18.魔力喰らい
「……あなた、ミアを一体、どうするつもりなんですか」
アデルは怒りのこもった口調で尋ねた。リューリエの後方では、未だミアが地面に倒れている。
うなされていたりとか、苦しんでいる様子はない。先程の恐怖汚染とかいうものをくらってはいないようだ。それに関してはひとまず良かったが、リューリエに既に何かされているのではと思うと気が気ではなかった。
「ミア? ……ああ、さっきのガキの名前か。ふむ、お前に言って何になる? これから死ぬやつにわざわざ伝える義理はないだろ」
「いいえ、死にません。私は……メルフィーもリリアもミアも、全員死なせませんっ!」
アデルは覚悟を決めてそう叫ぶと、槍の柄を持ち直す。どうでもよさそうにリューリエは息を吐くと、再び鋭い眼光でアデルを見据えた。
「……そうかい。それなら精々、頑張ることだなッ!」
リューリエは瞬間移動のように突然アデルの目の前に現れると、右腕の大口を振るう。驚きつつも、アデルは後方へ身体を捻りかわした。微かに掠めた頬から血が垂れる。
なんて素早い。あの攻撃に当たっていたら、今頃自分の首はない。しかし、そう思ってゾッとしている猶予すら彼女にはなかった。
息をつく間もなく、次の攻撃はやってくる。アデルを捉え損ね、空振った右腕の牙は勢い良く地面に突き刺さった。
一見ぬかったようにも思える。しかし、それはまるで慣れきった一連の動作のようでもあった。アデルは、それが何かの攻撃の予備動作であることを推察することだけはできた。しかし、身体が反応するまでの隙がなかった。
「ギャオゥルルッ!!」
大口は地面に向かって、聞いたことのない不気味な咆哮をする。足元が揺れ動くような感じがしたと思った時にはもう、それは地面から飛び出してきていた。
頑丈で歪な円柱形がアデルの腹部に食い込み、勢い良く突き上げる。刹那、アデルは宙を舞い、背後の大木に身体を強く打ち付けた。
何かがぶつかってきて飛ばされた。頭がクラクラする。背中がとても痛い。しかし、なんとか致命傷は避けられた。アデルは痛みを我慢してゆっくりと立ち上がる。
目の前にあるのは煌々と怪しく紫に光る結晶だった。地面から湧いてアデルを吹き飛ばしたその結晶は、視認した次の瞬間にはすぐに霞のように消えていく。そして、その向こう側にいたリューリエと目が合った。
「ほう。本来なら、闇結晶はお前の腹を綺麗に貫いていたはずだが、上手く魔法で防御したな?」
リューリエは確認をとるように訊いてくる。しかしその実、確信しているような口調だった。
実力者というのは、どうしてそうなんでもかんでもわかるのだろう。彼の発言は確かに当たっていた。詠唱をする猶予などなかったから、本当に一瞬の隙を縫うように、アデルは小さな風魔法を無詠唱で発現させていたのである。お腹と、飛び出してきた結晶の間に。僅かでも衝撃が軽減されるように。
「ええ、そうですよ。まともにくらっていたら、今頃身体の真ん中に風穴が空いていたでしょうから上手くいって良かったです」
本当は身体中が痛いけれど、気丈に振る舞う。弱気な言葉を吐いてはいけない。
心まで弱気になるから。相手に舐められるから。全力で戦わなきゃいけない場面で弱音を吐くなんてかっこ悪いから。
「お前にとってはそうかもな。だが、いつまで上手くいくか、考えてみろ。どこまでその威勢が続くのか、見物だぜっ」
リューリエが突然目の前から消える。
まただ。目で捉えられないほどの速さ。しかし、速ければ速いほど強く風を切る。見失うことはない。消えたリューリエの位置は、吹いてくる風が教えてくれた。
アデルは咄嗟に真上を見上げる。リューリエが宙に浮かんでいる。アデルを見下ろしながら不敵に笑っている。
そして、彼の右腕が遥か上空から再び咆哮を轟かせた。
「ああもうっ! なんなんですかそのふざけた攻撃はっ!」
呆れやら困惑やら怒りやらが混じってぶっきらぼうに叫びつつ、アデルは全速力でその場から駆けた。
直後、空から流星の如く結晶が降り注ぐ。それも、無造作ではなく森の中を駆け回るアデルを捕捉しているのか、落ちてくる結晶は全てアデルを潰さんばかりの勢いで、彼女の周辺に落下してきていた。
時折、結晶が木にぶつかり、ミシミシという音を立てて倒れる。一つ一つが落ちるたびに地面が揺れるような感覚があった。
あんなもの、一発でも当たっていいわけがない。例えば一発だけ、先程みたいに魔法で運良く防げたとして、それでも絶え間なく落ちてくる結晶をどうしろと言うのだろう。
動き続けなければいけない。今はこの攻撃から逃げ続けなければいけない。
ただ幸い、リューリエほどでは無いにしても、アデルも素早さには自信があった。木と木の間をすり抜け、高低差のある地形をジャンプ一回で飛び越える。
幼い頃には今みたいに森を駆けることが日常茶飯事だった。まだ、その時の動きを身体が憶えているらしい。
アデルは頭上から落ちてくる結晶を悠々と避け続け、その間に段々と冷静になってきた。この窮地をどう脱すればいいか、アデルは落ち着いて考える。
まず大前提として、このまま親友二人とミアを置いて逃げるのは論外だし、そもそも逃げ切ることなんて不可能だろう。
それに、あの魔人の魔力がどれだけ無尽蔵かはわからないけれど、少なくとも自分の体力の方が先に尽きるであろうことは明白だ。
となると、あの攻撃を何とかして止める方法を探すほかない。とは言っても、今から振り向いて宙に浮くリューリエに瞬時に狙いを定め、魔法を放つなんて出来るはずがなかった。
攻撃には隙がない。防御は先程実践して無理があるとわかっている。逃走にも限界がある。アデルは残された謎を考えた。
そもそも、リューリエはどのようにこちらの位置を特定しているのか? それは特に難しい謎ではない。まず、目視ではないのはわかる。この、あまりにも鬱蒼と茂った森では、恐らく上空から見ても木々の葉ばかりしか目に入らないだろう。
そうすると候補に上がるのは、聴覚、嗅覚、魔力探知、もしくは――私みたいに風を読んでいる可能性も? いやいや、そんなことされたら私のアイデンティティ崩壊するんですけど……。
アデルは気を取り直して、最後以外の三つについて考えた。まず、魔力探知は確実。ただ、聴覚、嗅覚がとても鋭い可能性もなくはない。
魔人というのは本当に多様だから。
しかも、音に関しては最悪どうにかなるにしても、もしあのリューリエの鼻がすこぶる利く場合、打つ手はない。
それなら、残された手で賭けに出てみるしかない。
アデルは意を決すると、いきなり走る方向を変え、リューリエの方へ戻る針路をとる。そして、それと同時に唱えた。
「【偽装!】」
それからしばらく結晶を避けて走り、大きな木の影にじっと身を隠す。チクチクする茂みの中でアデルは息を殺した。
しばらくして、結晶は全く落ちてこなくなった。
やはり、ただの考えすぎだったらしい。聴覚とか嗅覚とかそんなものではない。リューリエはただ、こちらの位置を魔力探知で特定していたのだ。
普段は天候魔法しか使わないが、気まぐれで偽装魔法をメルフィーに教わっていて良かった。アデルは静かに安堵する。
偽装魔法とは、自分の魔力を極限まで抑え、無いように見せかける魔法。それを唱えた途端、結晶が落ちてこなくなった。ということはつまり、リューリエは魔力を頼りにアデルの位置を割り出していたということであり、そして今はアデルの位置がわからなくなっているということを表していた。
アデルはまだじっと息を殺す。じきに、リューリエが近づいてくるだろうとわかっているからだ。なにせ、直前までの位置は知られてしまっている。ただ、それが良かった。
こちらからこっそり近づいて攻撃を仕掛けるのではなく、あちらが痺れを切らしこちらを探しに近づいてきてくれるのが良いのだ。
重要なのは、リューリエがどれくらい近づいてきた時点で偽装魔法を見破ってくるかだった。
アデルは不意打ちができないかと画策していた。あの素早さなら、正面から魔法を打って当たる可能性は限りなく低いだろう。しかし、意識の範囲外から突然魔法が放たれて、それを認識してから動き始めるまでには多少ラグがあるはずだ。それを狙えば、当たる――かもしれない。
しかしそのためには、詠唱が間に合い、リューリエが避けることのできない距離まで近くなくてはいけない。
だが、きっと大丈夫だ。アデルのいる位置からは、さっき偽装魔法を唱えた位置が開けて見えるようになっている。わざと開けて見える位置に隠れたのだ。リューリエは少なくともあの場所までは来る。
だから、きっと大丈夫のはずだ。それは、正直願望の色が強かった。けれど、アデルはひたすら自分の勘を信じた。
しばらくして、なにやらゆっくりと草をかき分ける音が近づいてくる。ぺたぺたといった軽い足音と、大きなものを引きずっているような鈍い音の両方が聞こえた。
紛れもない、リューリエだ。視界内に入ってきた時、比喩ではなく本当にアデルは心臓が止まるかと思った。
リューリエはアデルの隠れる茂みの目の前を、何の違和感も覚えていないようにさらりと通っていったのだ。あまりの自然さに、こちらを油断させる為の罠なんじゃないかとさえ思う。
しかし、リューリエは一時、手を伸ばせばすぐに触れられるような距離まで近づいたというのに全く気づいているような素振りが無かった。
この魔人、もしかすると偽装魔法を見破れないのかもしれない。あれだけの実力がありながらそんなことが出来ないなんて。にわかには信じ難いが、事実そのようだった。
アデルは喜びを表に出さないよう我慢する。成功するかどうかわからなかった不意打ち作戦に僅かでも希望が生まれてきた。緊張していて心臓の鼓動がうるさい。この音でバレちゃったりしていないだろうか。なんて、ヒヤヒヤしながらアデルは機会を窺う。
「はあ……偽装魔法かよ……。おい、俺はお前の幼稚なかくれんぼに付き合ってる暇なんてないんだよ。出てこいメガネ女。どうせ、このあたりからまだ遠くには逃げてないんだろ」
リューリエはアデルが先程詠唱したその場所に立ち、ゆっくりとあたり一体を見渡す。それから面倒くさそうに目を細めてため息を吐いた。
どうして、逃げたとは思わないのだろう。近くにいるとわかるのだろう。アデルは緊張して息を呑んだ。
いや、まだ大丈夫だ。ああは言っていても、リューリエはこちらの位置を知っているわけではない。しかめっ面でキョロキョロとあたりを見回し、そのたびにため息を吐いている。
不意打ちはできる。リューリエは今、アデルに背を向ける形になっている。打つなら今だ。一発で仕留められるか――いや、今は考えるな。この好機を無駄にしちゃ駄目だ。
アデルは魔槍を握らず、静かにリューリエに向けて手のひらを構えた。手から魔法を放つ場合、狙いが上手く定まらない可能性はある。しかし、魔槍を動かす物音一つでバレるくらいなら、こちらの方がよほど命中する確率は高いと思った。
アデルは淀みなく、できるだけ早口で、できるだけ発生の早い魔法を唱える。
「【霹靂!】」
澄んだ声が響くのと同時に、閃光が宵闇の森を明るく照らした。雷撃が空中を走る。雷撃は逸れることなくリューリエの背中を捉えていた。
リューリエの肩がぴくりと動いた。避けてしまうのだろうか。アデルには判断がつかない。リューリエがこの攻撃に反応できるのか、できないのか。
突如、雷撃が何かに飲み込まれたようにするりと消えた。
「えっ、どういう……!」
アデルは驚きのあまり声を漏らす。目の前にリューリエが立っている。リューリエはアデルを見て意地悪い笑顔を浮かべていた。意地悪い笑顔を浮かべて、先程と変わらずそこに立っていた。
避けたわけではない。けれど、直撃したわけでもない。雷撃がリューリエに当たる瞬間、消滅したのだ。飲み込まれるように――なんて、比喩表現ではない。飲み込まれた。
「魔法ってのは不便だな。いちいちなんだかよくわからん文言を唱えなきゃいけないし、感覚的に扱えるわけでもないのだろう。その上、魔力が現象を形成するまでが遅すぎる。そんなものじゃ、喰えと言っているようなものだ」
「喰う……って一体、なにを……」
リューリエは右腕の口を掲げる。アデルは思わず身構えたものの、攻撃をしてくる気配はなかった。
「魔力を喰ったんだ。最初に丁寧に名乗ってやっただろ。俺は『魔力喰らいのリューリエ』だと」
それは、どうしようもなく理不尽な宣告で、絶望級の事実だった。
魔力を喰う。それは多分、魔力で形成されたもの全てが含まれるのだろう。
ということは要するに、この魔力喰らいのリューリエという魔人は、魔法が効かないということだ。
「そんな……そんなことって……」
悔しさで声が震え、呼吸が荒くなる。アデルは魔槍を右手に持つと、リューリエに向けて構えた。しかし、もう策などない。それが無意味なことであると、自分で十分にわかってはいた。
「【閃電っ】【天風裂っ】」
後に放った魔法は、どれもこれも大きな口の中の暗闇に吸い込まれて消えていく。何度放っても意味はなかった。
考え続けて。それで、何か思いつけ。打開策を。みんなを助ける方法を。
アデルは、自分では冷静でいるつもりだった。しかし、もはや冷静でいられるはずもない。リューリエを最初に見た時と同じように、全身が緊張で動かなくなっていた。
リューリエはそれを悟ると嗤い、言った。
「なあ。俺は喰らった魔力を、自分の魔力として取り込むこともできるが、そっくりそのままの状態で保存しておくこともできるんだぜ」
右腕の口をアデルに向けて大きく開く。喉奥は暗くて先が見えない。それは、どこまでも空間が続いているのではないかと思うほど、不気味だった。
「つまり、こういうこともできる」
右腕の口から黄色い閃光が放たれた。それは素早く走り、アデルに向かっていく。アデルは避けられない。動けない。
ただ自分の魔法が自分に向かってくるのを待ち、そして直撃した。
痛い、苦しい。衝撃で吹き飛ばされ、地面に這いつくばる。メガネのレンズが割れたらしい。目の前がよく見えない。
でも、自分の身体が赤色に侵食されていくのだけがわかる。
まるで鮮血のような赤。鮮血……?




