漬け?
初めて聞くけど……漬物?
チョイス渋いねー!」
うぇーい!と軽薄なノリで綾瀬を揶揄う。
「…………」
にこりと笑ったまま、何も言わない綾瀬。
(京都で“ぶぶ漬けでも”って……
早く帰れ、って意味だよな……?)
と心の中でつぶやく直哉だった。




