22.道すがらベアウルフ
あれから、森を抜けまた馬車に乗って移動し始めた頃の話。
「あ、もうすぐ雨が降ってきますね」
アデルは馬車の窓から外を眺めて言う。
すやすやと眠っているミアはさておき、リューリエはその発言を聞いて怪訝な顔をし、メルフィーとリリアはまたかという表情になった。
「出た。アデルの天候予言だ」
「それ、ほんとよく当たるわよね」
メルフィーもリリアも、晴れ晴れとした蒼天を見ながら何の疑いもなく納得したように言う。どう見ても雨なんか降らない天気なのに、リューリエはますます意味がわからなくなって、困惑を強めた。
「ふっ、何言ってんだよ。どう見たって快晴だろ? 雨なんか降るわけが――
リューリエは途中で言いやめる。何故なら、突然ぽつぽつと窓に水滴が付き始めたからだ。
「……全く、お前は一体何なんだ」
「ふっふっふ、私は未来の天気を知ることができるのですよ! 自分でも何故かはわかっていませんが!」
「はあ? 意味が分からん……」
誇らしそうに胸を張るアデルを嫌悪感たっぷりの目でリューリエは見つめる。全く、おかしなヤツらに捕まってしまったものだ。
今すぐにでもここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、眷属にされた以上、逃げるために思いつく手立ては今のところない。
それに、ミアの眷属になった影響か、リューリエは自分の魔力が完全に感じられなくなっていた。
おそらく、使い物にならなくなったわけではない。恐怖汚染も、喰魔の双腕も、闇結晶も、今まで通り使うことはできるはずだ。ただ、ミアと同じように魔力が全く感じられないようになっていた。
これは使える。リューリエはそう思った。魔力が感じられなければ、しばらくは七災に居場所がバレることもない。それに今は、治療されたとはいえ本来の力の半分さえ出せない状態だ。
しばらくはコイツらを利用して匿ってもらおう。こんなヤツらと一緒に居なければいけないのは癪だが、あそこに戻るよりはいい。
リューリエは、とりあえず今のところはこの状況を甘んじて受け入れることに決めた。
「でも実際、天候使い専用の力なんじゃないの?」
「いや、それはないわ。天候使いは天気にまつわる全ての属性の才能を持って生まれた人のことを指すだけで、それ以上の能力は無いはずだもの」
「うーむ、やはり生まれ故郷が関係しているのでしょうかね。クラウデ村では、先の天気がわかるのは当たり前でした。それに、私は頑張っても精々一週間先くらいまでですけど、長老なんか何十年先の天気まで見通せたんですよ」
三人が楽しそうに魔法について議論を重ねるなか、リューリエはつまらなさそうに外の景色を眺める。
リューリエには魔法のことはよくわからない。
だから、時たま窓についた水滴のうち、どれが一番最初に下に辿り着くか予想するなどして暇を潰すしかなかった。
しかし、それをするのが少し楽しくなってきた頃に別のことがそれを遮った。
外に、少し大きめの魔力。それ自体は別にリューリエにとって脅威という程でもない。ただ、魔力を感じ取ったのとほぼ同時にミアが飛び起きたので不覚にもびっくりしてしまい、ムカついたのだ。
アデルは慌てるミアを宥めつつ、メルフィーに馬車を止めさせる。
まさか、たかが魔物一匹に構うつもりか。三人が降りていく様子を見て、リューリエはほんの少し興味を持ち、外の様子を覗いてみた。
「うーむ、あれは多分、ベアウルフですね」
「ベアウルフってなによ? 狼? 熊?」
「首から下が熊で、頭だけ狼っていう変な魔物です。よく見たらちぐはぐ感あるでしょ?」
アデルが言いながら指さした雨降る平原のど真ん中には、言った通り頭が狼、首から下が熊の魔物が居る。どうやら随分気が立っているようだった。
「うわほんとだ。なんか、気持ち悪いな……」
「えぇ、そうかしら? 私は結構可愛いと思うけど」
そんなのどうでもいいだろ。なんて思いつつ、リューリエは動向を見守る。
「あ、っていうか! あそこ、人倒れてない!?」
「ほ、本当だわ!」
二人の指さす方に、アデルも目を凝らす。
確かによく見れば、ベアウルフが向いている先の茂みに血を流して人が倒れていた。まだ致命傷を負っているわけではなさそうだし、今すぐ助けに入れば救うことができそうだ。
アデルはにやりと笑うと、魔槍を構える。
「ふっふっふ、ピンチの人がいるならば助けにいきましょう! 私の名誉のために!」
「普通はこういう時、人類の平和のために! とかそれっぽいこと言うはずだと思うんだけど、ほんっと欲を包み隠さないわよね、あんた……」
リリアの呆れ声を聞かぬままに、アデルはベアウルフの元へ走っていく。それを見て、リューリエは少し小馬鹿にするような口調で二人に言った。
「アイツ、いつもああなのか? 世話が大変そうで同情するぜ」
すると、メルフィーとリリアは顔を見合わせて、それぞれ諦めに近い顔をする。
「昔からああなのよ。手が付けられないっていうか……」
「もう慣れたからいいよ……。まともに取り合いすぎると疲れるし」
思っていたのと違う反応が返ってきて、リューリエはちょっと困惑した。てっきりアデルを全肯定する言葉が返ってくるものかと思っていたのに。
「まあでも、一緒に居て疲れはするけど……」
「飽きはしないよね。毎日新しいことばっかりって感じでさ」
そういうものなのだろうか。毎日他人の行動に振り回されて楽しいなんて、リューリエには全く見当もつかなかった。
「やあやあベアウルフさん。取り込み中のところ失礼しますが、そこの人を殺す前に、私と一戦交えてみませんか?」
いよいよベアウルフの前まで来ると、アデルはそう言い放つ。ベアウルフは割って入ってきたアデルを睨んでガルガルと喉を鳴らした。
合意の合図と受け取り、アデルは魔槍を構える。ところが、開戦はある一声で遮られてしまった。
「そ、そいつと戦っちゃ駄目!」
先程、茂みの方で倒れていた少女だ。出血する腹部を抑えながらも、アデルにそう伝えに来たらしい。
「うわあっ、すごい怪我ですね。コイツにやられたんですか?」
「そう。コイツは……強すぎるんだよ。ねえ、忠告するけど君は今すぐここから逃げるべき。あたしはきっとここで終わりだけど、でもせめて君だけは……」
言いかけで倒れそうになった少女を支え、アデルは言う。
「全く、自分の実力をろくに把握せずに戦うからこうなるんですよ。あなたはここで安静にして、私の戦いぶりでも見ておいてください」
「ええっ! ちょ、ちょっと!?」
少女の驚きの声に振り向きもせずに、アデルは雨で濡れた地面を駆けた。
「久々にあれやっちゃいますか!」
言いながら、ベアウルフの前足での薙ぎ払いをかわし、狼頭目掛けて跳ぶ。噛みつかれる前に槍の柄の先の硬い部分を眉間のあたりに勢いよく突き立てた。
予想外の打撃に、ベアウルフは大きくよろめく。そこを狙ってアデルは呪文を唱えた。
「安心してください! ちょっと苦しいだけで死にはしませんからね! 【水操!】」
詠唱を終えるとともに、槍を地面に垂直に立てる。するとたちまち、地面の水溜まりやら降ってくる雨が不自然に動き出し、ベアウルフの方へ集まり始めた。
集まってきた大量の水は、やがてベアウルフの身体全体を覆う。出来上がった大きな水の球の中には、溺れまいと必死にもがくベアウルフの姿があった。
「ええっ!? ちょっ、何それ!? 何をどうしたらそんなことができるわけっ!? 君何者なの!?」
目の前で起きた光景に、あまりにビックリしたからか、お腹を負傷しているというのに、少女は大声で驚く。アデルはその様子を見て、好機到来と言わんばかりにドヤ顔をして見せた。
「ふっふっふ、そう驚くのも無理はありません! なにを隠そう私は……あの! 有名な! 『疾風迅雷のアデル』なのですからね!!!」
少女は一瞬考える素振りを見せてから困ったように答えた。
「えと……誰?」
アデルは無言で膝から崩れ落ちた。
心做しか、雨足がこの瞬間だけ強くなった気がした。
「ま、まあ、薄々わかってましたよ……」
――少ししてから気を取り直して、アデルは未だ苦しそうにもがいているベアウルフの方を見る。
きっと、放っておけばこのまま溺死する。
けれど、この前のドラゴンと違って自ら人間を襲いに出向いてきたわけではないだろうし、たまたま鉢合わせたから防衛本能で攻撃した、みたいなところだろう。
それなら、逃がしてやってもいいと思った。
魔物は全て駆逐すべきだと考える人はそれなりにいる。しかし、アデルはそうでもない。
幼い頃、褒められるだろうと思って、沢山の獲物を捕って村に帰ったことがあった。けれど実際は、無駄に狩ってきすぎだと叱られた。
私たちは生きるために他の生き物の命を頂いているのであって、それ以外の理由で好き勝手に命を奪う権利はない。そう教えられた。もちろん、やむを得ない事情もあると思うものの、それ以降アデルはこのことをおおむね守って生きている。
魔物は確かに悪さもするし、邪悪な存在かもしれない。けれど、自分たちと同じ生き物でもある。それならばできる限り共存していきたいというのが、アデルの考えだった。
――魔人というイレギュラーを除いて。
「まあ、そろそろコイツも懲りたことでしょう」
アデルが小さな風魔法を放つと、水の球は泡が弾けるようにして形を崩し、水流が平原の上を流れる。
ようやっと呼吸のできる空間に戻ってきたベアウルフは、息を荒くしてアデルを数秒睨んだが、踵を返すと林の方へ走り去っていった。
「これでしばらくは人間を襲わないと思います。ああいう個体は学びますからね。さてと――
改めて少女の方を振り返り、腹の傷を見る。そこまで深くはない。
アデルは誇らしそうに笑うと言う。
「待っていてください。その傷もすぐに治しますから。……おーい! メルフィー!」
呼ばれて、メルフィーは慌てた様子でやってくる。それから、お腹の傷を見ると、手をかざし回復魔法を唱え始めた。
そんな状況に、少女はただただ困惑するしかなかった。
自分が死闘を繰り広げた強敵のはずのベアウルフが、まるでおもちゃみたいに弄ばれて逃げていった。
しかも、なんだこの回復魔法。宮廷に仕える回復術師か何かなのか。いくらなんでも治りが良すぎる。
もしかしたら、とんでもない人たちに助けてもらったのかもしれない。そう思った。
☆
「助けてもらった上に魔法の馬車にまで乗せてもらえるなんて! いやーほんとにありがと! っていうか、あなたたちほんとに何者なの? いや、私が名乗る方が先か! 私、ベロニカ・トリスティって言うんだ! よろしくっ!」
「うーわ……アデルより元気なのが来たわ……」
先程までのシリアスな雰囲気はどこへ行ったのやら、元気いっぱいに大声かつ早口で話し始めたベロニカに対し、リリアは思わず小声で呟いた。
しかも、隣に座るメルフィーにはそれが聞こえていて、彼はなんだか可笑しくなって、笑いを堪えるのに必死だった。
「私はアデル・クラウデ・シュリエールといいます! いやあこちらこそよろしくお願いしますね、ベロニカ! ここでは遠慮しないでくつろいじゃってください! 私が助けて傷も治ったとはいえ精神的な疲労は残っているでしょうし!」
「だめだっ……アデルも負けてない……!」
今度はメルフィーが笑いを抑えた震え声でリリアに聞こえるように呟いた。すると、リリアも可笑しくなってきて少し笑う。メルフィーは我慢しすぎてお腹が痛くなってきていた。
「ありがとう、そうさせてもらうよ! ……ところで、そちらの人たちは?」
「ああ、えっとですね。二人とも、自己紹介してくださいよ」
そう言って、アデルはリリアとメルフィーの二人に視線を送る。
「あ、ああ、そうね」
「ご、ごめん、ぼーっとしてたよ」
リリアベル・ベルシュトラット。メルフィー・シュトライア。失礼な態度にならないようにと、二人ともなんとかきちんと笑いを引っ込めて名乗った。
それで、今度はベロニカの注意が子供二人の方へ向いた。正確には、子供に見える魔人が混じっているのだが。
ミアのことはアデルが紹介し、最後はリューリエが名乗って終わりということになった。
ところが、少し待ってもリューリエはだんまりで話し出さない。何故かというと、今の状況にとことんムカついていたからだ。
やかましいヤツが一人増えやがった。というのと、そのせいで全員が座るスペースが無くなり、何故かミアが自分の膝の上に座っていた。
別に重くは無いのだが、定期的に治った左腕をつんつんしてきたり編んである後ろ髪で遊ぼうとしたりするので、鬱陶しくて仕方がないのだ。
とはいえ、それをやってきているのが『主人』なので逆らうこともできない。だからじっと耐えていたところに自己紹介しろとか言われたので、リューリエは腹いせに何か変なことを言ってやろうと思った。
「なあ、お前は話せるだろ。ちゃんと名乗らないと」
「ああ、そうだな」
メルフィーが催促してきて、リューリエは何を言ってやろうか決める。そうして話し出した。
「俺はリューリエ。そこの二人の子供だ」
「はあっ!?」
一番最初に声を上げたのはリリアだった。
明確にどの二人なのか言っていないのに、自意識過剰だな。なんて思ったが、自分が知らないだけでリリアとメルフィーは恋人関係とかいうやつなのかもしれないと考え直した。
……しかし、それは無いなとまた考え直した。二人ともモジモジし過ぎだしあからさまに焦り過ぎだからだ。
「いっ、いやいやっ! これは違うのよっ! 私たちそういう関係なんかじゃないしっ!?」
「そ、そうそう! コイツ、ほんと息を吐くように嘘つくからさ!」
「ええ、そうなの? でも、二人ってお似合いだと思うけどなあ」
ベロニカにそう言われ、否定はせず赤面するだけの二人を見る。そして、なんだかよくわからないが腹いせの一手が成功したのだろうと思い、リューリエは少し機嫌を直したのだった。




