伯爵令嬢は婚約者に捨てられた翌日に王太子と婚約する
──リリエラは本当に泣き虫だな。
──う、う、ご、ごめんなさい、ルシアンさまぁ。
──いい。が、外では泣くな。婚約者の僕が疑われるだろ。
そのようなやり取りを、二人は幼少のころ、何度も繰り返した。
キリアノス公爵の長男ルシアンと、ヴァレノール伯爵の三女リリエラは、貴族の間ではごくごく普通の婚約をした。
二人が赤子のころに決まった、互いの意思などは関係ない家同士の政略結婚である。主には財政危機に陥っていたヴァレノール伯爵が、旧知の仲であるキリアノス公爵に助けを求めた証としての意味があった。
成長するにつれてわかったのは、ルシアンは気が強く無口で、会話は苦手だが、比較的賢い部類であったということだ。キリアノス公爵家は代々「癒し手」という医療職で身を立ててきた一家であったから、多少対人能力に問題があっても、人体を解するためには賢い方が都合が良く、ルシアンの気質は大いに歓迎された。
また、彼の銀髪はキリアノス家特有の輝きをよく継いでいたから、その知性と寡黙さもあわせて、「銀髪の貴公子」などと言われるようなこともあった。
対してリリエラは大人しいたちで、とかく貞淑な淑女であることに、自身を押し込めようとするきらいがあった。そのくせ感受性が強くて気持ちがあふれやすいものだから、考えることが飛躍して急に泣き出すこともあった。それでルシアンは彼女を、「泣き虫リリエラ」とよく言った。
幼い男の子の物言いながらも、こんな泣き虫は外に出すべきでないから、泣き癖が治るまでは外に出すべきでない、とまで言い放つ始末である。
二人の関係は、とかくリリエラが気が弱かったり、とろいところを見せるたび、ルシアンが賢さを匂わせながら諭すというものだった。ルシアンにとってはそれが心地よかったし、リリエラの容姿が決して悪くなかったこともあって、自身が優位に立て、かつ家柄も伯爵家と申し分ない女を娶れることには満足していた。
この関係を一変させたのは、二人が十三歳のときにあった、魔力覚醒の儀式である。貴族の血統はみな魔力を持つので、この儀式を通じて魔力の等級を判断してもらい、自身の適性を判断するのが通例である。
魔力の多寡や質によって、子女の運命は大きく変わる。特に伯爵以上の高位貴族については、一族の沽券に関わるほどの一大事である。場合によっては天から加護や称号を賜ることもあり、こうなればまた、王国の重要な役職への道が開かれることになる。
ルシアンがこの儀式で言い渡された魔力等級は、二級。上から特級、一級、と下りていって三番目の序列に入る等級である。
最上とは言えないまでも、癒し手になるには申し分なし、貴族としては及第点、といったところだ。ルシアンが育ててきた矜持にも、なんとか釣り合うほどである。
──さて、リリエラはどうなっているかな。
そのときのルシアンは、呑気にリリエラの心配をした。あいつのことだからどうせ三級以下だろうし、なんなら貴族失格の五級以下ということもあり得る。その場合は折を見て領民に下賜してやり、別の婚約者を探すのもいい──、そんなことすら考えていた。
しかし、 向かった先の、リリエラの儀式場の光景は、ルシアンどころか、周囲の大人すべての想像を凌駕していた。
魔法陣の中心で指を組んで膝を突き、祈るリリエラを、青い光が包み込んでいる。
「わあ……」
貴族でなくても、この光景の意味するところは、誰もが知っている。
これは、最上の“特級”のときにしか見られぬ光。しかも、色が付いているとなれば、加護を授かったと見て間違いない。
魔法学院と教会によって後から認定されたところによると、この光は人類最高の魔術の保持者たる“聖女”に相当する。そして彼女が天より賜りし字は“水”。
水の聖女の誕生である。
その日から、すべてが変わった。聖女という存在は桁が違ったのだ。
たかだか二級の魔力しか持たぬ男など、とても並び立てる存在ではない。
リリエラはすぐさま騎士団と教会、王宮の特別部隊の高位に召し上げられ、最上級の教育を施されながら、時に大人に混じって治水の巡行に向かうことになった。当然、そんな生活を送っていては、まだ子供として勉学に励むルシアンと、すでに王国中で聖女と崇め奉られるリリエラで、話がかみ合わなくなることもでてくる。
次第にルシアンには、たまたま聖女と婚約した凡庸な男、という評価が付きまとうようになった。
そして彼は、その鬱憤を晴らすかのように、リリエラに苛烈に当たるようにもなっていった。
***
それは、王国の第一王子ダリウスが、叙任の儀で王より剣を賜ろうとしたときのことである。
この国の未来の王の成人の儀式であるから、諸侯は一堂に介していた。もちろんそこには高位貴族であるルシアンとリリエラも含まれていて、二人は並んで叙任の儀に馳せ参じていた。
そこで、ダリウスの暗殺未遂事件が起きた。
何処からか放たれた矢が警備をすり抜けて、玉座に歩み寄るダリウスの背中を突いたのである。
突然の出来事に、誰もが固まって言葉を失った。ダリウスが倒れる様は、まるで時の流れが淀んだようにゆっくりだった。
しかし、リリエラだけは違った。彼女はただちに席を立ち、いの一番に王子の下に駆け付けた。
「殿下!」
救護班とルシアンは、彼女に遅れてダリウスの方へ駆ける。キリアノス公爵家は癒し手の一族であるから、本来傷病者の手当は彼らの役目のはずだった。
しかしリリエラは、救護班を待つことなく、一気に矢を引き抜いて水の魔術を発動する。青い光が周囲を満たした。
行ったのは止血と、毒を含んだ悪い血の排出である。彼女はいくつかの戦場を経験していたから行うべき処置を弁えていて、そして自分にはそれが実行可能であると知っていた。また、本来癒し手の専売特許であるはずの治癒魔法も、彼女の魔力をもってすれば造作もないことだった。
ルシアンたちには、それ以上にすることがない。黙ってリリエラの魔法が効果を発揮するのを待つのみである。
「ぐ……あ」
そのうちにダリウスが意識を取り戻し、薄目を開けて、自身を治療した者を見遣った。
「リリエラ、か……?」
ダリウスのつぶやきを聞いて、ルシアンは直感した。
──なぜ殿下は、一目でリリエラだとわかった?
そう思った瞬間に、ルシアンの血は湧き上がっていた。
「リリエラ! 殿下から離れろ! 身の程知らずが!」
ルシアンは無理やりリリエラの肩を掴んで引き、立たせ、ダリウスを救護班に引き渡させた。
そして掴んだ肩を思い切り押して、近くにあった柱に彼女を無理やり押し付けた。
「おまえ、誰の許可を得てあんなことをした」
「ルシアン、違うの、ああしないと──」
「おまえが医の道を語るな! おまえはキリアノス家の癒し手に恥をかかせたんだぞ!」
リリエラは一度、沈黙する。
本来の救護班に先んじてしまったことがマズい、というのは一理ある。しかしこれは人命に関することで、リリエラには実践経験も資格も実力もあったから、その批判はとても当たらない。
「ルシアン」
リリエラは男の力で柱に押さえつけられながらも、毅然とルシアンの目を見返した。
「違うの。恥をかかせるつもりなんてなかった」
「黙れ」
「聞いて。そもそも私はあなたの家に嫁ぐのよ。もう癒し手の資格だって──」
「黙れといっているだろうが!」
乾いた音が叙任の儀の式場に響く。
ルシアンがリリエラの頬を打ったのだ。
「おまえは僕の妻に相応しくない。キリアノスはおまえを一族とは認めない」
そう言われたリリエラは、ひどく傷ついた顔をした。
──そうだ。おまえはそういう顔をしていなきゃいけない。
それは、彼女が聖女となってから久しく見ていなかった顔だった。
ルシアンはようやく溜飲が下がって、勝ち誇って嗜虐的な気分になる。それから気持ちの高揚に任せて、言い放った。
「婚約は破棄だ。裏切者め」
***
激情に任せて婚約の破棄などと口走ったルシアンだったが、当初は本人もこのことを重く捉えていなかった。
そもそもルシアンの実家であるキリアノス公爵家とリリエラの実家であるヴァレノール伯爵家には差があって、力関係としてはキリアノスが圧倒的に強い。生殺与奪の権はいつだってキリアノス側にあるし、それはルシアンたち当人の力関係にだって反映されている。
叙任の儀で、諸侯たちの前で大々的に婚約破棄などと言ってしまったことだけは、確かに迂闊この上なかったが、かといって他の貴族が家同士の縁談に口を出せるはずもない。
何よりルシアンは未だに、リリエラは自分の物で、その事実は変わらないと思い込んでいた。
むしろ最近がおかしかったのだ。本来弱い立場の者が、偶然”聖女”なんぞになったせいで、まるで夫に対して優位であるかのような言動を取るようになってしまった。
──むしろ、再度婚約をしてやるから、巡業を控えろ、と言ってやっていいくらいだ。
そのようにすら考えていた。
ただ、ヴァレノール伯爵の面子を守る必要もあるから、自ら出向くくらいはしてやろうと、その程度の認識だったのだ。
叙任の儀の翌日、ルシアンが王都の外れにあるヴァレノール別邸へ向かおうとしたところ、彼は初めて違和感に気づいた。
別邸に繋がる道に、多くの馬車が停まっている。それらの馬車にはすべて、王家の紋章たる不死鳥が刻まれている。
ならば王家の誰が来たのか。それがわからないほどルシアンも馬鹿ではない。
そして、自身の言動のちぐはぐさと、その先に待ち構える最悪の事態についても、本当のことを言えば、このときすでに想像の中にはあったのだ。
──ダリウス殿下がわざわざリリエラに会いに来る用事など、あるはずがない。
ダリウスといえば、王国では昔から変人王子として有名だった。
しかし顔の作りは大変よく、すっと通った鼻筋に整えられた眉、王族に許された赤みがかった金髪を好き放題に伸ばし、それでもなお艶めかしい。絶世の美男と言っていい。その上武芸にも学問にも秀でており、剣を取る前から戦に軍師として参加し、戦果を挙げているほどである。
そうして幼いころから天才として名を馳せていたのに、彼は未だに自身の伴侶を決めていなかった。それゆえの変人王子、ということでもある。
──そうだ、あの変人殿下のことだ。きっと昨日の礼を言おうとしたのだ。伯爵の三女の働きをわざわざ労いにくるというのも、あの殿下なら不自然ではない。
ルシアンは震えながら歩みを進める。馬車に刻まれた不死鳥の紋章を追い越し、そのうちに駆け、ヴァレノール別邸の庭が目に入るくらいのところまで、一気に行く。
果たしてそこに、リリエラがいた。ルシアンの目に真っ先に入ったのはそれだった。
彼女は別邸の扉を背にして、庭先の方を向いていた。目尻と頬には泣き腫らした痕がある。
その痕に、ルシアンは確かな快感を覚えた。ああ自分はリリエラを泣かせられたのだ、あの女に優位に立てていたのだと喜んだ。
だが、彼女の前に跪くダリウスを見て、些細な優越感など吹き飛んでしまった。
「リリエラ。君はもはや自由の身だ。あのような男に縛られる必要はない──」
ダリウスは王族の身でありながら自ら膝をつき、恭しく手を差し出した。
「──どうか、俺の妻になってほしい」
いよいよ発せられた言葉に硬直したのは、ルシアンだけではない。
控えているダリウスの親衛隊も、ヴァレノール伯爵も使用人たちもみな、予感こそすれ、まさか今日このときに一大事が起きるなぞ、本気で信じてはいなかったからだ。
ルシアンは返答せんとするリリエラを、食い入るように見つめた。
──わかっているのか?
彼は心中で問うた。
──その手を取るということは、王妃になるということだ。
──泣き虫のおまえに、あの泣き虫リリエラに、そんな大役が務まるはずがない。
それは、誰に向けて問われた言葉であろうか。
少なくとも、実際に発せられたものではない。リリエラはルシアンに気づいてすらいない。一人の男が、己の心中で喚いただけ。
──おまえは断るはずだ。あのときみたいに泣き出したっていい。
──断れ、リリエラ。おまえにそんなこと、できるはずがない。そんなことはあってはならない
リリエラはただ凛として、背筋を張り、公明に一国の王子を見下ろして口を開いた。
「ダリウス殿下」
──やめろ。
──やめるんだ、リリエラ。
──おまえが僕の下から去るなんて、できるわけがないだろ。
つまるところ、それはただの、ルシアンの願望だった。
「このリリエラ=ヴァレノールは謹んで、そのご婚約の栄誉を賜りたく存じます」
あまつさえリリエラは、当然のごとく差し出された手をとってしまったのである。
ぱち、ぱち、ぱち、と最初に拍手をしたのは誰だっただろうか。
使用人に、親衛隊に、みな、一国の王子の圧倒的決断と、それをただちに受け入れた聖女に圧倒されていた。それはヴァレノール伯爵さえもである。
聖女であるならば、王妃に召し上げてなんら問題ない。むしろ理想的だ。伯爵家の娘なら血筋の道理も通る。
だがそれを、あの叙任の儀をきっかけに、わずか一日で成し遂げてしまうとは。
ルシアンは立ち尽くすしかなかった。リリエラになんと声をかけていいかもわからないし、ましてや、あの場に自ら入っていって王子に抗議するなどできようはずもない。彼は遠くから、ダリウスの執事とヴァレノール伯爵が何か話しているのを見つめるのみである。
いくばくか経ったころ、ルシアンの存在に気づき、目を遣る者がいた。
いや、彼だけは、ルシアンが来ていたことを十分に知って、あえて見せつけるようにしていたのだ。
ダリウスである。
彼はヴァレノール一家に別れを告げたあと、恥ずかしいような距離から事態を見つめていたルシアンに向かってわざわざ歩み、すれ違いざまにこう囁いた。
「君が今まで、俺の婚約者に対して働いた粗相は不問としよう」
ルシアンは恐怖する。絶対的な権力者に糾弾されることはなんと恐ろしいものか。こうなったとき、度の過ぎた美男が持つ表情と、万里を見通す瞳は、どれほど無機質で無感情に見えるのか。
そうして確信する。ダリウスは決して変人王子などではない。単に周りの水準が低いから、彼が何を考えているのか読めずに、変人などという型に押しこまれてしまっただけだ。
「悪いようにはしない。むしろ、己は聖女を妻とする器ではないと自覚していたことは、賢明だからな」
無力なルシアンは、その場から逃げることも許されず、ただただ立ち尽くすのみだった。
***
聖女と王太子の婚約はその日のうちに号外となって王都中に知れ渡った。ルシアンとキリアノスの一家は必然的に針の筵になる。叙任の儀のために王都に来た各自が別々に、一刻も早く領地に帰ることが強いられた。
ルシアンもそのまま、おぼつかない足取りで馬車に乗り、そのままキリアノス領に帰ることになる。
そしてキリアノスの本邸への道中でも、ルシアンは絶望を突き付けられた。
途中にまた、王家の馬車とすれ違ってしまったからだった。
帰るなり、執事が当主の執務室へ導いてきた。
無論、キリアノス公爵が息子であるルシアンと話そうとしていたからである。
ルシアンが執務室に入るなり、公爵は父の威厳をもってすべてを察し、嘆息した。
「……おまえの意図がどういうものか、顔を見るまでは測りかねていたのだがな」
「父上。その……僕は」
「これを見ろ」
息子の言葉を引き取り、公爵が見せてきたのは、額縁に入った一枚の朱色の羽である。
それは不死鳥の風切り羽。
王家が忠臣に与える、珠玉の一品だ。
「王家からの品だ。そして、エリュマニス島の一部を割譲すると来た。これで我らがキリアノスは王国史の目録に直接名が載ることになる」
「でも父上! 僕はまだリリエラに」
「何も言うな。そしてその私情を語ることは金輪際許さぬ。すべてを受け入れ沈黙を守れ。しばらくは居心地が悪かろうが、次第に周りは良いように解釈する」
もはやルシアンに通せる道理も義理もない。
頑なに言う父の姿を見て、いい加減に悟る。
「おまえは敢えて悪役を演じ、王子に聖女を献じた忠臣なんだよ」
これはもう、覆られないことで。
そして、ルシアンの本心のわずかに存在した真摯な部分ですら、永遠に尊重されることはないのだと。
***
その後、ダリウスとリリエラは一年を待たずに婚礼を挙げた。
王太子夫妻となったのち、二人は瞬く間に世継ぎを設け、その上で、ダリウスは賢王となる資質を存分に発揮して治世に努め、リリエラは何度も王国を破壊しかねない洪水を鎮め、数多の治水工事を完了させた。
もはや国王の譲位になんの問題もなく、次代は王国の黄金期になることが約束されたも同然である──、そのような風潮が、民草の中にも浸透するほどである。
「久しぶりね、ルシアン」
十五年経って、リリエラはあのころよりも成熟してそこに座っていた。聞くところによると、魔力は未だ増大する一方らしい。
その反対には壮年になったルシアンが座っている。二人は王家御用達の茶葉から淹れた紅茶を片手に、ゆるりと向かい合っていた。
これは、聖女リリエラが「癒し手」の意見を聞くために開いた、という建前の茶会だった。
多忙な王太子妃の、わずかな時間を縫っての茶会。長い年月による風化によって、元婚約者のよしみが奇跡的に効いて、ようやく実現したものである。
「本当に、お久しぶりです。リリエラ殿下」
「もう、呼び捨ててはくれないのね」
ルシアンは苦笑した。
──そんなこと、できようはずもない。
今だって、圧倒的な魔力を前に彼は気圧されそうになっていた。二人きりの茶会とはいえ、監視はきっとある。もはや国母も同然の彼女に無礼を働くことなど、できるわけがない。
「仕事として、申し上げるべきことは申しました。ですので、ここからは、個人として、ルシアン=キリアノスとして、殿下にお伝えしたいことがあります」
ルシアンは紅茶を置き、テーブルに擦り付ける寸前まで、頭を下げた。
「あの日の、いえ、あの日に至るまでの無礼、お詫びのしようもございません。あれはただただ、私の未熟さゆえでした。その上でキリアノスを救ってくださったこと、こちらもまた、感謝のしようもございません」
これは彼なりに、最大の勇気を振り絞ってのことだった。
謝れる日が来るまでずっと待った。自分の気持ちに整理をつけ、過ちを反省し、それでも湧き上がる嫉妬心を抑えてなお、機会が来ることを待ち続けた。
「頭を上げて、ルシアン。若いころのことだもの」
「そんなわけには、まいりません」
「もういいのよ、ルシアン。あなたまだ独身で、爵位も弟に譲ったそうじゃない。そんなに自分を罰しなくてもいいのよ」
それでもなお、ルシアンは頭を上げない。
こうして謝罪一辺倒にすることが、彼に残された最後の誇りでもあったのだ。
「それにね、わたくし、あなたに感謝していることもあるの」
だが、その一声に聞き覚えがあったから、思わず彼女の顔を仰ぎ見てしまった。
彼の目に映ったのは、リリエラの年月を重ねてなお美しく気品のある風貌と、そして万里を見通す、ゾッとするほど綺麗な目だった。
──ああ、ダリウス殿下と、同じ目だ。
「あなたは私に、愛という言葉の深みを教えてくれた」
それでルシアンは、すべてを悟った。
これは見下しだ。異なる次元から、一方的に、すべての先を見通して、単なる分析の対象に声をかけるような。
時間はすぐに来た。リリエラは忙しそうに立ち上がったが、まもなく王妃になる女性に相応しい、とびきり上品な笑顔を浮かべ、最後に言った。
「……今日は久しぶりに話せて嬉しかったわ」
ルシアンは侍女たちに促されるまま、王宮を後にする。そして形だけの見送りを経て、王都の中央をまっすぐ歩いていく。
空も見上げなければ、地面を見ることもない。
あの後悔は永久に拭いようもなく。
もはや初めからすべては決まっていたのだと、言い聞かせるしかなかった。
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