13.砂の魔人2
自分たちがいるこの砂漠は、いわば蜘蛛の巣のようなものである。魔人が蜘蛛なら自分たちはさながら蜘蛛の巣に迷い込んだ羽虫。敵のテリトリーのど真ん中にいるという事実はあまりに不利だ。
そうは思う。しかしアデルは決して、諦めたわけでも高を括っているわけでもなかった。
彼女はリリアに駆け寄り策を伝える。それから、何もせず魔人を見据え続けた。
魔人が警戒しているのは、きっと自分だけだろうと思ったから。
砂波がとうとう馬車を囲う巨大な壁のように見えるまで迫ってきた時、魔人の意表を突く形でリリアが大きな声で詠唱した。
「【炎流】」
それは、爆裂したという表現が一番正しいかもしれない。アデルは速やかにリリアから退避すると、荷車の中に逃げ込む。
「アデル、このままだと僕たち燃えちゃうよ!」
「そんなの、わかってますよっ!【風の護りっ!】」
リリアはアデルが防御を貼ったのを確認してから、魔力を行使し始めた。
彼女の腕から手のひらにかけての部位からは、紅光とした炎が噴出している。リリアはその炎を砂壁に向かって放射した。その勢いは凄まじく、地面の砂が激しく舞い散っていく。
「ああ? おい、何してやがる。そんなことしたって意味ねえぜっ」
魔人は上空から見下したように言い放った。
砂に炎を吹き付けて何になる? 熱風でこの砂波を吹き飛ばそうとでもいうのか?
どう考えてもそれは無駄な行為にしか思えず、魔人はリリアを嘲るように笑う。しかし、リリアはそれでも構わず炎を高出力で放射し続けた。
「ふふっ、どうして意味がないと思うの? 随分と自分の力に自信があるようだけど、所詮砂は砂なのに」
リリアは言いながら、更に高温を目指す。砂が砂でなくなるくらいの高温を目指す。それが重要だ。勢いなど今はどうでも良かった。
魔人はそんなリリアを怪訝な顔をして見下ろした。どうしてそんな余裕そうな顔をしていられる? なぜだ?
馬車は既に間近だった。そんなことをして一体何になるというのか、彼には未だ理解できなかった。だから、先程と変わらずその行動を嘲笑おうとした。ところが、そうはならなかった。
「ほざけっ! 命が惜しければさっさと降参するんだな! さもねぇと――って、なんだこれは……」
「ふふふ、さもないと、何なのよ?」
リリアはもはや笑みを隠せずにいた。先程アデルに提案された時は正直半信半疑だったけれど、やはりこれは打開策だったのだ。
そしてこれは魔人が予想だにしていない展開だった。
魔人はようやくあることに気がついたようで、下の状況を見ると目を剥く。
「お、おい! どういうことだこれはっ!」
魔人はバランスを崩しそうになり、砂波の上から飛び退いた。やがて、砂波は消えて結晶状の物質がそこに残る。陽の光を弾いてキラキラと光るが、それは透明ではなく濁っていた。
「なるほどな……! テメェッ! 俺の砂を硝子にしやがったんだなっ!」
「そうよ。魔力といえど、砂は砂でしょう? まあでも、硝子と言う割には濁ってて汚いわね」
調子乗りやがって、ざまーみろだわ。リリアはお返しとでも言うみたいに魔人に向かって高らかと笑って見せる。
硝子が砂に戻る気配はなかった。それは先ほど、土魔法で強制的に土に変えたのとは違い、熱された砂たちがあくまで自発的な反応で硝子へ形態を変えたからだ。
魔力というのはいつも、その時々にふさわしい形をとるようになっている。
それが意味することはつまり、今までのように砂で攻撃をしてきたところで、今のリリアには全く無意味になったということだった。
魔人は硝子の破片だらけの地面を踏みつけて歩きながら、忌々しそうにリリアのことを睨んだ。
「……なあ、今までは結構手加減してたんだぜ。お前やさっきの女が死なねえようによお。だが、もう頭にきた。ここからは本気でいかせてもらう」
「本気? 何度やっても同じことの繰り返しになるだけじゃない。もう私に陳腐な砂攻撃なんて効かないわ。あんたこそさっさと降参したら?」
リリアはほとんど勝利を確信したかのように言い放つ。しかし魔人はそれを聞くと、余裕を取り戻したみたいな顔をして不敵に笑い言った。
「ふっ、テメェ、まだだいぶ若いだろ」
「……それがなんなのよ」
「実戦慣れしてねぇなあと思ったのさ。お前は俺の砂を硝子にした、たかがその程度のことで勝ち誇っている。しかし、ということはテメェ、さっきのが一番自分にとって自信のある技だったってことじゃねえのか?」
そうやって得意げに語る魔人に対し、鼻で笑ってやれたらよかった。けれどリリアはそう言われて動揺を表に出さないように必死だった。
「くくく……戦いにおいてそれは悪手中の悪手だぜ。本当に勝ち誇っていいのは相手が一番自信のある技を出した後だ。相手が勝ち誇ったその後なんだよ!」
魔人は大声でそう言うと、再び砂に飛び込み潜っていく。リリアは咄嗟に周囲の地面を硝子化し、魔人が近くまで泳いでこれないようにしたが、意味があるかどうか不安だった。
今度は魔人が攻撃をしてくるのに時間は空かなかった。周囲の砂がさざめき始め、やがて少しづつ宙を舞い始める。砂の粒は瞬く間に視界中を覆い、あたりを飛び交った。
「こ、これはまさかっ!」
これは、壁でもないし波でもない。
砂嵐と形容するのがふさわしかった。リリアは目を閉じざるを得ず、砂たちの騒めく音があまりにもうるさいので、聴覚さえも妨害されていた。
「どうだ! テメェ、陳腐な砂攻撃は効かねえって言ってたよなあ! この攻撃もテメェにとっては効かねえのかあ!?」
ザラザラといった砂のノイズ音に混じって魔人が得意げに言う声が聞こえてくる。その声の方角を当てることさえ今のリリアには困難だった。
そのうえ、この砂嵐に含まれているのは砂のみではなかった。先程作った硝子の破片たちが砂のつくった空気の流れに乗って舞い上がりリリアの周りを飛び交う。
完全に、相手の攻撃に利用される形になってしまったというわけである。
彼女は、先ほどよりも明確に絶体絶命の危機に陥っていた。
「くっ、私にはどうしようも……」
「いいえリリア、よくやりました!」
突然、どこにいるかはわからないがアデルの声がして、リリアは思わずあたりを見回す。もちろん、その姿が見えるわけはないが、その声が聞こえてくるだけで心の内に希望が灯った。
「このまま硝子を増やしちゃダメです! すぐに炎を解除してくださいっ! あとは私が!」
「わ、わかったわ!」
リリアは周囲を警戒しつつ両腕の炎を収める。すると、途端に騒めく砂の音の中でもアデルの澄んだ声が透き通って響いた。
「【天渦嵐!】」
詠唱された直後、とてつもない暴風が吹き荒れる。しかしそれは、全てを吹き飛ばすような無秩序なものではない。一点に集約するための精密な暴風だった。
砂はある一箇所に吸い込まれていく。それによりどんどんと視界が晴れていき、とうとう鮮明に景色を見渡せるようになったリリアの目前には魔槍を掲げたアデルの姿があった。
アデルが掲げている魔槍の先には砂が大きなボールみたいに過密した状態で囚われている。彼女はあの大規模な砂嵐を全てその一点に吸い込んでしまったのだった。
「アデル! やっぱあんた最高よ!」
リリアは驚きのあまりうっかりアデルを褒めてしまう。案の定、アデルは得意げにドヤ顔を見せつけてきたが、今回はそんなことが気にならないくらいリリアは感心していた。
「おいおい、俺の全部吸い込んだってのか……」
いつの間にかリリアの近くにまで来ていた魔人は、今度は呆然としたように言い放つ。今までの余裕や嘲りからくる笑いはもうなかった。
「魔人さん。さっき言っていた話、私もわかります。本領を発揮するのは相手が勝ち誇ってからなんですよね。私もとても共感するところがあります」
「……つまり、何が言いたい?」
「そろそろ私も、腕の見せ所かなと思いまして」
アデルは嬉々としてそう言うと、魔槍をぴくりとも動かさずに槍先に滞空する砂混じりの暴風を魔人に向けて撃った。
先ほどの反省を活かし、今回は予備動作一切無し。そのため狙いを定めるのが難しく、暴風は魔人の左肩のあたりを抉っただけで仕留めるまではいかなかった。
しかし、それは正面からの堂々とした不意打ちと言っても差し支えないほどの異様な光景だった。
魔人の肩から血がぽたぽたと垂れ、直下の砂を濡らしていた。
「うぐっ……! い、いてえっ!」
「くーっ! 外しちゃった! 一発で仕留めてカッコつけたかったのに!」
アデルは悔しそうに地団駄を踏む。だが、魔人にしてみればそれは、まだまだこれが序の口であるという宣言となっていた。
なんなんだコイツ! ただの槍使いかと思っていたが、魔力のコントロールが上手すぎる……!
そもそもだ! 何故、さっき風で砂を吸い込んだ時、あのピンク髪の女と馬車は巻き込まれなかった!? 何故だ!?
あれだけの暴風、普通なら馬車でさえ舞い上がっているはず! まさか、それらだけをピンポイントに避けるよう魔力を操作したのか……!? い、いやっ! もしそうだとしたらコイツは相当なバケモンだ! まずい、すげえまずいっ!
魔人の顔に焦りが滲み出る。出血する左肩を抑え、息も絶え絶えだが、まだ冷静な思考力は残っていた。
「まあでも、そろそろ佳境といったところでしょう。魔人さん、あなたとの戦い、とても面白かったですよ」
アデルは煽りでも嫌味でもなく本心で言い放つ。魔人は更に狼狽えるも、同時に感心してしまった。
どうやら、生半可な覚悟の小娘ではないらしいということが、今になって魔人にもようやくわかった。コイツには、信念や誇りやプライドがある。
それならば、自分はどうするべきか。逃げるのか?
それは確かに冷静な選択ではあった。魔人は既に、アデルを相手に勝つことはできないだろうと気づいていた。
しかし、魔人にも誇りやプライドがあった。これは自分が招いた結果だ。ろくに相手の力量を見定めもせず、自分の実力を過信して、自分から挑んだ戦いだ。
それなのに――相手が強かったと知ったら尻尾巻いて逃げるってのか?
……いいや、そんなのは下衆がすることだぜ。腐っても俺は戦士だ。その誇りにかけて、逃げるなんてことはまっぴらごめんだ。




