1.約束ですよ
太古のむかし、天空に住む女神グリリモーアと地の底に住む大悪魔ユラヴィは、天地の支配において対立し、争いを起こした。
大地は揺れ動き、火災と洪水が各地で起こり、天空では暴風が吹き荒れ、雷鳴の轟く荒廃した時代が三千年のあいだ続いたと言われる。
やがて二者はそれでも終わらない戦いに疲労し休戦期間を設け、グリリモーアは天に還り、ユラヴィは地の底へ還った。
力を蓄え、また然るべき時に戦いを始めることに決めたのだった。
しかし両者は互いを信用できなかった。
自分の居ぬ間に相手が天地を治めようと画策するかもしれない。
そこで両者は大地に自分たちの代理を置いていくことにした。
女神グリリモーアは柔らかな雲と素早い雷、清らかな水と力強い風から、多くの聖生物と原初の樹木、そして人間を作り上げた。
大悪魔ユラヴィは乾いた土と強固な岩石、怪しく光る結晶と地の底の闇から、多くの魔物と人間を真似た魔人を作り上げた。
お互いがもう一度対峙する時まで、これらに代理戦争をさせることにして。
かくしてこの世界はできあがり、人間と魔物たちによる争いと混沌の世界が始まった。
伝説によると、グリリモーアがこの代理戦争の始まりに際して植えたとされるのが、今もなお存在するあの世界樹なのだという。
広大な大地、現オルドストン大陸の中央には世界樹が今もそびえ立っている。
そしてその根元には、神の叡智が集約されているとされる神立図書館が存在する。
グリリモーアは原初の人間にこう言いつけた。
この図書館を守ること。
図書館の叡智を学び享受し、後世に伝えていくこと。
そして、その学びを糧にし混沌としていく世界の救世に励むこと。
グリリモーアは今も、世界樹の遥か上で眠っているとされる。
いつか再臨するその時まで、我々は備えておかなくてはならない。
☆
空が夕焼け色に染まり、卒業式の騒がしさもようやくおさまってきた頃、三人は図書館から程近い川沿いにあるベンチに座っていた。
「いっいぇーい! どうですか! 天才アデルの大快挙ですよっ!」
まるで幼い子供のようにはしゃぎ回り、黒い短髪ボブの髪をなびかせてアデルは意気揚々とそう言う。黒縁のメガネの奥の瞳はキラキラと輝いており、純粋な喜びに満ちあふれているのがわかった。
しかし、一方でそれを見守る親友二人の目は、そう温かいものでもなかった。
「はあ……全く、二年も早く卒業するなんてズルすぎるよアデル」
メルフィーは金属でできた柵に寄りかかると、下に見える夕陽で煌めく川の緩やかな流れを眺めながら、極めて呆れたようにそう言う。彼の深緑の髪と、特徴的な目の下の隈や頬のそばかすは、水面ではぐにゃぐにゃとしていてはっきりと映っていなかった。
「ふっふっふ、四年生の時点で六年生が受けるレベルの卒業試験に首席で合格したんです。いやあ本当私って凄いと思いません? 歴史上の偉人でさえ神立図書館を四年で、しかも首席で卒業している人など滅多にいませんよ! ですから私の溢れ出る天才っぷりにあなたたち二人が嫉妬するのもまあ無理はないですがね!」
アデルは得意げに卒業証書を二人に見せびらかして、格好をつけるようにメガネをクイッと動かした。そして、それがあまりにもムカつかせてくる所作だったので、リリアは思わず彼女の脇腹を殴ってしまった。
「もう。あんたねえ、私たちは嫉妬だとかそういうことを言ってんじゃないのよ。三人で過ごすここでの生活が二年減った。それって結構、私たちにとっては悲しいことなのよ」
リリアの着けている小洒落たピアスやブレスレット等の装飾品が、夕陽の光をキラキラと反射する。それは少し眩しくて、いつものアデルならちょいと嫌味でも言って目を背けていただろう。
けれど、今回ばかりは曇った表情をしているリリアと目があったとき、簡単に逸らすことができなかった。
「……それは確かに私もそうです。でも――
「わかってるわよ。少しでも早く外の世界に飛び出していきたかったっていう気持ちは」
少し憂いを帯びた表情のリリアは、言いながら後ろを振り返って、まるで神殿かのように煌びやかで神聖な雰囲気の溢れ出る巨大な建物を眺める。
魔力を動力源として動くという不思議な仕組みを持った巨大な振り子時計は既に日暮れが近づいていることを告げていた。
グリリモーア神立図書館。
そこは、三人が十二歳の時から四年間生活を共にしてきた場所で、そして今日を最期にアデルが去っていく場所だった。
「っていうか上級生たちほんとに驚いてたよね。アデルが壇上に上がって行った時なんか、みんな豆鉄砲食らったような顔してたし。まあ、グレイス館長だけはいつも通りすまし顔って感じだったけど」
「いつも目元を隠している人なのよ。表情も何もないわ。実は目隠しの下でアデルに向かってとんでもないしかめっ面でいたかもしれないわよ」
冗談めかしてリリアが言い、二人が笑う。
「ふふっ。……まあでも実際、グレイス館長はとっても偉大で慈愛に満ちた人ですからね。私たちにはわからなくてもきっと、今日卒業した人全員に優しい眼差しを向けてくれていたと思いますよ」
「うん。きっとそうだろうね」
三人はひとしきりそんな会話をして笑う。それからほんの少し無言の間が訪れて、気まずくさせまいとメルフィーはまたすぐに口を開いた。
「それにしても、本当にアデルいなくなっちゃうんだね。残念、君以外に張り合いのある相手なんて他にいなかったのになあ。リリアはすぐにへばっちゃうし」
「えぇ? なによそれ。私が相手じゃ話にならないとでも言いたいの? 実技の授業じゃいつも泣きべそかいてるくせに口だけ達者なんだから」
「木属性を扱う魔法使いが土と火炎属性を扱う魔法使いに勝てるわけないだろう。そんなのは自明の理ってやつさ。君とは相性が悪いだけで、単に実力だけで言えば僕の方が圧倒的に上だと言えるね」
「なんですって! この野郎!」
リリアとメルフィーは相変わらずすぐに言い争いを始める。お互いを罵倒しているのに、お互いがその言い合いを楽しんでいるようないつもの光景だ。
それをもうすぐ自分は手放すのだ。
そういう未来が確約されているにも関わらず、いつもと何ら変わらない日常のような振る舞いをしてくれている二人を見てアデルは思う。
私には強くて頼りがいがあって将来英雄として褒め称えられるような素晴らしい魔法使いになりたいという夢があった。そして、そのために今まで頑張ってきた。その夢こそが自分の人生にとって一番大切なことだと思っていた。
けれど、夢より大切なことも確かにあるらしい。夢はいつまでも泥臭く追いかけられる自信がある。それなら、今この瞬間にしか存在しない親友たちとの時間はとても大切だ。
「本当にすみません。二人とも」
アデルは考えているとなんだか申し訳ない気持ちが湧いてきて、自然と謝罪の言葉を口にしていた。すると、二人は言い合いをやめて不思議そうに彼女の顔を見る。
「別に謝る必要はないんだって。僕たち人の決断に口を出せるほど偉いわけじゃないし、ほんのちょっと別れを惜しむ時間が欲しかっただけさ」
「そうね。それに考えてみればたかが二年だし。少ししたら私たちも卒業してまた会えるようになるわ」
メルフィーとリリアの言葉に、少しだけアデルの目が潤む。そうすると、二人の方も少しづつ悲しい気持ちになってきて、しんみりした空気になってしまった。そこでリリアは少し話題を変えようとアデルに質問した。
「そういえば、これから具体的にどうするかは決めてるの?」
アデルはほんの少しだけ悩む素振りを見せてから答える。
「とりあえず、明日から準備を始めて来週くらいから二年間は冒険者として中央領の各地を巡ろうかなと思ってます。魔法使いとして名をあげなきゃですし」
「へえ、じゃあその後は?」
尋ねられて、アデルは深く息を吸い込み、二人の顔を窺いながら言った。
「あの、自分勝手な話だとは思うんですけど、二年後の今日、私ここに戻ってこようと思うんです。それで、もし良かったらですけど、卒業した二人に会って……できたらそこから、三人で旅を始められないかな、なんて……」
無理な願いかもしれない。それでもその願いを捨てきれなくて、アデルは勇気を振り絞ってそう言った。
メルフィーは一層不思議そうな顔をして、リリアは少し驚いたような顔をして、それぞれ数秒の間無言になった。
やがて、メルフィーは半笑いになって言い出した。
「なんだ。僕、元々その予定なんだと思ってたな」
あまりに平然としたその回答に、アデルはびっくりしてしまう。続けてリリアも口を開いた。
「うーん、私はまさかそんなことを言われるとは思わなかったけど、まあアデルのお願いなら結構ありよね。むしろ、アデルの旅に私たちがついていっていいのかって感じなんだけど」
二人のあまりのあっさりさにアデルは拍子抜けし、しばらくは何も言えずに固まってしまった。そんな様子を笑われる時間があったあと、メルフィーとリリアはかしこまった様子になって言った。
「まあ、とにかく卒業おめでとう。アデル」
「あんたが居ないとこれから寂しくなるわね」
「それはきっと私もですよ。……二人とも、ありがとうございます」
「ははっ……ねえ、なんかしんみりした雰囲気になるから、こういうのやめようよ。どうせ二年後にまた会えるんでしょ」
「ええ、そうですね。絶対、約束ですよ。そうだ……再会した時には二年間経験を積んだ私が直々に冒険者としての極意を二人に教えてさしあげましょうかっ?」
「もう、あんたってやつは安心したらすぐ調子に乗るんだから!」
沈みゆく夕日の下で、そんなふうに三人は再会を誓い合った。二年後に始まる旅の行く末をそれぞれ思い描きながら。
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