1月 前編 新春の澄みきった空気が、心を静かに整えてくれる季節となりました。
新年の神社は、冬の静けさの中に
かすかな熱気が満ちていた。
白い息、屋台の湯気、鈴の音。
人混みのざわめきの中でも、
どこか心が澄んでいくような空気がある。
直哉は、家族と並んで神社に来ていた。
「今年は穏やかに過ごしたいわねぇ」
「お前が言うとフラグにしか聞こえん」
「お願いだから怖い事言わないで……」
そんな他愛ないやりとりをしながら進んでいると——
「あら? 大森君……?」
聞き覚えのある上品な声がした。
振り向くと、白いコートを纏った綾瀬と、
隣には正装姿の忠親が立っていた。
「……こんにちは、大森君」
「……こんにちは、朝比奈さん」
苗字呼びが久しぶりで、少しぎこちない。
けれど綾瀬はすぐに直哉の両親へ向き直り、
ぺこりと美しく頭を下げた。
「大森君のお父様、お母様。お久しぶりです。」
朝比奈家事件の後、忠親と綾瀬が謝罪に来て以来、
丸一か月ぶりの再会だ。
「まぁ……綾瀬ちゃん、久しぶりねぇ。相変わらず綺麗ね……!」
そう言って誇らしげに息子の背中を叩く母。
「やめて!? 本当にやめて!!」
そこへ忠親が一歩進み、深々と頭を下げた。
「……大森様。
先日は、うちの内輪の騒動にご子息を巻き込み、
本当に申し訳ありませんでした。
改めて、お詫び申し上げます。」
母はやわらかく微笑んで首を振る。
「いえいえ、もう済んだことですし。
息子がお嬢さんのお力になれたのなら、
母として……それだけで十分でございますよ。」
「母さん!?!?なんで“良家の奥様”みたいな喋り方してんの!!?」
「まぁ、直哉もたまには役に立つんだな」
「なんかひどくない!?」
突然辛辣なことを言う父に突っ込みを入れる。
そんな中、綾瀬は静かに一歩前へ出て、丁寧に微笑んだ。
「大森君のお父様、お母様。
こちらこそ……私こそ、直哉君には
いつも助けていただいています。」
(綾瀬さん猫かぶってる……!
僕の両親の前で完璧な令嬢になるのやめて……心臓止まる……!)
少し談笑したあと、綾瀬はふいに直哉の手首をそっと掴んだ。
「大森君のお父様、お母様。
直哉君、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「えっ!? か、借りるってどこへ!?!?」
「あらあら♡ 行ってきなさいな〜」
「ご武運を」
直哉が動揺している間に、勝手にレンタル契約が成立していた。
(……また甘い空間を作るんだろうか……)
事件後の二人を思い出し、そっと胃を押さえる忠親。
綾瀬はにっこり微笑んで、まるで当たり前のように言った。
「初詣、うちと一緒に行きましょ? なおくん♡」
直哉の心臓は、新年早々限界突破した。
こうして——
偶然のはずが、自然に、当たり前みたいに、
ふたりの“初詣デート”が始まった。
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参道は、人でぎゅうぎゅうだった。
鈴の音と、屋台の湯気と、白い息が折り重なっていく。
「……すごい人ですね」
直哉が言うと、
綾瀬は袖の端をきゅっとつまんだ。
「なおくん、はぐれたら困りますし……ね?」
上目づかい。
(や、やめて……心臓の鼓動が人混みよりうるさい……)
寒さのせいか、
直哉の指先がほんのり赤くなっていた。
ふと見上げてくる。
「なおくん、寒くないですか?」
「う、うん……だ、大丈夫……」
「ふふ、なおくんは“強がり”ですねぇ?」
「うっ……」
そんな会話をしているうちに、
ようやく順番が来た。
綾瀬は一歩前に出て、手を合わせる。
すっと目を閉じた綾瀬の横顔は、清らかで、どこか切なくて。
まるで時間が止まったみたいに綺麗だった。
直哉もそっと隣に並び、目を閉じた。
——どうか。
今年も、綾瀬さんが笑っていられますように。
その隣で、僕も……一緒にいられますように。
深く、静かに願いを込める。
目を開けると、綾瀬と目が合った。
綾瀬はほんの少しだけ頬を染めて微笑んだ。
「……なおくん、どんなお願いしたん?」
「えっ!? そ、それは……」
「ふふ、言わんでええよ? なおくんのお願い事やし」
冬の空気に、胸の奥だけが温かい。
「……けど、うちもね?」
「?」
「なおくんのこと、ちゃんとお願いしましたよ」
「!?!?!?!?」
参拝を終えて、ふたりは列から離れた。
冬の空気は冷たいのに、胸の奥だけほのかに温かい。
直哉が顔を上げた瞬間——
綾瀬が、こちらをふっと見上げて微笑んだ。
「……なおくん。」
「え? な、なに……?」
「おみくじ、引きに行こ?」
そう言うと綾瀬は、
今度は、ためらいもなく直哉の手を取った。
指先が冷たくて、
でも握り返してくる力はやわらかくて。
(やば……無理……心臓が……)
そのまま人混みをすいすいと歩き、
おみくじ売り場へと並んだ。
おみくじを引いて、
笑ったり照れたりして、
ふたりだけの会話が止まらない。
そんな時間のあと——
鳥居のそばで待っている両親が見えた瞬間。
綾瀬の足が、ふっと止まった。
「なおくん……」
その声は、さっきまでのおしゃべりより
わずかに小さくて——
綾瀬は、そっと手を緩めた。
ほんの一瞬、名残惜しそうに指を絡め、
そして、離した。
視線を落として、小さく笑う。
「ご両親の前やし……ね?」
そう言う綾瀬は、どこか寂しそうで、
でも照れたようで、そして——愛しさが滲んでいた。
直哉の胸が、きゅっと締めつけられる。
(……あ。やっぱ綾瀬さんのこと、ほんとに……)
思わず言葉が出そうになった時——
「今日は……ありがと。
うち、めっちゃ楽しかったわ。」
「う、うん……僕も……」
両輪との距離が近づいてくる。
別れ際、綾瀬がふいに振り返って、小さく手を振った。
猫かぶりじゃない、
素の綾瀬のやわらかい笑顔。
「……なおくん。
次、会うの……楽しみにしてるな。」
そのまま、
二人はそれぞれの家族のもとへ歩いて行く。
離れてしまうのが寂しいのに——
なぜだか心は満たされていた。
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帰宅後
玄関の灯りがついた瞬間——
浮ついていた気持ちが、ふと現実戻る。
階段を上り、自分の部屋のドアを閉めた。
静かな空気の中、
コートのポケットを探ると——
紙の手触りが指先に触れた。
おみくじ。
開いて見た時は綾瀬が隣にいて、
心臓が忙しくて内容がほとんど頭に入ってなかった。
そっと展開する。
一 吉
“思い人と心通う”
“誠を尽くせば縁深まる”
(………………え?)
胸が跳ねた。
まるで今日一日の答え合わせみたいな内容だ。
そして、思い出す。
おみくじ売り場で、
綾瀬が自分の紙を見下ろして
ふわっと笑った顔。
(……まさか……)
ダメだ、気になる。
気になるどころじゃない。
もし……もし同じだったら——
今日の手の温度も、笑顔も、
全部が“偶然じゃない”ことになってしまう。
直哉はおみくじの紙を胸の前で握りしめ、
ベッドにぱたんと倒れ込んだ。
(……好きすぎる……
今日の綾瀬さん……好きすぎる……)
天井がぼんやり揺れて見える。
きっと、明日も今日のことだけ考えてしまうんだろう。
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「ほんとは……もう少し、なおくんと一緒にいたかった」
部屋に戻ると、
暖房の温度が落ち着いていて、
外より少しだけあたたかい。
綾瀬はそっとコートを脱ぎ、
そのポケットに指を差し入れた。
指先に、紙が触れる。
さっき直哉と並んで引いた——おみくじ。
広げていたその紙を、
もう一度ゆっくり開く。
一 吉
“思い人と心通う”
“願いは焦らずとも叶う”
(……なおくんのも、同じ吉やった……)
お互い驚いて笑った、その瞬間。
あの時の直哉は、
照れと嬉しさと混乱で、
真っ赤になってた。
その顔が頭から離れない。
綾瀬は紙を胸に当てて、
静かに息をつく。
(ほんまは……もっと一緒にいたかったな……)
神社の帰り道、
袖をつまんだまま歩いたあの数歩。
あれだけで、
胸がぎゅうっとして——
離したくなかった。
でも、
父の前では無理や。
だからこそ、
最後に袖だけでも触れた。
ほんの少し指先が触れるだけで、
“またつなぎたい”って思ってしまったから。
綾瀬はふっと笑う。
(なおくん……気づいてへんやろけど……
うち、今日……
一緒に歩けて嬉しかったんよ……)
部屋の灯りを落とし、
布団に潜りながらもう一度
おみくじの文字を見つめる。
“思う人と心通う”
(……ほんまになったら、ええなぁ……)
そうつぶやいた声は、
誰に聞かれるでもなく、
冬の夜に静かに溶けていった。




