天才魔導師は帰還する
「ナツキ、大丈夫か?」
ドランクは、汗ばみ、少し苦しそうな奈月を気遣う。
「……はい、リグ様。お願いします」
「……いくぞ」
「ふっぅ、んんっっ……」
ドランクが奈月の全身に魔力で刻んだ術式が展開していく。奈月のお腹に魔方陣が浮かび上がるとドランクから注ぎ込まれた魔力が集約し、魔方陣上にクルクルと魔素の光が渦巻いていく。魔素は次第に集まり、大きな卵型の光の塊になって魔方陣上に浮かぶ。
「ナツキ、もう少しだ」
「はぁっ……い……んんっっ」
ドランクは奈月の中の魔力が魔方陣によって全て吸い出されたのを確認し、最後の仕上げに魔素の固定化の術式を展開する。出来上がった魔素の結晶体を床に避けると、術式を解除する。
「それが、新しい神の力を宿す石なんですね」
「ナツキ、疲れただろう。まだ横になっていろ」
「リグ様は、大丈夫ですか?」
「あぁ、余分な神力が無くなって楽になった」
「よかった……」
微笑んだ奈月はそのまま気を失うようにして眠った。ドランクもその隣に横たわると、奈月を抱きしめ目を閉じる。夜明けまではまだ少し時間が有る。後の事は朝になってからでも大丈夫だろう。
翌朝、目が覚めた奈月は隣で眠るドランクの寝顔をじっくりと見る。
(顔色もいいみたい。本当によかった)
ドランクの額に手をやり、体温を確認すると、赤い髪を戻してそっと撫でる。目を瞑ったドランクの口元がほんの少し笑みを作る。
(いい夢でも見ているのかしら、ふふっ可愛い)
奈月はそっと触れるだけの口付けをする。ドランクはまだ目覚めない。
(……ちょっとだけ)
奈月は暖かなドランクの胸元に頬ずりをする。
「クククッ……ナツキ、くすぐったいのだが。そんなに俺の胸が気に入ったのか?」
「リグ様、いつから起きて……」
ナツキの言葉はドランクの唇で塞がれる。
「おはよう、次からはこれくらいしてくれてもいいぞ?」
「リグ様!」
こっそりしたつもりが、全部知られていた事に真っ赤になる奈月を、ドランクはぎゅうっと抱きしめた。
それから、ドランクは数日かけて祈りの間がある洞窟を元の状態に戻した。新しい魔素の結晶体を設置すると、問題なく装置は稼働し始める。次に取り掛かったのは、神迎の祭壇奥にガレオが設置した帰還の転移陣を転移扉に組み込む実験だ。
どうすれば負担なく奈月を彼方に連れ帰れるかと考え、ガレオが残した転移扉を利用することにした。帰還の転移陣の解析は祭りの前に既に終わっている。後は扉の補強と、行き先の座標の書き換えを行えば完成するはずだ。
小さな転移扉をいくつも作って彼方の世界にものを送る実験を繰り返す。最初は、小さな石、その次は野の花、小動物と徐々に大きなものへと移行していく。扉がいくつも必要だったのは、この扉、一回使うと転移の衝撃で壊れてしまうからだ。
ようやくこれで大丈夫と思える結果が出たのは、ドランクが此方に来てから季節が二つ分過ぎた頃。
「ナツキ、準備はいいか?」
「はい」
二人はしっかりと手をつなぎ、同時に転移扉を潜った。
◇◇◇
王立魔導師学院の術式実験棟の一室。アルノートはここ数週間起こっている不思議な現象に頭を悩ませていた。ドランクが破壊した実験棟は、同室の連帯責任とその場に居合わせた不運なアルノートが修繕することになった。
「理不尽だ」
その作業は、某国にあるという刑罰に似ているとアルノートは思った。直しては壊され、直しては又壊される。三週間経った今でも、ドランクが爆破した実験棟の一室は、完全には修繕されていない。
「ハァ〜。今日はなんだ?」
爆発とともに現れる謎の品々。花だったり、小動物だったり。本日現れたのは、ぐしゃりと丸まったゴミのような何か。ひょいと拾い上げるとアルノートはそれを丁寧に広げる。
「まさか、ドランクからの手紙!?」
そこには【書簡】の魔方陣が記されていた。アルノートが魔力を込めると予想通り、見知ったドランクの文字が浮かび上がる。
『この手紙が、アルノート・フィッシャーに渡る事を望む。おそらく数日内に帰還する。帰還時に爆発が起こる可能性がある。防御の陣を頼む。 レッド』
「ふふふふふっ。レッド!」
アルノートは必要最低限の情報しか書かれていない手紙を握りつぶす。
「やっぱりお前だったのか、犯人は! っていうか、数日内っていつだ〜!」
アルノートは急いで報告に向かうと、リベンジを誓う古老達に強力な防御の魔方陣を刻んでもらった。
「これでよし! いつでもいいぞレッド!」
その言葉に反応するかのように、部屋に光の粒子が渦巻き、転移扉が現れる。そこから光を帯びた人型が浮かび上がってくる。それがレッドだと気がついた瞬間、アルノートは爆風で吹っ飛ばされた。
「くっ、またか〜っっ!!」
アルノートは防御壁を展開する。今回も、したたか壁に打ち付けられた。
「ナツキ大丈夫か?」
「はい、リグ様が守ってくださいましたので」
古老達が刻んだ防御の魔方陣は又しても破壊された。だが、前回ほどは酷くない。これは成果と言えるだろう。
「レッド! お前な〜。僕が毎日毎日、どれだけこの部屋を修繕したと思ってるんだ!」
三週間、心底無事を祈り、尻拭いに奔走していた自分の前で、何やらいちゃつく友人に怒りをぶつける。
「アル! すまない、大丈夫か?」
ドランクは倒れるアルノートに駆け寄り、手を差し出すと引っ張り起こした。
「防御の陣を刻んでくれたんだな、助かった。想定していたよりも被害が少ない」
ドランクは修繕の術式を展開すると、部屋は見る間に元に戻っていった。
「レッド、お前、何か魔力増えてないか? それに瞳の色が……」
「あぁ、ちょっとな。詳しい話はまた後で。それよりも、紹介したい人がいるんだ」
ドランクは、二人のやり取りを静かに見守っていた黒髪の女性をアルノートの前に連れてくる。
「俺の妻、ナツキだ」
「初めまして、黒須奈月と申します。リグ様のご友人の方ですか?」
小首を傾げる美女の可憐さに思わず固まったアルノートは、すぐに再起動する。
「ちょっと待て、え!? 妻〜〜っっ?」
ドランクはこの後、アルノートに一から十まで説明を求められることになる。