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20.決着

「けほっ……けほっ……うぇっ、口ん中カラカラですよ……」


 アデルは起き上がって早々、そんなことを口にする。メルフィーは尻餅をつくと、安心したようにため息を吐いた。


「……はぁ、良かったぁ。僕、本当はもう間に合わないかと……」


 まだ感覚が戻りきっておらず、アデルはフラつきながらなんとか立ち上がる。先程まで瀕死状態だったのに、今ではあらかたの傷が治癒されていて、むしろ活力がみなぎっていた。


「メルフィー、ありがとうございます。もし来てくれなかったら私……死んでました」


 メルフィーはか細く「うん……本当に良かった」とだけ返事をする。メガネが無いのでその顔はぼやけて見えないが、安堵しているらしいことは声色からでも伝わった。


「あの、それにしてもどうしてあなた、ここまで来れたんですか? あの魔人の能力で身動きが取れなかったはずじゃ……」


「ああ、それね……。アイツの能力、昔の嫌な記憶ばっかり思い出させてきてさ……。ほんと最悪で……まあでも、精神安定魔法を自己暗示かけるみたいに唱えまくって、それでなんとか抜け出せたんだ」


 そういえば、メルフィーはそういう魔法も得意なのだった。けれど、それで抜け出せたのは喜ばしいことだとして――


「それじゃあ、リリアとミアはどうしたんですか!」


 訊くと、メルフィーは一瞬言いづらそうに唸って、大きく息を吐いてから話す。


「……あの、それがさ、僕がまともに動けるようになった頃にはあの魔人が近づいてきてて……すぐに逃げるしか選択肢が無くて……。ほ、本当に今度は見捨てるつもり無かったんだけどっ! ……あの、でも、助けられなくて……。僕がもっと早く動けていれば――


「ということは、リリアもミアも、まだあの魔人の傍にいるということですよね」


 アデルが神妙な顔で食い気味に尋ねてくるので、メルフィーはおろおろしつつ「うん……そういうことになる」と呟く。


 ……今、アデルには何も見えない。視界にはぼんやりと、草木と夜空とメルフィーの色彩が映るだけ。その境界すら定かではないのだ。


 けれどアデルには今、それらの位置関係が手に取るようにわかっていた。


 自分でも何故だかわからない。地面に放られた魔槍を拾い上げ、フレームが折れて使い物にならなそうなメガネをポケットに仕舞う。そして、魔槍を強く握った。


 そんな様子を間近で見ていたメルフィーは不思議そうに尋ねてきた。


「あのさ、僕からも訊きたかったんだけど……。アデル、目とか髪、青色になってるけど……それなに?」


「へ? 青?」


「うん、青くなってるよ。……僕の目がおかしくなければ」


 言われて、アデルは考えてみる。


 青? なぜ青に?


 意味がわからない。どうして今更――


 そんな思いが無意識のうちに頭をかすめ、気がついた。両親も親戚も、青い髪や瞳を持っている。周りと違うのはアデルだけだ。


 どうして、黒い髪に瞳を持って生まれたのか。アデル自身、よくわからないことだった。


 けれど今、髪と瞳が青く染まっているのと風読みの感覚が過敏になっているのは、何か関係がある気がする。


 関係がある気がするけれど――


「……何故でしょうね。私にもよくわかりません。でも、メルフィー。今はそんなことどうでもいいんです。一刻も早く、リリアとミアの元へ行かないといけないんですから」


 悠長に考えている暇なんて残されていない。すぐに友人たちの元へ。


 メルフィーは焦った様子を見せつつも、ほんの少しの躊躇いもなく返事をする。


「そうだね。すぐに行こう!」




     ☆




「はぁ、めんどくせえ。本当にめんどくせぇ……」


 リューリエは一人ため息を吐く。


 リューリエにしては珍しい失態だった。自分の方が強いからと慢心して、油断したせいだ。


 けれど、考えてみればそう煩わしいわけでもない。手間が少し増えるだけでやることは変わらないのだから。


 逃げたあの男は、無理に虚勢を張っているだけの臆病者だ。恐怖汚染にも一番最初に罹った。魔法か何かで抜け出したのだろうが、その方法が無ければトラウマに耐えきれずきっと死んでいた。


 しかし、そんな腑抜けにも勇気というのは存在するものだ。あの男にも勇気ぐらいはある。そのなけなしの勇気を振り絞ってメガネ女を助けに行ったのだろう。


 参った。普通ならとっくにメガネ女はあの世だろうが、今起きているのは想定外の状況であって、それなら多分あの女はまだ生きているだろう。


 だが大丈夫だ。リューリエにはわかる。恐怖と同じように、勇気だって伝染するものだ。仲間内に一人、自信満々なヤツがいるだけで自分も役に立つ存在なんだと思い込む。


 それで勇気を持つのは良い事だ。だが、勇気にも気位の高い勇気と愚かな勇気とがある。ヤツらが抱えているのは無知で無策で無謀で、何の根拠もない愚かな勇気だ。


 リューリエは眠そうにあくびを一つして、木に寄せかけたミアとリリアの様子を見やる。


 まだ殺しはしない。どうせ、これから追加で二人が来るのだろうし、怒りのパワーというのが凄まじいのをリューリエは知っている。


 複数人を相手にする時に一番厄介なのは、仲間思いかつ、仲間の死に絶望せず莫大な怒りに変える人間だ。あのメガネ女は絶対にそういう人間だと見た。


 怒りに任せて暴走し、捨て身の覚悟で向かってくるヤツが何よりも恐ろしい。リューリエにはその心情が理解できない。


 それに、先程の戦闘では羽毛で隠していたが、左腕は傷のせいでろくに使いものにならないのだ。これ以上の負傷を喰らうわけにもいかないため、相手に余計な刺激を与えてはいけない。


 仲間が生きている。自分たちは間に合った。その安堵に僅かな隙が生まれる。そこを徹底的に叩けばいいだけだ。


 リューリエは周囲に注意深く目を見張る。どうせ魔力を隠しているのだろうから、魔力探知は当てにならない。当てになるのは視覚と聴覚と勘だけだ。


 小さな虫が遠くの木と木の間を飛んでいる。枯葉が目の前を通り抜ける。


 背後からミアの微かな寝息が聞こえる。風がそよぐ音も聞こえる。風がそよぐ音は段々と強くなっていく。


 森が騒めく。その中に混じる微かな足音。


 リューリエは足元に僅かな魔力の流動を感じると飛び退く。直後、その場に木の根が生え、大蛇のようにうねりリューリエに対し絡みつこうとする。


 それを闇結晶で速やかに破壊すると、リューリエは遠くの、背の高い茂みに目星をつけた。


 そこか? ……いや違う。いるのは臆病野郎だけだな。


 メガネ女は違う場所にいる。考えられるのは背後か。


 リューリエは瞬時に振り向く。しかし、そこには誰の気配も感じなかった。ただ、風の音だけがうるさい。


 何故いない? 俺だったら絶対に後ろを取る。それをこいつは――


 考えてから、勘づくまでに時間がかかってしまった。


 違う。自分は確かに背後を取られていた。居るのが()()()()()()()()()()だけだ。


 リューリエは見上げる。木の上から風魔法と思しき空気の渦が飛んできている。しかも先程より随分早い。避けられない。


 しかし、大丈夫だ。いつも通り喰えばいいだけだ。軌道は把握している。このまま真っ直ぐ向かってくる魔力の塊に向かって口をあんぐり開けて待っていればいい。


 右腕の怪物が大きく口を開けて魔法の前に立ちはだかる。ところが、寸前で魔法が大きく軌道を変えた。


 待て。おかしい。人間の魔法は、放った後の決まった軌道を変えられないはずだ。それが、どうしてコイツのは――


 空気の渦は素早く、ぐるりとリューリエの背後に回り込む軌道を描く。背中のあたりを切り裂かれるような激痛が襲った。


「小さい頃から、獲物に気づかれないように木登りをするのは得意だったんです」


 アデルは木の上から降りてくると、一仕事終えたみたいにそう言う。メルフィーは、その間にミアとリリアを引きずって避難するようにその場を離れた。


 リューリエは痛みに喘ぎながらも、なんとか立ち堪える。何が起きたのか? すぐに整理しようとするが、驚きで脳が働かない。


「……ふっ、なんだよ。それが決め台詞のつもりか?」


「ええ、英雄というのは戦いの最中に格好いい言葉を吐くものですからね」


 それは、冗談を言っているようにも聞こえた。だが、冗談には見えないほど目が据わっている。


 この女は既に、猛烈に怒っている。それに、怒りだけではない。


 リューリエは軽く舌打ちをした。


 どういうわけか知らないが、このメガネ女は先程より格段に魔力が練られているのだ。流石にどれだけ怒り狂っていても元々の魔力に変化が起きるなんて聞いたことがない。


 頭髪が青く染まり、あまりの量に漏れ出た魔力が空気中を飛散している。髪色はなんだか知らないが、少なくとも魔力のことに関しては身に覚えがある。


 まさに自分と同じだ。リューリエは思った。


 魔力量が多いとこうなるのだ。自身のうちに溜め込んでおけない魔力は魔力瘴気(オーラ)として周囲を漂う。


 それらは本人の意思に合わせて様々な効果を持つ。自分の場合は相手を恐怖で精神的に支配する恐怖汚染。


 ならコイツは――嵐のような暴風を巻き起こす効果、だろうか?


「お前、さっきより強くなってるな。……ふっ、後学のために訊いておこう。この短時間で、どうやってその力を手に入れた?」


「後学ですって? どうしてあなたが生き延びる前提なんですか?」


 森の木々たちは、いまや折れてしまうのではないかと思うほど激しい風により湾曲している。それどころか、実際に折れてしまった木々の倒れる音が時折聞こえてくる。


 アデルは魔槍を再度リューリエに向けた。リューリエはすぐに身構える。


 紫の羽毛がふさふさと生えた、不気味な二つの怪物の口がアデルの方を向いている。


 けれど、アデルは思う。


 今はもう怖くない。


「【天渦(シエル・ヴォ)嵐裂(ルテックス)】」


 放った魔法が真っ直ぐリューリエの方へ飛んでいく。


「ギャオゥルルッ!!」


 リューリエの双腕が咆哮をあげた。もはや左腕の負傷を庇っている場合ではない。何だか知らないが、こいつは強くなりすぎだ。


 左腕と右腕、両方の口から尖った結晶を覗かせる。


 その瞬間、リューリエはアデルから逃げた。地面を蹴り、闇結晶を放つ反動で推進力を得る。目にも留まらぬ速さ。


 先程までなら、そのスピードにアデルが追いついてこれるはずが無かった。ところがアデルは、今度はしっかりとリューリエの背中を捉えることができていた。


 同じ速度というほどではないが、リューリエの速度に食らいついている。しかも、放つ魔法は縦横無尽にリューリエを追い、その速度はリューリエより僅かに速かった。


 アデルは自分でも驚くようなスピードで走りながら、身体が風と一体化していくような不思議な感覚を抱く。


 周囲の空気を自在に操ることができる。自分を中心として嵐みたいな風が吹き荒れている。瞑想でもしているみたいに風読みの感覚はいつもと比べ物にならないくらい鋭敏だ。


 風読み……そういえば村の皆は『空覚』と呼んでいたっけな。アデルは思い返して懐かしい気持ちになる。


 思えば、ずっと不思議だった。


 村の皆は、魔法を使えない代わりに、空覚を使うことができた。村の外の人と出会う前のアデルなんて、それを、人間全員が生まれつき持っている能力だと思っていたくらいだ。


 けれど、外の人と接して気がついた。それは普通ではないこと。


 もっと言うと、自分が特別な能力を持つ民族の生まれで、しかもその中でも魔法が使えるなんていう、一層特別な人間だということが。


 それを知った時は正直、嬉しさや誇りを通り過ぎて少し落ち込んだ。


 自分だけが他の人と住んでいる世界が違うような、疎外感やら孤独感やらで胸がいっぱいになった時期もあった。


 ――けれど、今は大丈夫。


 一緒に旅をしてくれる友人がいる。対等に接してくれる友人たちがいる。面白いことがあったら笑い合えて、悪いことをしたら叱ってくれて、良いことをしたら褒めてくれる友人たち。


 でも、もし負けたら失ってしまうのだ。だから、絶対に負けたくない。

 

 アデルは無尽蔵に湧き上がってくる魔力を練り上げ、強力な魔法を次々と放つ。それでも逃げようとリューリエは闇結晶を放ってくるが軽々と避け続け、アデルは走り続ける。


 自分でもこんな力が一体どこから湧き上がってきているのやらわからない。でも、この力をどう使うべきかはわかる。


 アデルは風魔法を何度も何度も放つ。それは逃げ回るリューリエを捕捉して、軌道を変えながら追い続ける。


 リューリエは時に上空に飛んだり、アデルの背後に回ったりしたが、全く攻撃する隙が無かった。とにかく、追ってくる魔法から逃げ続ける。


 たまに喰えそうな魔法があっても、それらはぐるりと軌道を変えて口の前から逃れるので、吸収できたものでは無かった。


 闇結晶を乱れ打ちしているが当たらず、このままでは防戦一方。リューリエはムカついて唇を噛む。


 こんな大したことのない女に俺は追い詰められているのか? 信じられない。が、実際にそうなっている。


 いつもならこんなヤツ、簡単に殺せるのに。だが、今はいつもの状況ではない。


 ズキズキと痛む左腕を見ると、紫だった羽毛は赤く染まり出しており、限界が近いことを伝えていた。


 七災の一め。アイツのせいで、屈辱的な負けが近づいている。


 いつもの力があったら。疲労が無く、左腕に負傷のない状態であったなら。勝てたはずなのに。


 ――いや、もしもを考え過ぎだ。怒りに呑まれるな。元はといえば、弱体化した身体でありながら戦闘を続けてしまった俺にも非はある。


 それじゃあ、このまま負けるのか? リューリエは冷静に考える。


 あの女、あれだけの力を突然発揮して、身体が魔力量に耐え切れるとは思えない。今の状態は何らかのリミッターが外れたことによる偶発的な覚醒状態であって、効果も長くはもたないはずだ。


 しかし、それがわかったところで――


 覚醒状態が終わるまで耐え切れるのか? 無理だろうな。


 少し振り返った時、あの女が鬼人のような目をしているのを見た。制御の効かない怒りを身を包んでいる。


 このままでは確実に負けだ……。負けてしまう……!


 考える意味はない。ここから勝つ方法はない……!


 なら、いっそ身体を捨てて逃げるか!? 魂だけの状態から復活するのは難儀だが、それでも負けるよりは――


「っく、しまった……!」


 左腕の限界が先に来た。もう闇結晶は出せない。後ろにあの女が……すぐそこまで来ているというのに!


「これでっ、終わりです!」


 アデルは最後の攻撃を放った。最後の攻撃は魔法ではなかった。放たれた槍は、速度の落ちたリューリエの背中を正確に捉えている。


 リューリエが振り返った。


 大丈夫。槍の飛ぶ先は完全に心臓を捉えている。あれを避けることはできない。勝った。これで終わりなんだ。アデルはそう思った。


 しかし――


「待てっ! 行っちゃダメだ!!!」


 これまでに聞いたことのないくらい張り上げたメルフィーの声。直後、槍の進行方向へミアが飛び出してきた。


 まずい……このままだと、槍はミアに当たってしまう! 考える暇などなかった。


 咄嗟に突風を起こし、槍の軌道を逸らした。すぐに別の方法で魔人にトドメを!


「ミア! 早くどいてください!」


 そう言うが、ミアはどかない。


 ふざけているのではなさそうだった。真剣な目で立ちはだかり、まるでリューリエを守るようにそこに立っているのだ。


 やがて、リューリエは焦った様子で呟いた。


「……ふざけてる。ふざけてやがる。おいガキ、お前、俺に何をした? 一体、何者なんだ?」

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