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可憐で苛烈な気になるあの子  作者: 葉時


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16/26

11月 前編 日が落ちるのが早くなり、冷たい闇が忍び寄っていました。

夕暮れの商店街裏は、人通りが少なく風が冷たい。

11月の夕方ともなれば、もうほぼ真っ暗だ。

綾瀬は寒空の中、コートの襟を立てながら通学路を歩いていた。


その時——

黒塗りのセダンが、前方の道をふさぐようにスッと滑り込んで止まった。


磨き上げられた車体は街灯を鏡のように反射し、不気味なほど静かだった。


(……誰?こんな道で)


足を止めた瞬間——


後部座席のドアが開き黒スーツの男が無言で飛び出す。

もう一人は車の影から素早く回り込み、綾瀬を背後から襲う。


「——っ!」


悲鳴を上げる暇もない。

布で口を塞がれ、細腕を後ろにねじり上げられる。


彼らは声を一切発しない。

手慣れている。


綾瀬は荷物ごと車内へ叩き込まれ、

ドアが音もなく閉まる。


車はすぐに裏道へ消えていった。




直哉は商店街で買い物を済ませ、裏道へ入ったところ。


ちょうど角を曲がる刹那、

黒塗りのセダンが不自然な速度で走り去る。


ほんの一瞬、

後部座席の窓越しに——猿ぐつわをされた綾瀬と目が合う。


「……っ!? 朝比奈さん!?」


その一瞬の視線の交差が、直哉を突き動かす。


「……待って……今助けるから……!」


直哉は息が切れるのも構わず走り始めた。


「綾瀬さん……待って……!」


靴の裏がアスファルトを叩く音だけが、冬の冷えた裏道に鳴り響く。

角を曲がるたびに胸が締め付けられる。

あの黒塗りセダンが、もう見えなくなってしまう気がしてたまらない。


——だが、まだ間に合う。


直哉はすぐ近くにある自宅まで全力で走り込んだ。


カーポートに置いてある自転車を掴む。


(見失ってない……あの車が曲がった方向は見た!)


ハンドルを握りしめる手が震えていたが、躊躇している暇はなかった。


「間に合え……!」


ペダルを踏み込んだ瞬間、自転車は凍える風を切って走り出した。



---------------



暗い車内。

口を布で塞がれ、両手首を後ろ手に縛られた状態で、綾瀬は無理やり座席に座らされていた。


冷たい革シートの匂い。

窓の外は流れる街灯だけ。

吐き気がこみ上げるほどの揺れ。


(……どこ連れていかれるん……?)


誘拐犯は一言も喋らない。

言葉がないというだけで、恐怖は数倍に膨れ上がる。


綾瀬は震える指先で、

ひそかにポケットのスマホへ触れようと身をよじる。


が——隣の男に腕を掴まれた。


「……ッ!」


口を塞がれて声が出ない。

男の指は無機質で、感情の温度がひとつもなかった。


(まさか……?叔父様……ほんまに……こんなこと、するんや……)


胸の奥がキリキリと痛む。

父がどれだけ傷つくか考えると、涙が滲む。


その時——

車が一瞬、大きく揺れた。


綾瀬は思わず体を起こし、窓の外を見る。


裏道を猛スピードで走り抜けるセダン。

その後方の交差点で——

直哉が、必死に走ってくる姿が見えた。


(……なおくん……?)


あり得ない光景だった。

なぜ追って来ているのか分からない。

けれど——その姿が、綾瀬の胸に熱を灯した。


(……助け……来て……)


涙が頬を伝う。

猿ぐつわ越しにあがる微かな声は、誰にも届かない。



---------------



そのころ。

朝比奈家本邸では、異変に気づいた綾瀬の父・朝比奈 忠親が書斎で緊急連絡を受けていた。


「……綾瀬が、帰ってこない?」


家人が震える声で報告する。

すぐに外の通話ログ、GPS、使用人の所在。

忠親は怒りを抑え、淡々と確認を続けた。


「公成の車が……? いや——この動線はおかしい」


忠親の胸を貫く嫌な予感。


「……まさか、あの子を巻き込んだのか」


拳を握り込む音が、静かな書斎に響いた。


即座に親族側へ連絡を飛ばす。

情報を集め、叔父が利用している屋敷へ導き出した。


「……やりおったな、公成。娘を……—必ず取り戻す」


冷静な声の奥底に、容赦のない怒りが燃えていた。



---------------



黒塗りの車が公成邸へ到着する。

夜はとっくに深い闇に沈み、屋敷の前だけがぽつりと灯っていた。


玄関前の灯りの下——

綾瀬の叔父・朝比奈 公成の使用人に拘束された直哉が、

赤く腫れた目で公成を睨んでいた。


「……この子は誰だ。」


忠親が、誰に問うわけでもなくぽつりとつぶやく。


使用人が答える。

「このガキが、勝手に屋敷に入り込もうとして——」


「綾瀬さんを……返してください……!」


使用人の言葉を遮るように、震えながら直哉が叫んだ。


「離せよっ……!

 綾瀬さんが……泣いてるの、見たんだ……!」


「関係ないだと? そんなわけない……!

 大人の都合で女の子が傷ついて……

 見て見ぬふりなんて、できるかよ……!」


顔を殴られ、血がにじんでもなお睨み返す。


「僕が……綾瀬さんを……助けるんだ……っ!」


その小さな叫びは、

初対面のはずの 忠親 の胸に鋭く突き刺さった。


忠親が息を呑んだ、その瞬間——

公成が、ようやく兄へ視線を向け、皮肉げに口角を歪めた。


「ほう……よう来はったなぁ、兄上。

 娘返してほしいんやったら、はよ家督差し出しなはれや。」


父の瞳が、氷のように細くなる。


「……公成。お前、ほんまに一線を越えたな。」


うちのためや。あの娘さえ押さえといたら……

 なんぼでも兄上は動かしようありまっしゃろ。」


「——黙れ。」


忠親の静かな一喝に屋敷が静まり返る。


「家の事に無関係の子を巻き込んだ時点で……お前に“朝比奈”を名乗る資格はない。」


「……なんやて?」


「綾瀬も、この子も、わしが守る。

 一線を越えたお前は、この家に必要ない!」


その言葉は、長年押し殺してきた怒りの解放だった。


公成が何か言い返すより早く、忠親は迷いなく屋敷の奥へと踏み込んで行った。



---------------



公成の屋敷の廊下は、不気味なほど静まり返っていた。

玄関の明かりだけが遠くに滲み、奥へ進むほど闇が深くなる。


忠親は、一切躊躇せず足を進めた。

拳を握りしめる手は震えている。

怒りか、恐怖か、自分でも分からない。

ただ——

娘を救わねばならない

その一点だけが、忠親を動かしていた。


奥の一室の前で、かすかな物音がした。


(……綾瀬?)


呼吸が止まる。


忠親はドアノブに手をかけ、

勢いよく扉を開いた。


部屋の中央。

薄暗い照明の下で、

綾瀬は椅子に縛られ、口を布で塞がれていた。


細い肩が小刻みに震えている。


「――綾瀬ッ!」


忠親の声が、震えていた。

驚いた綾瀬が顔を上げる。

涙で滲んだ瞳。

それでも父を見た瞬間、

安堵の色が一気に広がる。


「……ぅ、……ぁ……」


猿ぐつわを外すと、

綾瀬は堰を切ったように父へ身を預けた。


「お父……さん……っ……!」


「もう……大丈夫だ。よく頑張った……もう何も心配いらん……」


忠親は娘を抱きしめ、背中を優しく撫でる。

その手つきは、いつもの穏やかな父そのものだった。

しかし、その瞳の奥には燃えるような怒りが宿っている。


「公成……貴様……」


その時、背後から足音が近づく。


部屋の入り口に、公成が現れた。

その顔には、相変わらずの冷たい笑みが浮かんでいる。


「兄上ぇ……間に合わはったようで、何よりどすなぁ。」


忠親は綾瀬を庇うように立ち上がり、

ゆっくりと公成へ向き直った。


「公成……これはもう、家の問題では済まされん。

 ——完全に“犯罪”だ。」


公成の表情が、初めてわずかに揺れた。


忠親は静かに、しかし確固として告げた。


「警察は、もう向こうてはります。

 ……ここまでや、公成。」


廊下の奥から複数の足音と、

低い声が響き始めた。


使用人たちが次々に廊下に集まり、

警官が屋敷へ踏み込んでくる。


「わては“朝比奈”の者やぞ!?

 誰に断って、こんな真似しとんねん……!」


「未成年者誘拐および監禁の疑いで、あなたを逮捕します。」


腕を掴まれた瞬間、公成の顔色が青ざめた。


「兄上ッ! わてはこのうちのためにやっとるんやッ——!」


忠親は冷たく答えた。


「このうちのため……やて?

 家督奪うために娘を使つこうて、

 よそ様の子にまで手ぇ出しはって……

 それが“家のため”やと、ほんまに思てるんか。」


「……っ……!」


公成の言葉が詰まる。


「お前が守ろうとしてきたんは、“朝比奈”やあらしまへん。

 ——お前自身の見栄や。」


その静かな一言が、公成を完全に黙らせた。


警官に連れられ、公成は屋敷を後にした。



---------------



後日


親族会議の為、朝比奈家の親族が一堂に会する重苦しい席。


出席者全員が、

「綾瀬誘拐」「少年への暴行」

その全容を聞き、一様に顔を曇らせた。


討議は短かった。


結論は、ただひとつ。


「朝比奈 公成を、籍より除名する」


家門の者としての資格剥奪。

財産の一部凍結。

名義からの除外。


最も重い処罰が下された。


忠親はただ静かに目を閉じていた。


公成には情はあった。

しかし——

“父として娘を守る”

その前に、どんな情も存在しえなかった。


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