乙女の看病で天才魔導師は目覚める
「誰か! 誰か来て!!」
奈月の半狂乱な叫びは、黒須家の本邸まで届いた。
離れには今、伊佐夫が滞在している。奈月の悲鳴を聞いた黒須家の男衆は、それぞれの思いを胸に離れに駆けつけた。
「遂に伊佐夫が悪さをしたか! あいつはいつかやるだろうと思っていたさ」
「伊佐夫は弓月に気があったから、子供の頃から知る奈月ならば大丈夫だろうと油断した」
「所詮、あの男も、父親と同じであったか」
伊佐夫の境遇を同情していた者達も裏切られたような心持ちになっていた。
離れの扉を開けると、奈月が血まみれの男を胸に抱え、泣きじゃくっている。
「奈月! 大丈夫か」
「おい、どうしたんだその血は、まさか襲われそうになって……」
当代神巫候補者が殺人!? 駆け落ちどころの騒ぎではない大事件に、男衆は頭が真っ白になった。
「奈月! しっかりなさい」
立ちすくむ男衆を押しのけ、奈月の母佳月が部屋に入ってくる。
「か…あ…さん?」
虚ろだった奈月の目が佳月の顔を捉える。
「母さん! リグ様を助けて! リグ様が突然血を吐いて倒れたの」
「リグ様? とにかく、その方を一度離しなさい」
奈月はハッとして、抱えていた頭をそっと下ろし床に横たえた。
寝かされた男を見て誰もが息を飲む。そこにいたのは、平塚伊佐夫ではなかった。見知らぬ異形の男が静かに横たわっていた。
「……」
こいつは何者だと、誰も口にしなかった。もしかして“当代神巫選定に現れると言う神”、“黒須家の信仰の対象”その存在が今我々の目の前にいるのではないか? と誰もが思ってしまったからだ。
「奈月、詳しい話は後で聞かせてもらいます。とにかくこれでは、良くなるものも治りません。貴方達も腑抜けてないで、さっさと動きなさい!」
佳月は呆然と佇む男衆を叱り飛ばすと、すぐに村医を呼んでくるように指示する。意識の有無、呼吸と脈の確認を取り、男衆に布団を用意させ、ドランクを寝かせる。盥に入ったお湯と手拭いを用意させ、奈月に血を拭うように伝えた。
黒須家はその夜、大騒ぎになった。
◇◇◇
(……長い夢を見ていたようだ)
ドランクはぼんやりと目を開けると、そこに黒髪の乙女の姿を見つける。
「……ナツキ?」
「リグ様! 気がつかれたんですね。良かった……」
奈月は泣きそうな顔でドランクを覗き込む。
「心配をかけたようだな」
「ご気分はいかがですか? ……失礼します」
奈月はドランクの額に乗せられていた濡れ手拭いを外し盥に入れると、額に手を当てる。
「お熱は引いたようです。そうだ、喉は渇いていませんか? 白湯がございますよ」
「あぁ、ありがとう」
奈月は白湯を湯のみに注いでドランクが飲むのを手伝う。一息ついたドランクは自分がどれぐらい眠っていたのか奈月に尋ねた。
「リグ様は一昼夜お眠りでした」
奈月はドランクが倒れた後のことを語った。
「リグ様が倒れて、すっかり気が動転してしまい。黒須家の皆んなにリグ様がご滞在されていることを知られてしまいました。内密にしたいとおっしゃっていたのに……リグ様、本当に申し訳ございません」
「ナツキは悪くない。おそらくだが、良くわからぬままに、たくさん神の技を使った事が原因ではないかと思う」
「でしたらやはり、私を助けて下さった事で、リグ様のお体が……」
「そんな悲しそうな顔をしないでくれ。俺はお前を助けられて本当に良かったと思っている。お前にも悔やんで欲しくない」
ドランクは手を伸ばし、奈月の頬を撫でた。
「リグ様……」
奈月はドランクの柔らかな微笑みを見て、泣きたいような愛おしさが胸いっぱいにこみ上げた。