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7.神立図書館

 正門を前にして、アデルはしみじみとした気持ちになった。ミアは途中まで疲れていた様子だったものの、到着するとすぐに活気を取り戻しはしゃいでいる。


 上を見上げれば、巨大な振り子時計。そのもっと奥に振り子時計の大きさを軽く凌駕するほどの巨木の枝の一つ一つが見えていた。


 アデルは門に入る前に鞄から一枚の手紙を取り出し、もう一度入念に読み直す。


 差出人の名前はメルフィー・シュトライアとリリアベル・ベルシュトラット。それはもう一ヶ月ほど前に受け取った手紙だった。


 そこにはそろそろ卒業する旨と、こちらは約束を忘れていないのでそちらもちゃんと守るように、と釘を刺すような文章が書かれている。


 アデルは、この手紙を受け取った時の嬉しさを思い出した。疑う気持ちが一ミリも無くとも、二年も経っていれば無意識に心配だってしていたのである。二人は既に自分のことを忘れているんじゃないかなんて。


 だから、手紙が送られてきたことがとても嬉しくて一ヶ月経っても彼女は捨てずに取っておいていた。


 アデルは手紙をまた鞄にしまうと、ミアの手を引いて図書館の敷地内に足を踏み入れる。エントランスへ入り、そこから更に奥の扉を開くとそこには大量の本棚で埋め尽くされた空間が広がっていた。


 アデルは懐かしさに辺りを見回す。一方、ミアは奇妙な空間に困惑して少し足取りを慎重にした。


 神立図書館は特殊な構造をしている。七階建てなのだが、一階フロアはどこまでも無限に続いているんじゃないかと思うほど広い空間で、本棚がずうっと続いている。


 しかしどこまで奥へ行っても、絶対に迷うことはない。エントランスに戻りたいと思ったら突然目の前にエントランスの扉が現れる。そんな不思議な場所なのだ。


 アデルは二階へ向かう大きな階段を眺めながら少しの間立ち尽くしていた。彼女は今はもうそこを上ることはできない。


 神立図書館は、厳密には一階だけが図書館とも言われる。一階は公共の場であり誰もが自由に出入りできる『図書館』であるが、二階から七階は学生だけが立ち入れるフロアだ。そしてそこに広がる空間は寮であったり教室であったりと普通の学校と変わらない。


 変わっているのは生徒の学力で、神立図書館へ入学することはそれだけで天才の証とされているほどに難しく、オルドストン大陸随一の難易度を誇っていた。


 そして、かつてはアデルもここの生徒だった。けれど、今は違う。


 アデルは二階への階段を見ていて、悲しくは無いけれどなんだか虚しくなってきた。今頃、上の階では卒業式典がやっている頃だろう。


 アデルも親友たちの晴れ舞台に参加したかった。けれど、図書館側から招待状を出された人間しか出席が許されないようになっていて、そういうのは大抵卒業者の親族くらいのものなので、アデルはここで待機しているしかないのだ。


 そんなこんなで、しばらくまたしんみりとした気持ちになっていたところ、アデルはミアがどこかへ行ってしまったことに気づいた。どこへ行ってしまったのだろう。不安に思いながら歩き回るが、案外すぐにその姿は見つかった。


 ミアはある本棚から一冊の本を抜き取って面白そうに眺めている。アデルはゆっくり近づいて、いつもより声のボリュームを下げて話した。


「ミアは本が好きなんですね。前も本を読んでいて気になってはいましたけど」


 訊くと、ミアは顔を上げて頷く。その顔はどこか満足気で楽しそうだ。


 アデルはその様子に感心してしまう。確かに、アデルだって本は好きだ。けれど、楽しんで読むものというよりは知識を得るために読むものという認識の方が強い。


 ミアが手に取っているのは小説だけれど、アデルがよく読むのは実用書ばかりだし、本好きと言っても種類が違った。


「しばらく待機していないといけないですから、このまま読んでいていいですよ。ほら、あっちに椅子もありますし。この図書館は本当にどんな本でもありますからね。……私も久しぶりに読書に耽ろうかな」


 ミアはアデルに言われて机と椅子のあるスペースに向かうと、座って続きを読み始める。そのスペースには他にも数人居たのだが、あれだけ知らない人間に近づくのを嫌がっていたミアが平然としているのを見ると、今はとても集中しているのだろう。隣の椅子に男性が座っているのに多分気づいていない。


 そういえば、村で初めて見かけた時もそうだったな、とアデルは思う。近くまで行って声をかけるまで、ミアは全くアデルの存在に気がついていなかった。きっと、生粋の読書好きなのだろう。


 アデルは改めて感心しつつ、何か自分も気になる本を読もうと、この本棚の乱立する森のような空間を探索し始めた。


 図書館はまるで迷路のように本棚が置かれていて、一見不安になる。なので、ここへ初めて入館する人や入学してすぐの一年生が本棚の中で遭難することが多いというのは有名な話だ。


 しかし先ほども説明した通り、この魔法でできた不思議な空間は、帰りたいと念じればいつの間にかエントランスに着くようになっているから、特に心配はいらない。


 その他にも、例えば時間が知りたいと思えば時計が置かれている空間に出たり、珍しい話で言えばある人が魔物の図鑑を読んだあとにその標本を一度見てみたいな、なんて思いながら歩いていたら気になっていた魔物の剥製が丸々一体展示されている空間に辿り着いたこともあったのだという。


 本当におかしな場所だ。けれど、何かを知るにはもってこいの場所とも言える。なぜならここは、神があらゆる知識を詰め込んだ図書館なのだから。


 神立図書館で得られるのは知識のみ。それは、絶対の決まりだった。


 望んだ空間に辿り着くことが出来ても、そこに存在する一切のものは図書館の外へ持ち出すことができない。持ち出すことができるのはそこで享受した知識だけだ。


 アデルはテキトーにフラフラと本棚に囲まれた通路を歩きながら、女神様はほんと上手いことを考えるなあ、と思った。


 例えば、今ここで一番ほしいもの――アデルの場合なら名声とか栄誉とかであるが、そんなものは特に持ち出せなくて当たり前だし、持ち出せたら大問題だ。


 それにそもそも、知識欲以外の私利私欲による考えによって図書館を利用することは危険な行為である。図書館の中で見る幻想に溺れて図書館内で一生を過ごそうとする人もいるくらい、魅了されてしまうからだ。


 一応、そんなことをしようとしたら司書に見つかってすぐつまみ出されることになってはいるが、それでも危険なことには変わりない。


 だからこそ、我ながら馬鹿なことをしたなと思いながらアデルは昔を思い返した。彼女は学生時代、やってしまったことがある。


 かつて、アデルは自分が英雄として称えられる空間を想像したことがあった。ほんの些細な思いつきだった。


 けれど想像し始めるとすぐに、周りに沢山の架空の民衆が現れ、英雄の帰還を称え始めたのだ。それは幻想とは思えないほどにリアルで、思わず見入ってしまった。


 凱旋が始まり、アデルは困惑しながら奥へ奥へと進む。すると、憧れの偉大な魔法使いネージュ・グレイスが現れてアデルを褒め、大きな勲章までくれた。


 アデルは心底その空間に酔ってしまい、もし司書に追い出されなければ自分から出ようとは思えなかったのではないかと思うほどだった。


 無論、その後一ヶ月にわたって図書館への出入り禁止を言い渡されたのは言うまでもない。


 とにかく、そういうことを念じるのは本当に良くないことなのだ。アデルは身をもってそれを知っているつもりなので、今度は何も起こさないようにと自分を律していた。


 それなのに、だ。


 また自分は同じミスを犯したんじゃないかと思う光景が今、本棚の通路を左に曲がった空間にあり、アデルは思わず目を疑った。


 そんな……これは無意識の内に願ってしまっていたのだろうか。


「おや、これはこれはアデルではないですか。こんなところでばったり出会うとは思いもよりませんでしたよ。お久しぶりですね」


「……は、はい。グレイス館長……」


 その人は髪から肌まで雪のように白く、真っ白のシルクハットを被っている。


 アデルよりも背の低いネージュ・グレイスは、小柄で華奢な体つきをしているのでおおよそ少女のようにも見えるが、杖をついていた。


「うふふっ、確か二年ぶりだったかしら。背が前より伸びたんじゃありませんか。それにきっと、魔法の腕前も更に良くなっているのでしょう。旅も順調だといいのですが」


 立て続けに色々と言われるものの、アデルは緊張して話すことができない。いつもの威勢はどこへやら、ただただ曖昧に返事をするばかりだった。


 それもそのはず、彼女こそがアデルが英雄になることを夢見て旅を始めることになったきっかけの人物なのだから。

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