29.諦められない
これは、十年以上前の話。
幼いメルフィーは、その日もいつものように自室の隅でうずくまって泣いていた。
彼を助けようとする人は誰もいない。少しでも手を差し伸べてくれたら、それで救われたのに。
心の支えになったのは女神様だけ。メルフィーは聖典をひたすら読み込んでは、一つの神像を握り祈り続けた。
僕を悪いやつにしないでください。僕を一人にしないでください。
毎日、何度も何度も。
☆
リリアがフィールド全体を炎上させ、ルーカスはそれを避けるように飛び上がった。続けて宙を舞うルーカスに狙いを定めて矢を放つものの、それらは全て木剣に弾かれる。
リリアはルーカスが自分に向かって落下してきていることを察すると、前方に棘だらけの土壁を作り出した。だが、それすら細い木剣により破壊された。あと少しで剣が届いてしまう距離。
リリアは急いで両腕から炎を噴き出す。しかし、土壁の残っていた下部を足場にして身体を捻り避けられたかと思うと、お腹に重い一発をくらって、戦闘終了となった。
「あー! 惜しい! リリアちゃん凄い強かったのになあ!」
ベロニカは悔しそうに大声でそう叫ぶ。リューリエは顔を顰め、彼女を睨んだ。
「お前、いちいちうるさいな!」
さっきからリリアがピンチに陥る度にギャーギャー騒ぐものだから我慢の限界というものである。リューリエは恨めしそうにそう言ったが、ベロニカは不思議そうにリューリエの顔を見返した。
「えぇー、だって知り合いが戦ってるんだから全力で応援したいし、興奮するじゃんか。ミアちゃんだって凄い楽しんでるし」
確かに、ミアも凄く興奮している様子だったし、今はあのくるくるピンクが負けてしまって随分残念そうだ。
だけど、コイツを引き合いに出すのは違うだろ。バカデカい声で叫ぶお前と違って、何にも喋らず静かなんだから。
「逆にさ、リューリエ君はこういうの見てて興奮しないの?」
ベロニカは不思議そうに問うてくる。それに対しリューリエはきっぱりと答えた。
「しない。結果は目に見えてるからな。どっちが勝つかくらいすぐわかる」
「へー、凄い早熟だね。早熟だとそんなこともわかるんだねー」
「おい、お前信じてないだろ」
「そ、そんなことないよ! 子供って、あ、案外勘が良いとこあると思うし!」
図星突かれて慌てすぎだし、誤魔化し方が下手すぎる。全く、こんなのとあと数回の試合を見なきゃいけないと思うと今から頭が痛くなる。
うんざりした思いになりながら、リューリエはため息を吐くのだった。
リリアはフィールド外に吹き飛ばされたあと、ギルドお抱えの回復術師に治療されていた。
控え席に座るアデルは、それを心配そうに見るメルフィーの顔をまじまじと見ている。
「メルフィー、なんですかその顔は。まるで、自分の方が回復するの上手いのにー。みたいな顔してますよ? ……ああ、メルフィーってああいうのにも嫉妬しちゃうタイプなんですね!」
あまりにも浮かない顔をしているものだから、からかい目的でそう言ってやる。そうすると、思惑通り顔を真っ赤にしてメルフィーは否定を始めた。
「ち、違うって! 別に僕、そこまで嫉妬深くはない……はずだよ」
「じゃあ、どうしてそんなに浮かない顔を?」
「それは……だって、リリアが簡単に負けちゃったから」
「うーん、そうですねぇ。弓使いの癖というやつなんでしょうが、リリアは攻撃を避ける時以外にあまりその場から動かないところがありますから。もっと機動力を生かした方が――
「そ、そういうことじゃなくてさっ」
メルフィーは切羽詰まった表情で、アデルの発言を遮る。余程、不安で仕方ないことが見受けられた。
そんな様子を見ていると、なんだか笑えてきてしまう。
「ふふっ、わかってますって。少しからかっただけですから。あなたの考え、当てられますよ。『リリアは自分より強いのに、あんなにあっさり負けちゃった。それじゃあ僕はどうなっちゃうんだよ』みたいな感じでしょう」
「……そこまでわかってて冷やかしするなんて、アデルってほんと無神経」
「今に始まった話じゃないんですから、もう慣れたんじゃないですか?」
「二年ぶりだから耐性無いんだよ」
怒ったような口調でそう言いつつも、メルフィーは少しだけ明るい表情を取り戻す。アデルは内心ホッとして、それから神妙な顔でメルフィーに語りかけた。
「真面目な話ですよ。今の試合の観客の反応を見る限り、リリアは『凄く戦えているほう』だということがわかります。ギルドの冒険者ランクは一級~十級まで。
あの戦いっぷりで何級に振り分けられるかはわかりませんが、少なくとも合格は確実でしょう。しかも、結構上の方に振り分けられそうなことはわかります」
「……それなら、僕だって頑張れば可能性は……」
そうやって、メルフィーはいつも無理に強がろうとする。本当は諦めたくて仕方ないくせに。アデルはやれやれといった気持ちで曖昧な笑みを浮かべた。
この一面に関しては本当にどうしようもなかった。メルフィー・シュトライアという男は、本当は弱いくせに、いつも強い自分を演じないと周りの人間が離れていくと思っている。
隠し通せてなんかないし、バレバレなのに。それに、弱いことなんかアデルからすればどうでも良かった。
だって、アデルは知っている。メルフィーが、諦めたくて仕方ないのと同時に、それを上回る程の、諦めてたまるもんかという気持ちを常に心の中で燃やしていることを。
「無理だと思いますよ」
アデルはきっぱりと言った。まさか突き放されるとは思っていなかったようで、メルフィーは驚いて声を漏らす。
「そ、そんな……」
「普通に頑張るだけじゃ、絶対にあなたには無理です。合格すらできない。だって、弱いんですもの」
言いながら、アデルはメルフィーの瞳をじっと見つめた。憔悴しきっていて、今にも光を失いそうな瞳。
けれど、逆に言えばまだ光を保っている。そこには、崖から突き落とされたのに、絶壁に生える木の根を掴んで、それがミシミシ言い始めても絶対に這い上がることを諦めぬような信念が灯っていた。
「必死に、全力で頑張れば……まあ、ギリギリ合格できるかもって感じですかね」
アデルは微笑んでさらりと言う。メルフィーは拍子抜けし、安堵と落胆が入り交じったような変な口調で返した。
「な、なんだよそれ。てっきり励ましの言葉でもかけてくれるのかと思ったのに、それだけ?」
「いやあ、十分励ましの言葉のつもりなんですけどね」
「どこが」
「だってあなた、全力で頑張るの得意じゃないですか」
メルフィーは眉根を寄せて不思議そうにする。その言葉の意味が、メルフィーにはよくわからなかった。
頑張るのが得意とか……結果が出なきゃ何も意味が無いだろうに。
けれど、少しして思い出す。アデルの言葉のその真意を。
「メルフィー・シュトライア。前へ」
リリアの試合が終わってから、他の受験者二人の試合を挟んで、遂にルーカスに名前が呼ばれる。
メルフィーは控え席から立ち上がり、重い足取りでフィールド上に上がった。
アデルとリリアには、それぞれ去り際に一言貰った。
「なんかあんた、すぐ瞬殺されそうね」
というのがリリア。
「くれぐれも死なないように! あなたが死んだら旅の移動手段が減ります! 馬車のレンタル代って結構高いんですからね!」
というのがアデル。
流石に冗談だと思うけれど、もう少し穏やかな言葉で元気づけるということがあの二人には出来ないのだろうか。
メルフィーはため息を吐きつつ、フィールド上を歩く。右手には杖。左手で神像のネックレスを握り締め、愚直に『合格させてください』と祈る。
僕ってやっぱり全然ダメだなあ。足が震えて、息が詰まって、悪い想像ばかりが頭を巡っちゃう。それでもやらなきゃいけないこの状況が、向かい風となって立ちはだかってる。
でも、アデルならきっと言うんだろうな。壁じゃないだけ良いじゃないですか。前に進む道はそこにあるんだから、って。
そんなことをさらりと言えちゃうなんて、本当にズルすぎるよアデル。僕には無理だ。
進み続けなければいけないと感じるプレッシャーが、少し立ち止まって休憩している間に吹き飛ばされやしないかという不安が、そんな中で悠々と進んでいけてしまう君のような存在が、僕の弱さを証明しているんだから。
「緊張しているのか? 無理をしなくても、棄権する選択肢もあるのだぞ。別に恥ずかしいことではない」
青い顔で息を荒くするメルフィーに、流石に心配に思ったのかルーカスが声をかけてくる。
ルーカスの仕事は、受験者が冒険者を名乗るに相応しいか、また、どのくらい実力があるかを見極めること。痛めつけたいわけではないし、無理をしているのならその時点で冒険者には不向きと判断するのも役目だ。
目の前の少年は弱々しく見え、甲斐性が無い。頑張ってここまで来た気持ちを察すると心苦しいが、現時点で不合格は決定だな。
そう思っていた。
けれど――
「……いや、大丈夫です。全力で頑張ります。ここで……諦めたくないんです」
この少年は確かに無理をしている。けれど、今吐いた言葉が取り繕っているわけでもない、信念から来る素直な気持ちなのもわかる。
ここで見限るのはまだ早いのかもな。
ルーカスは、今にも卒倒してしまいそうなメルフィーの意志を本当に汲み取っていいのかちょっと悩みつつも、しかし最終的には頷く。
「そうか。君は勇敢なのだな。なら戦おう」
ルーカスは木剣を掲げ、掛け声を上げる。そうして戦いは幕開けた。
木剣を振り上げて、ルーカスはまず距離を詰めてきた。
……ええと、こういう時は障害物を形成しないと!
メルフィーは慌てて詠唱を始め、目の前に木の根の絡み合う柱を作り出した。けれども、そんなものは容易く切り捨てられる。
つ、次はどうすれば……次は――
ルーカスの振り下ろした木剣は目鼻の先まで近づいていた。けれども、頭の中が急に真っ白になって何にも考えられなくなる。ただ怖くて堪らない。
「……思ったより早かったな。臆病野郎め」
横でベロニカが喚き散らすなか、戦闘の成り行きを見守っていたリューリエが小さく呟く。
見ると先程の、かなり手加減していたであろうルーカスの一撃で、メルフィーはフィールド端の壁にまで吹き飛ばされていた。
「あぁもう……あんなの見てらんないわよ」
リリアは両手で顔を覆い、悔しそうに唸りながら足をバタバタと動かし悶えた。アデルは無言で、ただじっと倒れているメルフィーを眺めている。
試験は降参か、これ以上の戦闘継続不可と見なされた時点で終了となる。それが、僅か数秒でこの有様だ。
普通ならどう見ても明らかにこの時点で試合終了……ですが、まあ、あなたならまだ立ち上がれるでしょう。ねえ、メルフィー。
観客がヒソヒソと話し始めたり、または野次を飛ばし始めた。弱いとか、ダサいとか、可哀想とか、つまらないとか飛び交う色々な言葉。
それら全てが、メルフィーの耳に曖昧に届いて、上手く聞き取れはしないけれど、見下されている雰囲気だけは確かに感じ取っていた。
小さい頃からの馴染み深い雰囲気だからよく分かるんだ。
でも、これくらいどうってことない。……だって、両親からの言葉はもっと酷かったし。
思い返すと、お前は出来損ないだ、とかそんなレベルじゃなかった。ただ、生まなきゃ良かった、なんて後悔するような言葉を言われたこともない。
だって、お腹の中にいる時から嫌われていたんだから。
それでも、僕は生まれてくるしかなかった。
忌み子をお腹に宿したと知った時の母親はどんな気持ちだったんだろう。たまに考えて、虚しくなる。
孕んだ双子のうち、片方が闇の因子を持っている。でも、堕ろしてしまったらもう一人の赤ん坊も道連れになってしまう。
だから僕は生まれた。生まれてくるしかなかった。けれど僕は本来、生まれてきちゃいけなかったんだ。
今まで何度も突きつけられてきたその現実に、もうあまり苦しみは感じない。
どんなに酷い目に遭ったって、それは自分にとって相応しい仕打ち。そう思っている。
そう思っているけれど、今この瞬間、メルフィーはとても苦しくて堪らなかった。
僕はどうしていつも、こんなに諦めたくないんだろう。本当は慎ましく暮らすべきで、向上心なんて持たない方が良くて、できる限り世界の片隅で、誰にも見つからないところで辛うじて息をしているべきなのに。
勇気を振り絞って戦って、あっさり負けて馬鹿にされて、それで今までの努力を全部踏みにじられたような気になって、涙が出そうなくらい、情けなくて悔しくて、諦めてたまるもんかって気持ちが湧いてくる。
諦められない。絶対に諦めたくない。それがどうしてなのか、どうして自分がそう思うのか本当は知っている。
僕がこんなことを願うのはおこがましいことだって分かってる。それでも、こんなどうしようもない自分でも、生きていていいんだと認めてくれた友人たちと肩を並べていたいんだ。
「試合終了だ。君、大丈夫か? なあ、術師さん。すぐに治療を――
「【回復】」
その詠唱は、駆け寄ってきた回復術師からでなく、メルフィーの口から掠れた声で呟かれた。擦り傷などが癒えていき、まだ頭がクラクラするもののゆっくり立ち上がる。
「……まだ、戦えます」
「い、いや、しかし……」
「自分の回復魔法で戦闘を継続するのは、反則ですか」
「そんなことは……だが、先程の様子では……その、どうせ無理なんじゃないか」
ルーカスは言いづらそうに口にする。メルフィーは言われて俯く。その可能性はかなり高い。
でも、どうせ諦められないんだから仕方ない。
「それでもです。僕は……魔力が切れるまでは、諦めないつもりです」
ルーカスは困ったように頭の後ろを掻いた。
その頃、控え席にいるアデルはちらと横にいるリリアを見る。そうして、まだ両手で顔を覆い俯いているリリアに声をかけた。
「リリア、メルフィーが立ちました。なんか、まだやるつもりみたいですよ」
それを聞き、リリアは困惑したように顔を上げる。
「はあ? ……もう、意味わかんない。あんなふうに負けて、もうやめとけばいいじゃないのよ……!」
喧嘩口調みたいな感じでそう言いつつも、少し顔を赤くしてちょっと嬉しそうなのをアデルは見逃さなかった。




