水の妖精『ドロップちゃん』~禁断の遊びは…終わらない~
同僚で友人の真理恵が、加湿器をくれた。
唐突な出来事に理由を尋ねると、私が乾燥肌だというのに、加湿器を使ったことがないという話を聞いて、とても驚いたそうだ。
そんな、聞き流してもいいような日常の会話に、反応してくれるとは思わなかった。
それにしても、随分と性能の良い物をくれたな…
精油を入れて、アロマを愉しめるらしい。
精油セットも付いている。
『薔薇』、『ラベンダー』、『レモン』…
『?』…ラベルが無い物が1つ。
おや?手紙があった。
『景子さんへ
お疲れ様です。私も愛用している加湿器なので、ご安心ください!精油はお好みで、水に対し3~4滴で大丈夫です。
あと、無記名の小瓶に入っている精油を2~3滴垂らすと、効果が上がりますので是非、試してみてくださいね。♡ 真理恵より。』
ふ~ん。
流石ね…気が利くわ。
さっそく、使ってみよう。
使用方法は…加湿器の上部を開けて、『MAX』と記載された位置まで水を入れる…と。
精油は『ラベンダー』にしようかな…3~4滴ね。
ポタリ…ポタリ…ポタリ…ポタリ…
…うん。
予想通りの香り。まんま『ラベンダー』だわ。
そして、無記名の精油?…効果が上がるって、何の効果だろう…保湿かな?
美容に疎い私には、何のことやらな感じだけど、真理恵が勧めるなら…間違いないのだろう。
2~3滴と…
あら?…変わった香り。
ポタリ……
あっ…こぼしちゃった。
ん?…精油って、油なのにサラサラしてるんだ…
あら?…ピリッとする。
まあ…精油だし、大丈夫でしょ。
ポタリ…ポタリ…ポタリ…
上部を戻してスイッチを入れると、電球色のような温かみのあるライトが点いて、ミストと共に『ラベンダー』の良い香りが広がってきた。
なんだか、とてもお洒落ね…
シューッ………コポ…コポ…コポ………
「この子…あの子に似てるなぁ……」
『この子』というのは、この加湿器のこと。
『あの子』というのは、ドロップちゃん。
ドロップちゃん…どうしてるかな?
『この子』のフォルムがドロップちゃんに、よく似ていて…ふと、思い出したのだ。
ドロップちゃんとは、私が13歳くらいの時にお友達になった『水』の妖精さん。透明で雫の形をしているから、ドロップちゃんと呼んでいた。
確か、受験勉強で忙しくするうちに、いつの間にか見かけなくなったんだ…
懐かしくて…なんだか泣けてくる。
また会いたいな…
「景子~!思い出してくれたの?嬉しい~!」
…え?
「ええ?!……ドロップちゃん…?」
ドロップちゃんが突然現れて、膝の上にちょこんと乗っている。
「わあ~っっ!ドロップちゃん、会いに来てくれたんだ!!」
「ううん。ちがうもん。ずっと、景子のそばに居たのに…呼んでくれなかったじゃないか~!」
「そうだったの?見かけなかったから、居なくなったんだと思い込んでたよ…ごめんね。」
言われてみれば…『水』の妖精なんだから、何処にでも居るはずなのに…何で思い出せなかったんだろう…
でも…嬉しいな。
「景子~、あ〜そ~ぼ~!」
「うん!何して遊ぶ?」
「あれしようよ、あれ!ボクの体と入れ替わるやつ!景子…好きだったじゃない?」
「入れ替わる?…そうだっけ?」
ドロップちゃんと入れ替わる?
記憶が曖昧で…どんな遊びをしていたのか、よく思い出せないけど…まあ、いいか。
「じゃあ~、行くよ~!!」
──トッ…プン……ゴボン………ッ
ドロップちゃんが覆いかぶさってきた!と、思った瞬間に、私の体は『水』になっていた。
そして、目の前の『私』をマジマジと見てみる。
「私って、こんなんか……真理恵とは、大違いだわ。」
「そんなことないよ!景子は可愛いよ~!彼氏だっているじゃないか!もうすぐ結婚でしょ?おめでとう~。」
……結婚。
結婚ね……
大学時代から付き合っている、同僚の彼……
「一輝……今、何してるのかな…」
「気になるなら、行ってみたら?」
「え?…行けるの?」
「君の体は『水』だよ?何処にだって行けるさ!」
『水』の体…『固体』、『液体』、『気体』…自由自在に変化できる不思議な『体』。
面白いかも…
「ドロップちゃん、行ってきます!」
「行ってらっしゃい!」
──トプーンッ……
すごい!一輝のことを思っただけで、部屋のバスルームに来てしまった。
まだ温かい…今さっきまで使用していたのか、バスタブに湯が残っている。
あ…………髪の毛。
この長さは……明らかに、一輝のものではない。
やっぱり…
以前から何となく、感じてた。
『女』がいるって…
でも、結婚するのは『私』だから!って、『私』の勝ちなんだって…自分に言い聞かせていた。
来なければよかった…
知らなければよかった…
戻ろう………
戻って…何事もなかったように、過ごそう。
…なんてね。
今更それは……難しいでしょ?
浮気を黙認し続けながらの、結婚生活なんて…
怖いけど、向き合わなきゃいけないってことね。
…どんな『女』なの?
─トプッ……ポタ………ポタ…………
コップの底から滴り落ちる、水滴に紛れたわ。
「ねぇ…そろそろ、いいんじゃない?」
「そうだな…あいつの性格からして、目新しい物は直ぐに使うだろうし、行って様子を見てみるか。」
「無記名の小瓶と手紙、忘れずに持ち帰ってね。」
「分かってるよ。真理恵…愛してる。」
真理恵…だった。
そうか…真理恵か…なるほど。
確かに真理恵は、美人で優秀で人望もあるし…いつも自信に満ちている。
私と比べたら、誰だって真理恵を選ぶわ。
でも、真理恵が一輝を選ぶとは思わなかった。
一輝はタイプじゃないだろうって、勝手に思い込んでいた。だから、結婚することを話したのに……
…油断してた。
じゃあ、どうして一輝は、私との結婚を選んだの?
なぜ…真理恵を選ばなかったの?
全てにおいて劣っている私が、唯一、彼女に勝てるものがあったとしたら…
もしかして…………
あ………小瓶。
そういえば…あの小瓶に入っていた精油って、何だったの?
嫌な予感がする。
戻ろう…ドロップちゃんと替わろう。
── ドロップちゃん! ──
─トプッ…………シュー…コポ……コポ……
加湿器の中……?
「ゲホッ…ゴッ…ゴホゴホ……け…ぃ…こぉ…」
「ドロップちゃん?…何があったの?!」
口から泡が出ている…アレルギー反応だ。
小瓶に入っていた精油をこぼした時、手に刺激を感じた。
……それしか、考えられない。
「ドロップちゃん!替わろう!!」
「ダ…メ……あれ…ゴホゴホ…ゴボッ…し…て…」
『あれ』…って、何のこと?
何をするの?
「はや…く…ゲホッ…やって…」
そうだ…
前にもあった…この記憶……
…思い出した…
………………………
私には、妹がいた。
妹は、幼い時から病弱で、入退院を繰り返していた。
可愛くて…甘え上手な妹は、どんなわがままも聞いてもらえて、両親の愛情を独占してた。
…羨ましかった。
私も、同じ思いをしたかった。
『私』にも、目を向けて欲しかった。
泣いて…泣いて…泣いて…かまって欲しくて泣いて……
そしたら、ドロップちゃんが現れて、友達になってくれた。
最初は、ドロップちゃんと入れ替わる遊びが楽しかったけど、段々…物足りなくなってきて、お願いしたの。
『妹』に、なりたいって…
それからは、妹が入院している間だけという約束で、入れ替わらせてもらえた。
それで…やっと『私』は、両親の愛情を感じることができたの。
…やっとよ?
でも、幸せだった…
ある日、両親が大喧嘩してて…家が燃えたの。
父親の浮気が原因で、母親が一家心中を目論んで…
…火をつけた。
妹に、全財産が遺るようにしてね。
『私』は、不要だったみたい。
でも、『私』は生きたかった。
生きたかった……
だから…『私』は、『妹』になったの。
──カチャッ…
「景子?……一輝だけど…大丈夫か?!…救急車呼ぶから………」
一輝…助けて!
ドロップちゃんを……『私』を助けて!
「死んだらな。」
そういう事だった…の?
そういえば、アレルギーがあることを一輝に話したことがあった。
小瓶に、アレルギー反応が出る精油を入れてたんだ…
真理恵と計画してたのね?
シュー……コポ……コポ……コポ……
あなた名義で、家を買わされたし…
もう…『私』は、不要なのね?
「け……ぃ…ゴホゴホッ…や………」
── 景子、やって!あの時と同じように…
ボクのことは気にしないで…
ボクは『水』だから、何処にでも行けるから!
また、会えるから ──
分かったわ。
ドロップちゃん、やってみる。
───トッ…プン……ゴボン………ッ
「ゲェ…ゲホッ……え?……く…くるし…」
「まだ…死なないんだ?チッ、量が少なかったかな…もう少し入れとくか。」
ポタリ…ポタリ…ポタリ…ポタリ…ポタリ…
「…にしても、アスピリンアレルギーとはね…真理恵が調合した精油で、アナフィラキシーショックになる。そして、死ぬ…はず?」
「…かず…き………ちが…ゴホゴホッ…」
「しぶといな…何が違うんだよ?」
「わ…た…し…ゴホッ………まり……え…」
「は?…何言ってんだこいつ。お前が真理恵なわけないだろ!」
「……………。」
「…やっと死んだ。」
…………………………………………………
そして『私』は、『真理恵』になった。
この『体』は、とても健康で気に入っている。
一輝はとても優しい夫になってくれて、もうすぐ父親になるし…
『体』を替えるだけで、こんなにも人生が変わるなんてね。
「ああ…なんて、幸せなんでしょう。」
あれ以来、ドロップちゃんを見ていない。
でも、もう必要ないわ。
「さようなら、ドロップちゃん。」
──トッ…プン…………ドクンッ……ドクンッ……