4.ドラゴンの巣穴
子供は小さく手招きをして、それからアデルを追い越し歩き出した。これはもしかして――
「ついてこいってやつですか?」
尋ねても子供は答えずに、どんどんと荒い足場を歩いていく。これはもしかしたらもしかするのかもしれない。
アデルは期待を抱き子供の後ろをついて歩いた。足元を見ると子供は裸足だったが、草を掻き分け小石を踏んづけながらどんどんと進んでいくので、あまり気になっていないように思えた。しかしそれはそれで心配だな。
そんなことを思いながら子供の後ろを歩いていると、なんとどこまでも続いていると思われた林だったが、遠くに開けた場所が見え始めた。風がよく通ってくるので感覚も研ぎ澄まされてくる。
そしてついにその開けた場所に出た。
一見するとそこは、また平原がどこまでも続いているように見えた。しかし、風を読むとそうでないことがわかる。
風読み。それはアデルの特技の一つだった。林の中では木に遮られてできなかったけれども、それが今ならできる。
アデルはその場にしゃがみ込み、吹いてくる微かな風の調べを感じた。その音、柔らかさ、吹いてくる方角から様々な情報が伝わってくる。そしてわかった。ドラゴンがこの先にいるということが。
大きな岩場の真ん中に堂々とドラゴンは居座っていた。銀色の鱗を纏った巨大な身体はその強大さを物語っている。頑丈そうなフォルムにはとても威圧感があった。
「なるほど、シルバーフレイムのオスですか。凶暴かつ頭の良い種類です。これは不意討ちで先手を取るか……」
少しのあいだ、アデルは遠くからこのドラゴンを観察するように眺めた。村を襲ったのは多分こいつだ。その確証はあった。こいつは、外敵から身を守るために特化した爪を持つオス。そして、村で鋭いものに引っ掻かれたような跡のある建物はいくつも見たのだ。
アデルは内心ワクワクしながら立ち上がり、早速ドラゴンと対峙しようとした。ところが、歩き出そうとした瞬間、後ろから外套の裾を引っ張られたので危うく転けそうになった。
「ちょっ、何するんですか!」
大声を上げたことで、ほんの一瞬ドラゴンがアデルの方を見る。しかし、間一髪で物陰に隠れ事なきを得た。
アデルはほっと胸を撫で下ろしてから、先程のちょっかいの張本人の顔を睨む。子供はビクッと身体を震わせたが、それから心配そうにアデルを見つめてきた。少しして、アデルは子供の伝えたいことを理解し言う。
「もう、心配しなくても大丈夫です。私はこう見えて……というか、見るからにちょー強いですからね! どうですか? この立ち姿、ちょー強そうでしょ!」
アデルは子供が安心するように冗談めいた口調で言いながらも、自分の思うかっこいいポーズをして見せる。しかし、子供は安心した表情を見せるでもなくそれを見てただ首を傾げた。
「えっ、見えない? いやいやほんと強いんですよ私! あんなドラゴンほんと余裕ですから! ワンパンですよワンパン!」
それでも心配そうに見つめてくる子供を置いて、アデルは背中の魔槍を抜き構える。
「まーだ信じてないですね! はあ……まあとにかく、そこで見ててください。すぐに私の強さがわかりますから」
アデルは真面目な口調になって言うと、物陰から出てドラゴンへと近づいて行った。背後ではまだ、子供が不安そうにアデルを見ている。ただこれは、アデルにとってはとても嬉しいことだった。
彼女は自分の強さを誇示したり自慢したりするのが好きだ。そしてそれは、とても強い野心があるからである。誰よりも強く立派で偉大な魔法使いとして歴史に名を残したいというだけの単純な野心が。
「それにしても、久しぶりに戦いがいがありそうなドラゴンさんですね。ふむ、ワンパンとは言いましたが、流石にあの鱗を一発で貫けるかどうか……」
ぶつぶつと何かを語りながら近づいてくる人間に当然ドラゴンはすぐ気づく。彼が巨大な咆哮を上げるとあまりの爆音に地面が揺れ動くような感覚さえし、子供は耳を塞いだ。しかし、アデルはといえばどうということはない。
「まあ、やってみないことにはわかりませんよね」
言うと、アデルは未だ叫ぶドラゴンに向かって魔槍を向け唱えた。
「【天風裂】」
瞬間、上空の空気が槍先の一点に凝縮する。高密度の空気はとてつもない勢いを持ってドラゴンの額に直撃した。咆哮は鳴り止み、衝撃のせいであたりの岩石が砕け噴煙が舞い、ドラゴンの姿が見えなくなる。強風でアデルの外套の裾がなびいた。
やがて、ゆっくりと噴煙が消えるとアデルは感心したように声を上げた。ドラゴンは片目が潰れ、顔面の半分の鱗が剥がれ落ちていたが相変わらずそこに立っていたからだ。
「おおっ! 耐えてるっ! やっぱり成熟したオスのドラゴンとなると耐えますか!」
アデルの問いかけに、ドラゴンは高熱のブレスで答える。それを風魔法で散らすと、アデルはすぐさまドラゴンの懐に向かって走り出した。
ドラゴンに対して遠距離戦闘を行うのは賢い選択ではない。ドラゴン側がその気になれば絶え間ない炎ブレスによって苦戦を強いられることになるし、追い詰めることができても飛び去られてしまう可能性だって高まる。
「うわわっ、あぶなっ!」
アデルはドラゴンの鋭い爪による薙ぎ払いをギリギリでかわすと、ドラゴンの足元までそのまま滑り込む。一瞬だけ考えた。もしも今のに当たっていたら、自分は手遅れなほど細切れになっていたかも。しかし避けることに成功した今は、そんなことを悠長に考える余裕はない。
アデルは瞬時に魔槍をドラゴンの喉元へかざし、魔法を唱える。
「【天雷】」
すると、槍先から雷が迸ったが、ドラゴンは咄嗟に頭を反らしかわすと、逆に鱗の尖った尻尾をアデルにぶつけようと身体を捻ってきた。
とても頭の良いドラゴンだ。アデルは考える。今までこいつは何人の魔法使いと戦ってきたのだろう? もしかすると、そのうちの数人は殺しているかもしれない。それほどに思うくらい強力なドラゴンではあった。ただ――
「あなたは自分を戦略家だと勘違いしているのかもしれませんね」
言葉が通じているかも定かではないドラゴン相手に語りかけながら、アデルは自分の方へ突っ込んでくる尻尾に無理やりに槍を刺す。そうして逆にその勢いを利用して飛び上がり、宙を舞った。
「ただね、本当は単に私のような頭の良い魔法使いに運良く出会わなかっただけなんです」
ドラゴンの顔はアデルのすぐ目の前にあった。彼女を恨みがましく睨みつけ、至近距離でブレスを放とうと大きく口を開ける。
アデルはそれを前にしてにやりと笑みを浮かべる。もしもここで素直に噛みつきを選択していたら、もう少しこの戦いは長引いていただろう。しかしこのドラゴンは隙の長いブレスを選んだ。目の前で今から魔法を放とうとしている魔法使いがいるというのに。
自分の実力に自信を持つのはいいが、それはそれとして過信し過ぎるのは弱点にしかならないということをアデルは十分に知っていた。ドラゴンの口内が灼熱の炎で満たされるのを間近で見ながら、彼女は呪文を唱える。
「【天渦嵐】」
槍先で渦巻き出した嵐は一瞬で周囲の空気を集め、ドラゴンの口内から噴出した炎のブレスすら絡め取り、とてつもない暴風となって口の中へ打ち返される。
今度もとんでもない威力のあまりに衝撃で噴煙が巻き起こったが、今回はドラゴンの生死が判断できるまでにラグはなかった。アデルの魔法が頭を貫通し、即死だった。
しばらく死体を眺めていると、子供はおずおずとアデルの背後から近づいてきてまだ不安そうにアデルを見た。半分は安心しているけれども、もう半分はまだ警戒しているというような顔だ。
「ふふ、大丈夫。私はピンピンしておりますから。逆に、怪我は無かったですか?」
子供はぶんぶんと首を振って答える。実際、アデルから見ても目立った外傷は無かった。
「ならよかった。さてと……」
アデルは、なおも伝えたいことがあるように腕をバタバタと動かす子供の頭を優しく撫でる。びっくりしてすぐ逃げられてしまったが、落ち着かせるには効果があったらしい。
「安心してください。あなたが言いたいことは伝わりましたよ。まあ言ってもさっき気づいたばっかなんですけど」
子供は半信半疑といった様子でアデルを見る。全く、どうしてそんなに信用してくれないのだろう。そう思いつつ、アデルはオスのドラゴンの死体に向き直った。
「元々、おかしいよなあとは思ってたんです。ドラゴンが村を襲う事件なんてのは古今東西どこにでもあること。だけど、それが起こるのはほとんど繁殖期などの気性が荒くなり縄張り意識が強くなる時期に発生するのが主のはずです。例外があるとすれば――
突如、地面が揺れ始め巣穴の奥から巨大な影がゆっくりと出てくるのがわかった。怒っているのか、悲しんでいるのか、とにかく明らかに激昂しているのは確かである。
「番のうち、片方が相当な痛手を負っていてそれを守っていたとかね……」
何かに切り裂かれたかのような傷を無数に持つシルバーフレイムのメスは、しかしオスを超える巨躯でアデルの前に立ちはだかり、鋭く睨んできた。実際に何を考えているかはわからない。しかし、アデルにとってそれは夫を殺した人間を酷く恨むような冷たい瞳に見えた。
「すみませんドラゴンさん。あなたがどうしてそのような傷を負ったのかはわからないですが、それはそれとして人間にも人間の事情があるのです。村を襲ったのだから、因果応報だと思ってください」
彼女は咆哮も上げないし、ブレスも吐かない。ただ、アデルをじっと睨み続けた。アデルは少しだけ気の毒に思いながらも続きを話す。
「子育てを終え、あとは平穏な余生を番で過ごしていくつもりだったかもしれませんが……ごめんなさい」
アデルの言う意味をわかりはしないだろう。しかし言い終わった瞬間、ドラゴンは強烈な咆哮を放ち殺気立った瞳でアデルのことを見据える。それは、明らかな開戦の合図だった。
「さて、第二ラウンドと行きましょうか!」




