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8.グレイス館長

 中央領――正式な名称は中央連邦領。大陸の中央、世界樹直下の聖都を中心として広がる、複数領を統合してそう呼ぶ。女神による加護を受けた土地であり、南側、北側諸国を超え、最も人間が繁栄している土地でもある。


 その中央連邦領の実質的な統領、ひいては女神により建立されたと言われる図書館の館長を務めるのが、今アデルの目の前にいるネージュ・グレイスという女性であった。


 彼女の偉業はそれこそごまんとあり、アデルでさえ暗記しきれないほどである。


 有名どころで言えば、神託や神の啓示によらない学術的な魔法論理の提唱(それまで魔法は神によってのみもたらされる神秘的なものとされており仕組みや論理が曖昧だった)や、闇属性の発見、研究。


 そして、約十年前に北側諸国で起きた、人間と魔人の有史以来最大規模の戦争とされているオスティラ戦争。その戦場に突如として姿を現すと、魔人軍がその強さを恐れ撤退し、たった数時間で戦争を終結させたという話まで。


 ただ、最後の話に関しては賛否もある。オスティラ戦争はグレイスが現れるまで数ヶ月にわたり続き、多くの死傷者を出した。もっと早く現れれば被害も少なかったのでは? という声や、何か理由があったに違いないという声もある。


 もちろん、アデルからすれば後者以外有り得ないと思っているし、そもそも、本当はどっちなのかなんて今はどうでもいいのだ。


 そんなことを考える能力なんて今のアデルにはない。ただ緊張して動悸を起こし、今までの威勢はどこへ置いてきたのか、まるで性格が変わったように目が泳いで、挙動不審になっていた。


 グレイスはそんなアデルの様子に小さく笑う。本当ならアデルの姿は見えていないはずなのにだ。


 グレイスはいつも包帯でぐるぐる巻きにして顔の上半分を隠しているために目元が見えない。そのため、前が見えていないはず――であるのに、なぜ障害物にぶつからずに歩けるのかは生徒たちのあいだでよく議論される謎だった。


 グレイスは口元だけでアデルに優しく微笑んで見せるが、アデルは挨拶をしただけで、それ以上言葉が出ない。


 これはまた、自分の願いが生み出した偶像かもしれない。憧れの人物との再会を無意識に願ってしまったことにより現れた偶像。信じてはいけないんじゃないか。そう思うと、口が開かなかった。


 しかし、そうではないことがすぐにグレイスの後ろから現れた人物に証明された。


「グレイス館長、ですからあなたの著書はこちらの棚ではなくてですね……!」


「ネフィア、そんなことより見てください。ほら、アデルですよ。覚えていますか」


 グレイスに問われたネフィアは近づいてきてアデルの姿を発見すると、その瞬間露骨に嫌な顔をする。アデルもネフィアを前にして腰が引けた。


 これが、自分の願いを反映した幻想でないことの証明である。何故かって、できればあまり再会したくなかった相手だからだ。


「はぁ……コイツですか。面倒事を増やされた思い出しか無いですが……一応」


「うふふ、懐かしいですよね」


 目の前に歓喜の気持ちを向けてくる人間と蔑みの気持ちを向けてくる人間がそれぞれ一人ずつ。アデルは少し気まずそうに言い淀みつつ話した。


「お、お久しぶりです。司書さん……」


「久しぶりですね。で、何の用ですか。また図書館を荒らしに?」


「い、いえいえ! 今回はそんなわけでは……!」


「そういう台詞のあとにあなたが本棚をダメにした回数は計三回です。今度は何ですか? また気持ち悪い想像でもしにきたんですか? それとも一帯をめちゃくちゃに破壊した魔法実験のリベンジですか? あなたが風を集めたせいで図書館中の本棚が倒れたんですよ?」


 意地悪な言い方をするなあとは思うが、正直ぐうの音もでなかった。何故なら全部本当の話だからだ。


 アデルが胃の痛くなる思いでいると、そんな二人の因縁の話を面白そうに聞いていたグレイスがやっと助け舟を出すように口を開いた。


「ネフィア、館内で大声を出すとはあなたらしくないですよ。それと、案内は中止にしましょう。アデルもいることですし」


「なっ! 館長はコイツの味方ですか!」


「味方って……うふふ、違いますよ。久しぶりに再会した教え子と話がしたいだけです。ネフィアは通常業務に戻りなさい」


 優しく諭すような口調で言われ、ネフィアは大きくため息を吐く。


「はーっ、わかりましたよ。……アデル、次なにかしでかしたら一生出入り禁止にしますから。いいですね?」


「あ、はい……」


 ネフィアはアデルに釘を刺すように言った後、そそくさと奥へ引っ込んでいき、やがて姿が見えなくなった。グレイスはアデルの背後に回ると、楽しそうに笑う。


「立ち話もなんですし、座りましょうか」


 言われてアデルはグレイスの方を振り返った。すると背後にあるのは本棚だけだったはずが、いつの間にかミアがいたあの読書スペースに変わっていた。


 しかし先程とは様子が違う。読書スペースには熱心に読書に集中しているミア以外に人はおらず、がらんとしていた。


 少し不思議に思いながらも、アデルはミアの読書の邪魔にならぬよう少し離れた席に座る。すると、グレイスは向かい側の席に座った。


「あの……図書館でお喋りなんかしていてもいいものなんでしょうか」


 アデルが周りをちらちらと気にするようにしながらそう訊くと、グレイスは少し意地悪そうに笑う。


「うふふ、少しくらいなら大丈夫でしょう。これから少しの間だけ、私たちはマナーの悪いやつらです。でも、女神様もまさか、静粛にしなかっただけで人に罰は与えませんから」


 それを聞いたアデルはお洒落な言い回しだなあなんて思いつつ、お喋りをしていいのなら、と先ほどから疑問に思っていたことを質問することにした。


「あの、今日って卒業式の日ですよね?」


「ええ」


「えとそんな大事な日に、どうしてグレイス館長がここに?」


 どうして重要な式典に館長ともあろうものが参加せず、この場所にいるのだろう。それは、とても正当な疑問だった。


 アデルが卒業したときには確かに、館長本人が卒業証書の受け渡しを行ってくれていたはずなのである。それなのに、今ここに居るのはアデルにとってはなんとも不思議なことだった。


 グレイスは「ああ、そのことですか」と返事をすると、少し言いづらそうに頬をかいて答えた。


「恥ずかしながら、私も今年で349歳になるんです」


「さ、349ですか……。えと、一体どうやったらそんなに長生きができるんですか……」


「ええ、冗談みたいでしょう。私もびっくりですよ。見かけ上は、老いぼれることもなくこの歳まで生きているんです。ふふっ、これも毎日女神様に祈りを捧げているからでしょうか」


 元々、グレイス館長は長生きだ、という話を聞いたことはあるし、それほど驚きはしなかったが、やはり本人の姿を前にするととても現実的には思えなかった。


 もしも彼女のことを全く知らない人間が今の発言を聞いていたら、小柄な少女の単なる虚言か妄言くらいにしか思えないだろう。


 貫禄は確かにある。けれど、どう見たって全く349などという、現実的ではない歳を重ねた人間には見えるはずがなかった。


「ですがやはり、色々とガタはきているんですよ。もうああいう場にいるのは肉体的にも精神的にも疲れるようになったんです。だから、ちょうど貴女の卒業した年を最後にして、参加するのはやめにしたんですよ。その代わり、祝辞の言葉を読み上げてもらってはいますがね」


 アデルは憧れの人物が衰えてきていることを知り、少し悲しい気持ちになって目を伏せる。するとそれを察したのか、グレイスは話題を変えるように次の言葉を話した。


「それよりも、そろそろ貴女の二年間の冒険譚を聞かせてくださいよ。アデル、貴女がしてきた冒険はどんなものでしたか」


 興味津々という様子でグレイスは尋ねてきた。アデルは、最初は「そんなに面白くないですよ」と謙遜していたが、いざ話そうとすると堰を切ったように言葉がすらすらと出てくる。


 巨大なグリフォンと三日三晩の死闘を繰り広げた話。


 街を脅かすへんてこな巨大ガニを倒したら、お礼として魔槍を貰った話。


 人気のない山中に空き家があったので一晩寝泊まりしようと思ったら魔人の住処だった話。


 森に神獣(しんじゅう)が出たという噂を聞きつけ一目見たいと向かってみれば、禽獣(きんじゅう)との聞き間違いでまたグリフォンと戦う羽目になった話。


 色々な話を雄弁に語って見せ、二年間の物語も佳境に入ってきた頃には、アデルはつい一週間ほど前の話もし始めた。シルバーフレイムの番を討伐したこと。そのついでに、村で劣悪な処遇を受けていたミアという不思議な少女を拾ったこと。その少女と今は旅をしていること。


 そして――


「あれがミアです」


 アデルは未だ熱心に読書をしているミアの方を指してそう説明する。グレイスはミアの方を向いた。


 すると突然、今までは沢山相槌を打ってくれていたのに、グレイスはしばらく何も言ってくれなくなってしまった。ただじっとそちらの方を向いている。


 ここまで意味ありげな間をつくられて、アデルは若干不安になってしまった。魔力を全く感じないことは先ほど話したし、確かにミアは不思議な感じのする女の子ではある。


 けれど、グレイスにははっきりと、アデルにはわからない何かが見えているようなそんな雰囲気がある。だというのにアデルにはそれが全くわからなかった。


 グレイスはしばらくして、面白そうに笑った。


「うふふっ、そうでしたか。可愛らしい女の子ですね。……アデル、貴女の旅の話、とても面白かったです。きっと、これからも面白くなりますよ」


「あ、あの……ミアってもしかして、何か特別な力でもあるんでしょうかね」


 尋ねると、グレイスは今までと違って不敵に笑う。


「ふっふっふ、どうでしょうね」


 そう言っている間も、グレイスはミアの方を向いている。しかしそんな視線に気づかず、ミアは未だ呑気に読書を続けているのだった。

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