9月 中編 夏と秋の狭間にあるこの季節は、心の奥の強さを静かに試してきます。
昼過ぎ。「二年二組メイド喫茶」の教室は客でにぎわい、
クラスの女子たちはかわいらしい黒のメイド服に身を包んでいた。
「大森くん、飲み物お願いしまーす」
「了解!」
直哉は、ひたすら皿を運び、席案内をし、厨房の補助までやっていた。
混雑はしているが、やりがいのある忙しさだ。
(朝比奈さん、今は…あ、接客してる)
ふと視線の先、綾瀬が笑顔でお客に紅茶を出していた。
(綺麗…慣れてないはずなのに、すごい馴染んでる)
見惚れそうになった、まさにその時。
ガラッ!
乱暴に扉が開いた。
「おーここかぁ? ミスコン準優勝の子がいる喫茶店って」
けだるそうな声。
見るからに“学校関係者ではない”風貌の男子3人が入ってきた。
(他校の…不良?)
客の空気が一瞬で変わる。
「おい店員」
不良が直哉の胸ぐらを軽く掴んだ。
「準優勝の子、どこ? あの黒髪の美人。写真撮りたいんだけど」
「っ…ダメです、撮影は禁止で…!」
「はあ? お前の意見は聞いてねぇよ」
押し返され、直哉はよろけた。
ざわつく周囲。
しかし、不良たちは気にしない。
「おい早く呼べよ。“準優勝ちゃん”だよ」
(朝比奈さんをこんな危なそうな人たちには近づけさせない…!)
そう自らを、奮い立たせ一歩前に出る。
もう一度「撮影は禁止です」と口を開きかけたところに
微笑んでいる綾瀬がすっ、と割って入った。
しかしその笑顔は、いつもの艶やかなものではなく…
氷が張りつめたような、静かな微笑だった。
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(…なおくん、どつかれた…!)
胸の奥に、すっと冷たい風が吹いた。
声は穏やか。
だが、温度は限りなく低い。
「お客様。
当店では“撮影は固くお断り”しておりますの。
ご理解いただけますか?」
「お、もしかして準優勝ちゃん? いやいや、俺ら客だし?」
「でしたら…なおさら、ルールはお守りくださいまし」
そう言ってにこりと笑う。
「は? なにそれ。
じゃあ個人的に撮らせ――」
綾瀬の微笑みが、すっと細くなる。
「…先ほどから、
“大森くんに触れてはる手” をお離しくださいな?」
低い。
深い。
感情の色がひとつ濃くなる。
「はあ? なんだよお前――」
その瞬間。
綾瀬の手が、不良の手首をそっとつまむ。
普通の女の子の力。
…のはずだった。
ゴキッ!!
「っ…!? いって…!?」
力ではなく“技”だった。
綾瀬の指は正確に急所を押し、手首を極める。
「大森くんに乱暴されるのは…許せへんのよ」
「なっ…離せっ…!」
「嫌です」
完璧な笑顔で即答する。
客全員(あ…これ…ガチで怒ってるやつだ…)
(…怖い…けど…綺麗…)
どう見ても危険な状況。
どう見ても、怒っている。
しかし直哉には――
綾瀬の背中が、
まるでヒーローのように見えていた。
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綾瀬が手首を極める角度をほんの少し強めた瞬間、
不良が情けない悲鳴をあげた。
「いっ…てぇぇ…!!
お、おまっ、離せって…!」
綾瀬は微笑んだまま、力を抜かない。
「…“なおくんに触った罰” やんね。
ほんの…お仕置きですわ」
「ふざけんなよ…っ」
痛めた手をさする不良Aを、不良BとCが蒼白になりながらひっぱり、
なんとか綾瀬から逃げ出すように扉へ向かった。
だが――
最後に、Aが振り返って吐き捨てた。
「チッ…
準優勝のくせに調子乗るなよ…!」
バタンッ!
ドアが閉まる。
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「…………」
冷めた目で不良が出て行った扉を眺める綾瀬。
(…ちょ、調子乗るなって…
目当ての女の子に負けたからって…
むしろ綾瀬さんは、このクラスを助けてくれたのに…)
胸がギュッとした。
悔しくて、情けなくて、なぜか少しだけ心が熱い。
「…あ、朝比奈さん…」
「はい、大森くん?」
にこっ
ほんの一瞬前まで不良を極めていた手とは思えないほど、
綾瀬は柔らかく微笑んだ。
なおくんが無事でいることだけが、綾瀬には重要だった。
不良たちが去った後教室に静寂が戻る。
綾瀬は、乱れた呼吸ひとつせず――
ゆっくりとスカートの裾をつまんでくるりと振り返った。
そして、微笑みを浮かべたまま
美しいカーテシー(淑女の礼)を披露する。
「…お騒がせしてしまい、申し訳ございません。
皆さま、引き続きごゆっくりお楽しみくださいませ」
すっと目を細め、艶やかな微笑を浮かべ
「皆さま…今ご覧いただいたことは、どうぞご内密に」
客が一瞬綾瀬に見惚れ、
次の瞬間、教室中が
ぱぁぁ…と明るくなったように感じた。
「…すげぇ…」
「なんか映画みたい…」
「プロのメイドさん?!」
「惚れる…」
ぽつり、と漏れた声がすぐに広がり――
パチ…パチパチパチパチ…!!
拍手が自然と湧き起こった。
綾瀬は一礼し、
静かにバックヤードへ引き返していく。
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綾瀬がバックヤードに戻った途端、
女子たちが周囲に集まった。
「朝比奈さん! どこか、痛めてない!?」
「めっちゃかっこよかった…!」
「怖くなかった!? 大丈夫!?」
「はぁ…綾瀬さん背中から光さしてた…」
「ふふ…大丈夫ですよ。
…ご心配、ありがとうございます」
にこっと微笑む。
その優しい笑顔は、
さっき不良の手首を極めていた同じ人間とは思えないほど柔らかかった。
女子たちは(女神…)と心の中でハモっていた。
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バックヤードに入れず、
直哉は少し離れた場所で見守っていた。
(…また…助けられちゃった)
(しかも、僕なんかのせいで危ない目に…)
胸がきゅっと締めつけられた。
でも――
次の瞬間、綾瀬が笑顔で女子を安心させているのを見て、
直哉は胸に手を当てた。
(…でも…
朝比奈さんに、何もなくて…ほんとによかった…)
自分が殴られた痛みより、
彼女が無事だったことに安堵している自分に気づく。
(…僕…やっぱり…)
言葉にできない感情が胸の奥に溶けていった。




