9月 後編 季節が落ち着きはじめても、胸のざわめきだけは消えませんでした。
静かな昼下がり。
昨日の出来事が頭から離れず、
直哉は落ち着かない気持ちを抱えて散歩に出ていた。
「あー…朝比奈さん、怪我…してなかったよな…」
ブツブツ独り言を言いながら歩いていると――
「アーデル、行くでー」
どこか柔らかい声が聞こえた。
角を曲がった瞬間、直哉は思わず後ずさった。
「おわっ…!!」
いかつい顔のドーベルマンが、綾瀬の横をキビキビ歩いていた。
対して綾瀬はというと、
上品なワンピース姿のまま、
機嫌良さそうにリードを持っている。
「…大、大森くん?」
「あ、朝比奈さん!?犬…!? でか…!」
綾瀬は一瞬きょとんとし、次にふんわり笑った。
「うち、犬派なんですよ。
小さいころ…猫に追いかけられまして。
ちょっと苦手で。…あ、でも可愛いとは思いますよ?」
「猫に…追いかけられた…?」
直哉は頭をひねる。
(昔…そんな子…いたような…
ちっちゃい女の子が、猫に追いかけられて泣てたな…
でも…誰だっけ…?)
一瞬記憶には引っかかったが、思い出そうとすると
するりと指の間から抜けていくような感覚。
綾瀬はその横顔を静かに見つめていた。
(…気づくんやろか。なおくんが助けてくれたの、うちやって)
アーデルが急にキュッと立ち止まり、
振り返って綾瀬の顔を見上げる。
「アーデル、寄り道はしない、って顔してますねぇ」
「ふふ、ほんとですね。では、この辺で、大森くん」
「う、うん。また明日」
離れていくふたりの距離。
直哉の胸のざわつきは収まらない。
(なんでだろ…今日の朝比奈さん…
昨日より、ちょっと…近かった気がする…)
背後でドーベルマンが「ワン」と吠える。
振り返ると綾瀬が、ほんの少しだけ目を細めて言った。
「大森くん。また不良に絡まれないよう…気ぃつけてくださいね?」
その声音は、優しくて、
でもどこか刺すように鋭かった。
直哉は軽く震えながら、
胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。




