プロローグ
ヒタリヒタリと何処か遠くで水滴が落ちる音が響いている。洞窟内に等間隔で灯された蝋燭の明かりがユラユラと揺れ、じっとりと濡れる黒い岩肌を妖しく照らし出す。こじんまりとした社には、神迎の祭壇が設えられ、お香の甘い香りが漂う。中央にはこの日の為に誂えられた真紅の寝具。その場所には単が肌け、逞しい胸板を晒している男神の姿があった。聖域と呼ぶにはあまりにも淫猥なその雰囲気に奈月はコクリと息を飲む。
「……ナツキ」
名前を呼ぶ低く色気を含んだ男の声に体の奥がぞくりとする。震えそうになる足をなんとか前に出し、一歩ずつ男の元に近づいていく。男の一歩手前でぬかずくと幼い頃から何度も練習し諳んじられる言葉を奏上する。
「力を与え繁栄をもたらす尊き神よ。我、黒須奈月はこの身の全てを捧げ、一つにならんことを請う」
奈月は緊張から少々声が上ずったものの、無事決められた台詞を言い終えることが出来て安堵しながらゆっくりと顔を上る。男は待ちかねたように奈月を引き寄せ、奈月はすとんと男の胸に抱きとめられた。あたりに馥郁と漂うお香とは違う男の匂いに包まれ、男の素肌から伝わる熱に、奈月の心音は激しくはねた。
時間の感覚が麻痺しそうな刹那、奈月は腕の中からそっと上を向いて男を伺う。柘榴石のように深く赤い瞳には今までに見たことがない色が揺らめいている。男の精悍な顔が近付くと、そっと触れるような口づけが降ってくる。
「……リグ様」
「ナツキ、お前の全てを貰い受ける」
柔らかな敷布の上に優しく横たえられた奈月は、潤んだ瞳で男を見つめそっと目を閉じた。
その日、遥か遠き場所より降り立った神と黒須奈月の婚姻の儀がつつがなく行われた。