若き魔導師は入学する
しばらくドランク・リグレッドsideの話が続きます
「今年の新入生にはあのガレオ・リグレッドの息子がいるらしい」
「嘘だろ! あのリグレッド家のか? やべぇ~な」
最先端の魔導術式を学ぶために初めてこの国の王都にやってきた隣国出身のアルノート・フィッシャーは、王立魔導師学院の華々しい入学式典終了後、今日から住み込む寮に向かう途中、そこかしこから聞こえてくる一つの名前を耳にする。
(リグレッド? 確か式典で新入生代表の挨拶をしていたのがそんな名前だったか。どこか名家の御子息なのかな)
「フィッシャー君、入寮の義務は一年目だけだが、希望があればその後も滞在可能だ。部屋は監督生を除いて基本的に二人部屋となっているから同室の者と問題を起こさないようにな」
案内してくれた寮長にお礼を告げて部屋に入ると、整った容姿にがっしりとした体躯、目を惹く赤髪の男が式典用の窮屈な礼服を着崩したままベッドにごろりと横になって魔導書を読んでいた。
「初めまして、同室になったアルノート・フィッシャーだ。よろしく」
「あぁ、ドランク・リグレッドだ。お前はそっちだ」
アルノートになど興味が無い様子で、ドランクの視線は手に持つ『転移術式とその有効活用』に向かったまま、空いてる左側のベットを指した。アルノートはそんな彼の態度を気にすることなく自分のスペースに荷物を片付けながら話しかける。
「リグレッド君は転移術式に興味があるのかい? 僕は王都に来るのに転移扉を初めて使ったんだけどアレは凄いね。アレは扉に相互転移術式が組み込まれているんだろうか?」
「……転移扉も知ら無いってどんな田舎者だよ」
ぼそりと呟かれた言葉にアルノートは嬉しそうに反応する。
「やっぱり分かる? 僕は隣国出身でさ。この国って魔道具だらけで本当、興奮しっぱなしだよ」
「そうか、だから知ら無いのか」
ドランクは未知の生物でも見たかのような、なんとも言えない表情でアルノートを見やった。
「ん? 何?」
「腹が減った。飯に行ってくる」
おもむろに立ち上がったドランクは、本をベッドサイドチェストに置くと普段使いのローブに着替える。
「いいね。食堂どんなメニューがあるのか楽しみだ」
アルノートも当然のようにローブを手にする。
「一緒に行くつもりか?」
「えっ、ダメなのか? せっかく同室になったんだ仲良くしよう」
期待に満ちた純粋な瞳を向けてくるアルノートを訝しげに眺めたドランクは、ため息をひとつ吐く。
「……勝手にしろ」
二人で食堂に入ると、まだ早い時間だからかそこまで人は多くなかった。厨房に繋がるカウンターで好きなメニューを選んで注文すると、すぐに湯気の立つ料理が提供される。二人が頼んだのは本日のオススメ、肉がゴロっと入ったシチューに固焼きのパンとサラダに飲み物が付いているセットだ。席へ座るとアルノートは食前の祈りを行う。
「今日の糧を得ることができ、我らが神ゴートソエラに感謝致します」
「……」
そんなアルノートをちらりと見た後ドランクは祈りの言葉を口にすることなく、カラトリーを手にすると早々に食べ始める。
「おい、見ろよ! あの赤髪例の……首席入学って」
「本当かよ。あんな事があったってのに、よっぽど図太い神経してやがる。流石は恐れを知らぬリグレッドの血脈」
「おいよせ、目をつけられても知らないぞ」
周囲から絶妙な音量で聞こえてしまう話し声。チラチラ視線が向かう先は我関さず黙々と夕食のプレートを平らげるドランクだ。
「なぁ、もしかしてだけど、リグレッド君って有名人?」
「……そのうち嫌でも分かる。さっさと食え」
「やっぱりそうなんだな! 僕、有名人と同室だって故郷の皆んなに自慢するよ~」
「……」
アルノートの興奮を隠せぬはしゃぎっぷりに、ドランクは珍獣を見るような目を向けるのだった。
魔力が生活に欠かせない我が国で、魔導師の地位は高い。全ての魔導師は王立魔導師学院で学び、並べて世界を牽引する魔導師協会に名を連ねる。中でも、優秀な魔導師を多く輩出しているリグレッド家は、高名な魔導師が集う魔導師学界への参加を、何代にも渡って許されている家柄だ。
当主、ガレオ・リグレッドは『初期転移魔導術式の発案者』として有名だった。が、今はそれを上回るセンセーショナルな事件に、その功績は忘れ去られようとしている。事の発端は一年前、魔導師学界で発表された『国民思想を根底から覆す、神に背くに等しい荒唐無稽な提言』が物議を醸したことにある。ガレオは忌避感をもって徹底的に学界から排除された。そしてそのすぐ後に、隠遁した彼の屋敷を瓦解させるほどの爆発が起こり、巻き込まれたガレオ・リグレッドは亡くなったとされている。
当初、異端審問会による見せしめだという陰謀説や、盛大な自死だのと様々な噂が流れ世間を騒がせたが、現在では術式暴発による事故死との見解で落ち着いている。王都のみならず、国民の誰もが一度は耳にしたであろうこの一連のニュースだが、隣国では知られていないということは、どこかで情報規制されているのかもしれない。
あの学会以来、リグレッド家はすっかり腫れ物扱いで、学院の寮に入る時もドランクと同室になる事を拒否する者が相次いだと聞く。今は何も知らないこの留学生も他の奴らと同じように、いずれ自分から距離を取るようになるのだろう。どこか冷めた目でアルノートを見ていたドランクは、突如上がった感嘆の声に毒気を抜かれる。
「うっ、美味い! このシチュー滅茶苦茶美味いな、リグレッド君!」
そこには口いっぱいに肉を頬張る幸せそうな笑顔。ドランクは不意に健啖家だった父の面影をアルノートに重ねた自分に苦笑した。