表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【短編版】氷結将軍と偽装結婚♡

作者: 吉田ルネ

お話の舞台は産業革命時代のロンドンみたいな架空の街です

蒸気機関車が走り、街にはガス灯がともり、自動車もできましたが、メインはまだ馬車です

現代用語もポンポン出てきますが、文章の流れとノリだと思ってさらっと流してくださいませ



 いきなり偽装結婚って言われてもなー。

 わたし16になったばっかりだし、いろいろとあこがれもあったのよ。出合い頭にぶつかりそうになって一目で恋に落ちるとか、もしくはどこかのパーティで運命的な出会いをするとか。

 あっ、わたしデビュタントもまだだ! ええー、デビューもしていないのに人妻になっちゃうの? やだなー。

 おとうさまは、ちゃんとデビュタント用のドレスも用意してくれていたのに。裾の長―い白いドレスで、背中に長いベールが垂れて。ガッと開いたデコルテは大人の印。

 あれは袖を通されないまま、タンスの肥やしになっちゃうのかしら。ドレス、かわいそう。


 そーっと正面にすわる男を盗み見る。きれいな人だ。背は高いし、脚は長いし、肩幅は広いし、胸板は厚いし。でも厳つくないのはなぜだ。細マッチョってやつか。長い金髪は絹糸みたいで、背中でひとくくり。

 偽装とはいえ、こんな人を夫と呼ぶのか。……夫(仮)。

 わ! 目が合った! 

 瞳は紅茶色なんだ。あれだ。植民地の血筋だ。帝国の貴族ではめずらしいな。

 トムじいみたい。ちょっと安心する。トムじいは植民地から出稼ぎに来た庭師だった。トムじいの手は魔法の手。どんな花もトムじいの手にかかれば、見事に咲くのだ。やさしくていつもていねいに花の名前を教えてくれた。わたしみたいなちびっ子がうろうろしていたら、じゃまだったろうに。

 やさしいくせに、アリには容赦なかった。バラを枯らすといって、巣穴にやかんから熱湯をじゃばじゃばと注いでいた(笑)。

 やだ、思い出したら悲しくなってきちゃった。




 おとうさまが亡くなったのが5日前。埋葬とお葬式を済ませてリスタール王国を出発したのがその翌日。列車に3日間乗りっぱなしで、ここアイリス大帝国に到着したのがきのう。

 駅で出迎えてくれたのが、目の前の偽装結婚の相手、ルイス・ハーヴィー・コンラート。第1騎士団の団長さん。真っ白な騎士団の制服に身を包み、1個小隊を従えてプラットホームに立っている様は、見惚れるほどにりっぱな騎士だった。

 この見た目でエリートだったらモテないわけがない。引く手あまただろうに、なぜその年で独身? わたしよりだいぶ年上だよね。

 え? 28才。一回りも上じゃないの。まあ、うちのおとうさまとおかあさまもそれくらい離れていたけどね。




 おかあさまはわたしを産んですぐに亡くなった。だからおかあさまのことはよく知らない。でもおとうさまはもちろん、ばあやも使用人たちもみんながおかあさまのとこをたくさん話してくれたから、割と身近に感じる。屋敷中に写真もたくさん飾ってあったし。なにより玄関の正面に、家族3人のバカでかい肖像画が飾ってあったし。


 おとうさまが病気になって余命1年を宣告されてから、おとうさまはわたしの立場を教えてくれるとともに、自分亡き後のわたしの処遇を考えてくれた。

 びっくりした。貴族であるのはわかっていたけれど、おとうさまがアイリス大帝国の皇帝の弟で、おかあさまがリスタール王国の王女だったなんて。

 わたし、ただの貴族の娘じゃなかった。ごりごりの王族だった。いいのかな、こんなゆるゆるに育っちゃったけど。いちおう、ばあやにお作法は習ったし、厳しいガヴァネスもついていたから、教養もそこそこあると思うんだけれど。


 それで、隠れるようにひっそりと暮らしていた理由なんだけれども、おかあさまの父リスタールわたしのおじいさまが、おかあさまを国境をめぐって対立している隣の国に人質的に嫁に出そうとしていたのだ。なんて鬼畜。

 そんなところに嫁に行ったところで、苦労するに決まっている。毎日嫌味を言われ、意地悪をされ、もしかしたらどっか離宮とかに監禁されるかもしれない。ドレスはおろか、食事すらまともにくれないかもしれない。1日かびたパンが1個とか。具のないスープとか。かわいそすぎる。

 そんなの絶対いや! そこへ颯爽と登場したのがおとうさま。たまたま外交でリスタールに滞在していたのだ。偶然出会った2人はなんと、一目で恋に落ちた!

 マジで? あるの? そんなこと。まんまロマンス小説。しかも皇弟と王女、美男美女ときたもんだ。仕込みじゃない? くらい考えちゃう。

 そこでおとうさまは、そんな鬼畜な嫁入りなどさせてたまるか、とおかあさまを搔っ攫ったわけ。あとは帝国の権力を盾に、引きこもったんですね。リスタールは帝国の従属国だったから、逆らうこともできなかったんだね。


 ところが自分が死んでしまったら、その権力の盾がなくなってしまう。そうしたら、あの鬼畜なじじいはマグノリアを人質に使うかもしれん。いや、あの時の恨みも込めて絶対使う。

 かわいい娘を、愛しい妻の忘れ形見を盗られてなるものか。おとうさまは病床にありながら、わたしの今後について手筈を整えたのだ。

 それが死んだ直後の大脱出。ほんとは余命宣告された時点で、帝国へ行けと言われたんだけどね。「はい、そうですか」なんて言えるわけがない。きっちりと看取って、お葬式も済ませて、ばあやともトムじいとも使用人たちとも涙のお別れをして出てきましたよ。

 まあ、リスタールの騎士団には追いかけられましたが。脱出の手引きをしてくれたのがおとうさまとも帝国とも太いパイプで繋がったアダムス商会。いろんなところにいろんなコネを持つアダムス商会。様々な手段を駆使して、わたしを無事に帝国へ届けてくれた。

 もちろん、わたしの荷物も商会の荷に交じって帝国へと来ている。あのバカでかい肖像画も届いているはず。どこに住むのかまだ決まってはいないけれど、飾る壁があればいいな。




「女嫌いなんだよ」

 皇帝陛下がおっしゃる。ああ、独身の理由ね。

「いろいろと拗らせてね」

 うわ、めんどくさそう。コンラート将軍の眉間のシワが一層深くなった。

「ほら、こんな見た目だからモテるんだけどね」

 コンラート将軍の隣に座った皇太子殿下が後を続ける。

「赤目のせいで疎まれることもあるんだよ」

「なぜですか?」

「植民地出身者への差別かな。赤目は悪魔の印という言い伝えもあってね」

 そんなのあるんだ。民間伝承って根強いからな。

「どうして差別なんて起きるんでしょうね。きれいな紅茶色ですのに」

 そう言ったら、3人とも目を見張った。あら? 変なこと言ったかしら? あらあら? コンラート将軍のお耳がうっすら赤くなりましたよ。


「きみは植民地への偏見はないの?」

「いいえ、まったく。うちの庭師は植民地から来た人でしたけど、腕のいい庭師でしたよ。やさしいですし。アリには厳しかったですが」

「アリ?」

「ええ、バラを枯らすからと言って、熱湯をかけていましたね。人にやさしく、アリにきびしく」

 はははっ、と陛下と殿下が笑った。

「トムじいみたいで、わたしは好きですよ。その瞳」

「トムじい」

「ええ、庭師です」


「そうですか。嫌いじゃなくてよかった」

 コンラート将軍がはじめて口をきいた。おやおやぁ? 笑った? ちょっとだけ口角が上がった。わたしが差別主義者じゃないとわかってもらえてよかったです。

「それはよかった。まあ、ルイスはね小さいころから人気があるのに差別を受けたりして、ちょっと人間不信なんだよ。やっかみの嫌がらせもあったしね。そのせいで不愛想なんだが、不機嫌なわけじゃないんだ。ちょっと表情筋が死んでいるだけなんだよ」

「まあ、たいへん。マッサージをしたら生き返りますかしら」

 はははっ。ふたたび陛下と殿下が大笑いする。コンラート将軍はますます難しい顔つきになってしまった。そんなにおかしいことを言いましたかね。

「仏頂面だしつっけんどんだからついたあだ名が氷結将軍」

「まあ、絶対零度なのかしら」

 2人が三度大笑いした。


「ルイスはラムフォード公爵の三男でね。皇家とも血縁関係にある。今はレスター子爵を継いでいる。ラムフォード家の傘下だね。かつ第1騎士団の団長を務める優秀なやつだよ。第1騎士団はいわゆる近衛だ。エリート中のエリートと言っておこうかな。勤務は城内。陛下やわたしが地方に出るときには護衛に付くがね。基本的には毎日帰宅する。加えて誠実さはわたしが保証するよ。夫として申し分ないと思うのだが」

 いただきました、皇太子のお墨付き。

「でも女嫌いでしたら、偽装結婚なんてご迷惑なんじゃありません?」

「思わせぶりに色目を使うような女性は嫌いですが、あなたはまだ子どもじゃありませんか」

 !!! 人が気にしていることを!!!

 たしかに小さいけれど! 身長は150センチとちょっとしかありませんけど! どっちかっていうと痩せ気味で(けっしてやせっぽちではない)胸も寂しいけれど!

「先日ちゃんと16才になりました。成人女性ですがなにか? 結婚できる年です!」

 ムカついたのでつんっとあごを上げて言ってやった。


「ああ、これは失礼。つい見た目に惑わされてしまいました」

 あっ、なんかニヤついてる! 表情筋、生きてるじゃないの!

「イブニングドレスだって、おとうさまがたくさん用意してくれたんです。あれを! あれを着ればわたしだって、りっぱなレディに見えるはず!!!」

「いや、ほんとうに申し訳ありません。おわびにジュエリーはわたしが準備しましょう」

 ジュエリー……。

「お菓子のほうがいいですか」

 あっ! また子ども扱いした!

「いいえ! ジュエリーをいただきます! 最上級のヤツを!」

 じつはジュエリーなんてよく知らない。最上級と言ったらダイヤモンド。たぶん。

「ええ、おまかせください。あなたによく似合う最上級のものをっ取り寄せましょう」

 陛下と殿下がくっくっと笑っている。

「いやー、いいねえ。きみたち相性がいいじゃないか。偽装と言わずほんとうに結婚してもいいんじゃないか?」

 そんなわけあるか。


「ところで」

 詰めなくちゃいけないことはたくさんある。

「わたしはどこに住めばいいのでしょうか」

 今はお城の客間を使わせてもらっているけれど。

「もちろんあなたの部屋は用意しますよ。こじんまりとした屋敷ではありますが、不自由はさせません」

 コンラート将軍が言った。やっぱり偽装とはいえ、結婚したなら一緒に暮らすのか。

「侍女もつけましょう」

 侍女はいなくてもいいが、偽装妻なんて意地悪されないかな。ちょっと不安だ。

「使用人たちはラムフォード公爵家から派遣された者たちですし、きちんと教育もされていますから不安になることはありませんよ」

 あら? 心読まれたかしら?




「少しリスタールの状況を説明しておこうか、参考までに」

 陛下が言った。

「リスタールの西の国境が少々きな臭い」

 西といえばシナロア国だ。国境をめぐって諍いが絶えない。

「シナロアの王ときみの婚姻を結んで、ことを収めようってつもりらしい」

 シナロアの王は齢60。おとうさまよりも皇帝よりもずっと年上だ。リスタールの王と同年代じゃないのかな。

 やだやだやだ。そんなおじいちゃんのお嫁さんなんて、ぜったいにいや。

「しかも、行ったところで歓迎されるとは限らない。なにしろシナロア王の後宮には20人の側妃と妾がいるからね」

 鳥肌っ! おじいちゃんのくせに色ボケとか! キモ!

「そして今日マグノリアを返せという親書が届いた。実はこれは2通目なんだ。マグノリアの到着前にすでに1通届いている。これずっと来るのかな」

 陛下がわざとらしく首をひねる。ええー……。

「その辺のこと考えて決めてほしいんだよ」

 これ、ノー、と言えるんでしょうか。




 言えませんでした、はい。


 代わりのいい案があるのか、と聞かれればないですし。かと言って迂闊なことをして色ボケじじいに付け込まれても嫌ですし。わたしみたいな小娘が王国ひとつ相手にできるわけがないですし。

 考えるのに疲れちゃって、けっきょく偽装結婚を受け入れることになりました。


「カレシができたらどうしましょう」

 そう聞いたら

「こっそり付き合う分にはかまいませんよ」

 とコンラート将軍が言った。なんかニヤニヤしてる。たぶん、できるわけないだろうって思ってる。ちょっとムカつく。わたしだって! やればできる! はず!

 だってわたしだって、してみたいもの。愛とか恋とか恋愛とか。

「だいたいあなたはわたしの妻という肩書で社交界デビューするんですよ。それをわかっていて、すり寄って来る男などロクなやつじゃない」

 それもそうですね。わかりました。さようなら、わたしの恋。


 レスター子爵邸は快適だった。偽装妻だからっていじめられることもなく(偽装を知っているのは家令と侍女頭だけだった)、なんならこの気難しい旦那さまによく嫁に来てくれた、と歓迎されたくらいだ。

 あのバカでかい肖像画も、ちゃんと部屋の中にスペースを空けて飾ってくれた。たくさんの写真も全部並べてくれた。部屋の一角にわたしのファミリーコーナーができた。できる使用人たち。

 コンラート将軍改めルイスは、かりそめの妻だからと放置するつもりはないらしく、朝晩いっしょに食事をする。お昼は仕事先で食べるからね。話もするし、ときにはいっしょにお出かけもする。おだやかだ。いいんだろうか。

 そのうち、秘密の愛人とかが突撃してくるんじゃなかろうか。


 1か月後、わたしの帰還とルイスとの結婚の報告とお祝いの夜会が開かれた。偽装なのにわざわざ? と思ったけれど、対外的なアピールが必要だからと言われた。なるほど。公式に発表してしまえば、鬼畜じじいも色ボケじじいも口も手も出せなくなるわけだ。なるほどなるほど。


「きみ、ダンスは? ファーストダンスを踊ることになるんだが」

「え? ダンスがなにか?」

「踊れる?」

 失礼だな、こいつ。

「あたりまえでしょう。おとうさまがきっちり教えてくれましたけどなにか?」

 そう言ったらルイスはちょっとあわてた。そりゃあそうだろう。皇帝の弟直々の仕込みなんだから、どこで踊っても恥ずかしくないです。この人、ちょっとわたしを見くびっていると思う。

「あいさつだって、ちゃんとできますよ」

「うん、わかった」

 引き下がってくれてよかった。


 迎えた夜会当日。

 ドレス一式はおとうさまが用意してくれていたからそれを着て、髪はきっちりとアップにしてお化粧もばっちりと、メイドさんたちが仕上げてくれた。

 これならちゃんとレディに見えるだろう。わたしはもう子どもじゃない!

 いや、イブニングドレスなんて初めて着たんだけどね。胸がスカスカする。ズレてはみ出ないかな。だいじょうぶかな。緊張する。

 ジュエリーはほんとうにルイスが準備してくれた。こっくりと真っ赤なルビーだ。見ようによっちゃ紅茶色に見えなくもない。わー、独占欲? (笑)。

 ルイスは漆黒のテールコート。うんステキです。元が元だからね、なにを着ても似合うんですよ。

「とってもステキです。さすが、馬子にも衣裳ですね」

 なんか微妙な顔をされた。なにか間違いましたかね。袖口からちらっとのぞいたのはルビーのカフスボタンだった。おそろいか。夫婦っておそろいにするのか。照れるな。


 わたし、夜会もはじめてだった。話には聞いていたけど勝手がまったくわからない。

「きみは付いてくればいいから。受け答えもわたしがするから、きみは笑っているだけでいいよ」

 ルイスが頼りになります。さすが大人です。まあわたしも、一言二言は話しますけどね。

 噂が噂を呼び、わたしは注目を集めていたらしい。皇弟殿下の隠し子だとか(別に隠していない)、リスタール王国から指名手配されているとか(逃げてはいるが犯罪は犯していない)、子どものくせに暴虐無人だとか(子どもじゃないし暴虐無人でもない)。

 そんな曰くつきの小娘が難攻不落の氷結将軍と結婚したというのだから、それも婚約を飛び越して結婚なのだから、もう貴族界隈が上を下への大騒ぎだ。


 なんかー、品定めするように見られています。もちろん不躾に見ることはないけれど、ちらちらと四方八方から視線が来る。一見そうとはわからないように、ひそひそとささやき合う。あまり気分のいいものじゃない。っていうか悪い。

 わたし、なんにも悪いことしてないのに。

 歓迎されないかも、とは思った。でも皇帝一家もレスター子爵家のみんなも優しく親切に接してくれたから、そんなこと忘れてた。だってルイスですらいろいろと気遣ってくれていたし。

 つい視線が下に落ちる。

「気にするな」

 頭の上からルイスの声がした。ならんでみるとわたしはルイスの肩までしかない。身長差! ほんとうに子どもが大人にぶら下がっているみたいだ。それもまたテンションを下げたのだ。


「あいつらはいつだって勝手なことしか言わない。散々人をコケにしても次の瞬間にはけろりと忘れるんだ。気にするだけ損だぞ」

 そっかー。この人はずっとこんな視線を浴び続けてきたんだ。そりゃあ表情筋も死ぬわな。

 同時に自分がいかにぬくぬくと育って来たのか、思い知らされる。だって、こんな悪意なんか周りにこれっぽっちもなかった。きびしいガヴァネスも、勉強にきびしいだけで意地悪ではなかった。

 あー、これはキツイな。わたし、やっていけるかな。ルイスの腕にかけた手が、知らず知らず力が入る。隣にルイスがいなかったら、とっとと回れ右をしていた。


「あれらはジャガイモだ。気にする価値もないよ。ほら、顔を上げて。笑って」

 ぽんぽんとわたしの手を叩いた。

「自分は笑わないのに?」

 見上げたらルイスが笑った。最近、ちょっとずつルイスの表情がわかるようになった。今も口角がわずかに上がったもの。眉間のシワの割にやさしいこともわかった。だから、わたしも笑った。

 周囲がちょっとざわついた。訳アリ令嬢と氷結将軍が見つめ合って微笑み合っているからだろう。ふん! 偽装でもちゃんと夫婦はやりますからね!

「さあ、ジャガイモを料理しに行こうか」

「はい!」




「あらルイス、お久しぶりね」

 妙に艶っぽい声がかかった。ルイスがぴたりと動きを止めた。おやおやあ? 呼び捨てだぞー?

 振りかえれば、絵にかいたような妖艶な美女が立っていた。だれー? 突撃愛人かな? 

 真っ赤なドレス。派手な髪飾り。真っ赤なリップ。お花の香水がもわっとする。むせそうになった。がんばって堪えた。わたし、えらい。

 彼女はピンッと小指を立ててシャンパングラスを持っている。ネイルも真っ赤だ。そんなに赤が好きか。アレだな。ファムファタールってヤツだ。たぶん、キセルも持っている。


 隣を見上げたらルイスが思いっきり顔をしかめていた。

 おお、今日の表情筋はよく仕事をしているようだ。が、それも一瞬のことですぐにいつも以上の無表情にもどってしまった。

「これはフォールズ侯爵夫人。ごきげんうるわしゅう」

 取ってつけたように一言言うと、ぐいっとわたしを引き寄せた。

「あら、そんな他人行儀ないい方しなくたっていいのに。わたしとあなたの仲じゃない。昔みたいにヴィクトリアと呼んでよ」

 ヴィクトリアだ? どんな仲だ?

「わたしとあなたは他人ですよ、フォールズ侯爵夫人。ほかに言いようがありませんね」

 わあ、氷結将軍発動だ。突撃愛人はちらっと、ほんの一瞬だけわたしを見た。

「ずいぶんとかわいらしい奥様ですのね」

 あ、ほこ先変えたな?

「ええこのとおり、とても純粋で愛らしい人なのですよ」

 腰に手を回された。ひえー。なんか、最後に「あんたと違って」と聞こえたような気がする。

「あ、あ、あら、そう。まだ子どもじゃない?」


 失礼だな。きっちりお答えして差し上げましょう。

「ええ、先日16才になったばかりですの。()()()()から見たらまだまだ子どもでしょうけれど、どうしたら()()()()のようなステキな大人になれるのか、ぜひ教えていただきたいですわ」

 なんか、ぴきって音が鳴ったぞ。ルイスがふるふると震え始めた。どうした。わたし、まずいこと言っちゃったか。遠巻きに見ていたギャラリーからくすくすと忍び笑いがもれてきた。

 目の前の突撃愛人を見てぎょっとした。さっきまでの妖艶さはどこへやら、キリキリと目を吊り上げてこっちを睨んでいた。

 えっ? こわ。

 思わずルイスに一歩近寄った。

「フォールズ侯爵がお探しじゃありませんか。行った方がよろしいのでは?」

 ルイスが言った。


「そうそう。侯爵があちらで探していたよ。早く行った方がいい」

 横から入ってきたのは皇太子殿下だった。突撃愛人はゆがめた顔をなんとか立て直し、皇太子殿下に礼をするとそそくさと立ち去った。

「やれやれ、いまだに絡まれるとはね」

 殿下は肩をすくめた。

「いい加減にしてほしいものですよ」

 ルイスもため息をつく。わたしはどうしたらいいんでしょうね? 知らない話って、手持ち無沙汰だ。ルイスが気が付いてわたしを見下ろす。

「気にするな。昔のことだ」


 はっ! そうか!

「未練たらたらの元カノ」


 殿下が大笑いした。

「おばさまにも笑ったけどな」

 殿下が言う。

「え? 違いましたか?」

「ぼくらと同い年だよ」

「え! 28ですか? うそ。てっきり30代後半かと思いました」

 また殿下が笑う。この人笑い上戸だ。

「きみの無自覚にも参るよ、まったく」

 ルイスもちょっと困ったように笑った。解散しつつあったギャラリーはまたもざわついた。


 氷結将軍が笑った。




 突撃愛人の正体を教えてくれたのは、侍女頭のアンナだった。翌日のことである。

さすがに疲れた。ルイスは朝食を済ませると、さっさと仕事へ向かった。さすが騎士、タフだ。

「きみはゆっくり休むといいよ。疲れただろう」

 わたしへの気遣いも忘れない。

 が、わたしはちょっと違うことを考えていた。自分がまだまだ子どもであるのは、夕べ十分思い知らされた。いくら着飾ったとしてもだ。着るものだけで精神年齢が上がるわけもない。

 なんとか返事はできたものの、大人の会話なんてちっともわからなかった。

 こういうのを付け焼刃って言うんだろうな。なんて思ってちょっとへこんだところに突撃愛人のお出ましだったのだ。立場上ルイスはわたしを庇ってくれたくれたけれど、ほんとうならあっち側で大人の会話をしたかったんじゃなかろうか。


 わたしとならぶよりも、突撃愛人の方が、大人同士って感じでお似合いだった気もするし。いや絶対あっちの方がお似合いだ。

 ……わたし、子どもだもんな。

 なんか、へこむ。


 そんな物思いにふけっていたら、アンナがファッジをくれた。うん、大好きファッジ。今日のファッジはやけにほろ苦いな。

 口の中で、ほろほろと溶けていく。

 アンナはにこにことうなずいた。

「昨日はいかがでしたか」

「大勢の人がいて疲れちゃった」

「そうですか。奥様が主賓ですからね。ごあいさつだけでも大変だったでしょうね」


「うん。ファムファタールにおばさまって言っちゃったし」

 彼女を思い出すと、胸の奥がちくっとする。

「ファムファタール? そんな感じの方がいらっしゃいましたか」

「ええ。ルイスの元カノらしいです」

 ふたつめのファッジを口に入れる。

「え! あの女ギツネがいたのですか!」

「……女ギツネ」

「そうですよ。アレはとんでもない性悪女ですよ。なにか言われたのですか」

「ああ、なんか子ども扱いされちゃって」

「自分にはない清純さに嫉妬したんでしょうよ。ほんとうにみっともない女です。あんなアバズレの言うことなんて、気にすることありませんよ」

 ずいぶんな言われようだ。




 アレことヴィクトリア・フォールズ侯爵夫人は昔々、まだルイスが16の美少年だったころにお付き合いをした人だという。その頃のルイスに、ぜひお会いしたい。

 ルイスも少々ひねくれてはいたが、今ほど拗れてはいなかった。まだ純情さは残っていたのだ。そのルイスが心を許し、彼女との結婚まで考えた。

「でもあの女ギツネめは、ただ旦那さまの見た目と公爵家というステータスに惹かれただけだったんですよ」

 えー、ひどい。

「保険を掛けるようにほかの男とも付き合っていましてね。しかも何人もですよ」

 おお、さすがファムファタール。

「当然悪い噂は立ちます。旦那さまが問い詰めたら開き直ったんですよ。宝石も買ってくれないくせにって。あたりまえでしょう? 16の学生ですよ。高価な買い物なんてできるわけありません。それを責めて、挙句の果てに『赤目のくせに』って言ったのですよ。わたしはなにがあってもあの女だけは許しませんよ」


 根が深かった。お似合いとか思っちゃって、ごめんなさい。

「だから、あんなに激しょっぱい塩対応だったんだ」

「いまだに評判は悪いです。奥様もアレにかかわることはありませんよ。無視無視」

 そっか。ルイスはあのファムファタールが嫌いなんだ。ちょっと安心した。3つめのファッジはだいぶ甘かった。




 夜会の翌日から、氷結将軍の新妻は、彼の凍り付いた心を融かし、悪女を撃退したヒーロー。みたいな話が帝都中を駆け巡った。

 いや、わたしヒーローじゃないし。撃退だってただの勘違いでしちゃったことだし。ルイスの心が融けたのかはわからないけれど。

 いやっ。そんな必要はない。だって偽装だもん。




 レスター子爵家での暮らしはおだやかで、アンナとも使用人たちとも仲良く過ごしている。ルイスは律儀にいっしょに食事をし、話をする。マッサージはしていないのに、ずいぶん表情筋は復活したようだ。だって、よく笑っているもの。リスタールからの親書も途絶えたらしい。

 おおむね良好。

 偽装結婚も悪くないかも。

 バカでかい肖像画を眺めながら、最近は思っている。



   おしまい


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ