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19.静かな怒り

「ったく、自分を主人公か何かだと勘違いしてるのか……?」


 リューリエは地面に倒れてぴくりとも動かないアデルを一瞥し、踵を返す。


「お前みたいなヤツが一番嫌いだ。そこで野垂れ死ね」


 言い捨ててリューリエはまた森の中を歩き出す。


 まだ大人にもなれていない半端者のくせに、偉そうに口をきく。自分ならきっと勝てるはずだという自信に満ちたあの瞳。


 仲間を死なせないだとか、きっと夢ばかりしか見てこなかったのだろう。夢見がちな人間はいつだってそうなのだ。


 全ての生き物に対して平等に、ドラマチックな死が訪れるのだと信じてやまない。自分だって例外なく。


 だが実際はどうだ。仲間を守ろうとするも、全く力が及ばず渾身の魔法を跳ね返されて死亡。なんて滑稽な。


 もはや、笑いすら込み上げてこない。あまりにもくだらないからだ。


 リューリエは数分ほど歩いてミアの元へ辿り着く。魔力が無いのでもし単体で置いていっていたら探すのに苦労しただろう。しかし、さっきのメガネ女の仲間とかいうヤツが近くに倒れているおかげで、それを目印に向かってくるだけでよかった。


 しゃがんで、未だ地面に転がり気絶しているミアの姿を確認する。


 俺、こいつが起きてない姿の方が見てる時間多いんじゃないか……。そんなことを思いつつ、立ち上がるとリューリエは次にリリアに目を向けた。


 念の為、殺しておくべきだろう。姿を見られているし、この子供の姿に見た目を変えたとしても、コイツらにとってはまるで無意味だ。


 リューリエはうなされているリリアに向かって右腕の口を大きく開く。


 しかし、そこで気がついた。


 ……どうして一人しかいない?


 確か、男と女、二人いたのではなかったか。


 それが――この場からあの緑髪の男だけ消えている。


 一体、どういうことだ。




     ☆




 アデルは途切れそうな意識の片隅で微かに呼吸を紡いでいた。


 自分が死の淵に立たされていることを実感し、生きようと必死になっている。あとほんの少しの影響でちぎれてしまいそうなか細い生にしがみついている。


 絶対に死にたくなんかない。まだ生きていたい。生きていなきゃいけないんだ。


 今まで、死にかけることは何度だってあった。そのたび、生き残ってきた。けれど、今回は今までのとは違う。


 このままじゃ、死ぬってわかる。それでいて、生き残る道がどこを見渡したってないのだ。


 ――どうして、夢にまで見た親友たちとの冒険の、最初の1ページ目にこんなことが起きるのだろう。理不尽だ。こんなの理不尽すぎる。


 無念、後悔の中で、彼女は息ができずに溺れていた。


 死にたくない。その理由だってある。だから、まだ嫌なのに。


 


 アデルには辛い過去や境遇なんてない。


 彼女は村の中でただ一人、黒い髪に黒い瞳を持って生まれた子だった。


 村の全員が青い髪と青い瞳を持っていた。だから、最初は奇異の目で見られた。偏見や差別、村の中で迫害されながら生きると思われた。


 けれど、そんなものはすぐに消え失せた。


 小さな村に、たった一人の魔法を使える子だった彼女は、すぐに特別な子として褒められるようになった。愛されるようにもなった。その影響で、少し傲慢でもあったけれど。


 狩りが上手く、頭も良い。自信に満ち溢れる快活な少女。それだけに、生意気で鬱陶しがられることもあった。けれど、しっかり心優しいところがあって、人助けをすすんでやるような少女だった。


 それは、みんなに褒めて欲しかったから。褒めてもらうのが好きだったから。今も昔も、人助けをするのはそれが大きな理由になっている。


 自信に満ち溢れていて、少し傲慢。けれど幼いアデルはいつも、他人に認められたいという気持ちを根底に抱えて生きていた。


 それは、生まれた時から周りと違いすぎたから。


 周りと違って自分は特別で、普通ではないから。


 特別であることが誇りではあった。けれど、特別であるからには、普通の人よりも何倍も役に立たなければならない。完璧な人間でなければならない。それが、認められていなければならない。


 幼いながらに、アデルは無意識にそう思ってしまっていた。それは、ある意味では素晴らしいが、重圧でもあった。


 しかし、八歳を迎えた頃、その考えが覆された。


 長老との古い友人とかで村を訪れた、真っ白な少女はアデルの全てを変えた。


 その少女はネージュ・グレイスと名乗った。


 グレイスはアデルからして、一見少し年上くらいのただの若い少女に見えたけれども、立ち居振る舞いが丁寧で大人の余裕があった。何より、誰にでも敬語に話しているのが、当時のアデルにはすごく格好良く見えた。


 その上、自分より特段すごい魔法を使える。自分の魔法だけしか見たことがなく、それだけが全てだったアデルにとっては衝撃的で、同時に嬉しかった。


 おまけに、グレイスは朗らかで優しい人で、アデルはすぐに彼女に憧れを抱くようになった。


 グレイスはアデルが元々思い描いていた完璧な人間とは程遠かった。けれど、アデルから見て信じられないほどすごい人だったから、完璧な人間像なんてすぐに捻じ曲げられてしまった。


 しかも、彼女は自分よりも遥かにすごい人なのに、役に立たなければとか完璧な人間であらねばとか、そんなことを気にしているような素振りは一切ない。


 ただ、自分がやると決めた役割を悠々と楽しそうにこなしているだけ。


 その姿が、アデルにとっては一番格好良く見えた。


 グレイスはよく、平和な世界を目指していることを語り聞かせてくれることがあった。そのために色々と活動していることを。


 もちろん、八歳のアデルには全く理解できなかったけれど、聞いているだけで楽しかった。


 それはいつしかアデルの夢になり、希望になった。世界を救う、というのはとても楽しそうな響きだし、沢山人に褒めて貰えそうだ。


 それに、グレイスのようになりたいから。グレイスに認めてもらいたいから。


 その気持ちは、今度は重圧ではなかった。褒められるというのはある種、人に認められるということ。未だに褒められるのは好きだし、褒められたいから人助けをする。


 昔は、その根底に普通の人よりも何倍も役に立たなければならないからという考えが密かに潜んでいた。


 でも、今は違う。役に立とうと頑張るのではなく、好きに生きていたらいつの間にか他人の役に立っていたような。


 自分が好きなように褒められていたらいつの間にか英雄になっていたような、そういう生き方をしたい。


 ただそれで、グレイスに褒めてもらいたいだけ。仲間に褒めてもらいたいだけ。家族に、親戚に、村のみんなに。


 それは他人から見たら不純な動機かもしれない。格好悪い理由かもしれない。けれど、アデルにとってはそれで良かった。


 日々を楽しく生きて、成し遂げた偉大なことがまるでついでのよう。それこそ、憧れのグレイスに見た格好良い生き方だ。


 だから、まだ死にたくない。生きていたいのだ。


 全力出して負けて、死ぬ間際に誰も褒めてくれない。褒められること、何一つできちゃいない。


 仲間を守るどころか、満身創痍。一矢報いることすらできなかった。


  ムカついた。あの魔人もだけれど、それ以上に自分のことが情けなくて堪らない。


 何が、誰も死なせない、ですか。自分が一番死にそうになってるじゃないですか。


 ここで死んだら、誰が褒めてくれるっていうんですか。……悲しませるだけじゃないですか。


 細い蜘蛛の糸を伝って井戸から抜け出すように、誰が見ても不可能だとしても。死中に活を求め続ける。自分を叱り、鼓舞し続ける。


 偉そうに大口を散々叩いておいて、志半ばで死ぬなんて、ふざけてるじゃないですか。こんな窮地さえ、打開できないで……何が英雄ですか。


 そうだ。ここで死ねば口だけのヤツになってしまう。それだけは絶対に嫌だ。


 何だかんだ言っても、やはり死ぬ時には素晴らしい人間でありたい。だから――


 


 諦められるわけがない。


 


 今のアデルの五感は、ほとんど失われていた。


 目の前が上手く見えない。メガネはどこへやら吹っ飛んでしまった。ただ朧気に、揺れる葉とその隙間から星空が見える。それを捉える瞳は灰色に濁り始めていた。


 自分が地面に触れている感覚はあまりない。ふわふわと浮いているみたいだ。


 鼻は利く。けれど、血なまぐさい臭いしかしない。口の中は血の味がする。


 耳は辛うじて聞こえていた。ただ、風に吹かれて葉が擦れる音だけが延々とループしているかのようだった。他に何も聞こえなかった。


 ただ、そんな状況の中、アデルの身体に一つ不思議なことが起きていた。


 森の中の風の流れが、とても鋭敏に感じられる。


 今までこういう場ではからっきしだったのに、今は周囲の木の一本一本の正確な位置から、遠くの川のせせらぎ、自分の身体に何本枝が刺さっているかまで見なくても正確にわかる。


 ろうそくの火は、消える前が一番明るいと言う。それと同じで、死に際にいつもより魔力が猛っているというだけのことかもしれない。それならば、少しすれば――


 死までのタイムリミットは、もう一分もないだろう。自分が助かりようもないことなんて、本当は最初からわかりきっていた。


 それでも、死中に活を求め続ける。一筋の希望すら見えないのに、アデルは、一秒でも長く生にしがみついていようと必死だった。


 そんな時、突然に遠くから何かが走ってきている感覚がした。


 何かがこちらに駆け寄ってきている。魔力は感じられない。けれど、ミアなんかとは違う。


 ――偽装魔法で自分の魔力を隠しているような。


 抵抗する術もない。野盗か何かが来たというのなら、ここまでの命だ。けれど、アデルは期待してしまった。


 自分が生き残れる僅かな可能性を。


 もう、死を甘んじて受け入れる選択肢は消え失せた。


 絶対に生き残ってやる。諦めずに僅かな生き残れる可能性に賭ける。


 いつかこの事を、笑って話せる英雄譚にするために。


 走っている存在は、どんどんとこちらに向かってきている。耳でも草を掻き分ける音が聞こえ、だいぶ近くにいることがわかるのと同時に、森が騒めく音が聞こえてきていた。


 周囲の風が荒れている。静寂の上にそっと激流を塗り重ねたような静かな怒りを感じる。


 最初は何がそのような影響を与えているのやらわからなかった。ただの突風かとも思った。けれど、草々を揺らし自分の頬を力強く撫でていく風を感じ、理解する。


 これは、自分の魔力だ。詠唱なんかしていないのに。無意識的に、アデルは風を起こし自身のことを包み込んでいた。


 草を掻き分ける音はどんどん近くなってくる。それは足音となり、やがてアデルの傍まで近づいてきた。


 コイツは一体、何をするだろう。場合によってはとどめを刺されるかもしれない。けれど、アデルは祈った。


「…………ル……!」


 なんだか、声が聞こえる気がする。


「ねえ…………ル……起き……ば!」


 傍にいる誰かが叫んでいる。けれど、風がうるさくてよく聞こえない。


 傍にいる誰かは、耳元まで顔を寄せてきてそしてまた叫んだ。


「アデル、まだ死んじゃダメだっ!!!」


 脳みそをガツンと一発殴られたような気がした。


 悲しそうで、とても必死そうな声。この声は、メルフィーだ。でも、どうしてここに?


 いや、今はそんなことはどうでもいい。


 アデルは返事をしようとした。けれど、喉が潰れているのか、全く声を出すことができない。ならば、身体のほんの一部だけでもいい。


 辛うじて、指をぴくりと動かす。すると、メルフィーはそれに気づき、驚喜の声を上げた。


「……よ、よかった! ……生きてたっ! すぐ治すから待ってて!」


 メルフィーはアデルの腹のあたりに触れる。アデルの視界が、緑の明るい光に包み込まれていく。


 なんだか、温かな感じがする。母親に抱かれて眠る時のような、不思議な感じ。


 アデルの目に光が戻った。蒼穹のような青が瞳の中を染め上げる。血に塗れた黒い髪は、いつの間にかその色を鮮やかな青に変えていた。


 ああ、自分は助かったんだ。そのことに、嬉しさが込み上げる。周囲を取り巻く風は激しさを失い、優しく穏やかになり始めていた。


 良かった。本当に。

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